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映画・演劇のレビュー

『トロッコ』

2010-05-28 23:35:52 | 映画
 誰もが知っている芥川龍之介の短編小説を原作にした映画なのだが、あの小説をそのまま映画化したなら上映時間は30分以上のものにはならないはずだ。そこでこの映画はあの小説の描くエピソードを作品の核に据えて、全く別の大きな物語を新たに作り出す。

 2人の少年と母親の成長物語である。しかも、舞台は台湾だ。時代も現代に変更される。台湾から日本に留学してきた男がそのまま日本で結婚し、2人の子供も授かった。だが、何らかの事情(理由は描かれない)で死んでしまう。残された彼の妻子は彼の故郷である台湾まで遺骨を届けるためにやってくる。花蓮県に住む祖父母の家を訪れて、そこで過ごす数日間の日々が描かれる。

 登場人物は彼ら3人以外はすべて台湾人しかいない。映画は、台湾オールロケで撮られた。(冒頭に日本のシーンはあるが、室内シーンがワンシーンあるだけである)台湾の豊かな自然に抱かれて、おじいちゃんと過ごす日々の中で少しずつ2人の少年が変わってくる。(同時に失意の母親も、だが)そんな穏やかな時間がゆっくりと描かれる。

 日本の統治下にあり、幼い頃から日本語教育を受けさせられてきた世代である祖父母にとって日本という国は自分たちのルーツのひとつでもある。敗戦後日本が台湾から去っていき、新しい国作りが為されるはずだったのだが、解放されるのではなく、新たなる統治者中国共産党との間に生じた軋轢は、決して幸せなものではない。祖父にとって日本は、とても微妙なものとなる。日本の支配から解放されて自由がやってきたとは単純にはいえない。かつて日本人として、2年間従軍した事に対して、日本政府は恩給を拒否する。彼にとって恩給の給付は必ずしもお金だけの問題ではない。自分が台湾人であることは事実だ。だが、日本が自分たちを認めないことには憤りを感じる。そんな中、彼の息子は日本に留学し、そのまま帰ることなく日本人の女性と結婚した。そんな老人の複雑な内面がこの映画の根底を流れる。

 高齢で体も弱ってきて、この後の生活に不安を抱える。しかも、妻であるおばあさんは病弱で入退院を繰り返している。このまま田舎での2人暮らしは困難であること。台北で暮らす下の息子は両親を引き取りたいと思っている。そんな中、上の息子が死んだのである。そして、日本から、会ったこともない孫と嫁はやってくるのだ。

 過去と現在のさまざまなことが、この老人の心の中を去来する。幼い2人の孫たち、日本人の嫁を迎えて、自分の人生の幕引きが目前に迫った中、何をどうしたならいいのか、彼にもよくはわからない。同じように日本から来た息子の嫁(尾野真千子)も幼い子供を抱えて夫を失い、これからどう生きたらいいのかわからない。

 この映画は一つの過渡期を迎えた小さな家族の一夏の物語であり、彼らの出会いの物語でもある。この作品がデビュー作となる新鋭、川口浩史監督はこのドラマの中心に芥川の『トロッコ』を配した。不安と孤独のなかで揺れる少年の心がこの映画全体を象徴する。そして彼らの背後には先に書いた祖父と彼らの母がいる。少年のひと夏の小さな物語は、彼らの祖父と母のドラマと連動して大きな物語を形作ることとなる。

 名手リー・ピンビンによる撮影がすばらしい。この線路の向こうが日本に続いていると信じた幼い日の祖父の記憶が、台湾と日本をつないでいく。彼の息子は台湾から父の憧れだった日本へ行き、死んでしまう。だが、彼が残した子供たちが、今、ここに帰ってくる。少年たちはトロッコに乗ってささやかな旅に出る。

 この映画は、人と人とが出会い、生きている姿を紡ぎ上げる。決して傑作とは言えない出来ではあるが、これは心に沁みる映画である。そして、志の高い映画だ。


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