前田哲監督が『そして、バトンは渡された』の前に作った作品で、コロナのために公開が延期されていたがようやく公開された。前田監督作品が全国一斉公開で、しかもかなり大きなチェーンでの29日、30日と2日連続での公開となった。僕が見た大阪ステーションシティシネマでは、一番キャパの大きな1番スクリーンで『そして、バトンは渡された』が上映され、並んで2番スクリーンではこの映画が上映されていた。しかも、平日の午後なのに、とてもよくお客が入っていた。凄いことだ。作品の出来は当然『そして、バトンは渡された』のほうがずっと上ではあるが、この作品も、とてもよくできていて、観客の満足度も高いようだ。出口で感想をしゃべっている人たちも幸せそうだった。
こんな内容なのに、幸せな気分にさせられるのは、安易に、お金がなくても大丈夫とかいうのではなく、笑わせながら、ちゃんと何が大事なことなのかを伝えてくれたからだろう。こんなふうにハッピーになれたならいいと信じられる。そんな映画を作れたからだ。確かに甘い展開である。50代の夫婦が同時に仕事を失い、80代の母親を引き取ることになり、しかも彼女が浪費家で家庭は火の車になるのに、ハッピーエンドだなんて都合がよすぎる。だけど、それを信じさせてくれるのは、この映画が幸せの基準がどこにあるのかを、ちゃんと教えてくれるからだ。
終盤の生前葬のシーンが見事なのは、このパーティーが何のためにあるのか、が明確だったからだろう。単なる儀式ではなく、自分が楽しむこと、そして、それをみんなが祝福できることにある。葬式はいらない。とは言わないけど、死者はもうそこにはいない。それなら、まだ生きているうちに自分の好きだった人たちと一緒に楽しい時間を過ごしたいと願い、自分でパーティーを企画運営する。そんなバイタリティを発揮して、まだまだ元気にみんなと生きようとする。草笛光子がそんな理想を提言(体現)してくれる。これはシリアスではなくコメディである。だから可能な展開なのだ。この映画は、シニア世代だけではなく、それどころか彼らから若い人たちまで引き込んで、みんなにアピールして、娯楽映画として楽しい時間を提供する。そんな奇跡の映画なのだ。
義母役の草笛光子だけではなく、主人公のふつうの主婦を演じる天海祐希もまた、素晴らしい。彼女はなんと自然体でこの役を演じた。スターである彼女が、この崖っぷち主婦をコミカルに演じながらも、嘘くさくなることもなく、さらには嫌な気分にさせることもなく、笑わせながら、共感させる。そんな離れ業を見せてくれた。
夫役の松重豊を始めとする周囲を固めるキャストも素晴らしい。前田哲監督の下で一丸となってこの「たわいもない」コメディを作り上げた。これは大仰になるとあほらしくて見てられない。でも、あまりリアルだと辛くなる。難しい題材だ。前田監督は、それを絶妙のバランス感覚を発揮して最高の匙加減で作り上げた。ギリギリのところで、滑らない。絶妙な映画である。