習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

寺地はるな『ガラスの海を渡る舟』

2021-11-04 10:59:08 | その他

答えが欲しいのか。違う。でも、不安でどうしたらいいのか、わからない。兄の道は、たぶん発達障害で(医者には見てもらっていないから、そういう診断はされてはいない)考えるのはまず自分のことだけで、周囲のことが見えない。というか、見ていない。5つ年下の妹、羽衣子は、そんな彼に終始イライラさせられている。マイペースで自分の道を行く彼と、自分に自信がが持てず、自分には何もないから、と思う彼女。空堀商店街にある祖父の遺したガラス工房を継いだ2人の10年間の日々を描く「骨」、「海」、「舟」の3章からなる長編小説だ。

シンプルなストーリーラインのもと、人が何を求め、どう生きたらいいのか、その指針を示してくれる。続々と新作を連打する寺地はるなの書下ろし最新作である。コロナ禍で執筆され、刊行された。人が生きることに悩むのは、こんな時代でなくても、いつだって同じだけど、でも、彼女はこの時代に敢えてこれを示そうとする。この小説の見据える未来は深く僕たちの心に響いてくる。このタイトルに作者の願いや祈りを感じた。だから、僕たちもここから、その先にむかって、この不器用な兄妹のように、ゆっくりと舟を漕ぐ。

6月に母を亡くしてから、もう5か月が経つけど、この先何をどうしたらいいのか、わからない。この小説のふたりは、祖母を失くし、そのすぐあと、祖父も亡くす。2人の死後、心の中にぽっかりと穴が開いたまま、祖父の工房を引き継ぐことになる。(というか、自分たちでそれを望む)反発しあうふたりはまるでコインの裏表だ。ふたりでひとつ。そんな彼らが生きた10年間(2011年から2021年、震災からコロナまでの時代)を通して、僕もまた、この先10年間、こんなふうに生きたらいいのか、と教えられた気がする。この先10年彼らにとっても何が起きるかはわからないけど、この10年、生きたように次の10年もある、はず。何ができるのかはわからないし、いつ死ぬかもわからない。いつ死んでもかまわない、と思いながら、今日一日を生きたらいい。

母の死の時、僕は自分が何もできなかったことを恨んだ。わけのわからないまま、葬儀を終えて、がっかりした。だから、葬儀の後のことはできる限り自分ひとりでやりたいと思った。ゆっくり時間をかけて看取れたらいい。僕は今もひとり、喪に服している。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『老後の資金がありません!』 | トップ | 加納朋子『いつかの岸辺に跳... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。