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映画・演劇のレビュー

べろべろガンキュウ女『今のところべろべろガンキュウ女』

2017-01-27 05:33:17 | 演劇
「今のところ」の自分たちを振り返る。ここまで突っ走ってきた自分たちって何?
17歳で大人に混じって負けないように芝居を作ってきた。高校生なのに、なんて言わせない。高校で演劇を学びながら(公立高校の演劇科に在籍している)でも、そこで教えてくれるものとは全く違うものを表現しようとする。



今回初めてこの劇団(集団)の芝居を見て、そのとんがったところがいいな、と思った。彼ら(作、演出は小山雄太)はいろいろ考えて作っている。そのひとつひとつがいい。自虐的だったり、攻撃的だったり、へんに弱気なところもあり、そんなこんなの人間臭さが素敵だ。目の前にある「高校演劇」というスタンダードからできるだけ遠ざかろうとする。そういう姿勢もいい。突っ張っているのではない。気取るわけでもない。もだえ苦しんでいるのかもしれない。よくわからないけど、無理して背伸びしているわけではなさそうだ。



かなり過激なこともしている。よくある引用や(チェーホフね)同時多発進行(最大5カ所くらい同時で見せる。だから、どれを見たらいいのか、わからないし、セリフもかぶってくるし、というか、最初からわからせるつもりもない。ダイジェストを見せるわけでもないし)やら、キスシーンに、ライブシーンもある。プロジェクターを使い映像を流す(ここでも、過去公演を流している)。



公演前から客席に座っているキャスト。アクティング・エリアと客席の位置関係。かなり挑発的な芝居を目指した。今までの過去公演での幾つものシーンをコラージュする。その作品に対する自分たちの評価や、周囲の意見もセリフとして挟み込まれたドキュメンタリータッチにもなっている。あの手この手を駆使した90分のライブとして作品を提示する。



チラシやチケットを用意しないということまで、自分たちのスタイルとして芝居に取り込んでいる。チケット代わりに受付で渡されるぺろぺろキャンディーも、「我々はべろべろガンキュウ女です」というサインだ。「これをべろべろ舐めて見てください」というしゃれ。まぁ、あまり特別な意味はないけど。



ひとりよがりだと言われることなんか、最初から覚悟のうえでやっている。面白いか、と言われたなら、「いいえ」と言うしかないけど、ところどころドキドキする。途中からはわかろうと努力する気が失せる。それでいいと、作り手は思っているようだ。しかし、それって創作の放棄ではないか。わかるやつだけわかればいい、とは言ってないだけまだましか。しかし、やはり、それだけでは作品としては成立しない。だだ、自分たちが気持ちよければいい、というのはまずいし、あまり気持ちよさそうでもない。「これが今の俺らなんです、」とでも言われたなら、納得するしかないけど、なんだか痛ましい。



ぐちゃぐちゃな自分をさらけ出す。みんなと芝居してるのが、楽しいから、もう少しこうしていたい。自己表現としての演劇というよりも、もっと違う何か。ギラギラしたものはあまり感じられない。そんなこんなで、いろんな意味不思議な芝居だった。
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