放置されたままのクジラの巨大な骨。その強烈なポスターのビジュアルが印象的で、それだけでこの映画が見たい、と思う。もちろん、今ロシアを代表する(というか、世界を代表すると言ってもいい)巨匠アンドレイ・ズビャギンツェフ監督の新作である。今回も実に重い映画だ。しかし、ここからは目が離せない。
壮大な風景の中で描かれる人間の営み、という基本的なコンセプトはいつも変わらない。自然の圧倒的な描写がまずある。そこで人のつまらない諍いが描かれる。市長は権威をかさに着て、ひとりの市民をいたぶる。彼はただただやられているわけではない。反撃を試み、痛手を負わせる。だが、そこまでだ。権力の前では、個人の力は及ばない。
2時間20分に及ぶドラマはそういう構造を暴くわけではない。圧倒的な自然の前でつまらない人間はやがて裁かれるはずだ。善人のみが裁かれるわけではない。きっと、悪人も裁きを受けるはず。
映画はそんな図式を提示したいわけではない。対立するふたりの男と、そこで描かれる出来事、そこで起きる事件。それを静かに描いていく。そんな人の営みを通して、その先にあるものを見据えていく。
壮大な風景の中で描かれる人間の営み、という基本的なコンセプトはいつも変わらない。自然の圧倒的な描写がまずある。そこで人のつまらない諍いが描かれる。市長は権威をかさに着て、ひとりの市民をいたぶる。彼はただただやられているわけではない。反撃を試み、痛手を負わせる。だが、そこまでだ。権力の前では、個人の力は及ばない。
2時間20分に及ぶドラマはそういう構造を暴くわけではない。圧倒的な自然の前でつまらない人間はやがて裁かれるはずだ。善人のみが裁かれるわけではない。きっと、悪人も裁きを受けるはず。
映画はそんな図式を提示したいわけではない。対立するふたりの男と、そこで描かれる出来事、そこで起きる事件。それを静かに描いていく。そんな人の営みを通して、その先にあるものを見据えていく。