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映画・演劇のレビュー

空の驛舎『under-ground』

2011-09-21 20:20:59 | 演劇
『アンダーグラウンド』と言えばまず、村上春樹であり、エミール・クストリッツァであろう。中村賢司さんはこのタイトルのもと、3・11を演劇で見せる。始めは幼児虐待の話である。自分は正しい行為だと信じて、子供を傷つける母親。彼女は自分も同じように母親から体罰を与えられて成長した。だが、それは愛情表現だと信じる。果たしてそうなのか。これは明らかに負の連鎖だ。彼女と医者とのやりとりが緊張感のある会話劇として描かれる。

 だが、しばらくすると、医者が今度は患者となり、新しい登場人物が白衣を受け取り、医者を演じる。役割はどんどん変わっていき、立場が変われば、誰もが加害者にもなり得る。リレー形式で8人の役者が登場する。これはひとつの事件を描くのではない。具体的な事実をつきつめていくのではなく、ある危機的な状況に置かれた時、それとどう向き合っていくのか、が描かれていくのだ。だから、芝居の後半、突然3・11の話になってしまっても驚かない。

 被災することと、しないこと。当事者と、傍観者。その距離を描きながら、その絶望的な距離感のなかで、事件、事故、大災害とどういうスタンスで臨むのか、それがこの芝居の描こうとしたことだろう。中村さんの真摯な姿勢がこのいささか観念的な芝居を緊張感のあるものとして形作る。自分の視点にブレがないから、作品自体も一貫性を持つ。ひとりよがりの頭でっかちなものにはならない。

 ラストで再び虐待の話に戻ってくるのもいい。小さな(でも、痛ましい事実)からスタートして大きな(同じように痛ましい事実)へとつながっていく。大きいとか小さいとか、関係ないし、何が大きくて、何が小さいのか、なんて判断基準はないし、そんなことには何の意味もない。人の心の地下深くにあるものを、掘り起こし、今だからこそ、曖昧にせず、語って見せようとする。中途半端な抽象表現にはせず、あからさまな具体的なものにもせず、曖昧な部分はそのままで、でも核心を突いていく。役者たちは椅子に座って1対1で、対峙し、目を逸らさないで語る。

 その姿勢は、芝居だけに留まることなく、アフタートークで、7ステージ、7人の劇作家、演出家を迎えて催した「3.11以後」をテーマの据えた対話にも明白だ。今、演劇人として芝居を通して、何を成すべきなのか。この真摯な取り組みを支持したい。彼は、どうしても今これを描きたかった、描かねばならないと思った。その切実な想いは伝わる。


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