『リテイク・シックスティーン』を最後に作家であることを引退してしまった豊島ミホさんの初期のエッセイを今頃読むことになった。たまたま読む本が手許になくて、図書館に行ったらこの本が目についたから。それだけ。
『檸檬のころ』を読んで、彼女の大ファンになってしまった。それからは出る新刊は全部読んだし、遡ってだいたいの本は読んだつもりだったのだが、これは今まで読む機会がなかった。軽いエッセイ集だと高を括っていたが、そんな生やさしいものではなかった。彼女の創作の秘密のすべてがここには詰まっている。
彼女のコンプレックスが笑いにくるまれて、とても素直に封じ込められていた。こんなにも痛ましいものが彼女の高校3年間の中にはあり、それを乗り越えての「今」なのか、と実感させられた。まぁ、僕が感じることなんて、勝手な妄想でしかないかもしれないが、なぜ彼女が書かなくなったのか、とか、最後に『リテイク・シックスティーン』を書いた覚悟とか、いろんなことを考えさせられた。
教室に居られなくなる、って高校生にとって死ねと言われるほどに辛いことだ。でも、そんな子供たちはたくさんいる。これは特別なことではない。だが、こういう立場に立つものにとっては、耐えられないものであろう。彼女がここで想い出に浸りながら描くこの日々は、彼女にとっては地獄の苦しみだったはずで、でも、そんな中からなんとかして自分を保ち高校を卒業していく姿は感動的だ。自伝的小説としてならとてもではないが書くことは出来ない。だから、エッセイとして書いた。これは『檸檬のころ』を上梓した後だったから、出来た作業で、あの作品を通して自分の中になる高校時代を相対化して、見つめ直したから、これをここまで客観的に書けたのだろう。どちらにしても彼女ほど真摯な作家はいない、と思わせる。書くことは身を削る作業だから、だから今はゆっくり休んで欲しい。『リテイク・シックスティーン』を読んだ後も、そんなことを書いた気がする。
家出のエピソードも笑わせるように書いているが、本当は全然笑えない。痛ましすぎて。本人による子供の落書きそのもののようなイラスト、カットがこの本にふさわしい。嘘偽りのない告白が心に深くしみいる。
『檸檬のころ』を読んで、彼女の大ファンになってしまった。それからは出る新刊は全部読んだし、遡ってだいたいの本は読んだつもりだったのだが、これは今まで読む機会がなかった。軽いエッセイ集だと高を括っていたが、そんな生やさしいものではなかった。彼女の創作の秘密のすべてがここには詰まっている。
彼女のコンプレックスが笑いにくるまれて、とても素直に封じ込められていた。こんなにも痛ましいものが彼女の高校3年間の中にはあり、それを乗り越えての「今」なのか、と実感させられた。まぁ、僕が感じることなんて、勝手な妄想でしかないかもしれないが、なぜ彼女が書かなくなったのか、とか、最後に『リテイク・シックスティーン』を書いた覚悟とか、いろんなことを考えさせられた。
教室に居られなくなる、って高校生にとって死ねと言われるほどに辛いことだ。でも、そんな子供たちはたくさんいる。これは特別なことではない。だが、こういう立場に立つものにとっては、耐えられないものであろう。彼女がここで想い出に浸りながら描くこの日々は、彼女にとっては地獄の苦しみだったはずで、でも、そんな中からなんとかして自分を保ち高校を卒業していく姿は感動的だ。自伝的小説としてならとてもではないが書くことは出来ない。だから、エッセイとして書いた。これは『檸檬のころ』を上梓した後だったから、出来た作業で、あの作品を通して自分の中になる高校時代を相対化して、見つめ直したから、これをここまで客観的に書けたのだろう。どちらにしても彼女ほど真摯な作家はいない、と思わせる。書くことは身を削る作業だから、だから今はゆっくり休んで欲しい。『リテイク・シックスティーン』を読んだ後も、そんなことを書いた気がする。
家出のエピソードも笑わせるように書いているが、本当は全然笑えない。痛ましすぎて。本人による子供の落書きそのもののようなイラスト、カットがこの本にふさわしい。嘘偽りのない告白が心に深くしみいる。