思い返せば、『ぼっちゃん』もそうだった。大森立嗣監督のオリジナル台本の映画は、息苦しい。(前作『日日是好日』があんなに気持ちのいい映画だったのに!)彼の今の時代への真摯な想いが溢れ出てしまい、その残酷さには気分が悪くなる。露悪的だ。だけど、ここから目が離せない。主人公3人の少年たちが何をしでかすか。ずっとムカムカしながら見守るしかない。目を背けたい現実がそこには横たわる。生々しい。その距離感のなさが見ていて僕たち観客の胸を痛くさせる。もうやめてよ、と何度となく思う。
障害者の施設での殺人から始まり(ここのお話かと思わせてそれ以後、ここで出てこない)3人の少年たちのお話へとすぐに移行する。彼らの置かれた現実を距離感なく、見つめていく。拳銃を手にしたことで何かが変わる、というよくあるパターンのように見せかけて、実は何も変わらない。そんなものに左右されるほど簡単なものではない。説明は一切しない。ただ、彼らの姿を追うだけ。ひとりは拳銃で人を殺し、ひとりは自殺し(どちらも、たまたまそうなっただけで、事故に近い感触だ)、もうひとりは、何もしない。結果だけを見たらそういうことになるのだが、そんな単純なものではないことは、映画を見たなら一目瞭然のことだ。
この圧倒的な暴力を前にして、ただ恐れ、関わり合いたくないと、ひいてしまうしかない。彼らに感情移入することなんか出来ない。だけど、彼らの抱える鬱屈や焦燥感は誰もが持っているものだ。2時間、こいつらと行動を共にする。近付くとぼこぼこにされてしまうから、怖い。だけど、映画だから、ただ傍観者として見ているだけ。でも、そんな自分たちが情けなくなる。
僕らはこんな時代を生きている、そのことは彼らと同じ。同時代を生きる気分は共有できるが、ふつうこんな暴力には持ち込まない。もちろん、それが正しいことだ、というのではない。彼らが破滅的な行為に突き進むのと同様で僕たちも同じ所にいるのかもしれない。だから、やがて、僕たちも彼らと同じようになるのかもしれない。そんな可能性はみんなにある。彼らの暴走を止めなくてはならない、なんていうきれいごとを言っても仕方ない。自分の頭で考えろ、とこの映画は問いかけてくる。突きつけてくる。強烈な映画である、覚悟して見るべきだ。