これはこの集団の前作である『under-ground』のアンサーソングのような作品になっている。村上春樹も『アンダーグラウンド』(別の作品だけど)を書いた後、対になるように『約束された場所で』を書いたけど、中村さんもこの作品で震災を別の視点から描く。ここに描かれるのは3・11ではなく、もっと漠然としたものだ。東北でも、神戸でもない。特定されないし、震災ですら、ないかもしれない。だが、明らかにこれは「あの時」についての話であり、それ以上に「今」についての話だ。
揺れた時、あの時、何をしていたのか? という問いかけは、先週見たhmpの『Home』とも似ている。ここに描かれる3つの話は、うまく伝えられなかった気持ちを描いている。あの時、なんとなくしゃべったこと。公園での3つの会話。別々の人たちが、別々の公園で、別々の時間に交わした何気ない話。
葬儀の後、久しぶりに再会したクラブの仲間と、母校のグランドに忍び込んで、語り合う。児童公園のベンチで、2人の男女が、うつぶせになって倒れている男を見ながら、とりとめもない話をする。自転車で通りがかった女は、そのうつぶせの男と話す。病院の横にある公園で、バイク事故で入院している男は、見舞いにきた恋人と、その友人である女の子と3人で話す。最初の話はふつうにリアルだったのに、2つ目はとてもシュールで、3つ目はちょっとしたホラーだ。地面が揺れたことで、死んでしまったり、事故にあったりしたようだが、それがどの程度のものなのかはわからない。日常の風景でのスケッチのように見せながら、これはとてもいびつな出来事が描かれてある。
人が死んでしまうことは、日常なんかではないけれど、でも、僕たちの日々には確実に死があり、避けられない。葬儀場建設をめぐる反対運動の話が、3話では描かれる。葬儀場は必要だ。でも、自分たちの毎日の生活には必要ない。目の前に葬儀場が建設されることに反対する地域住民の気持ちもよくわかる。死を身近に感じたくはない。取り壊された遊園地の観覧車を巡る物語。忘れていた記憶。そこに生きていたツバメたちの話。バイク事故で死んでしまったかもしれない女。2人の死者が事故で怪我をして生き残ってしまった男を訪れる話だと、思うと、この第3話が、一番怖い。
日常と背中合わせにある死。このなんでもないスケッチはそんなパッケージングの中で、伝え切れなかった想いを追伸という形で示すことになる。この3つのお話だけではなく、この背後には膨大な量の心残りが隠されている。見終わった時、中村さんに「この作品って3話ではなく7話くらいからなる短編連作にできたならよかったですね」と言ったのは、この作品がひとつのテーマで綴る短編連作の小説集を思わせたからだ。小説ならちょうど7から8話くらいで単行本1冊になる。でも芝居でこのボリュームなら3時間くらいの作品になってしまうし、そうなると観客の集中力もキープできない。しかも作品が、本来のねらいであるささやかなものではなく、大作になってしまう。エピローグの4話目を思わせる奥野彩夏さんの登場がせめてもの抵抗を思わせる。
揺れた時、あの時、何をしていたのか? という問いかけは、先週見たhmpの『Home』とも似ている。ここに描かれる3つの話は、うまく伝えられなかった気持ちを描いている。あの時、なんとなくしゃべったこと。公園での3つの会話。別々の人たちが、別々の公園で、別々の時間に交わした何気ない話。
葬儀の後、久しぶりに再会したクラブの仲間と、母校のグランドに忍び込んで、語り合う。児童公園のベンチで、2人の男女が、うつぶせになって倒れている男を見ながら、とりとめもない話をする。自転車で通りがかった女は、そのうつぶせの男と話す。病院の横にある公園で、バイク事故で入院している男は、見舞いにきた恋人と、その友人である女の子と3人で話す。最初の話はふつうにリアルだったのに、2つ目はとてもシュールで、3つ目はちょっとしたホラーだ。地面が揺れたことで、死んでしまったり、事故にあったりしたようだが、それがどの程度のものなのかはわからない。日常の風景でのスケッチのように見せながら、これはとてもいびつな出来事が描かれてある。
人が死んでしまうことは、日常なんかではないけれど、でも、僕たちの日々には確実に死があり、避けられない。葬儀場建設をめぐる反対運動の話が、3話では描かれる。葬儀場は必要だ。でも、自分たちの毎日の生活には必要ない。目の前に葬儀場が建設されることに反対する地域住民の気持ちもよくわかる。死を身近に感じたくはない。取り壊された遊園地の観覧車を巡る物語。忘れていた記憶。そこに生きていたツバメたちの話。バイク事故で死んでしまったかもしれない女。2人の死者が事故で怪我をして生き残ってしまった男を訪れる話だと、思うと、この第3話が、一番怖い。
日常と背中合わせにある死。このなんでもないスケッチはそんなパッケージングの中で、伝え切れなかった想いを追伸という形で示すことになる。この3つのお話だけではなく、この背後には膨大な量の心残りが隠されている。見終わった時、中村さんに「この作品って3話ではなく7話くらいからなる短編連作にできたならよかったですね」と言ったのは、この作品がひとつのテーマで綴る短編連作の小説集を思わせたからだ。小説ならちょうど7から8話くらいで単行本1冊になる。でも芝居でこのボリュームなら3時間くらいの作品になってしまうし、そうなると観客の集中力もキープできない。しかも作品が、本来のねらいであるささやかなものではなく、大作になってしまう。エピローグの4話目を思わせる奥野彩夏さんの登場がせめてもの抵抗を思わせる。