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映画・演劇のレビュー

『紙の月』

2014-11-26 21:13:58 | 映画
このタイトルって実は『ペーパームーン』なのだ。そんな当たり前のことに今頃になって気づく。まるで何も考えずにいた。原作を読んだときだって、気づいたはずなのに、今回映画を見るまで、思い出さなかった。ただ、あの膨大な小説をどう映画化したのか。さらには、この嫌な話に耐えられるのか、そんなことを考えながら見始めた。ピーター・ボグダノビッチ監督のあの映画は、とても優しい作品で、大好きだった。だが、同じタイトルなのにこの映画は、とてつもなく怖い。吉田大八監督は角田光代の原作に挑み、あれ以上に怖くて、逃げ場のない作品を作った。

宮沢りえ演じる主婦が陥った地獄は、僕たちが暮らす、この日常の毎日のほんのすぐ先にある。最初は1万円だった。少しの間、借りただけ。すぐに返せる。次に200万。祖父から、困っている彼の孫に渡しただけ。家族の、その仲介をしたに過ぎない。だが、その先は際限ない。

こんなのはただの紙切れだ。こんなものに囚われて生きている。ばからしい。だが、そうではないことは、誰もが知っている。

ここには説明は一切ない。「大学生に貢ぐ主婦」というイメージから想像できるようなものも一切描かれない。最初は彼が彼女を見つける。そして、彼女を追う。だが、今度は、彼女が彼を誘う。たががはずれる。ふつう、人間はそうはならない。犯罪者だって、犯罪を犯すまでは、普通の市民だった。でも、どこかで、道を誤る。

この映画の指し示す「その先」というものが、怖い。簡単なことではない。だが、こんなにも簡単に陥る。窓ガラスの先。そこから逃げ出すラストシーンが、すばらしい。ひたすら走る。どこまでも、走る。逃げたのではない。自由になったのだ。では、何からの自由か。本人にもわからない。それまで、囚われていた。大金を横領して自由に散在しても、まだ、囚われたままだった。幸せではなかった。だが、窓ガラスをたたき割って、飛び出した後、その爽快感。最初は、飛び降り自殺か、と思わせる。だが、そうではなかったと、すぐにわかる。

逃亡先のタイのシーンから始まる原作小説とは違い、映画は最後に一瞬、タイでのシーンが描かれる。それはまるで幻想のようなエピソードだ。夢の中で彼女は彼に出会う。すべてはそこから始まった。生活に苦しむ異国の貧しい少年を助けたい。ただ、それだけの善意。それがスタートだった。この映画の帰着点はそこに設定される。見事なエンディングだ。



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