自主映画として製作され、PFFでグランプリを受賞、さらにはプサン国際映画祭でもグランプリを受け、日本でも劇場公開され、絶賛された作品。こういう前評判を受けて見たにもかかわらず、この映画は事前の予想を遥に上回る衝撃を僕に与える。昨年公開されたすべての映画の中でも、ベストの1本だと断言してもよい。充分な制作費もなく、自主制作された新人監督の映画が、これだけのものになるなんて、驚きだ。この世界では時に、想像もつかない事が起こる。市井昌秀監督作品。
きょうの昼、劇場で見た同じようにPFF出身の石井裕也監督の傑作『川の底からこんにちは』の感動が一瞬で吹っ飛んでしまった。石井監督には失礼だが才能のレベルが違いすぎる。田圃の真ん中にぽつんとある工場をフィックスで捉えるファーストシーンから、始まり、泥だらけのヒロインのクローズアップのラストシーンまで、この2つの長い静止映像の間に挟まれた静けさをたたえたドラマから一瞬も目を離すことは出来ない。
この丁寧に作られたひとりの女の内面のドラマは、押しつけがましさが全くない。なのに、主人公の存在感は圧倒的だ。30歳前後、子供を流産で死なしてしまった孤独な女。毎日工場と家の往復のみの日々。お互いに心を閉ざしてしまって、体の関係はもちろんなく、全く会話もない夫婦生活が営まれる。これから先ずっと死ぬまでそれが続くかもしれないと思うと、絶望的な気分になる。
身重の女と出会い、さらには彼女が同じ職場で働くことになる。ある種の距離を取りつつ彼女と接していく。人は死んだようにでも生きていくことが出来る。しかし、感情を押し殺してそんなふうに生きて、その先に何があるというのか。何もない田舎での暮らし。単調すぎる毎日。本来生まれるはずだった子供を追突事故で死なせてから車に乗ることができなくなった。だから、毎日家と工場とのまっすぐな長い長い道を歩いて通う。
映画はそんな彼女の心の襞を丁寧に描ききっていく。何でもない静かな描写のひとつひとつが心に深く突き刺さってくる。夜になると明かりもなく、真っ暗になる田舎町。何の楽しみもなく、刺激もない毎日。同じ事の繰り返し。だけれども、そんな日々を受け入れて生きていくしかない。子供を産み育てることが人生の最大の喜びだったはずなのに、それも叶わなくなった後の暗闇のような人生を受け入れて生きてきた日々。
自分よりは少し若いが同世代の妊婦である千夏(今野早苗)を受け入れることで、大人の体裁を繕うように生きていこうと努力したこと。しかし、彼女を憎む気持ちは抑えきれない。何の罪もない彼女に一瞬殺意を抱いてしまうシーンはスリリングだ。そして、それ以上にドキッとさせられたのは、もう一度前向きになり、夫と向き合い、子供を産むことを決意するところだ。スカートを履いて夫の帰りを待つ。テーブルの下にチラッと映るスカート。このシーンがすごい。そこまで彼女は一切スカートは履かない。
そして、夫に拒否される。屈辱的だ。もう立ち直れなくなる。シャワーを浴びる夫のところに下着一枚でやってくる。 森谷文子が演じる律子は、年齢的にはまだ充分若いにもかかわらず微妙に体には贅肉が付いて、体型も崩れている。その体のラインが痛ましい。
ラストの千夏の出産シーン(本当に子供が生まれてくる瞬間のすべてをカメラは収める)の衝撃は言葉には出来ない。それを見つめる律子のアップで映画は終わる。生まれてくる命を見つめるというストレートな行為が全てを超越して、この映画を包みこむ。そこまでの80分間の息が詰まるようなドラマの先にそれがあるから、この映画はここまで感動的なものになる。言葉には出来ない命の営みを、繰り返される単調で孤独な毎日をひたすら耐え生き続ける日々のその先に見せることで、この映画は歴史に残る傑作となった。
きょうの昼、劇場で見た同じようにPFF出身の石井裕也監督の傑作『川の底からこんにちは』の感動が一瞬で吹っ飛んでしまった。石井監督には失礼だが才能のレベルが違いすぎる。田圃の真ん中にぽつんとある工場をフィックスで捉えるファーストシーンから、始まり、泥だらけのヒロインのクローズアップのラストシーンまで、この2つの長い静止映像の間に挟まれた静けさをたたえたドラマから一瞬も目を離すことは出来ない。
この丁寧に作られたひとりの女の内面のドラマは、押しつけがましさが全くない。なのに、主人公の存在感は圧倒的だ。30歳前後、子供を流産で死なしてしまった孤独な女。毎日工場と家の往復のみの日々。お互いに心を閉ざしてしまって、体の関係はもちろんなく、全く会話もない夫婦生活が営まれる。これから先ずっと死ぬまでそれが続くかもしれないと思うと、絶望的な気分になる。
身重の女と出会い、さらには彼女が同じ職場で働くことになる。ある種の距離を取りつつ彼女と接していく。人は死んだようにでも生きていくことが出来る。しかし、感情を押し殺してそんなふうに生きて、その先に何があるというのか。何もない田舎での暮らし。単調すぎる毎日。本来生まれるはずだった子供を追突事故で死なせてから車に乗ることができなくなった。だから、毎日家と工場とのまっすぐな長い長い道を歩いて通う。
映画はそんな彼女の心の襞を丁寧に描ききっていく。何でもない静かな描写のひとつひとつが心に深く突き刺さってくる。夜になると明かりもなく、真っ暗になる田舎町。何の楽しみもなく、刺激もない毎日。同じ事の繰り返し。だけれども、そんな日々を受け入れて生きていくしかない。子供を産み育てることが人生の最大の喜びだったはずなのに、それも叶わなくなった後の暗闇のような人生を受け入れて生きてきた日々。
自分よりは少し若いが同世代の妊婦である千夏(今野早苗)を受け入れることで、大人の体裁を繕うように生きていこうと努力したこと。しかし、彼女を憎む気持ちは抑えきれない。何の罪もない彼女に一瞬殺意を抱いてしまうシーンはスリリングだ。そして、それ以上にドキッとさせられたのは、もう一度前向きになり、夫と向き合い、子供を産むことを決意するところだ。スカートを履いて夫の帰りを待つ。テーブルの下にチラッと映るスカート。このシーンがすごい。そこまで彼女は一切スカートは履かない。
そして、夫に拒否される。屈辱的だ。もう立ち直れなくなる。シャワーを浴びる夫のところに下着一枚でやってくる。 森谷文子が演じる律子は、年齢的にはまだ充分若いにもかかわらず微妙に体には贅肉が付いて、体型も崩れている。その体のラインが痛ましい。
ラストの千夏の出産シーン(本当に子供が生まれてくる瞬間のすべてをカメラは収める)の衝撃は言葉には出来ない。それを見つめる律子のアップで映画は終わる。生まれてくる命を見つめるというストレートな行為が全てを超越して、この映画を包みこむ。そこまでの80分間の息が詰まるようなドラマの先にそれがあるから、この映画はここまで感動的なものになる。言葉には出来ない命の営みを、繰り返される単調で孤独な毎日をひたすら耐え生き続ける日々のその先に見せることで、この映画は歴史に残る傑作となった。