カン・ドンウォン主演の幻想的な物語。ミステリ仕立てだが、なんだかコミカルな描写もあり、だんだんこの不思議な世界の迷宮に中に取り込まれていく。そしてその核にあるドラマに触れた時、なんともいえない甘酸っぱい優しさに包まれることとなる。これはなんと初恋物語だったのだ。
ストーカー少女(イ・ヨミ)と、神経を病む作家(カン・ドンウォン)。この2人を主人公にして追うものと追われるものが、出会うことなく迷路の中をさすらう姿が描かれていく。これは書けなくなった作家の見た妄想なのか。それとも、派手なキャリアと外見で人気を獲得している天才作家に憧れる少女の妄想か。2人の想いがすれ違いながらやがて重なり合う。路地裏のあやしげなバー、ルパンで2人はカウンターに並ぶ。『私たちの幸せな時間』では死刑囚を演じたカン・ドンウォンが、『デュエリスト』のイ・ミョンセ監督と再びタッグを組んで放つ幻想ドラマはやがて、忘れていた初恋の記憶へと行きつく。少女は死んでしまった初恋の女性で、彼女の想いと彼の想いが交錯した時、ドラマは終末を迎える。
幾分軽いタッチで、華麗な映像を駆使して描かれていく万華鏡は、『デュエリスト』同様、目も眩むような鮮やかさだ。だが、これも『デュエリスト』同様で、話には奥行きがない。なんだ、と思って終わり。なぜ彼が彼女のことを忘れていたのか。少女との記憶を通して彼がどこに行きつくことになるのか。今、目の前にいる婚約者との関係はどうなるのか。ネタがばれて終わるのではなく、そこから本当の話が始まるのではないか。なのにイ・ミョンセ監督はなぜかこの先には行こうとしない。見ていて歯痒い。
こんなにも見事なビジュアルを展開させながらそれだけでおしまいだなんてもったいなさすぎる。死んでしまったミミの悲しみが、当然、今も生きているミヌと出逢うドラマは、お互いにとって何を生みだすことになるのか。映画が描かなくてはならないのはそこである。いらいらしながら、書けないいらだちを周囲に向けるミヌの葛藤が、現実と幻想に淡いで描かれていくという設定はうまいし、ドラマの展開にも無理はない。それだけに残念でならない。
ストーカー少女(イ・ヨミ)と、神経を病む作家(カン・ドンウォン)。この2人を主人公にして追うものと追われるものが、出会うことなく迷路の中をさすらう姿が描かれていく。これは書けなくなった作家の見た妄想なのか。それとも、派手なキャリアと外見で人気を獲得している天才作家に憧れる少女の妄想か。2人の想いがすれ違いながらやがて重なり合う。路地裏のあやしげなバー、ルパンで2人はカウンターに並ぶ。『私たちの幸せな時間』では死刑囚を演じたカン・ドンウォンが、『デュエリスト』のイ・ミョンセ監督と再びタッグを組んで放つ幻想ドラマはやがて、忘れていた初恋の記憶へと行きつく。少女は死んでしまった初恋の女性で、彼女の想いと彼の想いが交錯した時、ドラマは終末を迎える。
幾分軽いタッチで、華麗な映像を駆使して描かれていく万華鏡は、『デュエリスト』同様、目も眩むような鮮やかさだ。だが、これも『デュエリスト』同様で、話には奥行きがない。なんだ、と思って終わり。なぜ彼が彼女のことを忘れていたのか。少女との記憶を通して彼がどこに行きつくことになるのか。今、目の前にいる婚約者との関係はどうなるのか。ネタがばれて終わるのではなく、そこから本当の話が始まるのではないか。なのにイ・ミョンセ監督はなぜかこの先には行こうとしない。見ていて歯痒い。
こんなにも見事なビジュアルを展開させながらそれだけでおしまいだなんてもったいなさすぎる。死んでしまったミミの悲しみが、当然、今も生きているミヌと出逢うドラマは、お互いにとって何を生みだすことになるのか。映画が描かなくてはならないのはそこである。いらいらしながら、書けないいらだちを周囲に向けるミヌの葛藤が、現実と幻想に淡いで描かれていくという設定はうまいし、ドラマの展開にも無理はない。それだけに残念でならない。