フランソワ・オゾンの新作はなんともとんでもない内容で、あきれる。どん引きしてもいいような話だ。ありえない。でも、それをありえさせるのが、オゾンだ。しかも、それをユーモア交えて描く。なんだ、これは! と思う。
こんな話だ。国語教師が宿題に出した作文を読む。大多数は箸にも棒にもかからない駄文ばかりなのだが、その中にちょっと目を引くものがあった。彼はその生徒を個人的に呼び出し作文指導することになる。そのうち、少年が書いてくる実名で現実をそのままに書いた「小説」に嵌ってしまう。先が気になる。同時に、この小説の先の展開を指導することも快感になる。そのうち彼は現実と幻想の区別がつかなくなる。少年は彼を翻弄する。少年自身も現実と自分の書く小説の事実と虚構の境目で、わけがわからなくなる。(ということは、先生の視点から映画が描かれるから、よくはわからないけど、そんなふうにも見える)
小説の登場人物は、書き手であるこの少年と、彼の友人、その家族である父と母の4人。もちろん実在する。先生は、自分のクラスの生徒である彼らと、その小説に登場する彼らが、どこまでが本当でどこからが虚構なのか、判然としなくなる。しかも、自分が指導したことで、お話の展開も変わってくるから、まるでこの現実は自分たちによって創作されていくようだ。
教師は妻にもその小説を読ませる。やがては、夫婦であれこれ妄想を膨らませていくことになる。現実と妄想が完全にリンクして、何がなんだかわからなくなる。16歳の少年に振り回されるそんな大人たちの姿が滑稽で、うそだろ、と思いながらも、どんどん引き込まれる。
だがこれは決して幻想的な映画ではなく、描写はとことんリアリズム。でも、このバカバカしい内容だから、見ていて、「ありえない!」を連発することになる。あきれ返るラストまで、スクリーンから目が離せない。
こんな話だ。国語教師が宿題に出した作文を読む。大多数は箸にも棒にもかからない駄文ばかりなのだが、その中にちょっと目を引くものがあった。彼はその生徒を個人的に呼び出し作文指導することになる。そのうち、少年が書いてくる実名で現実をそのままに書いた「小説」に嵌ってしまう。先が気になる。同時に、この小説の先の展開を指導することも快感になる。そのうち彼は現実と幻想の区別がつかなくなる。少年は彼を翻弄する。少年自身も現実と自分の書く小説の事実と虚構の境目で、わけがわからなくなる。(ということは、先生の視点から映画が描かれるから、よくはわからないけど、そんなふうにも見える)
小説の登場人物は、書き手であるこの少年と、彼の友人、その家族である父と母の4人。もちろん実在する。先生は、自分のクラスの生徒である彼らと、その小説に登場する彼らが、どこまでが本当でどこからが虚構なのか、判然としなくなる。しかも、自分が指導したことで、お話の展開も変わってくるから、まるでこの現実は自分たちによって創作されていくようだ。
教師は妻にもその小説を読ませる。やがては、夫婦であれこれ妄想を膨らませていくことになる。現実と妄想が完全にリンクして、何がなんだかわからなくなる。16歳の少年に振り回されるそんな大人たちの姿が滑稽で、うそだろ、と思いながらも、どんどん引き込まれる。
だがこれは決して幻想的な映画ではなく、描写はとことんリアリズム。でも、このバカバカしい内容だから、見ていて、「ありえない!」を連発することになる。あきれ返るラストまで、スクリーンから目が離せない。