昨年に続いて今年もだらく館がウイングにやってきた。昨年は見ることが出来なかったので、ラッキーだった。3本のプログラムは変わらないまま、というのもうれしい。出来ることなら3本とも見たかったのだが、2本しか見られなかったのは悔やまれる。1本が約1時間。その中でひとりの芸人の人生を描くひとり芝居。
『贋作・トニー谷』をまず見た。清田正浩が演じる。終戦時の天皇による玉音放送から始まる。定番の短い一部ではなく、ちゃんと延々と続く全長版(たぶん)。焼け跡になった東京の町に降り立つ。戦場から内地に引き上げてきて、必死で生きた人たちへのオマージュだ。だから主人公はたまたまトニー谷だっただけ。しかも、彼自身の自分が芸人になり、あのトニー谷となるなんて思いもしなかったはず。人生なんかそんなものだろう。偶然の重なり合いがその後の自分を作る。トニー谷の物まねではなく、あの時代に生きた1人の男の生き様を感動的に描く。でも、それは偉人伝ではなく、名もない庶民の生き様の記録で、淡々としたタッチで綴る。そういう姿勢がとてもよかった。作、演出の秋山豊の立ち位置がそこのあるのだろう。
つまらなかったら1本で帰るつもりだったけど、続いてもう1本。『贋作 一条さゆり」も見ることにした。現役のストリッパーでもある若林美保が演じる。(でも、もちろんストリップのシーンなんかはない)描きたいのは彼女の芸ではなく、生き様だからだ。神代辰巳監督の傑作『一条さゆり 濡れた欲情』という映画がある。ロマンポルノの1本であるにも関わらず、高い評価を受けた作品だ。どうしてもそれと較べたくなる。でも、秋山監督は(この芝居の作者である秋山豊は映画監督でもある!)はまるで意識せずに自分のスタンスを貫いた。まずそこには若林美保がいる。彼女が自分の生き様を一条さゆりの生き様と重ねた。こちらは引退興行から始まる。そこで警察に捕まり、(猥褻物陳列罪)拘留され刑期を終え、出所後の人生が描かれていく。華やかな舞台が描かれるのではない。転落の歴史が綴られる。しかし、彼女はそこで輝く。ラストシーンで若林が踊るシーンが少しだけ見ることが出来る。あのフェードアウトに作者の想いが込められてある。
『贋作 ミスワカナ』(中川圭永子)も見たかった。もし、来年も彼らが大阪に来たならぜひ見よう。「贋作」だからこそ、真実以上の真実が描ける、という秋山さんの姿勢がうれしい。