4月になると解禁となる、駿河湾の桜エビと富山湾の白エビ。決められた時に決められた場所でしかとれない旬な食べ物は、今では数少ないだろう。しかし、この両者はやたら仲が悪い。
クアトロに到着した両者の言い分である。
先に着いた桜エビは、つぶやく
「人気でいったら白エビさんは私の足下にも及ばないでしょ」
「まず、私のこの桜色こそが日本人の心を揺さぶるって云うものよ、桜の花の季節と重なるんですものね、クアトロでも私の写真を見て、すぐに“桜エビと春キャベツのスパゲッティ”食べたいって注文する人が多かったわ」
「すぐに売れ切れてしまったぐらいですもの」
「その点、白エビさんはちょっと地味ね、私と並ぶと見劣りがするから、私の後にクアトロにやってくるみたいなのよ」
今日着いた白エビも、つぶやく
「桜エビさんは口が悪いわ」
「私は奥ゆかしいから、桜エビさんみたいに悪口は云えないわ」と云いながらも続ける。
「私が地味とか云っていたけど、色白の美人に嫉妬しているのかしら」
「今日も、殻を外されきれいに磨かれて、クアトロでは“白エビのムース”になって登場するのよ、クアトロの父も絶賛していたわ」
「桜エビさんのように春キャベツやアンチョビの手助けはいらないわ、私の風味だけで充分お客様を堪能させられるの」
「それと桜エビさんは、秋にも漁が解禁されて、二度旬があるって云うのよ、ちょっとずるくないですか、私は春だけよ」
どちらも、カルシュウムが豊富だと口が達者なのだ。何にしてもどちらも美味しく食べられるクアトロなのです。
ビートルズのペニー・レインのアルバムを看板に使ったパン屋さん。立ち寄らない訳にはいきません。クアトロの父はビートルズ・ファンであり、パンも大好きなのです。ガソリンが安くなったら途端に遠出をするクアトロ夫婦は那須まで足を伸ばしていた。
ペニー・レインのジャケットはポールの葬式を暗示しているとか、当時中学生のクアトロの父はビートルズ狂の友人に自慢げに裏話を聞かされたものだった。
店内にもビートルズ関連のグッズが飾られている。そして肝心のパンの味も一流である。このパン屋さんにはレストランもあり夏場はアウトドアで食事が出来る。以前にも立ち寄ったことがあるが、クアトロの父お気に入りの店である。
今日は久しぶりに訪れたわけだが、クアトロのママは並んでいるパンを手にして、「すっごく重いの、これは美味しいパンの証拠ね」という。そのとおりなのだろう。
ブルーベリーがたっぷりと練り込まれたパンや、天津甘栗のパンも興味を惹かれる。リンゴ・スターと名付けられたリンゴとカスタードのパンも美味しそうだ。基本的なフランス・パンも良い色をしている。
食べ切れそうにもないのに色々と買い込んでしまった。ペニー・レインについて熱く語っていたビートルズ狂の友人の思いでも一緒に袋に詰め込んだ。あとで、袋から取り出してパンと昔の思い出を楽しもう。
クアトロのチーズ界は、パルミだコンテだパヴェだと大にぎわいである。そこへさらに何やら一癖ありそうな新入りがやって来た。
名前は、ゲヴェルツトラミナールと名乗っているがもとはと云えばマンステールである。マンステールはフランスのドイツとの国境沿いアルザス地方で作られる歴史あるウォッシュチーズだ。アルザスの青い空と表現されるほど、素晴らしい自然を持つ地方だ。恵まれた自然の中で育ったこのチーズは修道女たちに過酷な運命を与えられる。このチーズは塩水で磨かれ熟成し、鼻が曲がりそうなほど臭いチーズになる。しかし、それは表面だけのことで、その内側にはねっとりと舌にからみつく美味しいチーズが隠されている。
「美女と野獣」は、魔女の魔法で野獣に姿を変えられてしまった王子の物語だが、まさしくチーズ界のその野獣のようなものだ。そして野獣に見そめられた心優しい美女こそがアルザスのワイン「ゲヴェルツトラミナール」である。そのワインはライチのような香りを持ち全体に気品のある味わいをかもす。マンステールはゲヴェルツトラミナールに恋をしてしまった。そして彼はある日、ゲヴェルツトラミナールのマール(蒸留酒)で身を清めるのだった。
マンステールはゲヴェルツトラミナールの香りを身にまとい新たなチーズとして生まれ変わった。それが、クアトロの新入りチーズの愛の物語なのだ。
パルミ5世はカルペネの魅力に翻弄されている場合ではなかった。
パルミは2年の熟成を経て一人前になる。その深い味わいは旨みのかたまりと表現される。特に、パルミの中央部分は特別に美味しく、パルミの宝石とクアトロでは表現されている。そのパルミの宝石を口にしたお客様は絶賛してくれる。ところが、そんなパルミ5世をも上回るチーズがクアトロにやって来たのだった。
その名はコンテ・ド・モンターニュ30ヶ月熟成である。コンテはフランスで最も愛されているハードタイプのチーズだ。イタリアのパルミかフランスのコンテかと云うところである。その歴史に置いてはパルミをも上回る名家である。コンテは熟成の長さで味わいが変わりそれぞれの美味しさがある。6ヶ月くらいのものからあり、18ヶ月ともなると大変に深い味わいになる。今回クアトロに現れたのは30ヶ月である。なかなかお目にかかれない貴重品だ。そしてその旨みの凝縮感には驚くべき物がある。旨みのかたまりという表現は、このコンテ30ヶ月に取って代われようとしている。まさしくパルミ5世はカルペネに目尻を下げている場合ではなかったのだ。
しかも、このコンテはかのウォッシュチーズの女王「モンドール様」のお兄様なのだ。モンドール様と同じミルクで作られたハードタイプのチーズだった。モンドール様のパワーをさらに濃縮させたチーズなのだった。パルミ5世は、そのモンドール様のパワーもまだ知らないのだった。パルミ5世危うしである。
「パヴェ、どこへ行ってしまったの、私を置いてどこへ行ってしまったの」
カルペネは悲観に暮れるのだった。
パヴェとは、パヴェ・ダフィノアのことである。パヴェとは石畳のことを意味するが、形が似ているだけだ。白カビチーズとして分類されているが、熟成の進んだものは、中がトロトロで、カスタードのようである。白カビ風味のカスタードケーキとでも云うような味わいだ。そのパヴェ・ダフィノアとカルペネ・ロゼ・ブリュットは相思相愛の仲だった。ふたりは別々のルートから、ここクアトロで落ち合ったのだった。
しかし運命は過酷である。パヴェ・ダフィノアはすぐにお客様の注文を受けていなくなってしまったのだ。
「パヴェ、また逢えるわね、カルペネはきっと待っています」
カルペネの視線は宙を泳ぐのだった。
「パヴェ、さっきからパルミさんが私を見つめているの」
「パヴェ、早く戻ってくれないと・・・」
パルミにも心が揺らぐカルペネだった。
パヴェ・ダフィノアは明日にでもクアトロに帰ってくる予定だが、カルペネはまだそのことを知らない。カルペネの運命やいかに。