湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ボロディン:弦楽四重奏曲第2番~Ⅲ.

2007年03月04日 | ボロディン
○クレットリ四重奏団(新星堂EMI,COLUMBIA)1931/5・CD

アンコールピースとしてかつてはよく演奏された「夜奏曲」である。クレットリは古びた艶をもつ音をもちいながらも爽やかな聴感をのこすアメリカっぽさすらある軽い演奏をやってのけている。ファーストとチェロの対話により成り立っている曲ではあるが、この楽章では各自それなりに絡み合い見せ場を作る。そこはいいのだが、中核はやはりファーストとチェロの対話だとするとクレットリにくらべナヴァラの表現が若い。音量なわりに個性を感じない。情の薄さというか、表現が手堅く引き気味な感じがするのは録音のせいかもしれない。○。
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ボロディン:弦楽四重奏曲第1番

2007年02月28日 | ボロディン
○ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団(MCA,westminster)1950・CD

ウィーンらしい音とアバウトなボウイングにアンサンブル、しかしテンションでまとめにかかるのがいかにも往古の演奏スタイルである。ただ、曲がちょっと渋いというか、チャイコに近い「ドイツ+国民楽派」のスタイルを堅持した長々しいものであるがために、このやり方だと飽きてきてしまう。テンションで聞きとおせるのだが、「ボロディンのワンパターン」を知ってしまうとあとは「いつ終わるんだこれ・・・」となってしまうものであるがゆえに、人によっては「なんでこんな曲を録音したんだろ」と思わせることもあるだろう。

ボロディンはそもそも構造の合理性、民族的なリズム、それに何より旋律である。1番においては独自の合理性に落ちていかない折衷的な中途半端さがあり、リズムもしゃっきりしないところもあるから、あとは旋律をいかに歌わせるかにかかってくるとなると、ウィーンの演奏スタイルはとてもあっている。黄金色の音がぐいぐいと旋律を引き立てる。ただ、ちょっと民族性という部分では特殊奏法の部分含めそれほどはっきりと浮き立ってこないのが難点か。○にしておく。
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ボロディン:歌劇「イーゴリ公」よりだったん人の踊り

2007年01月25日 | ボロディン
○マルケヴィッチ指揮ソヴィエト放送交響楽団(lys/MELODIYA)LIVE・CD

オケ、とくに木管あたりにかなりほつれがみられるものの非常にスマートでスピーディでいかにもバレエ指揮者に向いてそうな揺れの無い演奏である。「らしい」演奏であり、そのぶん正直食い足りない気もするがまあこのスピードでさっと通されるとああそうですか、というくらいには楽しい気もする。なんかネガティブだなあ。ロシアオケなのになんかロシアオケらしくないんですよ表現が。
Comments (3)
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ボロディン:中央アジアの平原にて

2007年01月11日 | ボロディン
○ユルゲン・ワルター指揮ハンブルグ・プロムジカ交響楽団(MUSIQUE POUR TOUS)LP

この人の持ち味として安定感とリズム処理のよさが挙げられる。更にスマートで手馴れている、とまで書くと曲によるのかもしれないが、この演奏はそういったスタイルにあった曲ということで録音の問題はあるにせよ安心して聞き流せる。だったん人のほうが曲的にも盛り上がるし、同曲ならではの印象派的な描写性がリアルなドイツオケの音で損なわれている感もなきにしもあらず。
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ボロディン:歌劇「イーゴリ公」よりだったん人の踊り

2007年01月11日 | ボロディン
○ユルゲン・ワルター指揮ハンブルグ・プロムジカ交響楽団(MUSIQUE POUR TOUS)LP

ひょっとしたら駅売りCDでCD化してるかもしれない。遠い録音で悠揚とした調子は落ち着いた美感を終始漂わせている。個性的ではなく、合唱もないからかなり「聞き流し」用音楽に近いのだが、覆面を被せられたオケには安定感があり爽やかに流麗である。爆発的クライマックスも不要と思わせる調子で終わる。まあ・・・○。
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ボロディン:歌劇「イーゴリ公」よりだったん人の踊り

2006年12月30日 | ボロディン
○モントゥ指揮サンフランシスコ交響楽団(M&A)1951/12/23live・CD

すごいテンポにリズム!流麗かつ躍動感に満ち、録音のやや悪さを除けばこのトスカニーニ張りの推進力は素晴らしい。またオケの内側から爆発するような威勢のよいアンサンブルもいい。合唱なしが惜しい。
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ボロディン:弦楽四重奏曲第2番

2006年11月26日 | ボロディン
○ガリミール四重奏団(いろいろ)LP

グラズノフらの小品とのカップリング。小編成の室内楽団はメンバーチェンジによってまったく違う団体になってしまうものだが、この演奏も新メンバーによる。しかしスタイルはまったく「あっさり」で同じ。直線的にさっさと進む即物的演奏で、演奏技術面では非常に興味深く感服するのだが、感情面を余り煽られない。それでもこのあっさりした演奏で目からうろこを落とす人もいることだろう。そういう意味性をとって○。
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ボロディン:歌劇「イーゴリ公」よりだったん人の踊り(合唱付抜粋)

2006年11月18日 | ボロディン
○メリク・パシャーエフ指揮モスクワ劇場管弦楽団他(melodiya他)LP

かなり「うるさい」演奏で、恐らく全曲版からの乱暴な抜粋だと思われるが全曲は聴いたことがない。ウラーウラー耳元で叫ばれると「もういいよ・・・」と思ってしまう、最初から最後まで合唱メインの演奏で、パシャーエフらしくないロシア臭の強さが特徴的である。韃靼人の踊りに旋律の叙情性を求めるならこれはやめたほうがいい。ロシア合唱歌の奔流を楽しみたいのであればおすすめ。とにかく、強い。弱い人は「あてられる」ので要注意。○。西欧ではル・シャン・ドゥ・モンドでシンフォニー1番と一緒にカップリングされていた。12インチ盤。パシャーエフのカルメン全曲があるのだが、サモスードのヴェルディとともに聴くのに二の足を踏んでる。。
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ボロディン:交響曲第1番

2006年11月18日 | ボロディン
○イワーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya他)LP

イワーノフらしい強靭で求心力のある演奏で、ベートーヴェン指揮者らしさが曲を極めて聴きやすくしている。何故スヴェトラばかりが取り沙汰されるのか皆目わからないロシアの現代指揮者の系譜の嚆矢にあたる時代の人だが、まさに「これが初期グラズノフ交響曲のルーツか」といった感じの曲風を強く感じさせる。もともと流派にとらわれず折衷派とも積極的に接点をもっていたグラズノフではあるが(よく言われるロシア国民楽派と折衷派の「対立構造」はたんに都市(音楽院)同士のライバル関係とリムスキーの個人的な嫉妬だけだったように見えるけれども)、ボロディンの比較的若い時代(クーチカがバラキレフ総帥の下でまとまっていた時期)にはロシア音楽を如何に西欧の権威的語法・・・交響曲という純音楽形式にこだわったのは外国人にわかりやすいという以外に海外にも通用する権威をつける意味もあった・・・に当てはめ、その枠組みを乗り越え音楽的に凌駕させるかといったところが強く意識されており、これはリムスキーがワグナーに傾倒したとかという内面的意味ではなく(ムソルグスキーは違うが)あるていど学究的に「アマチュアの視点から」西欧古典音楽の実践研究を繰り返してきたことを意味する。新作発表を中心とした室内楽演奏の「金曜日の会」はパトロンの楽譜出版者ベリャーエフ(今でもありますね)の道楽的側面もあったけれども、そのへんの雑曲に時折見られるサラバンドだのなんだの西欧古典音楽のことばは世紀末以後の俗称「新古典主義」とは別の意図によるあくまで理知的な「形式名」である。弦楽四重奏曲第1番とは少し違い、錯綜しない楽想という意味ではまさにグラズノフ前期を彷彿とする洗練がみられ、この流れの創始者バラキレフからの流れも感じられる。リムスキーは表題交響曲と純音楽としての交響曲の両方を書いて後者はさほど成功していないが同じ曲感を更に西欧寄りにしたようなものをもつものである。これらクーチカ(五人組)の交響曲の中の最高峰はもちろん勇士交響曲のほうだが、この1番もグラズノフが楽しいなら十分楽しめるし、グラズノフの交響曲創作開始の背を推したのがまさにボロディンであったことがわかるだろう。理知的な側面も形式にはあらわれており、部分的に整理が行き届きグラズノフの洗練につながるふうが楽しめる。そんなところだが、拡散的にやられると西欧的な部分での真価が出ない。イワーノフの中心点のしっかりした演奏はじつに耳に馴染み良く、まあマニア以外はそれでも凡庸感を受けるかもしれないが、初心者マニアならぐっとつかまれる演奏だと思う。勇士交響曲(第2番)は個性が明確にあらわれた隙の無い(最終的には)傑作だが、それとは違う、未完成感ともまた違う、グラズノフのルーツとして、バラキレフの野暮を抜いた佳作として、イワーノフでベートーヴェン的力強さを楽しんでみてはいかが。西欧ではル・シャン・ドゥ・モンドから出ていた。
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ボロディン:弦楽四重奏曲第2番

2006年06月23日 | ボロディン
○コミタス弦楽四重奏団(COLUMBIA)LP

まっとう。余りにまともすぎて特徴がない。インテンポ気味で集中力のある完成度の高い演奏だが、あっさり過ぎて現代的というか、モノラル期の録音に求めたい「外れた」ものがない。音的にはショスタコーヴィチ四重奏団にとても似ているが幅がない。チェロあたりにはもっと甘い音も求めたい。夜想曲のソロは余りにそつない。全般力みが目立ち表現が若く起伏がない。憂いがない。未だロマン派の域にいるボロディンの感傷性をもっと表現してほしいところだ。四楽章は比較的聞けたので甘めにして○。雄渾で厳しい演奏でもあり好きなかたもいるとは思うが。ショス1とのカップリング。
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ボロディン:弦楽四重奏曲第2番

2006年05月12日 | ボロディン
○ハンガリー弦楽四重奏団(columbia)

有名でプロアマ問わずよくやられている曲にもかかわらず、録音がなかなかなされないのはどうしてでしょうか。古い団体は割合と録音を残していますが(復刻は進みませんね)、SP時代になると楽章抜粋が常のようで不完全燃焼。1楽章こそボロディンらしい韃靼人テイストの名曲なのに、すっきり短い2、3楽章が多いですね。1楽章はファーストヴァイオリン(とチェロ)がやたらフューチャーされるので通を気取るかたがたには好まれないのかな。同曲思いっきり国民楽派ですからデロデロ演奏というものがあってもよさそうなのに、何故か率直な解釈でハーモニックに整然と組み立てられた演奏が好まれるようで、個人的に物足りなさというのを感じることが多いものでもあります。この演奏もまさにあっさりスマートでそつのないもので、ひたすら颯爽と直進していきます(フレージングに起因する揺れはともかく)。なめらかにいささかの断絶もなく息の長い旋律をかなで続け、セーケイの音は(私は余り好きではないのですが)万人受けする赤銅色の輝きをはなつ鋼鉄の響きを持っています。

特色有る音というのは最初は受けますが、あとあと飽きてきます。個人的にはコーガンあたりこの類と感じますが、セーケイ始めハンガリー四重奏団のメンバーはそういう意味ではちょっと中欧、ドイツ的耳なじみのよい模範的な音を出す、裏を返すと「正当派」で安定しまくってるがゆえに、何度聞いても飽きることはない。プロの演奏は録音にすると何度聞いても飽きないが、アマチュアの演奏は例え最初はプロより面白く感じても、録音で何度も聞けたものじゃない(無論一回性のライヴで楽しければそれで立派に成立するのが「音楽」なのですが)。これが単に技術的安定性という話でもないのだな、と最近思うようになりました。何なんでしょうね。

とにかく余りにあっさりして綺麗なので(ハンガリー四重奏団はそういう団体ですけど)最初無印かなと思ったんですが、何度も何度も聞けて、聞くたびに(とりたてて深くはないけれど)同じように楽しめる、これは素晴らしい長所なんじゃないかなと思って○つけときます。この単純化された曲で技術うんぬんは論じ得ないがために、演奏団体の本当の実力が出るといってもいい、その意味では早々とヴェーグが抜けたこの団体も(殆ど録音もない大昔のことなのになんでいつもヴェーグと結びつけて説明されるんですかねこの団体)、長大なキャリアなりの素晴らしい実力を持っていたと言えるのでしょう。初めにこれを聞くと他が生臭くて聞けなくなる恐れアリ。自分で演奏するかたは参考になるかとも。

あとやはり2楽章第一主題が遅いなーと思ったんですが、実は私の体内時計が早すぎるような気がしてきたので、そこは敢えて評価とは別にしときます。ワルツ主題とのコントラストをつけるためには譜面表記にかかわらず速めにスケルツォ的な情景を演出したほうがいいと思うんですけどね。ワルツ主題もあんまり遅くなりません。奇をてらう場面の一切無い演奏です。
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ボロディン:弦楽四重奏曲第1番

2006年03月28日 | ボロディン
〇ボリショイ劇場弦楽四重奏団(multisonic)CD

だだ長い曲だがドヴォルザークの多くやスメタナのような旧来のカルテット様式(ベートーヴェンの流れの上にいるドイツロマン派的な楽曲)に沿った構造的な曲であり、耳馴染みがよいと感じる向きもあるだろう。一楽章(ハーモニー、転調の独特のくせや、とくに緩徐主題のワルツは2番スケルツォのワルツ主題そっくりで美しい)や三楽章(中間部のフラジオによるアンサンブルは民族楽器的な意味にとどまらない新鮮な効果をあげている)は2番につながる個性の発揮された名品といっていいだろうが、悲歌的な2楽章や主題の扱いや古臭い構造書法に研究成果的な秀才ぶりが目立つ4楽章は退屈である。もちろんそっちのほうが好きな向きもいよう。簡潔明快な2番とはやはり違う位相のものであり、中央アジア的な「ワンパターンな」ハーモニーの用法も控えめだ。グラズノフはボロディンの「ここ」から派生していきロシア国民楽派には珍しいプロフェッショナルな技術を発揮する折衷派の代表格になっていった。西欧のアカデミックな技巧をロシアの位置で検証吸収しようとしていたリムスキーやボロディンらの研究的側面はあまり知られていないが、直接的成果があまり芳しくないところも理由としてあり(それだけ急進的部分(もしくは民族的部分)の衝撃と魅力が強かった裏返しでもあるのだが)、中では相対的にすぐれたものと言えるものではある。

ボリショイは慣れている。素晴らしく板についている。厳しく勢いがあり、録音もアナログのふくよかな音を留めていて聞きやすい(板起こしだろう、4楽章冒頭がよれている)。民族色をもっと出してほしいきらいもあるが曲がそもそも「ちぐはぐ」なのでどちらかに合わせるしかなかったのだろう。〇。モノラル。
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ボロディン:弦楽四重奏曲第2番~3楽章「夜想曲」

2006年03月07日 | ボロディン
○ブダペスト弦楽四重奏団(novello)1926・CD

オリジナルメンバーによる抜粋。古い録音のせいでもあるが優しい表現でさわやかに弾ききっている。押しが弱く情緒纏綿のたぐいではない。個性的ではない。でも、これはこれで聞ける。サロンふうとも違うのだが・・・○。
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