湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆ドビュッシー:バレエ音楽「おもちゃ箱」(カプレ管弦楽編)

2017年05月20日 | ドビュッシー
○ペルレア指揮RIAS交響楽団(remington)1953・LP

録音の鮮明さには欠けているが明晰で簡素なオーケストレーションによった作品ゆえそれほど気にはならない。演奏は颯爽として巧緻である。ピアノ二台を始めとした室内楽的な流れが序盤よりいかにもキャプレの作品であるかのようにきこえ、後年自分でオーケストレーションしなくなっていたドビュッシーがそれでも納得していたらそれでいいのかもしれないが、ちょっと手馴れ過ぎ、また楽器の組み合わせた響きが美麗すぎる気もする。作品自体自身を含むいろいろな作品からのパッチワーク的な楽想が目立ち特異な印象も持つが、たとえばゴリウォーグのケークウォークめいた楽しげで無邪気な中に晩年のヴァイオリンソナタのような断片が混ざっている、遊戯のような演劇的で不可思議な風景も想起させるという意味でラヴェルのマザーグースと似て非なる面を持っている。
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☆ドビュッシー:小組曲(ビュッセル編)

2017年05月09日 | ドビュッシー
○アルベール・ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(POLYDOOR)SP

SP盤の傾向として収録時間の関係上回転数をやや上げてしまうことがあり、この盤もピッチがかなり高く演奏自体も速度感を強く感じることから元演奏とはやや異なったものとなっている可能性が高い。古い盤ゆえ聞きづらい面もあるがSPは基本的に雑音も多いぶん音が明晰なので、華やかな時代の古きよき情緒を感じさせる媒体としてはうってつけだ。ヴォルフは同時代音楽と非常に縁があり活動期間も長期にわたったが、肝心のパリ時代はSP時代であったゆえに復刻がスムーズにいっているとは言いがたい。一組復刻集が出たほかは単発で他の盤に一緒に収録されているのみである。

演奏だが颯爽として情緒的な揺れの無い指揮ぶりは周知のとおりである。ラヴェル向きの指揮者であり、ただこの演奏でも奏者側の情緒によってその不感性的な芸風が十分に補われており、ダイナミズムにも溢れ躍動感はなかなかのものである。録音の特異性をかんがみても性急すぎる感は否めないが、まずはオケの噎せ返るような音に耳を傾けよう。また書くかもしれない。○。
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☆ドビュッシー:夜想曲

2017年04月27日 | ドビュッシー
○アンゲルブレシュト指揮ドビュッシー祝祭大管弦楽団他(ANDANTE)1932-34・CD

復刻が進み過ぎてすっかり有り難みが無くなってしまった指揮者だがかつてはドビュッシーお墨付きの指揮者としてマニア間では珍重されていたものである。フランスでは同時代音楽のスペシャリストとして今もってビッグネームを保っており、確か作曲も手掛けラヴェルらと共に活動していた時期もあったと記憶している。重要な書籍もいくつか出している。

古い音のせいで余計な想像力が働いているせいかもしれないが、意外と情緒的な感じがする。冷たく突き放したような演奏に聞こえる録音も多い中、ライヴ的な雰囲気作りがみられ、なんともいえない香気を放っている。覇気も感じられるが、貧弱な録音ゆえ力感はイマイチ。楽章ごとに録音時期が違うので統一感もあまりない。総じては真ん中くらい、鋭いアンゲルらしさはせめてもうちょっと雑音が減らないと感じとれない。

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☆ドビュッシー:管弦楽のための映像~イベリア

2017年04月24日 | ドビュッシー
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R他)1938(39?)/11/5live

トスカニーニはすごいね、もうなんかこれが正解、としか言えなくなる。もっとも「正解」が一つではないのが音楽の世界なんであり、正解をやれるからいいというものでもない。もっとローカル色が強くてもいいだろうし、純音楽的に客観的に響きを整えることも可能だろう。録音が悪いのは言うまでもないが、DA盤は妙にフォルムが明確で(「生々しい」とは違うと思うが)雑音の中からも聞こえる最低限のものは聞こえてくる。ほんらいこの録音状態では無印のはずだが、トスカニーニの直線的なドライヴっぷりと第二部でのイマジネーションに○。当初39年放送ライヴとされていた。同日のバーバー二曲、新世界他一曲も収録されているが、年表記はいずれも混乱している。それぞれの別項参照。
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☆ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

2017年04月18日 | ドビュッシー
○セル指揮クリーブランド管弦楽団(ArtNova)1965/5/19レニングラードlive・CD

凝縮された迫力が凄いセルのロシアライヴ。この時代の西側楽団(米国楽団)のロシアライヴは皆凄く定評があるが、セルも他聞に漏れない。ただ、音が板起こしでやや悪く、3楽章のクライマックスでヒスノイズなど目立つ。こういうふうに音が崩れると、高精度演奏による迫力を目したセルのような人の音楽はとたんに精彩をうしなうのだ。しかし殆どトスカニーニな魅力的な音楽ではある。セルならではの施術により、まるでロシア楽団のような力強い表現とアメリカ一流オケとしての精度が、他のアメリカ録音などとは違う異様な雰囲気をかもし、けしてブラヴォは出ないけれども、有無を言わさぬ拍手は呼んでいる。○。
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☆ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

2017年04月15日 | ドビュッシー
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(TAHRA)1956/9/19シャンゼリゼ劇場live・CD

かなりリマスタリングが効いていてノイズが無い反面、やや音域がカットされ狭い聴感がある。音粒が立たず細部が不明瞭になるのは元音源のせいだろう、リマスタリングが良すぎて聴こえないのが不思議に感じられるのだ。ミュンシュの凱旋公演みたいなものでいつもの即興的な盛り上がりは無く、落ち着いた精緻な表現が特徴的。1楽章などねっとり丁寧で、ドビュッシーらしい響きが明瞭に研き出されているのが意外でもあり、ミュンシュの芸の幅を感じさせる。格調が高く、2楽章の一部を除けば崩れて走るようなこともなく、ただ、ちょっと格調が高すぎるかな・・・とも。オケ側の表現力や技巧がどこも素晴らしく、フランスへの挑戦ともとれるような完璧に近いものでこれもミュンシュにしては面白い。いつものミュンシュを期待するとやや遅すぎると感じるかもしれないが、これはこれでいかにもフランスなミュンシュ、ということで。ひさびさtahra買ったが高いなあ。○。
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☆ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」抜粋

2017年04月02日 | ドビュッシー
○ベルナール・プランテ(ペレアス)ミシェリーヌ・グランシェ(メリザンド)クサヴィエ・ドプラ(ゴロー)アンドレ・ヴェシェール(アルケル)アンゲルブレシュト指揮ORTF(FRENCH BROADCASTING SYSTEM,MASTERWORKS FROM FRANCE)LIVE・LP

放送用解説付き抜粋(一幕情景Ⅰ、二幕情景Ⅰ、三幕情景Ⅰ、四幕情景Ⅰ、Ⅱ、Ⅳ、五幕)で全曲演奏から編集した模様。合計1時間弱、アンゲルブレシュトのキレのよくみずみずしい音楽を味わうのには十分である。しかしここではペレアス役のプランテの若々しく伸びやかな声が印象的で、透明感溢れる舞台をもり立てている。このドラマがフランス語本来の美観を背景に成り立っていることを改めて感じさせるソリスト陣の表現を録音は明瞭にとらえている。ドビュッシーのあやつる変幻自在の色彩を小組曲の温い世界に引き戻すことなく精緻に描こうとする指揮者、それにライブでこたえられるオケの力にも感服。素晴らしいひとときを過ごせた。抜粋ゆえ○ひとつ。
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☆ドビュッシー:カンタータ「選ばれし乙女」

2017年04月01日 | ドビュッシー
○ブランザ(乙女)デグエット、ロザンタール指揮ORTF他(BAM)1962/5・LP

ロザンタールのいい部分が出た演奏だと思う。静かで穏やかな、繊細な音楽。歌唱もことさらに主張することなく邪魔をせず、ワグネリズムを巧く薄めて僅かに感情的な部分の織り交ぜた人間的な音楽だ。のっぺりとした表現も音響や楽想に魅力があるためプラスに働いている。惜しむらくは録音の古さか。○。
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☆ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

2017年03月28日 | ドビュッシー
○エネスコ指揮シルヴァーストーン交響楽団(mercury)

ラヴェルほどの心の深層に訴えかけるような表現はないものの、なかなかの佳演になっている。フランスものへの適性は出自によるところが大きいだろうが、それであればもっと(ソロ含め)フランス近現代ものを録音しておいてほしかった。時代がそうさせなかったのだろうが。雰囲気はまさに牧神のイメージそのものである。比較的ねっとりした表現をとるのに音が乾いているのがいかにもフランス派の解釈といった感じである。抑揚はかなりつけるがテンポは速めにインテンポ気味、というちょっとぶっきらぼうなところもある棒だけれども、音の切り方がぶっきらぼうというだけで朴訥とした印象の演奏にはけっしてならない。この録音は継ぎ目が聞かれるが、それは作曲家・ソリストの余技としての棒ということで大目に見よう。立派なフランス的ドビュッシー。○。CD化されたようだ。
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☆ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

2017年03月27日 | ドビュッシー
○モートン・グールド指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1978live

自在に伸縮する恍惚とした音楽。非常に感傷的な音をしている。デトロイトにこんな音が出せたのかと驚嘆する。グールドの指揮の腕前は他の録音でも聴かれるようにけっこうなもので、ただまとまった曲を録音しなかったのが知名度につながらなかったゆえんだろう。作曲家としてもアメリカを代表する一人だ。それにしてもねっとりした前時代的な音楽、であるがゆえに現代の貴重な解釈者であった。
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☆ドビュッシー:6つの古代銘碑(アンセルメ管弦楽編)

2017年03月16日 | ドビュッシー
○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(DECCA)1953/10・CD

室内楽的なひびきをよくこのように維持した編曲を仕立てたものだなあと思ったものである。2006年末ボックス集成されたのがCDでは初出だそうだが信じられないくらいの名録音であるし、多分にエキセントリックなイマジネーションを持ったドビュッシーの世界を、かなりドビュッシーに入り込んで取りまとめ上げた編曲であるといえる(さすが数学者)。だから単純な教科書的編曲とは聴感の新鮮さが違う。夢幻的な「フルート、ハープ、ヴィオラのためのソナタ」や「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」の繊細な音響世界をそのまま置き換えて、更にラヴェルのように合理的に弾かせ聞かせる。ただ・・・他に比較するものがないので、これがいいのかどうか、◎にするには躊躇がある。どこから聞いても全盛期のドビュッシーそのもの、だが、なにぶんモノラル録音なのだ・・・○。
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☆ドビュッシー:カンタータ「選ばれし乙女」(ポエム・リリーク)

2017年03月15日 | ドビュッシー
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団他(MUSIC&ARTS/DA:CD-R)1940/4/13live

優しい曲感で宗教的な内容は推して知るべし。牧神ぽい移ろう和声的雰囲気の中に前期ドビュッシーが立ち現れる。 オール・ドビュッシー・プログラムのメインに組まれたもので、既にだいぶ前にCD化されている。トスカニーニのまとまりのよい音楽は古い録音だと音楽をせせこましくするが、これはしょうがないというか、まあ聴ける範囲では十分にある。歌唱が入るのは長い牧歌的な序奏の後になるが、オネゲルの夏の牧歌のような弦楽器の音にうららかな陽のさす雰囲気が美しい音色変化の中に描き出されている。微細なリリシズムに一種フランス音楽の王道の表現を聞き取れる。トスカニーニのこういう面は余りクローズアップされない。後期に慣れた向きには甘すぎる曲に聞こえるかもしれないが、聞き込めばこの時代としてはかなり前衛的な書法を使っていることにも気づかされよう。奏法のベルリオーズ的?使い分けが巧みである。盛り上がりどころでレンジが狭いのがきついか。往年の甘やかな弦楽セクション全般の音に傾聴。とくに低弦。ハープなどの壺を押さえたハマりっぷりなども噎せ返るような雰囲気をかもしているがいかんせん録音状態が邪魔をしているようだ。木管が巧くないとこのてのソロバリバリな曲はつらいがこのオケなら心配ない。
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☆ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲

2017年02月07日 | ドビュッシー
○グランジャニー(HRP)シルバン・レビン指揮ビクター弦楽合奏団(HMV/SLS/ANDANTE)1940(1945/3/12?)・CD

作曲家ゆかりの男性ハーピスト、グランジャーニの旧録。野太く力強い音はやや悪い録音のせいか幾分後退し、寧ろロマンティックなニュアンスの微妙な揺らぎさえ感じさせる雰囲気あるものに仕上がっている。テンポは幾分速く爽やかさに拍車をかける。なかなか普通に聞ける佳演。andanteは45年の日付を記しているがvictorの1940年録音と同一音源の可能性が高い。

SLSがSP復刻したものは同じ音源と思われる。針音をまったく削らない「自炊音質」で「あとはお好きに除去どうぞ」状態なのだが、ぱちぱちノイズの奥からはやはりこの人のフランスで生まれ育ち教育を受けた経験がより近い時代にて澄みやかに伝わる、女流ハーピストもかくやというような典雅な演奏となっているのがわかる(活動の中心はアメリカで1945年国籍取得)。表情付けというか恣意性はここでもわずかに表れ特徴づけるものとなっている。従前日本語としてグランジャーニと表記してきたが、グランジャニーという読みに統一されたようなので以後グランジャニーとし、過去ログも修正する。

ところでいまだに遠い昔に読んだ書籍にあった「ドビュッシーの賞賛を受けた」という文章のソースが見つからない。ラスキーヌと父ジャメがこの曲の解釈について作曲家より示唆を受けた話についてはマリ・クレール女史のLPジャケットライナーにかかれていたが、ラスキーヌとグランジャニーは同世代であり、ハープの世界は当時10代前半で既に音楽学校にてソリストとしての道をひかれるものであったことから、邂逅はありうるものと考えている(がどちらも10代中盤でのことだったのではないか)。ラヴェルと演奏を共にしたというのは時代的に珍しくはない。
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☆ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

2017年01月14日 | ドビュッシー
○チェリビダッケ指揮ベルリン・フィル(BP)1948/3/20・CD

この時代からこの曲を取り上げていたことに意味がある。ほとんど再発見直後くらいのものではないか。チェリがドビュッシーを取り上げる、ならこの曲だろう、と思うそのとおりの内容でもあり、ロマンティックな感性を呼ぶ旋律や響きを持つ部分も多々あるにもかかわらずここにはただリズムの明瞭さと律動の面白さが表現されており、きわめてリアルで、かつ「楽曲の面白み」以外の何か恣意的なものを表現しようとしないところにチェリらしさがあり、「これはバレエ音楽であり舞台で躍らせる音楽である」という確信が部分に拘泥せず全体の構成を重視する姿勢にあらわれている。オケの乱れもあるが気にするほどでもない。録音は残響がうざい。だから○にするが、◎にしてもいいと思った。
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☆ドビュッシー:弦楽四重奏曲

2017年01月06日 | ドビュッシー
○ヴィルトゥオーゾ四重奏団(HMV)1925/9/14,12/4,9/18,10/21・SP

オケプレイヤーを中心にレコード会社主導で編成された録音用団体の模様。ヘイワード以外はよくわからないが他社に対抗して網羅的録音、しかも一部抜粋ではなく全曲という売りで啓蒙的活動をしたもののようである。演奏的にも専門団体にくらべ技術的安定感はあるが飛び抜けて上手くは無く、現在の耳からすれば手堅い解釈で特筆すべき表現もなく、ただそういった啓蒙的観点から?の客観性があるだけに、この時代の演奏に似つかわしくないくらい現代的で聴きやすいものでもある。集中的にかなりテイクを重ねて丁寧に録音していたようだが、なにぶん古い。だから盤そのものの瑕疵と演奏の瑕疵の違いがわかりにくい部分もある。チャイコのような音楽には適性を示すが、ドビュッシーのような風変わりな作品には特にどうも探り探り感が否めない。といっても3楽章などじっくりと、粘らずしとやかに演奏しているのがイギリスらしくて私は好きだ。また、何故か4楽章の出来がいい。ヴィブラートを多用せずポルタメントに頼らない、そこがこの曲の聴きやすさに繋がっている。ファーストが活躍する曲だからファーストだけが上手い(アンサンブル力は他も十分だが上手くは無い)この団体には向いているけれど、チェロなどもっと主張が欲しいかも。○。あ、特徴に付け加えると、この団体、スタッカートを切らない。スピッカート気味にして明瞭なアンサンブルを印象付ける団体が多い中、こういう奏法があったのか、というほどアクセントを強調しない「幅のあるスタッカート」を使うのだ。というか、このての「飛ばし」を使わないというのは遠い昔へっぽこな私も教わった(というか飛ばし自体教わらなかった!)やり方なだけに、英国にこういう奏法の流れがあったのかもしれない。裏返して言うとしっかりしたテンポやリズムを保つのが難しいので、腕のある団体の証左ではある。じっさい、チャイコでは活きている。
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