○モントゥ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R,WHRA)1951/12/1live・CD
モントゥらしい、ワグナーとドビュッシーの交互プログラムという啓蒙的な一夜の記録だが、これ、ナレーターは抜粋と言っているが、管弦楽のみにより、恐らく交響的断章だろう(音楽的記憶力がないので定かではない、誰か検証してくだされ)。アメリカオケでこう真正面からやられると何かアングロサクソン的な音楽になるというか、初期なんだか晩年なんだかわからない「わかりやすい」楽想と「不可解な」楽想の混沌のうちに、例えばグリフィスとか、例えばイギリスの群小作曲家とか、そのあたりが稀に仕上げる佳作に見られる垢抜けた印象派ふう表現が、輝かしくもこの作曲家には不釣合いにも思える壮大な「クライマックス」を築き上げる。モントゥはほんとに職人で、未だバラケ味も含め艶のあるこのオケの魅力を引き出しつつも、基本は自分の掌中でまるでルービックキューブのように組み立ててしまう。ルービックキューブなりに色がそつなく揃い過ぎてしまうところは否めないかなと思うが、色彩が整理され聴き易いことも確かで、「パルジファル前奏曲」と「ラインの旅と葬送音楽」に挟まれていると、ディーリアスの長大な歌劇をマッケラスあたりで聴いている気分にもなる。録音が悪いが、性急でスマートなワグナーと違和感無くうまいバランスをとっていることも含め○。WHRAは状態もほぼ同じ。初曲と終曲だけの編曲?
※2009-01-04 13:24:55の記事です
モントゥらしい、ワグナーとドビュッシーの交互プログラムという啓蒙的な一夜の記録だが、これ、ナレーターは抜粋と言っているが、管弦楽のみにより、恐らく交響的断章だろう(音楽的記憶力がないので定かではない、誰か検証してくだされ)。アメリカオケでこう真正面からやられると何かアングロサクソン的な音楽になるというか、初期なんだか晩年なんだかわからない「わかりやすい」楽想と「不可解な」楽想の混沌のうちに、例えばグリフィスとか、例えばイギリスの群小作曲家とか、そのあたりが稀に仕上げる佳作に見られる垢抜けた印象派ふう表現が、輝かしくもこの作曲家には不釣合いにも思える壮大な「クライマックス」を築き上げる。モントゥはほんとに職人で、未だバラケ味も含め艶のあるこのオケの魅力を引き出しつつも、基本は自分の掌中でまるでルービックキューブのように組み立ててしまう。ルービックキューブなりに色がそつなく揃い過ぎてしまうところは否めないかなと思うが、色彩が整理され聴き易いことも確かで、「パルジファル前奏曲」と「ラインの旅と葬送音楽」に挟まれていると、ディーリアスの長大な歌劇をマッケラスあたりで聴いている気分にもなる。録音が悪いが、性急でスマートなワグナーと違和感無くうまいバランスをとっていることも含め○。WHRAは状態もほぼ同じ。初曲と終曲だけの編曲?
※2009-01-04 13:24:55の記事です