湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆アイヴズ:答えのない質問

2017年06月13日 | アイヴズ
○バーンスタイン指揮NYP(CBS)CD

まさにバンスタ自身の有名な講義の題名にもなったアイヴズの名作である。しかしバンスタは叙情的すぎる。律せられた無秩序ほど無残なものはない。これはペットソロが投げかける「質問」に対し木管群が無用な議論を繰り広げ、最後には投げ出してしまうというかなり具象的な意匠を持った作品である。「無用な議論」をシェーンベルク的に律してしまったがゆえに、「ちゃんとした無調作品」に聴こえてしまう。しかもバンスタなりの「無調」である、そこには確かに「旋律」も「ハーモニー」も聴こえてしまう。これでは宇宙的背景を永遠に描き続ける弦楽合奏のコラールとの対照がはっきりせず、そのコントラストこそがアイヴズの粗忽であるのに、渾然としてしまうのである。それでもある程度の魅力がある演奏ではあり、○にはしておくが、この曲を意匠通りに描いている演奏とは言えない。

※2007/11/8の記事です
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☆アイヴズ:弦楽四重奏曲第1番「信仰復興伝道会」

2017年06月07日 | アイヴズ
○ジュリアード弦楽四重奏団(CBS)

これだけアメリカ民謡だけで固められた室内楽は史上無いだろう。習作的雰囲気はないこともないが交響曲で言えば2番くらいの感じであり伝統のないアメリカでこれほど先人の影響を感じさせずに、ドヴォルザークショックさえ皆無の「アメリカ国民楽派」とでも言うべきナショナリズムを声高にうたった曲は無い。孤高の曲だ。アイヴズの前衛的個性も弾けば一目瞭然、論理的展開を拒否してみたりまるで西部の田舎街に突然シェーンベルクが降り立ったかのような都会的な不協和音が颯爽と顕れたり意外なほど計算された明確なポリリズムが構築的なアンサンブルの中に組み込まれていたり、なかなか手強い一面もあるが素材的に共通点の多いヴァイオリン・ソナタより高い完成度が感じられる。引用旋律以外にも極めて美しい抒情旋律がきかれる。アイヴズには確かに「一般的な」才能もあった。書こうとしなかっただけで。ジュリアードはわかりやすく纏めている。現代曲演奏団体にありがちな平坦さが終楽章クライマックスあたりでは気になるが、アイヴズを人好きする顔に作り上げる手腕には脱帽だ。もっとロマンティックに力ずくでイレ込んだ演奏も聞いてみたいものだが。曲的には有名な2番より好き。○。

※2006/6/23の記事です。
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☆アイヴズ:賛美歌(ラールゴ・カンタービレ)

2017年04月22日 | アイヴズ
○ニューヨーク弦楽四重奏団、ブラーム(Cb)(COLUMBIA)1970/5/25NY・LP

この曲はなかなかいいバランスの演奏がなくて困っている。思索的だがわかりにくくはなく、解体された賛美歌旋律がシェーンベルク張りの伴奏音形の上に元の姿へ組みあがっていくさまは密やかだが鮮やかで、短くすっきりしているところもアイヴズらしくないまでに完璧でいいのだが(3番交響曲の終楽章を短くもう少し現代的にしたような感じ)、全く透明で金属的に演奏してしまうと何か「物足りない」。アイヴズはドビュッシー同様「プラスアルファを要求する」。それが過度であってもならないということも含め。なかなかに難しい。バンスタ以外で納得いく演奏、しかも本来の弦楽五重奏型式で、となるとないのかなあ、と思っていたが、これは非常に注意深く、過度にロマンティックにも、過度に透明にもならずに最後までもっていっており、うまいとこだけ印象に遺すようにしている。かなり弱音で貫いているのでともすると聞き流しかねないものだが、「押し」ではなく「引き」で演じたところに成功の秘訣があるように感じた。○。最後は協和音で終わるのが通例だがこの演奏では不安な不協和音で終わらせている。非常に注意深く演奏されているので違和感がなく、却って曲の哲学性を深める良い出来になっている。
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☆アイヴズ:祝日交響曲~Ⅱ.デコレーション・デイ

2017年04月19日 | アイヴズ
○コープランド指揮BBC交響楽団(DA:CD-R)1975/9/16live

オールアメリカプログラムでかなり盛り上がった日のようだ。とにかくBBCの鋭敏で現代曲向きの機能性がコープランドの硬質で高精度な音響演奏への指向と合致して、そこに一種逆ベクトルとも言える「熱気」が生まれている。コープランドはアイヴズを技法的には認めずとも私的には愛好していたらしい。ここではあくまでアメリカ前衛音楽のパノラマの一部として使われているけれども、叙情的でロマンティックな側面に重きを置き、極めて整理された音楽を聞かせている。ドラティのような元来ロマン派音楽の延長上にあるものとしてやるやり方ではなく、冷静にスコアを分析し、そのうえでコープランド自身の平易な作品を仕上げるように組みなおしたようだ。「歯応えあるハーモニー」がバランスを整えられ過ぎ減退して聴こえ、アイヴズ慣れしているとむしろなんだか物足りない。尻切れ音楽にされてしまっている感もあるが、強いて言えばティルソン・トーマスのもののような説得力ある「整理」が売りになっているとは言えそうだ。○。
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☆アイヴズ:池

2017年04月12日 | アイヴズ
○シューラー指揮室内管弦楽団(COLUMBIA)1969/3/31BOSTON・LP

サウンドスケープの表現に極めて優れた手腕を発揮するアイヴズの管弦楽作品集の中の一曲で、池ポチャの音楽といったら元も子もないが、水を打ったような静けさ、それだけの極めて美しい「音風景」である。金属打楽器が時折水の撥ねる音を「そのまま描写」するところが何とも言えない情緒をかもす。前衛の先駆として最近注目が深まっている父君へのオマージュだそうだが、叙情的な雰囲気はそこに起因しているのだろう。この演奏は現代音楽として現代も十分通用する内容を伴っている、と確信させるに足る静かな演奏だ。○。
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☆アイヴズ:ロバート・ブラウニング序曲

2017年02月12日 | アイヴズ
○マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団(DA:CD-R)1976live

アメリカで常任を振る人は必ず通るアメリカ音楽の道、その(生前の大半はそう扱われていなかったのに)要にでんと座る雑然音楽の元祖アイヴズであるが、ちょっと前まではポストモダンな作曲家としてわざと雑然と「書かれたまま」やるのが常道とされたがゆえに一般の理解を遠ざけてしまったきらいがある。アイヴズの未整理の煩雑な音楽は思想的には確かに新しいものを目指していたが素材は素朴で非常にわかりやすい、多くは(プロテスタントの賛美歌の孕む程度の)ロマンチシズムを湛えたものなのであり、演奏側が整理して響きを整えれば前衛音楽の祖としてもアメリカ民族主義音楽の祖としても立派に通用する音楽たりえるものを作っていた。

晩年俄かに巻き起こったリヴァイヴァルブームは後者の見地に立った演奏家主体のスタイルであり、本人は余り好まなかったようだが(かれの歪んでいるとはいえ異様に明晰な頭脳には(ストラヴィンスキーもそうであったように)この異様なスコアがありのまま全く簡素で当たり前のものとして見えていたのであるから、一部ならともかく全体の趣意すら曲げるような改変は好まなかった)、音盤や、世界のほとんどのコンサートホール(の座席)において彼の望んだような自在で立体的な響きの再現は土台不可能なのであり、後半生コンサートに行くことをやめ自宅のピアノでしか音楽を想像しなかったかれの机上論的な部分を何とか「まともに」修正しようというのであれば、アイヴズ協会考証版の正規スコアにかぎらず手書き譜や使徒の見解を入れて、もしくは「入れずに趣意を汲み取って」適度に拡散的・騒音主義的で適度にアカデミックかつロマンティックな一貫性も維持しつつバランスよくやるのが常道であろう。ドイツやロシアよりもフランス近代音楽の影響を受けているとは一時期よく指摘された。特に旋律構造へのドビュッシーからの影響は分析的に見出すことが容易と言われる(宗教性の裏付けのうえ主要素材に旋法的なものをもちいることを好んだだけの感もあるが)。

極端にどちらかに振れない穏当な演奏はなかなかない。アイヴズは無秩序ではなく在る程度理論的な音響実験を投入しているが、それも実演主義的では全く無かったから、はなから無かったものと考えるのも妥当かもしれない。話がそれまくったが、まずアイヴズの座標を何となく示したところでその基点よりマゼール闘士時代の演奏がどこに位置するかというと、やや拡散的なところ、即ちとっちらかったスコアをとっちらかったままに、しかし一応時間軸は意識しておく・・・ただ、音量変化が滑らかではなくデジタルなニュアンス変化が、シェーンベルク程度には前時代の作曲家であるアイヴズをやるうえでは少し「騒音主義過ぎる」ように思った。奇矯な「びっくり」をやらかすのが目的ではない、音塊の密度が濃くなり薄くなりを繰り返すのがアイヴズ・・・アナログな波形を形作る無数の音素材の堆積を一個一個に拘泥せず全体として認識させる・・・というのはライヴのノイズだらけの非正規音材では無理だな。

アイヴズは音盤を音盤芸術として作る「ポストモダン的クラシック音盤職人」がもうちょっと出てくると面白いリヴァイヴァルを呼ぶかも。ぜんぜん違う音楽だけどナンカロウみたいに、演奏家は最初のパンチ穴の打ち込みだけでいいのだ。その再現を如何にアイヴズの趣意に沿って整形するか・・・カラヤンに象徴される録音職人兼演奏家が、かつて演奏家兼作曲家がそうなったように、今や録音技術者と演奏家に完全分化しているだけに、ここは時代を気長に待ちたい。ってこの音盤についてぜんぜん語ってない・・・技術は素晴らしいです。
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☆アイヴズ:祝日交響曲(リハーサル)

2016年11月03日 | アイヴズ
○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1971/12/11放送live

じつに1時間近く聴け、殆ど全曲聴いたも同然だが(無い部分もある)、録音はまずまずなものの、やはり補助指揮者を使っているのか拡散的で、また遅くて構成が大きすぎるというか、「壮大すぎる」。4番正規録音(初演記録)もそうだったがために起伏がなくわかりづらかったが、実演を聞けばわかるとおりある程度これは作曲家意図である(小澤の4番は敢えてここを録音操作で整えて名演に仕上げている)。もちろんフルパワーの演奏ではないことは確かでアンバランスさや声部間の音の強弱など、録音も捉え切れていない部分は多いと思うが、テンポを遅くとり、アイヴズの主張に忠実に(せっかく「まとまった」演奏も可能な旋律的な流れのある曲集なのに)やろうとしているところは強く感じられる。4番のCBS(sony)から出ている初演ライヴ録音などもそうだったが、デジタル化などの「中間作業」がコノ曲にかんしては特に重要で、今はどうだか知らないがクリアさに欠け間延びしたような感じもしてわけがわからなかったCBSのCDに比べてこれを聴くと、ストコがただ遅くしてまとめようとするだけの手探りではなくかなり研究して何とか前衛作曲家と世俗聴衆の間を「情熱をもって」つなぎたいという意識を持っていたことが聞き取れる。それほど発言しない人なので瑣末な指示くらいしかわからないが、音作りはティルソン・トーマスの記念碑的な全集に納められた分析的な分解様式に近いかもしれない。ジョーズ・ハープまで明確に聞き取れるティルソン・トーマスの切れ味鋭い演奏が、余り好きではない他曲の演奏と比べなぜか私はかなり好きで、ストラヴィンスキーのポリリズムの先駆と言われる箇所も「ほんとにそうじゃん・・・」と絶句するくらい素晴らしくリズミカルで、巧く組み立てられていて元々の作曲意図でもある祝祭的な盛り上がりを煽られる。私はしかしドラティのように主情的に操作整理された演奏のほうがこの曲にかんしては好きだが(アイヴズは根からの前衛でなかったらショスタコに迫るくらいの名作曲家として表舞台に出た可能性もある、ほんとに何でも描ける秀才であったからこそ、全ての音楽をつぎこんだ完璧なカオスが描けたのだ)、その点はぶよぶよした失敗録音に聞えるバンスタよりも(バンスタに金属質な演奏が求められる前衛は無理がある)ティルソン・トーマス側の演奏として捉えられるか。曲について言うとあくまで時期も違う4曲を出版都合でまとめて交響曲としたアイヴズ特有の「交響曲の名を騙る組曲」なのだが、4番同様、いや4番よりも一貫して聞きやすいのは全体的に作風(アメリカの祝日という主題)の点でまとまっており作風変遷の点ではさほど離れていない位置のものをまとめたというところからきているのだろう。もちろん、組曲であるが、私は全曲通して聴くのが好きだ。だから、リハとして聴きとおすのはちょっとしんどかったけど、ストコとバンスタの違いがよくわかるし、ストコが如何に頭がよく、新作に慣れているか、バンスタが如何に曲を選ぶ人でロマン派向きであるかを感じさせる対極的なものとして聞けた。○。
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☆アイヴズ:ヴァイオリン・ソナタ第3番

2016年10月28日 | アイヴズ

◎フルカーソン(Vn)シャノン(P)(bridge)CD

アイヴズの一見無秩序な書法の中に通底する叙情性に対し細心を払い、構造の整理とともにこの上なく感傷的に描くこのコンビの全集はアイヴズのソナタ最高の演奏と言うべきレベルに達している。この曲はアイヴズにしては長大だが全般が賛美歌や俗謡にもとづく旋律により貫かれ、とくにフランクなどのフランス・ロマン派ソナタを(皮肉たっぷりに)意識したヴァイオリンが平易な印象をあたえ聞きやすくしている。だがアイヴズの意匠はピアノにより明確に暗示されている。あからさまな東洋音律(当時世俗に人気のあった)等の底には常に現代的な不協和音や無調的パセージがまるでバルトークのように硬派に怜悧な輝きを放っている。ピアノだけを聴けばそこにピアノソナタの残響を聞き取ることができるだろう。アイヴズは書法的にけして下手なわけではないが弦楽器による音楽にそれほど重きを置いていなかった節がある。それはストラヴィンスキー同様弦楽器がアナログなロマンチシズムを体言する楽器であったがために何か別の意図がない限り「本気で書く」気がしなかったということなのだと思う。げんに大規模作品の部品として弦楽器が使われる例は多々あるのに弦楽四重奏曲以外に弦楽器だけに焦点をあてた楽曲は余り多くは無い。その弦楽四重奏曲も2番は「本気の作品」であったがそれほど完成度が高いわけではない。ヴァイオリンソナタは特例的な作品群で、アイヴズが「まっとうな作曲家であったら」旋律と創意の魅力溢れる作品群になった筈なのに、結果として1番2番は実験の寄せ集め、3番は「ひ弱な妹」、4番は「無害な小品」そしてそれ以外は未完成か編曲作品なのである。つまりは「本気ではない」。だからこそアイヴズ自身がのめりこみ演奏し自身で確かめながら譜面に落とすことができたピアノのほうにより本質的なものが篭められていても不思議はない。ヴァイオリンはピアノの二段の五線の上に書かれている旋律線を抜き出したものにすぎないと言ってもいい曲である。2楽章だけは少し特別で、プロテスタントの陽気な賛美歌(日本では俗謡だが)をジャジーな書法を駆使して編曲した見事なアレグロ楽章となっており、個人的には全ソナタの中で一番成功したもの、「アメリカ様式のアレグロ」としては史上最高の作品と思う。2番でカントリーふうの書法を実験したときにはまだ未整理の様相をていしていたものの、完成度の高い結晶と思う。このコンビで聞けば、この作品の独創性以上に素直な魅力に魅了されるだろう。最後の田舎風ギャロップまで天才の発想が溢れている。譜面も自由度が高く録音によって多少の差異はある。そういったところも含め「まったくクラシカルではない」と言いはなつことは可能だが、いかにもヴァイオリン曲そのものの記譜ぶりでもあり、これはやはりソナタの中間楽章なのである。いろいろ書いたが、この曲は速筆で仕上げられたものであり、だから3楽章など長すぎる感もある。ロマンティックな旋律の臭気にウンザリさせるのが目的な側面もあるとはいえ、時間がなければ2楽章だけを聴いてもいい。◎。
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☆アイヴズ:管弦楽のための組曲第2番

2016年10月08日 | アイヴズ
○ストコフスキ指揮ロンドン交響楽団(DA:CD-R,M&A他)1970/6/18イギリス初演live

やや不安定なステレオだがライヴ盤にしては十分だろう。これがまたいいんです。アイヴズは時にとても感傷的な心象風景を描くが、この演奏はまさにその感傷性に焦点をあて印象派風に描ききった非常にわかりやすいものである。ストコははっきりアイヴズをロマンティックな語法で読み解いているが、ほんらいアイヴズの音楽は前衛を「狙った」わけではなく結果として「至った」音楽なのであり、作曲時期の問題、またアイヴズの組曲(セット)というのが「演奏されやすいために出版時にてきとうにまとめた」というものである側面もあり、これがそのままアイヴズであると言い切ってしまうと前衛大好き派にはそっぽを向かれそうだが(ミニマル好きとかサウンドスケープ的なものが好きな向きには物凄く推薦するが)、昔のアメリカの未開拓な原野の静かで荒んだ光景を想起させるような「まるで風のような音楽、風にのってやってくるさまざまな音をそのまま録音したかのような譜面」に瞠目せよ。もったいないくらいの演奏です。まあ、録音状態と正統かどうかというところで○にしておくが、個人的に入門盤としてはうってつけと思うわかりやすい心象音楽の描き方である。恐らくイタリア盤CDで出ていたものと同じ。
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☆アイヴズ:カルシウム・ライト・ナイト

2016年09月05日 | アイヴズ
○ボリショイ劇場管弦楽団ソロイストアンサンブル(A&E)1988/12live・CD
ずいぶんと懐かしいアルバムですな。僅かな期間であったソヴィエト末期ペレストロイカ期の幸福な東西交流の中で生まれた合作レーベルからの「アバンギャルド音楽祭」ライヴ抜粋記録である。このレーベルでは圧倒的にスヴェトラのマラ6が有名だがあちらはかなり演奏がやばかった。曲自体はアイヴズの比較的前期にあたる単曲(1898~1907とされているがもちろん全部が作曲に使われた期間ではない、隙をみて日曜作曲したり、時流をみて改訂を重ねたりした結果納得いくにいたったのが9年後だったわけだ)、おそらくオーケストラルセットのどこかからの引用で4番交響曲第二楽章にも引用されている素材だと思うが、ピアノの印象が強い。アイヴズはピアノをよく使い、独奏曲がいちばんよく演奏されるし、最大規模の楽曲では三台の異なるピアノが導入されたりもするし、室内楽にもオスティナートを刻んだり楽曲を支える柱として導入されていることも多い。いずれピアノが象徴するごく自然な音楽の場としての「劇場」をにぎやかす各種音素材の混交が、カルシウムライトに照らされてまるで雑多なNYの人間たちが愉しみ騒ぐようなさまを端的に切り出して見せた、「音風景の録音」ともいうべきアイヴズお得意の音楽である。クレジットが明瞭ではないが多分指揮者がいないとまとまらない曲なので、総合指揮とされているロジェストが振っているのだろう。ロジェストはしかし、こんなのも平気で振るのだなあ。精度がすごいなあ・・・とその他の現代曲の数々の演奏を聴いても思う。
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☆アイヴズ:祝日交響曲

2016年08月29日 | アイヴズ
○ドラティ指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1978/11/25放送live

ドラティはこの曲の初演者。恐らくかなり手を入れており余りに聴きやすすぎる。この曲は私はほんとに好きなので、長すぎる、散漫、テンション低い演奏が多いという点で不満があったところを覆してくれた素晴らしく聴きやすい演奏だから、◎にしたいが、主旋律をしっかり作り上げそこを中心軸にしてちゃんと演奏できるように整えてしまったところが「これがアイヴズだ」とは言い難い部分もあるので○にしておく。ドラティは自分的には好きな即物主義タイプにも関わらず余りに耳に残らない演奏が多く、職人的にこなしてしまうドライさというか、「どれでも同じさばき方」をするところが全く引っかかりが無い(凡庸といえば凡庸)ので、勢い任せで乗り切れる程度の長さの曲でないと聴かないのだが、これはその勢いがアイヴズの曲が内面で懇願している「勢い任せでやってください」というお願いとうまく噛み合っているからかもしれない。とくに構造的な手法の鮮やかさと本来の意図である祝祭的な盛り上がりの作りかたに重きを置いたところに成功の秘訣はあると思う。「聴きたいノイズ」がまるきり聞えてこなかったりカオス的音色も払拭されているが、一回こっきりCD化されただけということでもわかるとおりのバンスタの迷演を聴くよりはよほどこちらを聴いたほうがいい。まずトーマス、次ドラティ。演奏も完全に組曲として一楽章(一祝日)ごとに拍手やナレーションが入るが、各楽章本来の「4つの祝日風景を音に落とした」というアメリカ人的愛国心をしっかり描いたものとしては素直だろう。
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アイヴズ:アメリカ変奏曲(ウィリアム・シューマン管弦楽編)

2013年07月03日 | アイヴズ
○フィードラー指揮ボストン・ポップス(LONDON,DECCA)1977/6・CD

オルガン原曲はハッキリ言ってオルガンに似つかわしくない軽い曲でそのくせごちゃごちゃしていて(特に終盤は初期アイヴズらしい「音符詰め込みすぎ」)耳障り悪いのだが、管弦楽や吹奏楽にも編曲されているとおりアメリカ万歳の内容ということで人気の高いものになっている。ウィリアム・シューマンは曲を立体的に組み直しアイヴズ自身の管弦楽曲より洗練された書法でおのおのの魅力的な変奏を引き立てる(ま、大して変奏になってないのだが)。そして異なる調性の変奏同士が衝突するアイヴズらしい部分では、オルガン原曲ではわかりにくかった意匠をアイヴズ的に(つまりまんま鮮やかに二つ同時に演奏させる)解釈して表現させることに成功している。フィードラーは旋律処理はお手の物で愉悦的な音楽をリズミカルに引き立てる。終盤のごちゃごちゃはちょっと乱れるが仕方ないだろう。この時点でアイヴズが既に「逆変奏」を使っているのもよくわかる(この頃は伝統的な方法論も残り生硬ではあるが)、この曲はこの編曲が一番わかりやすいな。ちなみにこの主題はイギリス国歌として知られるが古き良きアメリカでは国歌として扱われることも多かった。アイヴズが古き良きアメリカを愛した(そして諧謔も愛した)ことが如実に出ていますね。○。
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アイヴズ:ピアノ・ソナタ第2番「コンコード・ソナタ」

2013年02月12日 | アイヴズ
○アムラン(P)(NWR)CD

抽象度が高過ぎてわかりにくすぎる。引用旋律や通奏主題である「運命の主題」を力強くそれなりに卑近に表現して各々同士のコントラストをはっきりし、雑多に混交する中からたちのぼるアイヴズらしい世界を構築するのが通常のやり方で、そのためには余計な音は整理したり恣意的にいじったりして、そうやって楽しめるような音楽に仕立てるのが必要なのだが、、、余りに大人しく、透明に、完璧に演奏してしまっている。平坦でどこを聴けばいいのかわからない。そのやり方では終楽章ソローが唯一感傷的印象派的に感じ入ることができた。新録音ではもう少しこなれている。
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アイヴズ:答えのない質問

2012年10月07日 | アイヴズ
○ルーカス・フォス指揮ジンブラー・シンフォニエッタ(TURNABOUT/UNICORN)LP

フォスの大先輩の曲なわけだが、バンスタに近いデフォルメがなされていて特記できる。これを几帳面に神経質に整えようとすると曲が死んでしまう。なのにそういう演奏が多い。アイヴズの謎めいた書法の部分はきっちり譜面通り弾かせているし、木管には好きにやらせている(冒頭弦のコラールが異様に間延びしたテンポで不安を感じたが管楽器群が入ると適切になる)。なかなか独自性も感じたし、上手いとは言わないが聴かせる演奏。
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アイヴズ:ピアノ三重奏曲

2012年05月28日 | アイヴズ
○ニューイングランドトリオ(HNH)1977

初録音盤。抒情的で大人しめの演奏。アイヴズ特有のふざけた方法(当時の世俗音楽であるラグタイムの執拗な引用など)、意図的に発生させられるカオスに際し、エッジの立ったやり取りを楽しみたい向きには受けないか。この曲はちょっと中途半端なところがある。ヴァイオリンソナタ第三番に似た生ぬるいロマン派的な進行が目立つが(むろん皮肉であろう)、そこに演奏困難とも思われるポリリズムや無調的な響きの横溢するパセージが唐突に織り交ざり、その温度差が激しすぎてどう聞いたらいいのかわからなくなる。この発想が大規模交響楽に投影されるとなると第四交響曲のように「うまく機能する」のだが、三本の楽器でやるとなると誤魔化しがきかず、演出的に難しいものがある。いいからピアノは冷えた情景を散発的に示し、残りは静かにコードをなぞれ、と言いたくなるほど喧しく感じる個所も多い。アイヴズの室内楽はアイヴズの作品中では一般的に決して推奨できないものがあり、ヴァイオリンソナタやピアノ曲に比べ一段下がる感も否めないが、そういう曲においてこのような穏やかな演奏は聴きやすく、悪くは無い。○。
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