湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

アイヴズ:ヴァイオリン・ソナタ第1番

2011年11月11日 | アイヴズ
○ハーン(Vn)リシッツア(P)(DG)2010/6・CD

この全集(断片や編曲除く)の中では一番に推せる演奏。もともと抽象的で隠喩的な作品がこの組み合わせの真面目なアプローチに適していたともいえよう。演奏表現も他の作品に比べて落ち着いているように思える。音色やアーティキュレーション付けに単調さは否定できないが、非人間的な無調音楽から懐かしい賛美歌旋律に昇華されてゆく全3楽章の流れを単一楽章のように大きくとらえ、様々に秘められた既存旋律の断片を滑らかにコラージュしてゆくのがじつに巧い。そうとうの準備を思わせる出来である。アイヴズ自身がおそらく最も自己に忠実に書いたヴァイオリンソナタであり、終楽章には1番弦楽四重奏曲の終楽章や4番交響曲の終楽章に通底するテーマ(多分に宗教的なものだろう)があらわれていて、2楽章あたりの新ウィーン楽派をまで思わせる抽象性との対比ないし「融合」も見事なものである。この盤を手にしたらまずこれから聴いていただきたい。○。
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アイヴズ:ヴァイオリン・ソナタ第2番

2011年11月04日 | アイヴズ
○ハーン(Vn)リシッツア(P)(DG)2010/6・CD

交響曲第3番等と関連性の感じられる曲で(アイヴズは自作の再編を頻繁にやっていたため時期的な同位性確認は難しい)おそらく最もアイヴズらしい・・・作曲家だけではなく聴衆として見ても・・・「ヴァイオリンソナタ」になっている。この演奏は比較的一本調子かつ音色的変化も少なく、猛烈な速度でひたすら技巧を見せ付けている点は他の曲と変わらないが、楽曲の、とくに2楽章スケルツォはそういう表現を求めている部分があるので、しっくりくる。物凄い速度で指が回っているのはわかるがもはや音が聴き取れない、という苦笑な場面もあるが、チャールストンをやるようなジグを踊るような楽想が多いのでそこは素直に面白い。だがアイヴズはロマンティックな作者でもあるので、中間部などちょっと陰影も欲しい。3楽章はおそらくアイヴズのソナタで最も美しく完成された曲だがこれはウィンダムヒルっぽい始まり方はいいものの思いいれのない抽象度の高い強い調子の演奏が展開されるとどうにも違和感がある。ピアノがもっと広がりのある表現をしてヴァイオリンも歌えばいいのに、技術的にそれができるにもかかわらずしていないのは一つの見識ではあるが、ならクライマックスで崩れてランチキなトーンクラスターにいたる過程もしっかり描いて欲しいものだ。1楽章もわりとうまく(曲的には序奏にすぎないようなところもある)2楽章と込みで○としておく。
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アイヴズ:ヴァイオリン・ソナタ第4番

2011年10月28日 | アイヴズ
○ハーン(Vn)リシッツア(P)(DG)2010/6・CD

二楽章は感傷的だけどコントラストが弱い。最初から運命が扉を叩く力が小さい。。物語性が薄い。。あの印象的な開放弦のピチカートがさらっと流されピアノのさらさらした旋律に引き継いでしまう。。考えすぎて原点を忘れた演奏。。激しさが足りない。即物的なものを好む人向き。アイヴズ特有のノスタルジーが無い。。
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アイヴズ:ヴァイオリン・ソナタ第3番

2011年10月28日 | アイヴズ
○ハーン(Vn)リシッツア(P)(DG)2010/6・CD

アイヴズのヴァイオリンソナタに実演を通じて集中して取り組んできた成果として録音された全集の一部。基本ライヴ向きの即興性を備えたアイヴズの曲でありヒラリー・ハーンもいくつかの実演で異なるアプローチを試みたそうだが、ライナーを見る限り恐ろしく真面目にアナリーゼを行い、煙に巻かれながらも試行錯誤、実演のうえ出した結論がこの音源のようだ。そのため従来の録音とはかなり異なる印象を与えるところもある。ピアノに細心の注意が払われているのは特筆すべきで、アイヴズがともするとヴァイオリンのオブリガート付ピアノソナタのように曲を作り上げている逆転現象を、精密な和音進行の再現によって明るみにしている。ズーコフスキらいわゆる現代音楽演奏家とは異なる独自のやり方で、表面上フランクのロマン派ソナタを装ったこの曲からロマン性を取り去り譜面からだけアプローチする。むかし自分が試みていた甘さを恥じた。ちゃんとやろうとすると、こんなに難しいのか、アイヴズ。

ただ、アイヴズは半分ジョークだとは思うが、自分が古臭いフランクのスタイルでも書けることを無理解な聞き手に訴えるべく形式的に書いた、と言っていたらしい。もちろん実態はきつい皮肉に満ちて原型を留めていないものの、そういった作曲意図に沿ったロマンティックな志向が入っているかどうかというと、無いと言わざるを得ない。

すれっからしの勝手な思い込みアイヴズ好きの立場からすると、求道的姿勢がもたらした「引っ掛かりの無い整合性」、ヴァイオリンの音色変化の乏しさ、客観的解釈はズーコフスキのコンテンポラリーなアプローチよりましとはいえ、今まで親しんできたロマンチックな旋律表現に通底するノスタルジックな感傷性と、何も考えずがゆえ和音の破壊的衝突ぶりの面白さが感じられないのはつらい。
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アイヴズ:交響曲第2番

2010年06月27日 | アイヴズ
○バーナード・ハーマン指揮ロンドン交響楽団(PRSC)1956/4/25BBCスタジオ放送(英国初演)

後年の録音よりじつに雑で(アイヴズが下手なのだ)崩壊しまくりだが、勢いはライブ的な一発録りの気迫のうちにあり、慎ましやかだが充実したオケの力みのない上手さが、とくにブラームス的な部分を綺麗に表現している。中間楽章はアメリカふうのねっとりした音こそ期待できないが、ハーマンのロマンチシズムが必要なだけはっきり表現されている。しかしまあ、バンスタは殿堂としても、ここまでドンチャカやって、とくに二、五楽章を派手にとばしてここまで楽しげな演奏は、あまり無い。○。音はレストアされているが悪い。
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アイヴズ:交響曲第3番

2010年06月08日 | アイヴズ
○ベイルズ指揮ワシントン・ナショナルギャラリー管弦楽団(WCFM)1950/8/6初録音盤?

時代のわりに輪郭のはっきりした録音。音は野卑ているが力強いヴァイオリンを中心に太い演奏に仕立てている。先進的ともとれるハーモニーを雑然とクラスタ的な響きとして扱うスタイルだが、アイヴズはそれでいい。一楽章は起伏に乏しくいささかくどくどしく感じるが、生硬ながらもしっかりした足どりで進める二楽章からライヴ感ある聞き心地、やはり三楽章は感情的に盛り上がるようきちんと仕立てている。さすがに一流とは言えないが、十字軍として立派ではある。○。
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アイヴズ:交響曲第4番

2010年04月21日 | アイヴズ
○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団他(SSC:CD-R)1970/11/15live

客席録音である模様。14日のリハーサル及び17日の演奏会もカップリングされており、いずれも同じようなかなり悪い録音状態である。とくに音像が不明瞭で打楽器系を除けばアイヴズの「無秩序なメカニック」がほんとによくわからないクラスタとしか受け取れずきつい。聴取環境を工夫するしかなかろう。それでも合唱がまったく埋没してしまうのはあきらめるしかない。ストコの解釈はテンポが生硬でしかもかなり「整合性」を指向した大人しいところがある。アクセントがきかず攻撃的な楽想もすべて有機的に融合した不思議な感覚を味わえる(2,4楽章)。ぱっとしないのは1楽章で合唱が浮き立たず、最も力が入っているのはやはり3楽章フーガである。この曲は後付けで各楽章に哲学的意味が与えられているがアイヴズにおうおうにしてある「後から考えた」「後から改造した」といったたぐいのもので、元々はバラバラに作曲され、2楽章など特に既存の曲から部分合成され作られたものである。もっとも若い作品である3楽章が調性的で宗教的啓示的な趣を持つのは当たり前だが、ストコはしばしば言われる「マーラー的な」翳りを伴う楽想を力強く演じさせている。2楽章のクラスター音楽がメリハリなくだらけた聴感があるのは厳しい。4楽章はこの曲の中核だが打楽器オケ部(この録音全般的に高音打楽器が強調されており聴きやすく救いとなっている)が強く出ており、そこに限って言えば比較的わかりやすい。だが音量変化を巧く捉えられない(客席録音なら平板になるのは当たり前である)のは痛い。ストコの解釈も比較的意志力がミニマムな部分におさまり全体設計的には平板なので、音盤としては、今ひとつの迫力だった。おまけで○。
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アイヴズ:答えのない質問

2010年04月20日 | アイヴズ
○ストコフスキ指揮現代音楽協会(SCC:CD-R)1953/2/22メトロポリタン美術館live

日曜午後のコンテンポラリーミュージックシリーズとして企画されたものの記録で、非常にノイジーだが興味をひく演目が揃っている。当時としても珍しい曲が取り上げられた。嚆矢にあげられたのは今や馴染みの「答えのない質問」だが、ストコフスキはかなり高精度のアンサンブルを駆使し、不協和だが「整合」した演奏に仕立ててしまっている。ほんらい整合しないのがアイヴズの音楽だ。この曲は噛み合わない対話である。いわば壁紙の役割であるストリングスのコラールを(アイヴズの賛美歌調の音楽は一部の演奏家には非常に魅力的に感じられるらしいが)テヌート気味に情感込めて演奏させ、埋没するようにTpと木管の「応酬」を忍び込ませている。ほんらいは逆だ。朴訥としすぎるペットに元気のないドルイドたち。クライマックスではペットに木管が余りに食い気味に被さってきていて、それが元気で怒りを示すようであればまだしも、静かに注意深くハーモニーを重ねるようなのだ。終端部取り残されるペットと弦の静寂はよい。他録では乱暴だったりするが、ライブぽくない注意深さだ。勘違い演奏かもしれないが、一つの見識として○。
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アイヴズ:答えのない質問

2010年04月10日 | アイヴズ
○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(SCC:CD-R)1969/5/4live

びっくりするくらいロマンティック。不協和的な木管アンサンブルはヒステリックに叫ぶことなく遠い歎きのようにゆっくり、レガート。音量は落ちずに終幕。あきらかにいじっているため原曲の哲学性まで奪われた格好だが、しかし、聞きやすい。これはこれで抽象度の高い音楽だ。客席反応もよい。
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アイヴズ:祝日交響曲~Ⅰ.ワシントンの誕生日

2010年04月10日 | アイヴズ
○ストコフスキ指揮CBS放送管弦楽団(SCC:CD-R)1954/2/21放送live

放送コメントで「交響曲第五番ニューイングランドの祝日の一楽章」と入ってはいるが、バラバラの曲の寄せ集めであり、とくにこの曲はよく単体で演奏されていた。ストコフスキには全曲の本番演奏録音がなく(リハーサルは有り)、交響曲としてはどのような構成感でやるつもりだったのか定かではないが、ここでは余韻なくいきなり終わり、尻切れ感が否めない。おおまかに二部にわかれ、思索的な長い序奏と派手な祝祭的本編からなるが、ストコフスキは両者を完全に分断し、余り感傷を持ち込まず、生硬なテンポで不思議な楽器編成の面白みのみを注意深く聞かせている。○。
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アイヴズ:劇場管弦楽のための組曲~Ⅲ.夜に

2010年04月05日 | アイヴズ
○スロニムスキー指揮汎アメリカ室内管弦楽団(NewMusicQuarterlyRecordings)LP

「ワシントンの誕生日」断片と共に録音された部分試演でレクチャー(?)も含まれている。ごく短いが、アイヴズがこの時「何かを掴みかけていた」ことがわかる。新ウィーン楽派の(理知的な部分よりも)感覚的な部分に通じるもの。演奏的には短いので何とも言えないが、残響を加え大規模編成的に演じられることの多いアイヴズを、室内編成的な楽曲として聞かせるという「本来の姿」を伝える同時代の演奏として価値はある。○。
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アイヴズ:祝日交響曲~断片(「ワシントンの誕生日」より)

2010年04月05日 | アイヴズ
○スロニムスキー指揮汎アメリカ室内管弦楽団(NewMusicQuarterlyRecordings)LP

「セット」と共に録音された部分試演でレクチャー(?)も含まれている。短いが序奏後の本編の派手な部分が再現されており、技術的には問題がないとは言えないが、縦のリズムを意識しそこをぶらさないまま、攻撃的なアタックでアンサンブル「的なもの」をこうじている。正直、よく振るなあ、というような「同時進行するいくつもの音線」の絡み合い、アイヴズってこういうものだ、と改めて認識させる。この曲の時点ではまったく融和しない音線を重ねていくやり方を堅持しており、頭がおかしくなりそうだ、という人に私は同意せざるをえないところもあるが、既存旋律の選択ぶり、引用部分の長さ、けしてめちゃくちゃにやっているわけではなく、一つの信念のもとに計算してやっているのだ、と思わせるところもある。ここからどうさばくかは指揮者の解釈の腕。これ自体は古記録としての価値は非常にある。○。
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アイヴズ:劇場管弦楽のための組曲

2010年04月05日 | アイヴズ
○スターンバーグ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(OCEANIC)LP

アイヴズ録音最初期の一枚。「セット(組曲)」と呼ばれる「幕の内弁当」をアイヴズはいくつも編んでいる(組み合わせを変えたり編曲して焼きなおしたりを繰り返している・・・主として版元の意向で)。内容的には交響曲第4番へ移行する最も脂の乗り切った時期の作品や先鋭な作品が含まれ、しかし肥大傾向の極めて強い「祝日」や4番に比べ、すっきり整理された原初的な形ということで、アイヴズの奇才より才能を直接感じ取りやすい。ぴしっと技術的にすぐれたアンサンブルをもって聴くと何をやりたくて何を聴かせたいかがはっきりする(その部分すら解体して一見わけのわからない大構造物に仕立てたからこの作曲家はとっつきづらい印象をあたえているのだ)。小規模編成の作品こそアイヴズ独特の微妙な軋みを味わうことが出来る、真骨頂と思う。曲はいずれも短いが他に流用されたりしてアイヴズ好きには耳馴染みあるものだ。凍りついた感傷のある風景を、点描的に描く「サウンドスケープ」。演奏的にも俊敏で生臭さがなく、この時代にしては技巧もすぐれている。○。
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アイヴズ:交響曲第2番

2010年03月19日 | アイヴズ
○C.アドラー指揮VSO(SPA)1953/2初録音盤・LP

マーラー最後の使徒チャールズ・アドラーによる「現代」音楽紹介レーベルSPA録音だが、同曲初録音であること以上に、クレンペラーやホーレンシュタインが録音していた当時、意気軒昂のウィーン交響楽団(表記上はVPO)を使って録音しているということに価値がある。アドラーの解釈は正直スコア(確定版がなかったせいもあるが少し手を入れ整理している模様)に忠実にやろうという方針が裏目に出た起伏のないもので、非常にあっけらかんとした「おらが村交響曲」、形式を意識する余りだらだらした部分も多いだけに、各主題を際立たせ音量やテンポにコントラストを付けて意思的な演奏を仕立てていかないやり方(つまりバンスタ的でないやり方)では飽きてしまう。かといって隠し扉の多いアイヴズの曲だけに、構造を明瞭に浮き立たせて解体分析的に聴かせていくティルソン・トーマスのようなアプローチをとることも可能なのだが、時代的に仕方ないとはいえ、軸をどっしり据えた求心的なロマンティックな音表現にも色気を出してしまっている。録音バランスが従来的なロマン派交響曲向きの整え方をされており、裏で特徴的なフレーズや楽曲構成上重要な断片をソロ楽器が奏でていても、殆ど聴こえないのも痛い。あまつさえアイヴズは机上論者なので音量バランスが悪い書き方をするのだ。

ただそういった方法により、「まとまり」はバンスタNYPを始めこの曲に取り組んできたどの有名指揮者のものよりもあるように思った。中欧風の充実した響きと強い流れが、前半楽章、とくに1楽章では見違えるような重厚さと格調をかもしている。バンスタのような揺らしが無く安定した表現で、オケがばらけない。ローカルな響きを出さないVSOの節度がいい。さすがに無理のある異様に細かくとっぴな音符が頻出しだすと、危うくはなるが、これはちゃんとやっている録音のほうが少ないのだ。編成が小さいらしく音数が少ない感じがするが、そのぶん各楽器がんばって強くアンサンブルをとっているようで、書法上薄くなってしまっているのに目立たない。ここは評価すべきところだと思う。バンスタの解釈は扇情的で楽曲共感的だが、アイヴズ自身は改変、とくに2及び終楽章の終止音を異様に引き伸ばす「ミュンシュ方式」を非難していたという。アドラーはきっちりと音符の長さで切る。ぶちっと切れる。こういう演奏はわりと無いように思う。真意がしっかり伝わるという意味ではいい。ただ、アイヴズ自身が改訂した、最後の大不協和音は取り入れていない。ここはアドラーなりの見識だ。総じてこの指揮者は上手いのであり、ただ、録音と表現に異論がある、というべきだろう。アメリカの指揮者以外ほとんど取り組まない曲で、ゆえにアメリカ的というべき響きの軽さや生硬な構造を剥き出すやり方が目立ち、その中でこのような求心的で古典的とも言えるアプローチは面白い。○。
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アイヴズ:ピアノ・ソナタ第1番

2009年11月26日 | アイヴズ
○マッセロス(P)(CBS)初録音盤

アイヴズの融和しない冷たい響きは冬には余り似合わないのだが、複雑な心理を抱いて生きている現代人にはいつでもどこかしらに訴えかけるものがある・・・と思う。ニューヨークを闊歩する都会のビジネスマンであったからかもしれない。とくにこの曲のあたり個性を無理に強く打ち出すよりも、素直に前衛音楽に対峙し精巧に作り上げており慣れれば聴きやすく、もっともこの作曲家特有の問題として整理されないままにされている汚い楽譜を奏者がそれぞれのやり方で変えまとめているのがほとんどだから、今抱いた印象が曲の評価なのか演奏者の解釈の評価なのか判別が非常に難しいのだが、ピアノをやる人でも有名な表題ソナタ2番よりこちらの抽象性を評価する人が多いようで、よそ者には理解しがたい原アメリカの宗教性や思想性を予備知識として持たなくても十分味わえる(しかもほどほどの長さ)という点でも、アイヴズ入門としてもオススメである。初演自体が半世紀をへて行われたわけで初録音といっても(一応)20世紀初頭の作曲時の空気を伝える要素は無いが、わりと金属質に強い調子で衝突するひびきやとつとつとした無調的なラインを明瞭に描き出す演奏がある中で、静かで地味で線が細く(弱々しくはない)、アイヴズがそのじつドビュッシーの音楽的哲理の影響を受けている”印象主義者”の範疇にいたサウンドスケープ作家であることを逆によくわからせる演奏になっている。若干構成感がなく、(冒頭の個性的な下降音形すら印象に残らないで)知らないうちに始まって知らないうちに終わる、起承転結ではなく承承承承みたいなところは否めないが、何かBGMとしても成立しそうな雰囲気音楽として”使える”。譜面を単純化している可能性があるが、奏者的に不足はない。○。哲学書をめくりながら聴けば心地よいうたた寝に浸れます。
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