湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆ヴォーン・ウィリアムズ:ロンドン交響曲(交響曲第2番)

2017年12月13日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(EMI)1959・CD

ヴォーン・ウィリアムズの代表作(但しこの盤も含み殆ど短縮改訂版しか演奏されないもの)だが、生硬なオラトリオ「海の交響曲(交響曲第1番)」がラヴェル師事後の大規模合唱曲として初の成功作とすれば、これは「理想としてのロンドン」を描写的にうつした試作的な音詩であり、個人的には田園交響曲(交響曲第3番)の夢幻的にもかかわらずリアリティのある世界観に至るまでの、作曲家にとって扱い易い題材(音材)による過渡期作に思える。だから英国の都会者でなければ共感を得られないのではないかという、よそ者を寄せ付けないような独特の「内輪ノリ」がある。

実際RVWではよく演奏されるほうだとはいえ・・・全般極端にスコアの段数の少なく(といっても1,2番も非常に単純なオーケストレーションによっているのだが)、起伏の無いわりに無歌詞独唱まで伴うことが真の代表作である3番の演奏機会を少なくしている面も否めない一方・・・例えば朝日と日没の即物的な印象派表現が前奏と後奏を如何にもな和声で彩り、ビッグベンが一日の始まりと終わりを(ロンドン者には)わかりやすく告げ、労働者が騒々しく出勤(帰宅)する、その中に起きる色々な事象の情景描写を、何故かスモッグの無いような奇妙に晴れ渡った、でもやっぱりどこかよそよそしい都会の空気感を思わせる生硬な清新さのある響きによってなしているさまは、意味を解しないと中途半端な印象を残す。作曲家はあくまで印象音楽のような聴き方を要求しており描写音楽ではないと言い切っていて、これは表題のある全ての交響曲に言えるわけだけれども、それを言い切るには7番以上に直接的な素材を導入し過ぎではある。迫力はあれど基本的には簡素な構造の上に、コケオドシ的なffを織り交ぜた横の流れ中心で描かれていくさまは好悪別ち、一部田園風景を思わせる表現を除き、私は詰まるところ苦手なのである。

バルビは余り間をあけず二度録音している。ステレオだが50年代なりの音質。ただ少々ホワイトノイズ的なものがある程度で分離が激しすぎる等の問題はない。ヴァイオリンの音に特徴がありポルタメントやヴィブラートに制限を設けずある程度自由にやらせることで艶を出している(強制されてかもしれないが)。それが雑味を呼び込んでいることも確かで、また、ブラスが弱いというバルビの一面もちょっと感じられるが、50年代のバルビが未だ持っていたスピードと力強さがここにはあり、スケールとのバランスがよくとれている。一流の演奏とは言えないだろうが、ロンドン交響曲の演奏としてはいいほうだと思う。○。

※2008-12-26 10:11:00の記事です
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:讃美歌による前奏曲(1928)

2017年12月12日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○マッケイブ(P)(DECCA)

旋律だけの、非常に単純な曲。RVWのピアノ曲はえてして単純だが(根本に音の少ない弦楽的発想があるのは言うまでもない)この曲はとくに寂しいまでに音が少なく、素直で、音符の行間に思わず幼い頃教会で遊んだことを思い出して涙してしまいそうになるくらいだ。RVWの「賛美歌チューンによる前奏曲(讃美歌13番(ギボンズ)に基づく)」(正式名称)には明らかに田園交響曲などの代表作との書法上の関連性が認められる。あからさまな対位法的構造(衝突する微妙な音がいかにもRVW的)においてはミサ曲により近いかもしれない。だがここに聞かれる一抹の寂しさはそれらの曲には認められないもっと聴くものの身に寄り添った暖かいものがある。その意味では弦四2番終楽章に非常に近い。技法がどうとか尖鋭性がどうとか言わず、余り多くを期待せずに(たとえばドビュッシーやラヴェルの音の多い曲とは対極の作品だから)素直な気持ちで聴きましょう。旋律だけの曲なので飽きる事は認めるが、他に類を見ない曲ではある。モノラル時代にはハリエット・コーエンの名演があるが(山野でCD化)、マッケイブのさらりとしていてそれでそこはかとない情感もなかなかのものがある。やっぱりRVWの音楽は諦念が決め手だ。その哀しさが立っている。上手い。○。決してピアノが上手ではなく、また余りに単純な書法のせいかピアノ曲においてはまったく知られていないRVWだが、私は非常に好きだ。機会があれば他にもあたってみてください。ピアノ好きよりは、書法的に却って管弦楽好きに受けるかも。余りに構造的でかっちりしすぎている。

※2005/2/23の記事です
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲

2017年12月05日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○デル・マー指揮バーミンガム市立交響楽団(EMI)1980/8/21-22・CD

あまりに素っ気ない出だしから足を掬われるが計算の内、クライマックスでは全体で歌い上げる。カルテットと弦楽合奏という入れ子構造を強調する演奏も多い中、あくまで独特の響きを聴かせるためだけの構造としてできるだけ全体に融合させ、また、ビーチャムの弟子らしくロマンティシズムを煽らずノーブルに演じてみせている。あまり好きなやり方ではないが、作曲の講義をRVWから直接受けていた指揮者の見識として面白い。

※2013/1/10の記事です
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ヴォーン・ウィリアムズ:連作歌曲集「ウェンロックの断崖にて」(1909)

2017年08月07日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ステュアート・ウィルソン(T)レジナルド・ポール(P)マリー・ウィルソン四重奏団(DECCA)1929チェルシー・SP

初演者エルウェス(1917録音)に次ぐ骨董録音か。ヴォーン・ウィリアムズの初演も担ったことのあるテノールだがそれ以外では忘れられた感もある。表現は比較的大仰だが響きが浅く音量変化も付けず、嫌味がない。そしてピアノが素晴らしくドビュッシー的なリリシズムをかもし、録音のせいもありカルテットはやや引いた表現でほぼ聞こえない曲もあるものの、ピアノとは調和し、静かに丁寧に、「ブリードゥン」でテンポをたっぷりとって盛り上がりを作るところでも恣意性を感じさせることなく、儚げな世界を茫洋と拡げる。エルウェスとは時代が違うし独唱者も少し弱いものの、全てが一つのトーンで統一されており、それは紛れもなく完成期のRVWの薄明の感傷的なものである。まあ、詩人はこういう感情的には大仰なスコアを嫌ったそうだし、演奏も思いっきり感情に訴える(けれど響きは透明でフランス的)から、これでも正統とは言えないのかもしれないが、いや、ヴォーン・ウィリアムズとしては正統で、聞いた中で最も古い「ヴォーン・ウィリアムズらしいヴォーン・ウィリアムズの録音」である。ノイズを除去しきれないSPの音なのに、しばし沈黙してしまう盤なんてそうそう無い。収録時間の関係で3,4曲目が逆転しているが違和感はない。ブリードゥンの丘はほんとにギリギリ収まっている。つまり、SPの録音制約でなく、正しく解釈を取ったのだ。なかなかでした。
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番

2017年07月22日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ヒコックス指揮LSO(chandos)1997/10・CD

5番はRVWの代表作とされることもあるが、比較される3番田園交響曲にくらべ優っているのはよく鳴る管弦楽くらいのもので、曲としてはかなりまとめにかかったふうで凡庸な構成のものである。田園交響曲はソロを多用し殆ど弦楽合奏のような薄い響きに複調性を取り入れて神秘的な趣を出し、管弦楽曲としてはいささか淋しいが独特の世界を構築していたのに対し、こちらは意識的に派手な音楽を志向し意欲的な書法が全面に立ち、シベリウスを意識しながらそれとは別の方向の作曲的探求を行っている。横の流れの美しさこそ特長であったのが4番以来、構造的なものをふくむ縦の要素を重視し、ポリリズムの導入など抽象的な表現において世界を拡げて、それが聴くものに田園交響曲よりもスケールが大きくダイナミックで物語性に富んだ印象をあたえる。静かな終わり方も気が利いていて、だからこそらしくないというか、技巧に走りはじめた晩年RVWを象徴しているように思えなくもない。5番が好きならきっともっと端的に娯楽性を突き詰めた8番も楽しめるだろう。ヒコックス盤はボールトなど往年の名盤とあまり印象に違いがなく、正統ではあるのだが、敢えてこれを買う意味はあったのか、と途中で飽きてしまった。クーセヴィッキーから自作自演、ロジンスキなどと怪物が録音を残した曲でもあり、スコアの完成度も過去作より上がっていることから逆にそのままでは演奏の特長を出し辛くなっていることも想像にかたくないが、ボールト的な安定感、オケのしっくり度にプラス録音の新しさを求めるなら、これもよしだろう。

※2013/6/5の記事です
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:夜想曲

2017年07月21日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ウィリアムズ(B)ヒコックス指揮LSO(chandos)CD

ホイットマンの詩による歌曲でこれが初録音とのこと。過渡期的な感の強いミステリアスな楽曲で、シェーンベルクを思わせる抽象性とヴォーン・ウィリアムズらしい民謡風フレーズがミスマッチ。全般にはシマノフスキの夜の歌のような感じの、ヴォーン・ウィリアムズらしくない非常に官能的な曲だがよく書き込んである。演奏もいいのだろう。○。

※2013/6/9の記事です
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:幻想五重奏曲

2017年07月15日 | ヴォーン・ウィリアムズ
◎メディチ四重奏団、ローランド・ジョーンズ(Va)(nimbus)CD

大田黒元雄氏がロンドン滞在中に初演を聴き、その透明な美観を賞賛した曲である(氏はロンドン交響曲初演も聴き2楽章を賛じた)。氏は接いでサモンズのロンドン四重奏団他による演奏をも聴き、日本にも通じる感覚として「尺八のよう」ともしている。これは両国に共通する民謡音律が多用されていることからくる表層的な感想と思われる半面、ラヴェル師事後「フランス熱」をへてから極度に単純化していったRVWの書法を言い当てている部分もある。この曲にはまったく民謡ふうの旋律線と単純な響き、それほど特殊ではない変則リズムがある他にこれといって複雑な構造もなく(構造的ではある)、RVW特有のノンヴィブによる全音符表現がしんと静謐な田園風景の象徴としてあらわれる(これが「幻想」でもあり、オルガンやバグパイプの模倣と言われることもある)ところが最も印象的である。田舎ふうの音線も洗練された音響感覚によって下品さが感じられず、氏はフランスとロシアの影響を指摘してはいたが、寧ろこれはロシア→フランス→と変化進展していった室内楽書法のひとつの末なのである。この演奏は震えるようなヴァイオリンの音が美しく、ヴィオラが支配的な書法(RVWやバックスは室内楽で常にヴィオラを重用した)ではあるものの天空にひとり舞い上がる雲雀の滴らす一声のように高らかに哀しく響くのがあっている。ここまで装飾的要素が削ぎ落とされた作品はRVWでも珍しいが(しかも五本の楽器を使用しているのだ)、その意図がどこまでも透き通った「幻想」にあることを思うと、そこにささやかな感傷の震えをくわえた演奏ぶりは一つ見識であると思う。◎。

※2008/1/10の記事です
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲

2017年07月13日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ストコフスキ指揮ニュー・フィル(DA:CD-R/BBC,IMG)1974/5/14LIVE・CD

何を聴いてもRVW「タリス」を聴けばやっぱりストコはイギリス近代だと思ってしまう。どんな曲からも素晴らしい魅力の種を見出し瞬時に育てあげることができた魔術師である。だが「タリス」にかんしてはもっと個人的な主観というものの存在にも思いはせてしまう。ストコは感情的な指揮者ではない。メカニカルな観点から楽曲を分析再構築するあくまで「科学的な指揮者」の範疇でやりたいほうだいやったというところである。だがこの曲には感情の存在が否めない。詠嘆、激情、届かぬ思い。RVWにしても奇跡的なまでの出来の代表作であるだけにどんな指揮者でもそれなりに聞かせることができるのだが、解釈という観点が存在することすら忘れてしまうほど曲と同化した演奏というのは分析的に聴く気すら失せさせてしまう。ストコはタリスをたくさん残している。しかし復刻はけして十分ではない。これはライヴという意味でも素晴らしい記録である。音質的にマイナス、○。bbc正規CDと同じ音源かもしれない。ニュー・フィルと4日付けの正規録音もあり、詳細検証していないので関係はわからない。解釈は基本的に同じ。

※2006/10/14の記事です
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:あげひばり

2017年06月21日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○イゾルデ・メンゲス(Vn)サージェント指揮管弦楽団(HMV)SP

ワイズとサージェントによるものが初録音とされているが、音の状態からしてさほど離れていない時期に録音されたものと思われる。これで同一録音だったら恥ずかしいが手元にワイズ盤が無いので確かめられない。。演奏は我が意を得たりというようなまさに小さな雲雀の田園の上を舞う、細い音に確かな音程、というヴォーン・ウィリアムズ向きのソリスト。堂々と野太く弾く最近のソリストとは違う、伝統を感じさせる。ただ録音都合だろうオケが余りにデリカシーがなく、生硬である。録音都合でなければ楽曲理解に問題がある。まあとにかく古い録音なので、参考程度にどうぞ。

※2013/6/9の記事です
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽四重奏曲第1番

2017年06月05日 | ヴォーン・ウィリアムズ
◎ミュージック・グループ・オブ・ロンドン(MHS)LP

これはメディチ四重奏団を越える名演だ。とにかく美音、それもイマドキの磨かれた音ではなく感傷的なヴィブラートと完璧なアーティキュレーションの産物、更にバランスも完璧で、個々の演奏としてではなくアンサンブルとして表現の機微まで完璧に組み合い、不要な突出や雑然がなく(ラヴェルの弟子RVWには三和音の響きのバランスへの配慮は不可欠である)、必然的に多少の客観性は否めないものの、本気度が伝わってくる。音色から聞き取れる思い入れがまた並ではなく、普通流してやってしまうような決して有名ではないこの曲の中に微細にいたるまで解釈を施し驚くほど細かいボリューム変化や計算されたルバートが有機的に表現できている。終楽章はもっと速さが欲しいところだがしかし、世に溢れる客観音響主義演奏のたぐいに比べれば余程速い。すばらしい演奏。この絶対に一般にもアピールするたぐいの秘曲の紹介盤としても最適だろう。◎。

※2006/12/30の記事です
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番

2017年05月30日 | ヴォーン・ウィリアムズ
◎ヒコックス指揮LSO(chandos)CD

これは勢いがあっていい。その勢いが昔の演奏みたいに押せ押せで縦よりも横みたいなものにはならず、しっかり構造を引き締めたうえでオケの力量を最大限に引き出しつつ、一歩踏み出した派手な響きを伴い耳を惹く。整いすぎた演奏でもないのである。むしろヒコックスのこの選集の中では異質のライヴ感がある。ブラスやパーカスが活躍するRVW初の純交響曲ということでRVWの中でも異質(部分的には完成期後の作品にあらわれる表現だし6番は特に近い位置にはあるが求心力と娯楽性ではこちらに軍配があがる)の曲、それをヒコックスはきちんと理解して表現を変えている。最初から最後まで見事に楽しめる演奏。戦争と絡めての情緒的な部分を重視する向きには晦渋さがなく食い足りないかもしれないが、RVWにこういう曲が書けたという点をわからしめるにはいい。入門編としては最適だろう。
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第7番(南極交響曲)

2017年05月29日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ビューロウズ(SP)ボールト指揮LPO(EMI)新録・CD

モノラルの旧録とはソリスト違いの別もの。10年程度の録音時期の差とはいえ表面的効果の重要なこのような曲でモノラルかステレオかは大きな違いであり、ソリストには旧録に一長あったとしても、そこは問題にならない。ホルストとRVWがいかに近い場所にいたのか、しかしRVWがホルストより秀でたのはやはりアカデミックな書法を大事にし、直接的な表現の下にも常に這わせておく周到なやり方にあり、おそらく何度も何度も聴くにたえるは惑星ではなく南極だろう、そういう構造におもいはせるに十分な録音であり、演奏である。ボールトの惑星同様、ドイツ臭さというか、野暮ったさギリギリのざらざらした響きがなきにしもあらずだが、透明感があればいいかといえばこの曲にかぎってはそうとも言えないところもあり~磨き上げた底には何も無いかもしれない~このくらいでいいのかもしれない。ウインドマシーンと歌唱が少し浮いているが、ボールトも持て余したのだろう。○。
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番

2017年05月17日 | ヴォーン・ウィリアムズ
◎クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(Guild)1943-48live・CD

謎の仰天盤でびっくりした。このシリーズは初出は殆ど無いのだが、これもどこかで知られず出ていたのだろうか。とにかく録音は旧いのだが1楽章から弦楽器の素晴らしく整った和音の美しさに心奪われた。ヴォーン・ウィリアムズからラヴェルを引き出している。この硬質の美しさはこの時代にしては驚嘆すべきもので、リマスターがかなり入っているとしても、実演の透明感、美しさを想像させるに十分なものである。クーセヴィツキーのトスカニーニ的な前進力が出てくると、必要以上にドラマを引き出してしまいヴォーン・ウィリアムズの本質をやや遠ざけているようにも思うが、テンポを揺らすほうではなくあくまでアッチェルさせ煽り、打楽器などリズム要素を強く打ち出しブラスを完全にりっした状態にもっていき、だらだらしたロマンティックな演奏にはしない。4楽章前半など余りにベートーヴェン的なテンポの持って行きかたで、表現がダイナミックすぎ常套に落ちる部分もあるが、この曲にその方法論で「常套」を表現した演奏記録などかつて聞いたことはない。ドラマの中に織り交ざる緩徐部での木管を中心とする「金属的な美しさ」もぞっとするくらいの感情の起伏の伏を打ち出している。そして何といってもボストンの弦ならでは(フィラ管にもこの音は出せたかもしれないがハーモニクな合奏力では勝る)、最後の泣きのヴァイオリン合奏。木管ソロに唄い継がれる「戦前の穏やかな風景に向けられた遠いまなざし」、このコントラストがまた素晴らしい。改めて全体が流麗な流れの中に、けしてロマンティックのぐだぐだにも即物主義の筋肉質にもならず、ひたすら骨太な主観のもとに「ロシア風に強く味付けされ」コントラストも激しく構築されていることに気づかされる。いや、ロシアにこんな美しい響きの音はなく、ボストンにしてなしえた奇跡的な名演奏だったと言えるだろう。「こんなドカドカくる演奏、RVWじゃない!」などといって途中で投げ出したら後悔します。どこまでも眩く輝く田園の情景の記憶の中に去り行く、もうこの世にはないものへの深い愛情が、はからずもこの異国の権力的指揮者の手によって表現された、RVWが嫌がったろうくらいの強い表現をとりながらも最後には本質をズバリ言うわよ。◎。ロジンスキなんかもこの方向性に一歩踏み込めていたら・・・オケ的に不利か。

※2007年の記事です。
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:南極交響曲(交響曲第7番)

2017年05月12日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ホーヘンフェルド(sp)スラットキン指揮フィルハーモニア管弦楽団&女声合唱団(RCA)CD

ヴォーン・ウィリアムズ晩年の傑作で、前期交響曲同様、表題交響曲として書かれている。映画「南極のスコット」の音楽からかなりの部分を使って再構成したものでウィンドマシーンなど相変わらず直接的な描写表現が目立つが、立体的な音響表現は比類なく、ブラスからパーカスから木管から、ヴォーン・ウィリアムズなりの最高の技術と個性が注ぎ込まれている。そこにはかつての盟友ホルストの影も見られ、綺羅びやかで美しくも深く異界の轟きを伝えている。最盛期のジョン・ウィリアムズがかなりこの特有の響きに影響されているのもわかる。スラットキンはさらにこの音楽を純音楽として捉えようとし、前進的で求心力の高い表現をとっている。聴きやすく、言ってみれば少し昔のバルビローリ頃の演奏に似ている。反面神秘性は少し落ちるかもしれないが、優秀録音ゆえ聴取環境で変わるだろう。佳演。

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☆ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番

2017年05月08日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○サージェント指揮BBC交響楽団(IMP,medici/BBC)1963/8/16プロムスlive・CD

アレグロ楽章の出だしからグズグズ、しかし作曲家と親交深かったサージェントなりのリズムとスピードで煽り、若干引き気味のイギリス的なオケの弱い表現を、曲の要求するドイツ的な構造物に仕立てようとしている。4楽章のヒンデミット的展開(ブラスの用法や構造的書法に影響が顕著だ)まで、やや弛緩したようなテンポの音楽が続くが、プロムスだから「ザ・プロムス」のサージェントには大ブラヴォが贈られて終了。ライヴらしい演奏ではあるが緊張感に足りないものを感じた。この曲にライヴ録音は珍しいので○。2楽章あたりが一番板についているか。アメリカ往年のテレビドラマBGMのような音楽。2008年mediciレーベルとして再発売。
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