湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ヴォーン・ウィリアムズ:音楽へのセレナード(原典版)

2018年06月28日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ボールト指揮LPO他(EMI/warner)1969・CD

原典版とは要は歌唱入りかどうかで、比較的原典版のほうが演奏されているのではないか。ディーリアスふうのロマンティックな響きからはじまり、輝かしく聴きばえのする曲で、明るく透明感溢れる曲に独唱(16人いるので合唱か)がさらなるスケールを与えている。ボールトにおいても特段にロマンティックな味付けはされない。ボールトは合唱指揮やオペラについてほとんど録音がないが、普通にオケのピースとして操って、また適度に自由にさせているようだ。歌唱とオケのハーモニーが濁る箇所はあれど、どこにも欠点のない演奏。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォーン・ウィリアムズ:合奏協奏曲(コンチェルト・グロッソ)

2018年06月28日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ボールト指揮LPOの弦楽メンバー(EMI/warner)1975/10・CD

もう何でなのかわからないのだが、ボールトはブラームスやエルガーの得意なニキシュ系指揮者であったのに、フランスの風を受けたヴォーン・ウィリアムズに関しては別格なのである。いい。とにかく、分厚い響きと反した清澄な音色、室内合奏ならキリキリ引き締めたアンサンブルで鋼鉄のように完璧な音響世界を形づくるのが普通と思うのに、いつもの雑味を残したまま(編成は大き目だと思うが)心の底から揺り動かされる音響で聴くものを包み込む。両端が擬古典的な曲想によるもので、中間にいくぶん悲劇的なものを感じさせる、ときに悲痛な楽章を3つ挟んでいる。ボールトで聴くと「悲痛さ」を一層かんじる。確かマリナーがやっていたか、あれだと全曲通してアンサンブルの妙を愉しませるメカニカルな新古典主義作品で、それはそれでとても印象的な名品だと思ったものだがこれは、名品とも佳品とも感じさせない。これはヴォーン・ウィリアムズである。晩年の境地にて静かに涙を流す、それを人には見せずにただ無言で筆を進める、筆の遊びでも才能の衰えでもない、ただ心象の強く現れた作品であることを、ボールトはしっかり捉えているのである。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲

2018年03月13日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ラトル指揮ベルリン・フィル/ウィーン・フィル(EN LARMES:CD-R)2005/4/2合同演奏会LIVE

英国系の演奏に慣れ親しんだ向きはかなり面食らうだろう。ノンヴィブでそれらしさを出そうとしても、厚ぼったく表出力の異様に強い演奏ぶりは特に前半ロマンティックな揺れすら伴いラトルとは思えない野暮ったさを感じさせる。線の細い音を紡いで繊細な和声の揺らぎを味あわせる曲なだけに、旋律だけが異様に強く対旋律と釣り合っていない部分など残念な点が多い。終始音色に魅力が無いのも気になる。全く感覚的にではあるがウィーン・フィルだけであればこうはならなかった気がする。ドイツ臭いともまた違う、何かただ力で押し切られたような不満が残った。但し録音のせいである可能性も高い。レンジ幅が不自然に広く音量には制約がある(高音が伸びない)。音のアクが強くコントラストがくっきりしすぎている。また放送エアチェック盤ならではのホワイトノイズやブレ欠落はこういう曲では非常に気になる。悪い点ばかり挙げてしまったが、弦楽四重奏部分など盛大雄弁で、曲の特殊な構造を浮き彫りにした特徴的なものになっている。後半の落ち着いた曲運びはラトルらしい客観性も感じられる。構成に疑問は残るが(最後のほうは単調で飽きる)現代の同曲演奏の一つの在り方を示すものとして価値はあるだろう。無印。

※2005-05-23 18:41:25の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ヴォーン・ウィリアムズ:戴冠式のためのファンファーレ

2018年03月05日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ビーチャム指揮ロイヤル・フィル(WSA/DA:CD-R)1937/4/1live

オケはWPとあるがロイヤル・フィル。協会盤としてLPにもなっていたもの。ジョージ6世の戴冠式のために作曲されたものとしてはウォルトンの行進曲「王冠」が余りに有名だが、このファンファーレ(正式名称はわからないのであとで詳細資料みつかったら書きます)はオラトリオと言ってもいい壮大なスケールの楽曲で、壮麗なオルガンのひびきわたる中、合唱がまるで海の交響曲冒頭のような強靭な歌唱を続け、ビーチャムがまた物凄い推進力でぐいぐい引っ張っていく。この力感はトスカニーニともまた違う質感のもので、ビーチャムならではといっても後年のビーチャムにここまでアグレッシブなものは余り聴かれないが、曲の性格上力づくで押し通すやり方をやらないと、微温的な「薄くて軽いRVWの軽音楽」に落ちてしまいがちだと思うので、そういう芸風をとっているのか、たんに戴冠式が近いからか。後半部でRVWらしい心象的な表現もみられるがおおむね覇を威る音楽なので、滅多に振らないRVWを振るはめになったのだろう、ビーチャムも。クライマックスの盛り上がりは凄い。ただ、録音悪。○。

※2006-11-21 12:24:16の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番

2018年03月02日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ノリントン指揮LPO(decca)CD

さすが(日本でもやった)得意な演目でありいつものエキセントリックさが陰をひそめた慈しむような表現が胸を衝く。しかしアプローチ自体は譜面に忠実、ということでなだらかな譜面を柔らかく表現するあまり特長のない印象も否めない。残響が多めで弦楽器のザッツが結構ばらけているのを上手に隠している。LPOはボールト時代から元々ある雑味を軟らかな美音を伴うロマンティックな表現の中に埋没させるような演奏をする。ノリントンには意外と補完しあう部分があるかもしれない。曲は大戦中の作品とは思えない感傷的な田園風景をベートーヴェンとは真っ逆さまに歌いあげるもの。先鋭な部分を含むものとしての3番のころの柔軟な心象性が、すっかり後期RVWの形式的な響き・旋律重視マンネリズムに転化しているとはいえ、とにかく美しい。ゆえにRVWの交響曲では、とくに最近、最もよく演目に上がっている。

※2011-11-30 09:31:42の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ヴォーン・ウィリアムズ:あげひばり

2018年02月11日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○諏訪内(Vn)メルッキ指揮フィルハーモニア管弦楽団(BBC)2008/8/27プロムスLIVE

この曲を初めてラジオで聴いたとき、何と美しい曲かと思った。譜面を見たとき、何と自由な曲かと思った。小節線の取り払われた長大な独奏部は舞い上がっては降下を繰り返す雲雀を象徴するトリルとアルペジオで彩られ、気まぐれな旋律がやっと参入したオケから提示され変容する中で微妙に音形を変えながら民謡ふうの主題を雲雀の描写により展開させるソロ。独奏は三部分におよびカデンツァふうに終結する。柔軟ながらも細かい音程を正確に示す鋭い音、それだけがこの曲の要求するソリストへのテクニックなのだが、諏訪内は全く異なるアプローチをもって曲の抽象性に挑んでいる。いわばヴィルトーゾスタイルで一切弱みを見せず、深く太い音でけして余裕しゃくしゃくとではない真摯な演奏を堂々と提示している。これは曲を知らない、ないし苦手な聴衆には実に向いている。RVWの一種極北の抒情を、シンプルであればこその独自性をしっかり意識させることで深層に迫る。バックの女性指揮者ははっきり言って粗くて弱く諏訪内の強靭で磨き上げられた表現とはミスマッチ。だが聴衆反応のよさは諏訪内のレベルがもはや世界で比類無い域に達していることを証明している。これは一つの見識だ。ただ、最近アナリーゼのみに専念し具象性を無視した演奏を提示する演奏家は多いな。。感動はしなかった、感心に○ひとつ。

※2012-11-15 23:29:02の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ヴォーン・ウィリアムズ:連作歌曲集「ウェンロックの崖で」

2018年02月04日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ピアース(T)ブリテン(P)ゾーリアン四重奏団(decca,pearl/youtube他)1945・CD

RVW完成期(ラヴェル師事後)初期の代表作として弦楽四重奏曲第1番と並び賞される作品。私にとって詩も含め今も大好きな曲。鬱屈の無い素直な感傷がぽっかり明いた青空のように響く。単純さと繊細さの表現がなかなかに難しい作品でもある。録音が古いとどうにも突き抜けた透明感が出ないし、最近の演奏のほうが純度が高く自己主張も弱いので、曲には寧ろあっている。つまりこの演奏は録音が悪いし自己主張が強い。パール盤は恐らく板起こしで、パールにありがちな余り状態のよくないLPからの余り質のよくない素材の盤へのコピーというわけで、正直勧めるまではいかない。この中ではブリテンが一番リリシズムを醸しており、ゾーリアンは長短ない表現、ピアースははっきり、主張が強すぎる。詩が即物的な感もあり、そこは歌唱法で抑えて欲しいところだ。こうあけっぴろげにオペラティックな世界を展開されると、イマイチ入り込めない。○にしてもいいが、ブリテンもリズムやテンポ的には醒めており、今は無印にしておく。前に評したときはLPだったので印象が変わっているかもしれないが容赦願う。

※2008-12-23 11:44:31の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ヴォーン・ウィリアムズ:カンタータ「ドナ・ノビス・パセム」

2018年01月30日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○作曲家指揮BBC交響楽団、合唱団、フライン(Sp)ヘンダーソン(B)(SOMM他)1936/11放送・CD

よくレストアされノイズカットされた音源が流通している。初演直後の30年代の録音とは思えない迫力(やや音場は狭くなったが)の音楽を楽しめる。テキストはけして聖書だけではなく複数の文学的な要素を構成したもので、両大戦間の不安と希望が投影された代表作の一つと言っていいだろう。美しい宗教的旋律と中欧的に底深くもフランス的な精妙さを併せもった響き、不協和音と激しいリズムの未だ現れない頃の作品として、もちろんヤワな音楽が嫌いという人の中には「ただの美しい宗教曲」と感じる人もいるだろうが、よく構成された楽曲は交響曲的なまとまりと盛り上がりを作り上げ、5番交響曲を思わせる終曲の壮麗さと判りやすい神秘性は特筆すべきだろう。演奏は作曲家自身によるものだが、他の曲の録音同様、構築的で少々固い。オケも録音のせいもあるだろうがやや非力に感じる(本来大編成向けの曲なのでこの時代の録音用編成では実際薄すぎたのだろう)。一方直裁で突き進むような覇気に満ちた棒はこの作曲家の優しいイメージからは意外でもある。スタジオ録音のためミス等の心配はない。RVWが好きならお勧め。○。

※2011-02-25 12:47:20の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ヴォーン・ウィリアムズ:ヴィオラのための組曲

2018年01月24日 | ヴォーン・ウィリアムズ

○リドル(Va)デル・マー指揮ボーンマス・シンフォニエッタ(CHANDOS)CD

廉価盤にもかかわらずamazonの中古なんかを見ると異様な高値がついている。リドルは線が細くやや不安定だが技巧的には不十分なところはない。この散文的な小品集を弾ききっている。曲はヴァイオリン協奏曲(「アカデミックな協奏曲」)に似た印象を与える、少々新古典様式の入ったもの。3グループに別けられ全部で8曲からなるが、1,2グループにかんしてはいわゆるRVW後期様式に拠っており、いい意味でも悪い意味でも無害な小品集である。5番交響曲的な世界と言えばいいのか、3番や「野の花」のような深みは無い。3グループ目はRVW晩年様式と言えばいいのか、この人にしては実験的な方法で洗練された民族音楽を聞かせる。一曲めのミュゼットはほぼ鉄琴だけの伴奏にヴィオラが低いメロディをかなで、この時期のRVWだからやや旋律的には弱いのだが、印象的な雰囲気をかもす。ほかフィドルふうの奏法を取り入れたり、これもヴァイオリン協奏曲を思わせるのだけれども、なかなか快活で楽しい。ここでのリドルは安定してはいるが少し真面目すぎるかもしれない。ライヴだと面白い曲だろう。○。

※2008-12-19 11:40:02の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ヴォーン・ウィリアムズ:連作歌曲集「ウェンロックの崖にて」

2018年01月23日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○マラン(T)ニュートン(P)ロンドン四重奏団(alto)1955・CD

これは原曲より伴奏管弦楽編曲版のほうが美麗で好きだったのだが、年を重ねるうちに若さと素朴さの素直な発露たる室内楽曲としての姿のほうが染み入るようになってきた。管弦楽は大仰で曲の内容をロマンティックに展開しすぎる。原曲ですら即物的なロマンチシズムが原作者に嫌われたのだし。

これは同曲の古典的演奏の一つ。時期的にはブリテンの録音に近い頃の盤だが、こちらのほうが情緒的で自然な演奏となっており聴きやすい。このレーベル、廉価盤ではあるが(廉価盤にはしかしよくあることで)なかなかの隠れた名演をCD復刻してくれており、同シリーズにウォルトンの曲集もある。ロンドン四重奏団は当然あのSP期の楽団とは違う面子ではあるが特徴は薄いにせよいかにもイギリス的な優しく剣のない音でRVWの世界を邪魔せずに彩っている。ピアニストは主張しないけれども曲に音色をあわせてきておりマッチしている。マランはちょっと生臭い。オペラティックとまでは言わないが仰々しさを感じさせるところが若干ある。

でも録音の古さを置いておけば常に脇に備えておきたいと思う、同曲の佳演の一つと言える。

※2009-03-16 09:34:36の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第2番(ロンドン交響曲)

2018年01月22日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ヒコックス指揮ロンドン交響楽団(CHANDOS)CD

演奏、版(これが「本当の」オリジナルだそうです)共に重厚壮大。終楽章の「ビッグ・ベン」後に挿入(削除)された長いレントの牧歌は田園以降を思わせる静謐な曲想で(書法は平面的で単純だが)、確かにこれがあると無いとでは大きく違う。ロンドン交響詩というより、イギリス交響詩といった趣を感じさせるものになる。随所に響きの重厚さを感じさせる演奏になっており、やはり後年のRVWを思わせるが、寧ろ古い作曲家の残照の感じもする。「らしくない」感じは同時代の先鋭作曲家の素朴な模倣と思われる部分にも現れるが、寧ろ曲想に変化をもたらし悪い感じはしない。3、4番交響曲の鬱躁気分が交互に顕れる(様様に挿入された英国民謡の中には5番終楽章で印象的に使われたものと恐らく同じものも含まれているが)ところには1番で影響の指摘されるマーラーの分裂症的気まぐれさを思わせるものもあるが、それはあくまで数理的にそう感じるだけで内容は全く違う。RVWが変わったのは田園ではなくこの「ロンドン」であったことを改めて認識させる。とにかく原典版というのは長いので、気持ちに余裕のあるときに聞けばいい。録音もいいし、RVW好きだがロンドンが苦手という向きも非常に感銘を受けるだろう。演奏は偉大さを感じさせるも冗長ではなくしなやかで素晴らしい。1楽章序奏部のビッグ・ベンの朝から「オペラ座の怪人」の元ネタ(?)主題が不安の風を吹き込むところなども胸がすく。ヒコックスに私は悪いイメージを持っていたのだが、ちょっと見方が変わった。やはり録音なのか。○。

※2005-10-11 09:42:11の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽四重奏曲第1番

2018年01月22日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○エオリアン四重奏団(delta/REVOLUTION)1964発売・LP

恐らく初録音盤。そのせいか現行譜と異なっている箇所があり、目だって違うのは冒頭提示部?の奇妙な繰り返しである。演奏自体も情緒たっぷりと言えば聞こえはいいが、異様に伸び縮みするもので演奏箇所を見失う。いささか聞きづらい部分もある。テンポは全般遅いが、技術的に難があるからというわけではなく終楽章のコーダではちゃんとスピードをあげている。初録音なのにこう書くと変だが、特異な演奏であり、資料的に聴く価値はある。

※2008-02-17 21:57:43の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番

2018年01月05日 | ヴォーン・ウィリアムズ
◎プレヴィン指揮ロイヤル・フィル(TELARC)CD

プレヴィンの感傷的な旋律繰りもさることながら、木管が上手い。美しい音色、繊細なアンサンブルどれをとっても一級品。木管ソロが多用されるこの曲にて同オケの魅力が最大限引き出されている。イギリスオケらしい弦楽器の微妙な色彩感の演出、柔らかく張り詰めた音の組み立てがまた素晴らしくよくできている。併録されている「タリス」よりも優しい音楽の、明るさを特に引き出して、きらきらと煌くような音楽はまったく、どの楽器がどうこうというよりも、素晴らしい「交響曲」である。◎。

※2010-12-21 13:07:09の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ヴォーン・ウィリアムズ:クリスマス幻想曲

2017年12月25日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ストコフスキ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R他)1943/12/19LIVE

板起こしで録音はひどい。ストコに繊細な表現は求むべくもないが、RVWのドイツ的な重い響きと強い旋律性を的確にとらえ、浮き彫りにしてみせる手腕はここでも健在である。ちょっと古風な趣のある曲だけれどもRVWならではの奇妙な移調がささやかなアクセントになっている。ストコの音楽は余りRVW的な部分にこだわったものにはならないが、聴きやすさは一倍にある。○。

※2006-11-03 19:56:34の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ヴォーン・ウィリアムズ:幻想五重奏曲

2017年12月18日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ミュージック・ソサエティ四重奏団、プーネット(Va)(NGS/BS)1925/6,12

貧弱な録音だが演奏は個性的で、恐らく本来の意図に忠実なものだ。ミュージック・ソサエティ弦楽四重奏団はチェリストとしてバルビローリが加わっておりこのSP盤も協会盤LPで再版された。録音方式以前に、使われた原盤自体が悪いらしく、目下協会絡みの復刻CDにも収録されていない。丁寧なリマスタリングが好評のNGS復刻PJからの配信が待たれるところである。バルビは後年の私的録音を聴くにつけ決して下手ではなかったと思われるが(DUTTONでも小品のチェロ演奏が復刻されている)RVWの曲ではチェロは通奏低音的な役割を与えられるパターンが多く、この曲でも目立たない。そういう興味で聴くには意味が無いかもしれない。

RVWのヴィオラ偏愛ぶりは同じくヴィオラのための曲を書いた同時代の英国作曲家の中でも飛びぬけており、この曲でも五音音階の鄙びたメロディを冒頭よりソロで弾くヴィオラ(これをファーストヴァイオリンが追ってソロ弾きするのがパターン)、更にヴィオラ二台という編成自体偏愛振りを裏付けている。

ただここでは古典志向の強かったRVWの音色趣味のみならず、意識的なものであったとも言える。

同曲は12年に作曲され初演はその二年後であったが、出版は実に21年まで待たなければならなかった。当時アマチュアヴァイオリニストで室内楽演奏会の主催者として知られた実業家W.W.コベットの依属による作品だったのだ。コベットが始めた英国室内楽作曲賞の規定に象徴的に示されている・・・変奏曲の初期形態である「エリザベス朝時代のファンシィもしくはファンタジーの形式」に倣い、「一楽章制か、連続して演奏される四部からなる作品」でなければならない・・・RVWはその「持論」に忠実に、古い音楽を意識して作曲したのである。だから妙に軽々しく、短く、構造的に簡潔で(民謡メロディ以外は)癖のないものに仕上がっている。個人的に番号付きカルテットにより惹かれるのは、この曲がどうもそう「仕立てられた」ものであることが逆にRVWの個性とのバランス感覚を崩してしまっているように思うからだ。もっとも、RVWの室内楽で最も人気がある作品であることは言うまでも無い。別記したと思うが当時英国留学中の某氏もロンドン四重奏団他の演奏を聴いて強く印象付けられたと記している。

この演奏では非常に速いテンポがとられている。あっという間だ。この演奏時間?抜粋か?と思ったのだが、実際には四楽章が完全にアタッカで繋げられており、現在新しい録音として聴かれる演奏が一応憂いをもたせて少しの間を設けているのに比べ、「単一楽章感」が強い。独特であるが、前記の(ライナーからの抜粋でございますが)とおり依属者がそう指示しているのであるから、こちらのほうが正しいのだ。テンポの速い演奏はある程度腕に覚えのある室内楽団にとっては楽なものだ。ヴァイオリニストも単音で表現するより細かい音符を左手の小手先で廻していく音楽のほうが楽なものである。ただ、小手先とはいえここではまさに前時代的なフィンガリングで憂いある表現がどうにも懐かしい。安定感もあり一切不安感がない。鄙びた音になったり不安定に聴こえたりする箇所も恐らく録音のせいで、元々はきちんとなっていると思う。アンサンブルも緊密で、ソロが動き回る感の強い曲ではあるが一方変則リズムを伴うメカニカルなパズル構造が重要で、ボロディン2番のようになかなか難しい部分もあるのだが、ロマンティックでまだ若いアンサンブルにもかかわらず、全くばらけず集中力が保たれている。変な仰々しさがなくストレートでよい。当時まだ18歳のプーネットが第二ヴィオラで参加していることも特筆すべき。○。

※2009-05-11 21:21:37の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする