湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

タイユフェール:即興曲

2019年03月25日 | フランス
アリアーノ(P)(brilliant)CD

古風な小品だが夢見る調子はフォーレ以前を思わせなつかしい。メロディ+軽やかな和声、たまにちょっと工夫、という感じで、メロディ音楽である以上、何か言いづらい。演奏は少し前のめりだが、たぶんこれ一枚あれば事足りる。そんな小品。
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オネゲル:ピアノと管弦楽のためのコンチェルティーノ

2019年03月22日 | フランス
アンドレ・オネゲル(P)作曲家指揮バーデンバーデン南西ドイツ放送管弦楽団(forgottenrecords)1949/5/29放送live

ミヨーのかくコンチェルト的な始まり方をするが(5番とか)単一楽章のごく短い曲で、正直やっとオネゲルっぽいかっこよさが出てきたと思ったら半端に終わる。小協奏曲だからいいのか。晩年オネゲルらしく(ダヴィデ王とか)指揮ぶりは固い。音はどれもしっかり出させていて、機能的なオケも忠実にやっているのだが、テンポが遅めで前に向かわず、リズム感も机上のそれだ。作曲家指揮というもののイメージに沿っている。奥さんのピアノは上手い。技巧的な曲ではないがそつのなさを感じさせるほどである。
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ルーセル:セレナード

2019年03月19日 | フランス

ミラージュ五重奏団(naxos)CD

ドビュッシー後のフルート&ハープアンサンブルで最も個性的な美しさを音符に収めることのできたのがルーセル、そのこの曲だと思う。税官吏アンリ・ルソーの描くジャングルのような(ルーセルは実際のジャングルも知っていたはずだが)清潔な土俗が、まだ新古典主義には至っていないはずが、非常に簡潔かつ緊密な形で提示されている。フルートアンサンブルや弦楽トリオといった後期作品の濁った響きのクセがなく、夢想に浸れる名作だ。節度あるこの団体の演奏は突出したところがなく、一切揺れず生真面目だが、それだけ原曲の美しさが浮き彫りになっている。とくに音が柔らかめで耳に優しい。雅楽のような響きのもと東洋的な旋律が唐突に流れて始まる二楽章は、ハープの典雅な下降音形で終わるまで隙きがなく、静かな夏の夕べを演出する。リズム感はよいので三楽章もそれなりに楽しめるし、古い時代の演奏より雑味がないぶん今の人は聴きやすいかもしれない。ポルタメントによるジャングルの鳥の声の模倣も無理がなく調和している。良い演奏。

Serenade, Op. 30: I. Allegro
Mirage Quintet


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フローラン・シュミット:ロカイユ風組曲

2019年03月17日 | フランス
ミラージュ五重奏団(naxos)CD

綺麗にやってしまうとこれほど引っかかりのない曲はない、と思う。ロマンティックなフローラン・シュミットらしく、一部にはみられるが、感情的な表情を加えないと、よくできたサロン・ミュージックとして何も残らない。たとえば同じ盤に入っているルーセルのセレナードはフルート、ハープの見せ場がしっかりあり、そこで個性を発揮しているが、フローランは巧すぎるのか、個性が技術により霧消してしまった感じがあり、そこで工夫がいるのではないか。うーん、良い演奏だと思うがなにか足りない。紹介音盤としては良いのだろう。「フランス・フルート室内楽」と題したコンピレーションに収録。
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タイユフェール:ドビュッシー讃

2019年03月12日 | フランス
アリアーノ(P)(brilliant)CD

brillantはお試しにYoutubeに全箱アップしている音源があるのでこれもあるかもしれない(全曲アップは販促になるのか個人的には疑問だけど…)。フランス六人組中の理論肌の才人で、華々しいのは若い頃紅一点であったころで(ティボーと浮き名を流したこともある)、むしろ職人的な方向へ向かい、十二音技法を含むさまざまなものを吸収した高い技巧を持ちながら節度ある、またあまり重くならない小規模な作品を長い人生の過程でかなり書いている。CDこそ探しづらいが、Youtubeにはたくさんあるので万華鏡のような世界を楽しむといいと思う。ミヨーとオーリックの巨漢二人をつなげたような世界を自分のテリトリーとして固持していたのかとも感じるような、聴きやすくも硬質の、隙のない作品が多い。ピアノ作品は中でもプーランクのような技巧に走らず、ミヨーの単純な美観は視線は送るもそこに安住せず、個性的にはきこえないが、ベル・エポックのパリでサロンに流れたような穏やかで人好きする音楽は、あれ、他にこういうのを書いた人を一人、絞ってあげられない、とはっとさせられる唯一無二性もある。この曲もふらふら枯れ落ちそうにして世俗性ある旋律がゆったり流れ、どこかで聞いたようなのに思い出せないフレーズがつぎ合わされてすぐ終わる。わりと不協和音的だが不可思議な世界を演出する計算でしかない。これはミヨー的でもあるが、とにかくタイユフェールは構えなくても聴けてなおかつ満足できる出来が多く、欠点は代表作の欠如なので、みなさまその手で発掘して紹介してみてはいかが。この曲は音楽院でフォーレとともにタイユフェールに一等(対位法と和声法)をあたえたドビュッシーを讃える曲のはずなのにあまりドビュッシーぽくない。まだ六人組の頃の作品だが作風は確立している。演奏は紹介者としては満点。

 
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ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲

2019年03月10日 | フランス
ミュンシュ指揮ORTF(SLS)1964/6/4live

この曲もミュンシュの十八番だが、これは録音がかなり撚れていて残念。聴きづらい。この時期でもミュンシュの力感とリズムのキレは健在で、前半ロマンティックでワグナー的な音楽が中盤からカラフルな響きと単純なリズムにより全盛期ルーセルのリリシズムとバーバリズムの同居したこせ的な世界に突き進んでいく。ミュンシュはバレエ的ではないが物凄い豪速球で圧倒し、盛大な拍手とすぐさまアンコールをねだるリズムの背景に消えていく。
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オネゲル:交響曲第2番

2019年03月07日 | フランス
ミュンシュ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(SLS)1964/11/4ジュネーヴlive

何とまたミュンシュの2番。録音はまあまあで情報量がある(この曲は編成が小さいのでそこそこでいいのだけど)。闘争から勝利というベートーヴェン的展開をみせる典型的な「魅せる」オネゲルであり、しかし占領下パリにて作曲という状況説明のようなわかりやすさでは(書法的には凝っている)異色の交響曲とも言える。ミュンシュの2番だと60年代半ば近くなのでテンポが延び落ち着いたリズム取りだが、技術的にどうなんだろうと思うような感情的な音も出すオネゲル故国のオケは、三楽章のやらしいポリリズムをびしっと最後まで揃えやり抜き、ミュンシュのものとしてもかなり良い出来となっている。激して前のめりのテンポになりつつ(ミュンシュの気合いが変なところで入る)、ひたすら弦楽アンサンブルを聞かせようという感じで、転調してからも音量とテンポを一定に維持し決して見えを切るようなやり方をしない。トランペットは完全に援用にすぎない。この曲におけるミュンシュの晩年様式だからということもあろう。色彩味はほどほどだがボストンほど機械的ではなく、フランスオケの明るさを兼ね備え、一方音に重みがある(アンセルメも国民楽派などではそういう音を出させた)、ちょっと違った味わいがあり、おそらく特別な場において緊張感を維持できたから、盛大な聴衆反応を得られたのだろう。
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デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」

2019年01月30日 | フランス
プレートル指揮フランス国立管弦楽団(erato/icon)CD

派手で愉快なだけでなく精妙なデュカスの管弦楽法を愉しめる。こういう涼やかで綺麗な色の音で聴くと、三角帽子を被って棒を振るミッキーマウスとは全く違った美意識の存在に気付かされる。あれはあれで良いものだが、私はこのデュカスならこそ理解できるように思う。プレートルのただ美しいだけでなくメリハリ付いた奇矯さも併せ持つ芸風が可能にしている表現の大きさも有るのだろう。我々現代の世代とドビュッシーの世代を繋ぐ位置にいるデュカを確かめることのできる美演。
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プーランク:ぞうのババール(フランセ管弦楽編曲)(英語版)

2019年01月30日 | フランス
プレートル指揮パリ音楽院管弦楽団、ユスチノフ(語)(erato,icon)CD

フランス語版にくらべ段違いに入ってくる。やはり言葉がわかることは重要。これは演劇なのだ。フランセの目を見張る綺羅びやかな模造オーケストレーション、それもアメリカっぽさのある野卑た世俗性を孕んでいるのは英語によくあう。音もこころなしか大きくしっかり聞こえてくるようだ。フランス語がわからなければこちらだけ聞きましょう。「ジ・エンド」で終わるのもなんか往年の子供向けの西洋映画のようでいい。プーランクのオーソリティ、プレートル壮年の記録。
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プーランク:ぞうのババール(フランセ管弦楽編曲)(フランス語版)

2019年01月30日 | フランス
プレートル指揮パリ音楽院管弦楽団、ユスチノフ(語)(erato,icon)CD

この曲(劇)、音だけではサッパリわからない。英語版にくらべ音も小さいような何かはっきりした印象がないのは印象にすぎないとして、いっそう個性がなく、描写的フレーズと語りで進んでゆく。世俗的な旋律はプーランク流のものもあるが、プロコフィエフのピーターと狼からすべての個性を取り去った作品という感じは払拭できない。ピーターと狼にあらわれる強烈に訴えかけるモチーフが、ここではほぼ一つしかなく、ほかは耳優しい音の流れだけ。まあ、とにかく、筋や絵本を追いながら聴くべき。フランス語圏以外は。
 
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オネゲル:テンペスト前奏曲

2019年01月30日 | フランス
作曲家指揮グランド交響楽団(m&a他)1929・CD

ささくれだった曲だが交響曲のような内面的なものからではなく、単にそういう趣旨の曲と言うだけで聴きにくいものでもない。録音がノイズ塗れだから演奏をどうこう言う感じでもないが、短くまとまった職人的作品を達者な棒でさばいたというような録音。
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ミヨー:エクスの謝肉祭(サラドより)

2019年01月30日 | フランス
ヨハンセン(p)ツィピーヌ指揮フィルハーモニア管弦楽団(CAPITOL,HMV/foprgottenrecords)1956/6/14

こういう無邪気な派手曲でモノラルは痛いのだが、最初のあたり手探り感というかピアノがたどたどしくテンポを後ろに引っ張ってるのが気になった(ツィピーヌはむしろ前に向かう指揮者だ)。そのあと音楽が動き出し響きが不協和音で演出されてくるとそれにむしろ迎合したかのようにピアノものってくる。ミヨーにはありがちな大衆的主題に先進的工夫を施した作品で、記憶に残らないものの、ラヴェルは原曲に立ち会ったときミヨーの多作ぶりにくらべ自分の寡作ぶりに落ち込んだという話もあり、技術的には面白いのだろう。
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ベルリオーズ:幻想交響曲

2019年01月03日 | フランス
オッテルロー指揮ハーグレジデンティ管弦楽団(PHILIPS)1959/6/10-12・CD

全くインテンポの無味乾燥なワルツを聴いて、どうしようかと思ったが断頭台への行進などラストへ向けてのヒステリックなアタックと力感あふれる突進はカッコいいと言わざるを得ない。木管など合いの手や怒りの日のモチーフが立体的に絡んでくるところは、弦楽器の素晴らしいアンサンブルともども胸のすく聞き心地。オケはメロディの直線ではなく絡み合いなのだと改めて思わせる。同時代にまだ多かったトスカニーニスタイルと、現代的というか、北方的な理知性の両立した素晴らしい結末だった。
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オネゲル:バレエ組曲「アンフィオン」

2018年12月30日 | フランス
作曲家指揮バーデンバーデン南西ドイツ放送管弦楽団(forgottenrecords)1949/5/29放送live

作曲家がロスバウトのオケを振った大変珍しい二枚組で、オネゲルの自作自演というとたしか戦前の交響曲一曲協奏曲二曲を含むSP録音群、晩年の「ダビデ王」および歌曲伴奏くらいしか無かった。まだ40年代の放送録音なので状態の悪さは仕方ないが、残響を加え拡がりをだしている(ゆえにノイズも拡がりが加わり耳心地は良くない)。音場が左右にぶれたりするので素直にモノラルで聴きたい気もするが、この曲は冒頭からやたらと豊潤な和音が変化しながら続く趣向で、情報量やクリアさがないと美質が伝わりづらく、モノラルの狭い音よりは原音に近いかもしれない。オネゲルの棒がそうやってるだけかもしれないけれど旋律が細く、むしろ和音の連なりによって色調変化をあらわし、さらにバッハ風の機械的構造をもって曲を作り上げていく。ヒンデミットのわかりやすいほうの作品を思い起こすところもあった。バーデン・バーデンのオケはロスバウトのとき同様渋い音で、けして色彩感はないが透明感はあり、この輝きと透明感がひたすら売りの作品には向いている。組曲というが切れ目はない。
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ジョリヴェ:弦楽四重奏曲

2018年12月26日 | フランス
パスカル四重奏団(contrepoint/forgottenrecords)1950・LP

frは無加工板起こしでノイジー。曲はゴリゴリの現代曲。ジョリヴェ得意の南国趣味、呪術趣味は現れておらず、三楽章の珍妙な音に僅かあるようなないような。パスカルの美音でなんとかフランス的な美質を被せようとしているのはわかるが、最後もよくわからない終わり方だし、無調を楽しめる人にしか向かない。
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