○ブダペスト弦楽四重奏団(ロイスマン、シュナイダー、イポリイ、シュナイダー)(EMI/WORLD RECORDS)1933/8/8
/(ロイスマン、シュナイダー、クロイト、シュナイダー)(COLUMBIA)?
前者は最後の初期メンバー(ヴィオラ)が残っていた時期の録音で、後者は一般によく聞かれる新メンバーによる録音だ。共に既に初期メンバー色は一掃され現代的な「揺れない演奏」を行っている。骨太であり、とてもまとまりがいい。ただ、テンポが極めて恣意的に変化していくところにやや抵抗を感じる。1楽章、ファーストとチェロが対話する序奏部が終わったところで、おもむろにテンポが速くなる、といったところだ。表現主義的と言うべきか、緩やかな、あるいは自然な変化というものがなく、ONかOFFか、だけのような感じがする。好き好きではあるし、独特だから面白がろうと思えば面白がれるたぐいのものなのだが。また、音色が単調だ。古き良き演奏家たちの匂い立つような香気を求めて聞くとたぶん落胆を覚えるだろう。まあこの団体にロマンティックなものを求めるのはお門違いである。ただ、せめてアーチ構造の真ん中にあたる緩徐楽章には、ろうろうと歌うような余裕よりも、せつせつと語りときに激情を迸らせるようなきわどさが必要だと思う。2楽章のようなスケルツォや終楽章には高度な技術を見せ付けているが、あまりに巧いので逆に印象が残らない。これは現代の演奏によくあることだけれども。
この2演奏は全般的にはほぼ同じ解釈だが、テンポ変化の仕方だけを追うと若干の違いが認められる。録音の良さで言えば断然後者で、聴き易いのも後者。極めて風通しのよい後者の演奏はこの曲の構造を非常にわかりやすく見せてくれる。これが紛れも無いシベリウスの作品だということに改めて気付かされる。とくに4楽章が古典的な曲想の中にもシベリウスらしい音色を散りばめているさまが如実に聞こえてきて秀逸だ。
終楽章などやたらと複層的なフーガを導入しているあたり、これがステレオであったならとても効果的に響いてきただろうにと思わせる精巧な作り。弦楽に対する造詣の深さが顕れた楽曲であり、微妙で繊細なハーモニー(この演奏ではあまりはっきりしない)に刻み、飛ばし、装飾音符、もろもろの小技がマニアを唸らせるのだが、初期の国民楽派的なロマン性が依然残っている一方で、印象派的な陰影に、凝縮され精密に組みあがった極めて理性的な現代性をもはらんでいる。交響曲第3番と第4番の間に書かれたことがうなづける感じだ。寧ろ交響曲的な発想のもとに制作された作品のように私には思われる。それだけに演奏解釈は難しいところがあり、ブダペストのように直球勝負で即物的に解釈してしまったほうが合理的なのかもしれない。
/(ロイスマン、シュナイダー、クロイト、シュナイダー)(COLUMBIA)?
前者は最後の初期メンバー(ヴィオラ)が残っていた時期の録音で、後者は一般によく聞かれる新メンバーによる録音だ。共に既に初期メンバー色は一掃され現代的な「揺れない演奏」を行っている。骨太であり、とてもまとまりがいい。ただ、テンポが極めて恣意的に変化していくところにやや抵抗を感じる。1楽章、ファーストとチェロが対話する序奏部が終わったところで、おもむろにテンポが速くなる、といったところだ。表現主義的と言うべきか、緩やかな、あるいは自然な変化というものがなく、ONかOFFか、だけのような感じがする。好き好きではあるし、独特だから面白がろうと思えば面白がれるたぐいのものなのだが。また、音色が単調だ。古き良き演奏家たちの匂い立つような香気を求めて聞くとたぶん落胆を覚えるだろう。まあこの団体にロマンティックなものを求めるのはお門違いである。ただ、せめてアーチ構造の真ん中にあたる緩徐楽章には、ろうろうと歌うような余裕よりも、せつせつと語りときに激情を迸らせるようなきわどさが必要だと思う。2楽章のようなスケルツォや終楽章には高度な技術を見せ付けているが、あまりに巧いので逆に印象が残らない。これは現代の演奏によくあることだけれども。
この2演奏は全般的にはほぼ同じ解釈だが、テンポ変化の仕方だけを追うと若干の違いが認められる。録音の良さで言えば断然後者で、聴き易いのも後者。極めて風通しのよい後者の演奏はこの曲の構造を非常にわかりやすく見せてくれる。これが紛れも無いシベリウスの作品だということに改めて気付かされる。とくに4楽章が古典的な曲想の中にもシベリウスらしい音色を散りばめているさまが如実に聞こえてきて秀逸だ。
終楽章などやたらと複層的なフーガを導入しているあたり、これがステレオであったならとても効果的に響いてきただろうにと思わせる精巧な作り。弦楽に対する造詣の深さが顕れた楽曲であり、微妙で繊細なハーモニー(この演奏ではあまりはっきりしない)に刻み、飛ばし、装飾音符、もろもろの小技がマニアを唸らせるのだが、初期の国民楽派的なロマン性が依然残っている一方で、印象派的な陰影に、凝縮され精密に組みあがった極めて理性的な現代性をもはらんでいる。交響曲第3番と第4番の間に書かれたことがうなづける感じだ。寧ろ交響曲的な発想のもとに制作された作品のように私には思われる。それだけに演奏解釈は難しいところがあり、ブダペストのように直球勝負で即物的に解釈してしまったほうが合理的なのかもしれない。