ベートーヴェン四重奏団(放送)live
ペテルブルグ放送音源がwebで聴ける。演奏日は不明だが既出盤の気がする。放送ノイズが入るものの生々しく目の前で汗を飛び散らせて演奏されているように錯覚させる非常に良いステレオ録音。初演団体で演奏はすさまじく、各楽想の描き分けが非常に激しい。冒頭こそ1番を思わせる清明で民謡ふうと思いきや、形式感はすぐに瓦解し後作の先駆となる内面を直視し技法追及を二の次とする独自のカルテットの世界を形成している。そのような曲なので(第二次大戦末期の完成)分裂症的な表現の峻厳さがさらに誇張され叩きつけられてびくっとさせられたり、ファーストヴァイオリンがえんえんとつぶやき続ける悲歌的フレーズの脊髄をわしづかみにされるような思いに、4本の楽器しかないのに交響曲的な巨大な音楽空間を作り出し、それはもちろんこの楽団ならではの同時代性でもあろう、アレグロで盛り上がりつつも割り切れない和声のうちに暗い炎を燃やす終演後には盛大な拍手が贈られる。ショスタコの内面に鬱屈する情念が爆発したような、それを審神者として表した楽団に拍手。周到な準備があったであろう、演奏瑕疵は皆無。
ペテルブルグ放送音源がwebで聴ける。演奏日は不明だが既出盤の気がする。放送ノイズが入るものの生々しく目の前で汗を飛び散らせて演奏されているように錯覚させる非常に良いステレオ録音。初演団体で演奏はすさまじく、各楽想の描き分けが非常に激しい。冒頭こそ1番を思わせる清明で民謡ふうと思いきや、形式感はすぐに瓦解し後作の先駆となる内面を直視し技法追及を二の次とする独自のカルテットの世界を形成している。そのような曲なので(第二次大戦末期の完成)分裂症的な表現の峻厳さがさらに誇張され叩きつけられてびくっとさせられたり、ファーストヴァイオリンがえんえんとつぶやき続ける悲歌的フレーズの脊髄をわしづかみにされるような思いに、4本の楽器しかないのに交響曲的な巨大な音楽空間を作り出し、それはもちろんこの楽団ならではの同時代性でもあろう、アレグロで盛り上がりつつも割り切れない和声のうちに暗い炎を燃やす終演後には盛大な拍手が贈られる。ショスタコの内面に鬱屈する情念が爆発したような、それを審神者として表した楽団に拍手。周到な準備があったであろう、演奏瑕疵は皆無。