湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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☆ラフマニノフ:交響曲第3番

2017年06月19日 | ラフマニノフ
〇ザンデルリンク指揮NDR交響楽団(DON INDUSTRIALE:CD-R)ハンブルグ1994/5LIVE

あきらかにエアチェックモノ。音が悪い。篭りまくりで伸びがないからただでさえがっしりして無骨で重いザンデルリンク解釈の欠点が強調されてしまう。もっとも明るい主題と夢見るようなうつろいが晩年の無駄のない書法とあいまって、ともするとただここには歌だけがあり、あっさり流れ過ぎて何も残らなくなりがちなこの曲、そういったところが無く、ドイツふうに重厚なブラスと、現代的な不協和要素を剥き出しにしてしっかりした構成感のもとに組み上げていく、まるで初期シベリウスかウィーン世紀末かというような、静かで硬質な響きはコタンの境地に近いながらもアバンギャルドさのほうが印象に残る。レニフィル時代ではこうはいかなかったろう。木管ソロの繊細で美しい音も特記しておきたい。弦の(ひびきにおいてのみの)感傷性も含めこのへんはロシア流儀の残照かもしれない。二楽章、がっしりしたフォルムにそぐわないこのなめらかな優しさがザンデルリンクの特質だ。旋律に固執しないところなどロシアっぽくないし、音響の組み立てかたが明らかにドイツ的であるもののそういうところに違和感など少しとてなく、強いて言えば国民楽派から一歩抜け出たグリエールあたりを洗練させたような臭いはする。むろん重厚で懐深い解釈のせいだ。ロシアらしさを象徴する生臭さは皆無である。三楽章は躍動感に欠けるが重々しく迫力はある。見栄を切るようなことをしないからちょっと旋律がもったいない気もするがそれも解釈だ。そんなところよりラフマニノフが得意とした構造的な書法をしっかり聞かせるほうに集中している。終盤になりやっとドライブがかかってくるが、主題回帰でまた一歩引いた客観性をみせるのがうーん、歯痒いがこれも解釈だ。心なしかラフマニノフのワグナー性を法悦的なテンポ表現により引き出そうとしているのではないかという気さえしてくる。にわかなコーダも依然重く最後戸惑ったような拍手のバラバラ具合にもこの解釈のよさが伝わりにくいところにあったことがわかる。二楽章が聞きものなので、録音最悪だけどオマケで〇としておく。ステレオ。

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