湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ポンセ (2012/3までのまとめ)

2012年04月12日 | Weblog
ポンセ

ヴァイオリン協奏曲


○シェリング(Vn)バティス指揮ロイヤル・フィル(SEGUNDA)CD

メキシコの作曲家で世代的にはストラヴィンスキーと同じあたり(同じ1882年生まれ)だが戦後すぐ(48年)亡くなっている。イタリア風のからっとしたラテン感覚もあるがそれ以上に印象派後のフランス近代音楽の影響が強い。ことさらに民族性を誇示しない作風はとても間口の広い聴き易いものだ。この珍しいヴァイオリン協奏曲も20世紀のロマン派ヴァイオリン協奏曲の常道をいっている面白い曲だ。民族音楽に基づく「特殊な」部分は主としてリズムに留め、響き的にはシマノフスキの2番やバーバーの協奏曲を想起する割合と耳馴染みの良い(でも19世紀ロマン派より全く自由な)ものを使っている。特筆すべきは3楽章で、これはまったく新しい感覚だ。冒頭より無調的な硬質の走句が奏でられ、清新な聴感をあたえる。リズムも南米的ではあるがデュカス譲りのフランス感覚が安易に民族音楽の翻案に堕することを避けている。トレモロの用法にこの作曲家の本領であるギター音楽の残響を聴くこともできよう。技巧は駆使されているが物凄く難しいわけではなく、特殊奏法のようなものも無い。シェリングはやや怪しい部分もあるもののおおむね美しく歌い上げている。この曲を偏愛しレパートリーと
していたそうだが、シマノフスキの2番も愛奏していたことも考えると、清潔で美しい抒情を歌い上げるような楽曲を好んでいたのだろう。オケがロイヤル・フィルのせいか非常に透明感があり、バティスならではの爆発は無い。旋律性がそれほど強い曲ではないためちょっと聴き掴みづらい感もあるが、聴き込めば楽しめると思う。○。ステレオ。

○シェリング(Vn)クレンツ指揮ポーランド国立放送交響楽団(PRELUDE&FUGUE)1958LIVE・CD

ポンセは南米の匂いがあまりしない作曲家である。透明感のある響きやロマン派的な生臭さの薄い清潔な作風が、これも必要最小限に昇華された民謡旋律とあいまって聴き易い世界を繰り広げる。この曲でいうと3(終)楽章はそれまでの楽章と違い民謡ふうのリズムが目立つともするとミヨーっぽくなりがちな楽曲だが、シェリングとクレンツは爽やかにすっきり演奏して見せている。こういう演奏のほうが長く飽きずに聞けるだろう。曲の面白さを歪めずによく引き出している。独特のコード進行が鮮やかに表現されていて面白い。ここでいう「独特」は新奇という意味ではないので念のため。素直に聴き易いです。また、1楽章のカデンツアは模範的なものとして聞き物。○としておく。ステレオとあるがモノラル。

○シェリング(Vn)ハイキン指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(AKKOPA)1950年代・LP

シェリングの愛奏曲であるが同じ愛奏曲シマノフスキの2番に似た曲想にラテンアメリカのリズムと旋律が僅かに織り交ざる抽象的な作品である。この盤、かつては異常な高額盤だったが確かにバティスのものより抜群にすぐれた演奏ぶりである。シェリングの真骨頂を聴く思いだ。この曲によくもまあそんな心血注ぐ演奏振りを・・・と思わせる一方には録音のよさがあり、シェリング全盛期の凄まじい、しかし高潔な音が聴ける。高潔といっても無機質ではなく、音が撚れない跳ね返らないとかそういった意味でである。ポンセはわりと最初から最後まで弾き捲りで曲をまとめていて散漫な印象もあるが、シェリングはその音を余すところなく表現し、ハイキンもオケのロシアロシアした部分を抑えてひたすらシェリングのバックにまわっている。演奏的には素晴らしい。しかし、この曲は・・・まあ、好き好きかな。終楽章で初めてメキシコってかんじになる。シェリングはほんと珍曲好きというか、まあ、縁のある作品にはしっかり応える誠実さのある人だったのだろう。シェリング全盛期の力量にちょっと驚いた。○。他に2記録まで確認。

○シェリング(Vn)ブール指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(EINSATZ/ODEON)1951・CD

シェリングに捧げられ有名ヴァイオリニストでは殆どシェリングしか弾いてないんじゃないかというポンセのコンチェルトである。既に書いてきているとおりメキシコ人になったシェリングは各地で親友の曲を演奏紹介し、また録音しており、時期やバックオケによって印象が異なる。だがポンセは基本当時の現代作曲家で、終楽章に露骨にメキシコの民族主義的なリズムが顔を出す以外は比較的冷めた機械的な書法で無駄なく「無難に前衛な」音楽を描いている。けして無理のない、でも簡素ではない音楽は新古典主義の気風を受けていることを裏付けているが、あとはソリストの表現力ということになり、その点でいうと後年よりもこの若きシェリングのほうが線が太くはっきりした情感ある音楽を作り上げており、モノラルではあるが一聴に値すると思う。バティスのものよりはこちらを推したい、それはオケがすばらしく「現代的」で、ブールの冷徹な技術がコロンヌ管の透明感ある音を利用して、この曲をローカリズムから脱却させているという点でも言えることである。

大曲感が強く、だらだらとはしないが聴くのには少々勇気がいるかもしれない曲であるものの、凝縮されたようなモノラルだと寧ろ聴き易い。シェリング好きなら若きシェリングがけして開放的なスケール感を持ち、鉄線のような音でやや技巧的にぎごちなくも美しく表現する人であったのではなく、同時代の巨人的ヴァイオリニストに匹敵する技巧を兼ね備えある程度骨太に滑らかに連綿と物語を綴ることができていることにちょっと驚きがあるかもしれない。特徴としてある高音の音響的な美しさが既に現れている、しかし禁欲的で無味無臭でもない、そこがポンセの立ち位置と合致したところをブールがうまく演出している。倍音を多く取り込むアナログ盤からの板起こしであることを明言しており、それゆえ僅かなノイズは避けられず(但し板起こしが原盤ディジタル起こしを上回る見本のような復刻状態ではある)○にはしておくが、シェリングの出来立てホヤホヤのようなポンセに出会えるいい機会。在庫稀少とは単に僅かしか生産していないだけなので焦ることはない、機会ができたらどうぞ。それにしてもシェリングはステレオ以降の印象が強く、モノラル期はこんなふくよかで自然な面もあったのかと驚いた。
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