○バルシャイ指揮モスクワ室内管弦楽団(OLYMPIA)1967・CD
ちょっと録音が悪いが緊密なアンサンブルと研ぎ澄まされた音色は出色。だがそれ以上にこの曲自体のはなつ香気に魅了された。ワインベルグは1919年生まれ(まだ健在?)だがゲンダイオンガクではなくバルトーク以前の野趣に富んだ旋律的な音楽を描き一部ソ連作曲家ファンには人気のあった作曲家である。ショスタコーヴィチと仲がよく、12番シンフォニーはその追悼曲として書かれている。この曲は3年前に作曲されたばかりのものとしても多分に古臭いネオ・ロマンチシズムのシンフォニーだが、寧ろ遅れてきた新古典主義の作品として認識すべきものだろう。弦楽オケとハープシコードのための、と銘打ってあるとおり、冒頭からハープシコードの古雅な旋律がかなりの長時間独奏される。この旋律がいい。近現代曲でハープシコードを導入した曲は少なくないが、その古楽器の新奇なひびきに作曲家たちが魅了されたのにはランドウスカ夫人の演奏活動の影響がある。ランドウスカは古楽の再発見だけでなく新しい作品の委属も頻繁に行って自らのレパートリーとした。ファリャやプーランクの楽曲はその中でも特に有名な作品といえよう。だが、それらはかなり擬古典を意識した作品である。典雅な時代の空気を今に蘇らせようとしたようなところがあり、意外と古臭く、また単純で無邪気すぎるところがある。それらの作品が作られた時代からかなり下ったこのソヴィエト出身の作品は、まったくその音色の感傷性だけを取り出し、ワインベルク流の語法に組み込んだような作品であり、印象はかなり面白い。と同時に深く染みるものがある。冒頭の独奏旋律だけで私は強く掴まれてしまった。こんなに孤独な音楽があっただろうか。こんなに感傷的なハープシコード曲があっただろうか。それはちょっとサティを思わせるし、金属的なひびきを放つオルゴールを思わせる。ショスタコよりよほど旋律的で古いスタイルなのにけっこう新鮮に聞けるのはひとえにこのハープシコードの音色のせいである。5楽章制でハープシコードはわりと弦楽と乖離して使用されているが、ハープシコードが途切れて弦楽が旋律を奏で出すと、とつとつとしたオルゴール音楽が急にゴージャスなオーケストラサウンドに変化したような妙な感覚をおぼえる。このあたりで作品としての一貫性がやや損なわれている気もしないでもない。だがどの楽章もせいぜい5分前後(けっこう派手な5楽章だけは10分)だから、組曲として認識すればそうおかしな感じではない。ここまで書いてきて詰まる所私が感銘を受けたのは1楽章冒頭のハープシコードだけ、ということに気が付いた。まあ、でも冒頭のソロ旋律を聞いてみてください。この部分だけでも価値がある、真情の篭った佳作である(フィナーレ結部で回想)。○ひとつ。
※2004年以前の記事です
ちょっと録音が悪いが緊密なアンサンブルと研ぎ澄まされた音色は出色。だがそれ以上にこの曲自体のはなつ香気に魅了された。ワインベルグは1919年生まれ(まだ健在?)だがゲンダイオンガクではなくバルトーク以前の野趣に富んだ旋律的な音楽を描き一部ソ連作曲家ファンには人気のあった作曲家である。ショスタコーヴィチと仲がよく、12番シンフォニーはその追悼曲として書かれている。この曲は3年前に作曲されたばかりのものとしても多分に古臭いネオ・ロマンチシズムのシンフォニーだが、寧ろ遅れてきた新古典主義の作品として認識すべきものだろう。弦楽オケとハープシコードのための、と銘打ってあるとおり、冒頭からハープシコードの古雅な旋律がかなりの長時間独奏される。この旋律がいい。近現代曲でハープシコードを導入した曲は少なくないが、その古楽器の新奇なひびきに作曲家たちが魅了されたのにはランドウスカ夫人の演奏活動の影響がある。ランドウスカは古楽の再発見だけでなく新しい作品の委属も頻繁に行って自らのレパートリーとした。ファリャやプーランクの楽曲はその中でも特に有名な作品といえよう。だが、それらはかなり擬古典を意識した作品である。典雅な時代の空気を今に蘇らせようとしたようなところがあり、意外と古臭く、また単純で無邪気すぎるところがある。それらの作品が作られた時代からかなり下ったこのソヴィエト出身の作品は、まったくその音色の感傷性だけを取り出し、ワインベルク流の語法に組み込んだような作品であり、印象はかなり面白い。と同時に深く染みるものがある。冒頭の独奏旋律だけで私は強く掴まれてしまった。こんなに孤独な音楽があっただろうか。こんなに感傷的なハープシコード曲があっただろうか。それはちょっとサティを思わせるし、金属的なひびきを放つオルゴールを思わせる。ショスタコよりよほど旋律的で古いスタイルなのにけっこう新鮮に聞けるのはひとえにこのハープシコードの音色のせいである。5楽章制でハープシコードはわりと弦楽と乖離して使用されているが、ハープシコードが途切れて弦楽が旋律を奏で出すと、とつとつとしたオルゴール音楽が急にゴージャスなオーケストラサウンドに変化したような妙な感覚をおぼえる。このあたりで作品としての一貫性がやや損なわれている気もしないでもない。だがどの楽章もせいぜい5分前後(けっこう派手な5楽章だけは10分)だから、組曲として認識すればそうおかしな感じではない。ここまで書いてきて詰まる所私が感銘を受けたのは1楽章冒頭のハープシコードだけ、ということに気が付いた。まあ、でも冒頭のソロ旋律を聞いてみてください。この部分だけでも価値がある、真情の篭った佳作である(フィナーレ結部で回想)。○ひとつ。
※2004年以前の記事です