湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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☆ショスタコーヴィチ:交響曲第10番

2017年12月06日 | Weblog


○伝作曲家指揮ナショナル・フィル管弦楽団(COLOSSEUM)1950'S・LP

問題の演奏だ。この曲をショスタコーヴィチ自身が振って、ナショナル・フィルを引き連れてヨーロッパを巡る計画があったのは事実のようで、政治的問題によりフランスでボイコットにあってうやむやに
なった模様。それにしてもコロッセウム・レーベルは奇盤を持っているなあ、と思った。以前ゴロワ
ノフが「ボリショイを振った」スクリアビンのシンフォニーなる怪しい代物が出ていたのを思い出す。
ナショナル・フィルについての詳細は記載が無いが、恐らくソヴィエトのナショナル・フィルということだろう(ナショナル交響楽団というのはイギリスとワシントンに実在した。ストコフスキやチェクナヴォリアンの盤にナショナル・フィル名義のオケとの録音があるが、詳細の記述が無く不明)。ソヴィエト国立交響楽団にしては音がスマートだが、そのあたりの一級楽団であると思われる。さて、演奏のほうだが、とても引き締まって緻密な指揮ぶりが伺える。これが指揮棒を殆ど持たなかった作曲家の指揮か?と思わず疑ってしまう。実際は下振りが完成直前までもってきて、最後の指示を作曲家が与えたようなものだったのだろう。でなければとても素人指揮とは思えないから、もっと振った盤があってもいいはずだ。いわゆる「企画盤」なのだろう。10番はワインベルグと連弾版の演奏も残されており、この曲について何か思うところがあったのかもしれない(まあ、単なる政治的理由だったのかもしれないが)。荘重な薄暗い音楽の始まりは、盤面の悪さからくる雑音の海の中からもよく響いてくる。プレスト楽章の迫力は凄い。終楽章も見事に場面場面を演じ分けて、聴くものを飽きさせない。全体のバランスがすこぶる良く、ここだけがいい、とかいう指摘は難しいが、自作自演にしてはとても完成度が高いと言うことができる。指揮ぶりに個性は余り感じない。そのあたりが職業指揮者との違いと見るべきか。多分に情緒的ではある。○ひとつとしておく。モノラル。

(後補)ショスタコーヴィチが生涯でタクトを握ったのはただ一度、公開演奏会で祝典序曲を振ったときだけ、という説もある。そのとき、もう二度とタクトを握らないと言っていたようだが、真相は不明。

(後後補)今更だが、この録音はコロッセウムがムラヴィンスキーのメロディヤ録音(1954)を偽って出したものであるとのこと。オケはレニフィルと思われる。作曲家監修という言葉を指揮に変えて発売したものの模様。ライヴではなさそうなので恐らく別項で紹介している正規盤だろう。

~ピアノ連弾版

○ワインベルグ、作曲家(P)(melodiya/REVELATION他)1954/2/15・CD

メロディア盤LPを愛聴していたが、マイナーレーベルでCD復刻された機に広く知られるようになった。ワインベルグと作曲家の連弾による記録である。このように大規模な曲の自作自演というのは他にないので(疑惑のコロッセウム盤は除く・・あのLP、海外のオクサイトでも見かけた)貴重なものだ。ショスタコのピアノはよたっており、はっきり言ってへなちょこである。また4楽章後半など盛り上がりは凄い(かなりカタルシスのえられる)のだが、いかんせん4本の腕では足りなさすぎる。悲愴の3楽章の弦のスケールを模倣したと思われるパセージなど二人揃ってつんのめっており、それとわからないほどにごちゃっとしている。でも3楽章など意味深い思索的な音楽になっている。じつは10番の肝かもしれないこの諧謔的な楽章は、まるで鍵盤の上を悪魔が踊っているようにきこえる。4楽章への流れもいい。1、2楽章は若干大人しめで線の細さが聞こえてしまうのだが(編曲の限界かも)、後半2楽章は両者の腕も確かになってきているので評価できる。○。

※2004年以前の記事です
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