湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

イギリス頌歌

2005年02月23日 | イギリス
バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(bbc/IMG)1969/11/19live・CD

若干露骨な響きでテンポは鷹揚とした演奏。それ以上のコメントのしようがない。
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ミヨー:マルティニーク諸島の踊り

2005年02月23日 | フランス
○カサドシュ夫妻(p)(cascavelle/columbia)1941/12/18・CD

クレオール主題によるごく短い二つの曲。まったく楽しく南方的な音楽で、若き頃南米時代のミヨーを思わせるがもっとスマートで聴き易い。一曲めはまさにクレオールの歌と題されているが、響きには優しいミヨーのピアノ曲特有の抒情が染み出している。尖鋭さや奇矯さはすっかりなりを潜めているが、穏やかで瞑想的な主題と突然踊り出す派手な主題が交互にあらわれ、楽しいし、ほっとする。ミヨー円熟期以降のピアノ曲はほんと、ほっとする。二曲めのビギーンはビギン・ザ・ビギンのビギン(ほんとか?)。南米のボレロ調の音楽だがここではもっと洗練され、しかも汗臭さや嫌味の一切無いほんとの「楽しみ」だけが奏でられている。打楽器的というか、硝子を弾くようなカサドシュ夫妻の音色のせいもあって至極透明で繊細でもある。主題は単純なものでその繰り返しだが、和声にミヨーらしい微妙なズレやサティ的な意外性のある展開が込められており飽きがくるのを辛うじて避けられているといった感じ。総じて○。
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ミヨー:ロンサールの四つの歌

2005年02月23日 | フランス
○リリー・ポンス(Sp)コステラネッツ指揮管弦楽アンサンブル(cascavelle/columbia)1947/4/2・CD

じつに美しい。透明感のある管弦楽が高音域で醸す爽やかで牧歌的な雰囲気と、安定した伸びやかな高音を発するソリストが(三曲めの中ほどの表現にはやや荒さが出ているが)ミヨー独特の超高音アンサンブルを実にプロヴァンス風味たっぷりにかなでている。これはミヨーの「美しい方」の作品、とくに前半二曲が素晴らしいので、小交響曲や春のコンチェルティーノあたりが好きなかたは一聴の価値あり。コステラネッツのオケは抒情が優り「ハリウッド的艶」がなくはないが、基本的に俊敏で瑞々しく十二分に聴ける。
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ミヨー:序奏とアレグロ(原曲クープラン)

2005年02月23日 | フランス
○ゴルシュマン指揮セント・ルイス交響楽団(cascavelle/RCA)1941・CD

隠れたフランスもの指揮者として知られるセントルイス響の名シェフ、ゴルシュマンの依頼によりアメリカ到着間も無いミヨーが管弦楽に編じたクープランのサルタネスからの二つの抜粋。まったく古典的な書法で、アレグロに関してはやや分厚く、ブラスによりゴージャスな響きを加えているが、ミヨーらしい油っぽさや近代的美質は皆無といっていい。いずれにせよ後年は名教師としても知られたミヨーの名技のみが投入された作品といえるだろう。オークランドで二日で書き上げられた。演奏は嫌味が無くしっかりしたもの。
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スーザ:エル・キャピタン

2005年02月23日 | アメリカ
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(RCA)1945/5/18・CD

楽しいスーザマーチでトスカニーニが振ろうが誰が振ろうが楽しいものは楽しい。引き締まったリズム、前進性、ダイナミックさ、派手さが特筆すべき点か。トスカニーニの編曲によるもの。
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スーザ:星条旗よ永遠なれ

2005年02月23日 | アメリカ
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(RCA)1945/5/18・CD

やっぱいいですね。マーチの王道。というより軍隊行進曲に聞こえる。物凄い前進する力があり、派手で大音量、しかしオケ全体がびしっと揃って慣れた曲をそれでもしっかり演奏しているという感じ。これ以上のものを望むべくも無い。録音の古さがマイナスか。トスカニーニの編曲によるもの。
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スミス:アメリカ国歌

2005年02月23日 | アメリカ
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(RCA)1942/3/19・CD

あれだけアメリカに根を下ろしていながら決してアメリカ音楽に積極的ではなかったと言われるトスカニーニ、それでもファシズムに対する怒りからくるアメリカ民主主義の理想への共感は言われる以上に大きかったのだろう、大戦を挟んでこういう曲の演奏が少なからず行われている。ゆったり大仰で立派すぎるほどの演奏。トスカニーニの編曲によるもの。
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ラヴェル:ダフニスとクロエ第二組曲

2005年02月23日 | ラヴェル
○フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(RCD/新世界)1944/3/19ベルリンLIVE・CD

戦時中モノのロシア流出音源から。DGと同じものじゃないかと怪しい気もするが音がいいので別と考えて書きます。これはかなり聴き易いです。ドロドロとねちっこいダフニスはそれはそれで楽しめる。とんでもなくドイツっぽいのになんか聴きとおしてしまう。これがフルトマジックなのかもしれない。そうそう、ちゃんと設計されているし、歌いまわしのねちっこさに比べて不断のドライヴ感が常に音楽の前進性を支えており結果として凝縮されたロマン性というかメンゲルベルクスタイルというか、とにかくそういう演奏に仕上がっているのだ。ラヴェルじゃないけど、ラヴェルの応用編としてはレベル高いものだと思う。だってかなり興奮したから。○。何度でも聴きたいなあ。中身の詰まった密度の高い演奏ぶりがたまらん。
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クルシェネック:"I WONDER AS I WANDER"に基づく交響的断章

2005年02月23日 | ドイツ・オーストリア
ノース・カロライナ民謡"I WONDER AS I WANDER"に基づく管弦楽のための変奏曲形態による交響的断章OP.94

ミトロプーロス指揮ボストン交響楽団(CON MOTO)1954/5/2LIVE・CD

冒頭ペットの独奏からして力強い。録音は一瞬悪いかと思わせるが抜けがよく、雑音も最小限度に抑えられている。リマスタリングの都合上かブツ切りでつなげたような微妙な断層が細かく聞かれるが音のあるところと無いところでの雑音低減操作の違いによるものだろう。暗い挽歌はティンパニの轟きでメランコリックな雰囲気に深刻さを加えている。民謡とはえてして暗いものだが、アメリカの民謡がこんなに重厚で暗いのか?主題提示にしてはいささか深刻すぎるし、ブロッホや遠くマーラーまで思わせる豊穣さと怖さがある。変奏はかなり変奏していて異様な起伏と楽想変化に彩られ奇妙だが、この時代の調的音楽にありがちなパターンといえばパターン。ベルクくらいまでの現代要素を都合よく配合するさまは旧世代現代音楽家の典型かもしれない。力強い推進力はミトプーならではの隙の無さ、緊密さに基づいているが、曲自体のはらむ力感を巧く引き出したものといえる。複雑なスコアをシャープに読み解き再構成してみせるミトプーの恐ろしい能力がここでも発揮されている。そこに情が乗るのがまたミトプーのよさだ。オネゲルのように激しく抽象的な部分も持ち合わせた音楽であるがゆえに情が加わらないと焦燥感でイヤになってしまう。発音が常にシャープで厳しいのはオケの特性でもあると思うが、これが中途半端なオケだったらもう10分くらいで投げ出しているところだろうなあ、とも感じた。正直名作ではない。だが現代的な響きをきちんと響かせられる鋭いオケであるがゆえに、雑音の中からも静謐な場面では妖しくも透明で美しい音響がきちんと響き渡るから、深い感情も呼び起こす事ができている。まあ派手なところは騒々しいなあ、とかやっぱりマーラー関係者だなあ、とか考えて聴くのがいいだろう。雑多な要素の混合作曲家の代表格、クルシェネックの一面をたっぷり楽しみましょう。冒頭の挽歌が戻り終わり。盛大な拍手。クーセヴィツキー存命中のボストンという意味でもこれは面白い価値を持つ演奏だろう。カップリング(プログラム)は魔笛序曲とシューベルトの2番。トータルではやっぱりやや退屈なので、曲込みで無印。私はこれをなぜか2枚持っている・・・。
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グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲

2005年02月23日 | グラズノフ
ラビン(Vn)ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(CON MOTO)1954/5/2LIVE・CD

手堅い演奏。ミトプーがグラズノフをどうテンション高く表現するか期待したが、はっきし言って肩透かし。バックにてっし主張のかけらもない。実に無難にこなしているという感じで、決して手抜きではないのだが職人的な態度に終始しているように思えた。従って解釈はラビンにかかってくるわけだが、これがまた非常に安定した技術を駆使しながらも今一つ音色に映えがなく教科書的な演奏。この曲はアウアーだかの示唆を受けているだけあって難所もチャイコほどの無理は無くよくできているのだが、かといってただ正しい音を出すだけでは曲にならない面もある。そこを情緒で埋めないと、曲が緊密にできているから聞けないことはないのだが、どこが面白い曲なのかわからなくなる。たとえば第二部のファンファーレとの掛け合いは思いっきり派手にぶっぱなさないとその前の実にグラズノフらしい半音階的なくぐもりとのコントラストがつかない。暗く重いロシア的情緒の延長上でカデンツァ的に奏でられる重音トリルの独特の技巧に目を惹かれ、その後のいきなり明るい祝祭的雰囲気に気持ちがついていかず、「なんだこのあほみたいなファンファーレ!」という印象を抱いたかたは多いと思うが、それはきっといい演奏ではなかったのだ。もっとあほみたいに強引にぶっぱなしさえすれば、そのあとの怒涛の変奏の渦に有無を言わさず押し込まれ、民族的技巧と感情的高揚にいつのまにか大団円を迎える、といった感動に至ることができるはずなのだ。この演奏は余りにファンファーレが引いていて突出しない(録音バランスは悪くない)。ラビンの追奏と音量的にはつりあっているのだが、あれあれいつのまにか進んでる、といった引っかかりの無さがある。その後もラビンもバックもそつがないという言葉がとても似合う演奏ぶりで無難にこなしており、奏者の融合具合からしても完成度は多分そうとうに高いと思うのだが、それが芸術的感興を呼んでいるかというと否と言うしかない。拍手はふつう。無印、二度聴きたいと思わない。
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チャイコフスキー:交響曲第5番

2005年02月23日 | チャイコフスキー
○メンゲルベルク指揮ACO(GSE/COLUMBIA)1928・CD

意識的に操作され再構築されたチャイ5を楽しむための演奏。正当性とか原典準拠を重視する向きには全く薦められないので悪しからず。私はこのしっかりした緊密な音楽作りに共感するし、それがスコア通りなのかどうかなど別にどうでもいい派なので、録音の悪さを割り引いても○をつけるのにやぶさかではない。デロデロな歌い方ではあるが全て個々の楽器の響きが統一され一本だけ突出するなどの不揃いな点は少しもなく、それが艶やかななめし皮のような響きを生み出している。2楽章などいい例だろう。ワルツもいい。この時代の指揮者にはワルツを本来の踊りとして表現できる人が多い。流れを止めるような瞬間的なテンポ・ルバートが導入される場面がある終楽章には賛否あろうが、それを突き動かすだけの根底の推進力はあり、トータルで気持ちの悪い点は見当たらない。非常にすんなり、面白く聞けた演奏でした。
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バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのブーレ イ短調

2005年02月23日 | その他古典等
ヨアヒム(Vn)(SYMPOSIUM)1903/6/25?・CD

重音が潰れ、指がきちんと押さえられていないように聞こえてしまうのが惜しい。指のもつれのように聞こえる部分は恐らく単に収録しきれなかっただけだと思うが、プレリュードに比べ少し落ちる感はある。無論速い曲であるせいもあろう。ただ録音的に高音の鋭く美麗な残響が捉えられているなど奇跡的なところもあり、十分価値のある録音ではある。テンポがミクロに安定しないところもあるが、時代様式を考えると技巧的な場面でロマンティックに揺らすのが普通であった頃にこの程度に(ちょっとポルタメントを残す程度に)抑えられているのはさすがヨアヒムといったところだ。ごく短いのでこのくらいしか書けない。死の4年前、72才の演奏である(年を考えると凄い)。
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ドビュッシー:海

2005年02月23日 | ドビュッシー
○マルケヴィッチ指揮NDR交響楽団(EMI)1971/2/15LIVE・CD

マルケの海は昔HUNTの盤で目からウロコが落ちた覚えがある(その盤は不良品だったためもう手元に無いが)。そのときの(海だけに)流れ良く瑞々しく水際立った演奏ぶりは今も思い出すほど素晴らしいものだったが、この演奏は確かに録音共に素晴らしく美しいものの、解釈の面白さが際立つのみで余り強いインパクトは正直感じなかった。いい演奏だと思うが興奮しない。冷静な音楽になっている。その冷たさが逆に解釈の面白さを面白さと感じさせず人工的という印象に変化してしまいかねないほどである。ずいぶん不平を言ったが演奏自体はフラットに見れば素晴らしい水準にあるのである。○はつけておく。ステレオ。
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ラヴェル:ダフニスとクロエ第二組曲

2005年02月23日 | ラヴェル
○マルケヴィッチ指揮NDR交響楽団、合唱団(EMI他)1960/2/15LIVE・CD

エキセントリックな演奏。マルケらしい鋭い発音と独特の解釈が激しいリズムに乗って踊る。どうもしっくりこない面があるというか、イマイチ万人を納得させるだけの説得力のある演奏とは言えないのだが、一応○としておく。個人的にはあんまり。EMIの盤は以前出ていたボックスもの収録のものと同じ録音。モノ。
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シベリウス:カレリア序曲

2005年02月23日 | シベリウス
○アンソニー・コリンズ指揮ロンドン交響楽団(BEULAH他)1955/6/2-3・CD

これほどの曲がなぜかこの序曲と組曲しか演奏されないというのはどういうわけだろう。ワグナーの子として、しかしワグナーが材をとった北欧神話の世界を、フィンランドの素材によってより神秘的かつ透明な音楽に昇華させてみせたシベリウスの、既にして円熟した技巧が示された傑作劇音楽である。序曲は組曲ほどはっきりした音楽ではないが、各主題の描き分けを明確にし構造的なものに配慮しながらも、旋律線や和声の変化に印象派的な微妙な揺らぎを加え、暗示や隠喩の存在を錯覚させる不思議さを持たせており、とても新鮮な印象をあたえる。アンソニー・コリンズはリズム処理が素晴らしく巧く水際立っており、茫洋感を抑え素直に聴き易い音楽を作る事に成功している。オケ(弦)も確信に満ちており清々しい。後期ロマン派様式、例えばグリーグから野暮を取り去り、ワグナーの拡大された型式論を採り入れた、初期シベリウスの完成期を示す作品の一つである。一聴損無し。
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