湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

チャイコフスキー:交響曲第6番

2005年02月23日 | チャイコフスキー
カラヤン指揮NHK交響楽団(DG)1954/4/21日比谷公会堂LIVE・CD

結構激しく起伏のあるわりに印象の残らない演奏。カラヤン特有の厳格で神経質なまでの統制が行き渡っていない感じがするし、細かい変化には富んでいるが大づかみな解釈は単調といった様相も呈している。1楽章で特に強く感じた。2楽章の弦楽器のねっとりした表現(ばらけるが)や対照的に太鼓連打の勇ましい3楽章には後年のカラヤンに通じるものを感じるが、まだまだ熟成されていないものであるように思う。オケはイマイチだが後半になるにつれ良くなってくる。音色が堅く艶が無いのは興をそぐ。もっとも4楽章はデュナーミクも揃ってきてかなり感情的な盛り上がりを作ることに成功している。これはカラヤンの設計の見事さにもよるものだろう。音色については録音で潰された可能性もあるので実際は超感動モノなのかもしれない。拍手は普通。
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チャイコフスキー:メロディop.42-3

2005年02月23日 | チャイコフスキー
アウアー(Vn)?(P)(SYMPOSIUM)1920キャムデン・CD

ちょっとメロメロ。メロディだけに。弓を強く押し付けて出す音色も嫌味。どうも生彩に欠くが75才の録音であることを考えるといたしかたないか。しっかりした骨組みの上にポルタメントを多用するのであれば構わない、しかし骨組みがグズグズのうえにポルタメントをかけると~しかもポルタメント自体ちゃんとできてない!~元の音楽がどうだったのかさっぱりわからなくなってしまう。そんな演奏。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第6番

2005年02月23日 | ショスタコーヴィチ
○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)LP

ひそやかな演奏。ザッツもよく揃い、美しいが、地味さもつきまとう。勿論元々地味な曲ではあるのだが、この人らしくないちょっと引いた感じがある。だがそれも長所ととるならば問題無い。この曲には寧ろそういう陰花植物のような表現があっているようにも思う。ムラヴィンスキーを思わせる緊密さもあり、若い頃の演奏に近いかもしれない。録音はいいから、6番に親しむのにはいいと思う。木管の巧さに舌を巻く。○。
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フィッシャー:シカゴ

2005年02月23日 | アメリカ
○ベニー・グッドマン(CL)モートン・グールド指揮シカゴ交響楽団(CSO)1966/6/18LIVE・CD

楽しげで、リラックスムードで、でも非常にきっちりしたクラシカルな組み立てのお馴染み「シカゴ」。と言っても殆どベニー・グッドマンのクラしか聞こえないが、これまたクラシカルな美しくも四角四面の演奏ぶりである。クラシック演奏にも積極的に参加していた奏者なだけに技巧が安定し音色も変に揺れない。自分で制御できない音色の不安定な揺れを売りにするミュージシャンは数多いが、クラシックのような音楽においてはそれは両刃、結局安定した高度な技巧を前提にしていないと飽きのこない音楽は創り出せない。ジャズとはいっても結局クラシカルな編曲をしている以上はここまでしっかりしたリズムと音色への配慮がなければ演奏はできないわけで、ベニー・グッドマンの貴公子のような演奏がシカゴ交響楽団のこれまた巧いがちと四角四面な演奏と絡んで(モートン・グールドというところがまた泣かせる)ジャズでいながらクラシカルな精度も持ち合わせた演奏に仕上がった。シカゴのための音楽、というところの余興録音の断片である。○。
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ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ

2005年02月23日 | ラヴェル
アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON/KING)

荘重で踏み外さない演奏である。品位を失わず繊細な音色感を保つことを重視したようで、透明で客観的だ。噎せ返るような香気とか歌謡性のたぐいは無く、テンポは殆ど変化せず進む(再現部?で若干テンポアップするが至極さらりとしている)。アンセルメらしいところである。音の厚みがえんえん変化しない演奏ぶりは、しかしちょっと詰まらない感もある。やはりこれは亡き王女というイメージを具現化した曲なのだから、そこに込められた感傷性を排してしまうのもどうだろう。無印としておく。
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ラヴェル:ツィガーヌ

2005年02月23日 | ラヴェル
リッチ(Vn)アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON/KING)

ジプシー音楽というのはこの時代魅力的なジャンルであったらしい。演奏家が実際そのあたりの出自である場合も多かったのかもしれないが、弦楽器を名技的に扱う曲を書こうというとどうしても皆ジプシーヴァイオリンあたりの見世物サーカス的な超絶技巧音楽を無視できなかったのだろう。ラヴェルはリストのハンガリアン・ラプソディを意識したといわれるが、民族音楽的な要素をそれまで全く用いる事が無かったわけではないものの、ここまで前面に押し出した曲というのは他に無い。しかし書法はあくまで簡素で骨張っており、怜悧な響きはどんなに熱い演奏を繰り広げようともこの曲がロマン派の楽曲にはなり得ないことを示している。私などはラヴェルらしい旋律も魅力的な響きや流れもなくイマイチ惹かれないのだが、このどうも落ち着いた透明な演奏で聞くと、ちょっとシマノフスキの晩年のヴァイオリン曲を思い起こさせるところがあり魅力を感じなくも無い。リッチは上手いけれど音にちょっと魅力が無く、技巧はすぐれるが飛び抜けたものではない。所々響きは美しいけれど、この曲の感興を引き出した演奏とも、違った一面を引き出した演奏とも言い難く、結論としては録音はいいものの、無印とせざるをえない。
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アイヴズ:交響曲第1番

2005年02月23日 | アイヴズ
○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(RCA)

完全なる習作である。エール大学卒業制作であり、師匠ホレイシォ・パーカーを皮肉ったようにしつこくソナタ形式を守って冗長にしたり(卒業したかったんだろう)、父親から受け継いだ雑多な響きのミクスチュア・ミュージック的語法も顔を見せ、その間の齟齬が方々で軋みを生じているのは仕方の無い事だ。響きやコード進行の新鮮さは特に1楽章~たぶんこの曲この演奏で一番うまくいっている秀逸な旋律(既存素材よりオリジナルが美しい)、楽想(終盤のコラール風音楽の陶酔!)に彩られた楽章~の音線のいくつかに垣間見る事ができる。冒頭の憂愁の旋律はちょっと学生のものとは思えない、後年のプロコフィエフ旋律を聞いたときの印象に似たものを感じさせるほどに魅力的だ。ただそれは長続きせず凡庸なヨーロピアン・クラシカル風旋律と民謡旋律の断片が野暮な重いロマン性を持ち込み、それぞれ発展せずただ明滅交錯していく。といってもちゃんと構造におさまっており(その構造が邪魔であり冗長を呼んでいるとも言えるのだが)、師匠におもねったのか皮肉ったのかブラームス的な楽器法も露骨に挟まったりしている。後年まで多用するも結局あまり巧くなかった(そのへんがシェーンベルクとの違いだろう)対位法的書法も教科書的にしっかり組み込まれ、リズム的にはどうも危ういが基本的には合理性を重視しそれなりの出来になっている。やがてその中にも響きやリズムや楽想変化の新鮮さが(学生の筆誤りスレスレではあるが)出てきて、モザイク状に既存素材を積み上げ刺激的な響きを産み出す方法論の萌芽が聴いてとれるようになる。とにかく1楽章は長いがキレイな部分も多いので聴いてみて損無し。ちなみに1番1楽章でここまで惹かれたのはこの演奏が初めてである。弦楽器に無理を強いる(この曲でもスラーのついた細かい音符をえんえんと弾かせるところが目立ち、リズムが噛み合いづらい)アイヴズの書法、フィラ管の強力な弦楽器をもってやっと聴けるレベルになっているというべきか。2楽章はドヴォルザークとの関係を指摘されるも、アメリカの批評家の弁を借りればアイヴズの書いた最も美しい楽章ということになる。だがその主旋律も響きが薄くけっこう弾きづらいものになっており私は余り馴染めない。ここにきてメリハリのないだらだらした演奏という印象が強くなってくる。オーマンディのアイヴズはシンフォニーだと4番を除く4曲(祝日含む)、いずれもこののっぺりして「だらだらした」演奏ぶりがマイナス点として指摘できるのだが、逆にそれだけまとめづらい曲であり、テンポを落として小節線を固持して組み立てる必要がある、つまりはそこまでしてやらないと曲にならないのだろう。だが終盤に向かうにつれ音楽はソロ楽器により美しく収斂していく。あきらかに新世界を思わせる構造だが楽想はどちらかといえばアメリカン・ヨーロピアンといった感じだ。3楽章はスケルツォだがいきなりフーガで始まり欧風の随分と古風のなりをしている。ブラームス的でもあるが、楽想には明らかにアメリカ民謡(ラグ?)的要素も入っていてミスマッチの面白さがある。だらだらした長い音符が通奏低音ふうに響き続けるが、その上のリズミカルな主旋律表現はしっかりしている。異常に細かい音符が不規則に混ざるところでどうしてもごちゃっとなるが演奏家の責任ではあるまい。終楽章はこの曲のハイライトである。各楽章でアイヴズが投入してきた美しい創作旋律が(アイヴズはマトモに旋律作家になっていたらどんなにか美しい旋律を産み出していったことだろう!)次々と登場し最後は国民楽派的な盛り上がりから派手なブラスのぶっぱなしでフィナーレに雪崩れ込む曲。しかし・・・オーマンディ配下のフィラ管がここまで戸惑いやる気を失っている演奏というのも珍しい。思い切ってメータのような超カット再編成をしていればかなり盛り上げることもできただろうに、このころ(70年代半ば位)オーマンディは「完全版」というものにハマっていたとみえてここでもラフマニノフのように冗長な曲を辛抱強く演じ切ろうとしている。だいたい提示部の繰り返しをしたら気が遠くなるような長さなのに良くぞまあ・・・というところ。余りの実直ぶり、或る意味個性的な演奏であるが後半弦楽器のバラケかた(バラケるのが普通なのだが)にフィラ管らしくない匙の投げ方を感じる。原曲はこんなに散漫で山の作り方が下手だったのだなあ、といった感触を受けた私はメータ盤の愛聴者であるが、この曲に興味を持たれたかた、ぜひメータを最初に聞いてください。オーマンディやヤルヴィを最初に聞くとこの終楽章でフィラ管でなくても匙を投げたくなるだろう。メータ盤のようなコーダの激烈な盛り上がりも無く、音量だけは上がって散漫なままに終わる。ブラスのステレオ効果も収録できていない。うーむ。。不完全燃焼。1楽章の評価ということで○。
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ドヴォルザーク:交響曲第7番

2005年02月23日 | 北欧・東欧
シュミット・イッセルシュテット指揮NDR交響楽団(EMI)1970/6/8LIVE・CD

詰まらない。スマートで端正なドボ7など面白くない。ドヴォルザークが最もドイツに接近した力作、フルトヴェングラー張りの覇気が欲しいし、偉大な構築性が欲しい。どうも甘いのだ。ドボ7はブラ3からの影響を散々言われながらも旋律性やリズム性にはあきらかに国民楽派としてのドヴォルザークそのものが輝きをはなっており、それをドイツ的な部分とどの程度バランスとっていくかが難しいのだが、イッセルシュテットはバランスがいいというよりどっちつかずで、民族性は皆無、でも構築性もイマイチ、といった感じである。やや危ういオケを前にライヴでここまでしっかり組み上げたのは職人的な技の確かさを感じさせるが、この上無く美しい、個人的にはドヴォルザークの書いた最も美しい音楽と思う2楽章が、余りに引っかかりなくさらっと過ぎてしまうのは頂けない。全曲通しての印象も、充実していたと思う、でも、何も残らない、といった感じなのだ。あっさり風味が好みの人もいるだろうし、季節や体調でこれが一番聴き易い場合もあるかもしれない。でも私にはとても推薦する気にはなれない。無印。この人いつも「押し」が弱いんだよなあ。。録音のせいかとも疑う。。
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ラヴェル:マ・メール・ロア組曲

2005年02月23日 | ラヴェル
◎アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON/KING)

超名盤の誉れ高いアンセルメの真骨頂。シャンデリアもしくは大きな硝子細工が揺れるようにシャンシャンした透明な響き(特に超高音楽器の振り掛ける立体的な響きが新鮮!)と実に流れ良く抑揚の付けられた歌に清々しく心地よく浸れた。その語り口で語られる無邪気な物語にはまったく心洗われる思いだ。私はLPで聴いているが雑音の無いCDで聴けばさぞゾっとするような感動を感じられたことだろう。瞬間的にこの世のものとは思えない響きを導き出している場面があり、そのつど背筋が凍る。今はこれまた名演ダフニス全曲と組みで恐ろしく安く手に入るのでオトクです。私はとくにパゴタの女王あたりまでの前半曲に惹かれたのだが、それはアンセルメの一面~バレエ指揮者としてのリズム良さと解釈の起伏の激しさ~が響きの美しさと絶妙にバランスをとっているさまが明瞭に聞かれるからだ。曲想ゆえだろう。終曲のロマン性は逆にアンセルメにあわないというか、ちょっと情緒が足りない客観性を感じたけれど、アンセルメスタイルにない曲想だったということで別にマイナス点には数えなくてもいい。ちなみに私も間違えて書いているのでいつか直さなければならないと思っているのだが、アンセルメはあくまで通常の5曲版しか録音しておらず、この盤も当然22分程度の5曲版によっている(ACOライブはもうちと長い(2分位))。だが、ラヴェルが最終的に加えた2曲を含む7曲版というものも存在し、それはアンセルメが振ったことで一部に広まったとされている。大元をたどればマザー・グースもの、ペローの童話(マーラー「巨人」3楽章はペローの童話本の奇怪な挿画に基づいてましたね)による四手ピアノのための組曲であり、いわばラヴェル版「子供のために」で、技術的にも極力易しく書かれている。初演はフランス・ピアニズムの大御所ロン女史の二人の子供(6才と10才)が行っている。が、単純であるがゆえに極限まで洗練され、純粋に研ぎ澄まされたものとなっていることも事実で、管弦楽版に編まれてもそれはあくまで小編成向けのもの、基本線は変わらない。ある程度の個人技は求められるかもしれないが、合奏はラヴェルの曲にしては比較的楽である。楽想の中に忍ばせられた昔の典雅な時代への憧憬はしばしばこの時代のフランス人作曲家にみられるものだが、ドビュッシーやサティとは違う、即物的に万人にわかりやすい形でそれを具現させてみせたラヴェルの技、そしてその技を最大限に効果的に引き出して表現させているアンセルメのセンスに拍手を贈りたい。名演。
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チャイコフスキー:弦楽セレナーデよりワルツ

2005年02月23日 | チャイコフスキー
◎メンゲルベルグ指揮ACO(GSE他)1928・CD

いやー、ワルツですねー。ウィンナー・ワルツです。ウィットに富んだポルタメントとパキパキの「飛ばし」の応酬、かなり構造的なのもこの演奏の特徴で、対旋律がバッチリ決まり立体的な音楽が存分に楽しめる。噎せ返るようなヴァイオリンの音色に酔いまくりの逸品です。◎。
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ドビュッシー:小組曲(ビュッセル編)~Ⅳ.バレエ

2005年02月23日 | ドビュッシー
○バルビローリ指揮ニューヨーク・フィル(DUTTON/CBS)1940/12/16・CD

以前書いたラプソディと一緒に録音されたもの。NYPらしいしなやかな表現力が駆使され、バルビらしい歌謡的な流れを重厚に彩っている。この曲の演奏としてはまさに特異で、ロマン派そのもの、ウィンナー・ワルツすれすれの舞曲表現に驚かされると共に意外とすんなりハマって聴くことができる。スウィング、スウィング!バルビにしかできない揺れまくり(でもスタジオ録音だからそれほどズレない(全くとは言わない))の演奏、3分強と短いが一聴価値あり。復刻添付残響がややうざいが聴き易いことは聴き易い。全曲聴きたかった。○。このアルバムはNYP版のラ・ヴァルスなんかも入っている(が、この曲のほうが演奏的には楽しめる)。
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サン・サーンス:動物の謝肉祭

2005年02月23日 | フランス
○エリヤスベルグ指揮ソヴィエト国立交響楽団のメンバー、ギレリス&ツァーク(P)、シャフラン(VC) (GREAT MUSICIANS of Palmira Du Nord/MELODIYA)1951・CD

雑音が混じり聞きづらい箇所も少なからずあるが(板起こしだろう)演奏はなかなか楽しめるもの。フランス的な愉快さというものはないが、音楽を楽しむという意味では十分に楽しんで弾いてる感じがする。マジメではあるがクソマジメではない、このへんの匙加減がいい。そうそうたるメンツの割に技巧バリバリな感じがしないのも親近感を感じさせるゆえんか。たとえば水族館の表現意欲の強さには違和感を覚える向きもあるかもしれないが、そもそもこのあたりを中心としてこの演奏は「展覧会の絵」的な印象を強く与えるもので、サン・サンが筆のすさびとした部分を前衛性ととらえて強く表現しなおした感がある。私はけっこう好きだが違和感を感じる向きはあると思う。シャフランの白鳥はあっさり潤いが足りない解釈で今一つな感じ。でも「瀕死の白鳥」みたいな余計なイメージを排した演奏として評価する人もいるかもしれない。終曲はもう、これはチャイコだ。チャイコフスキーのバレエ曲のフィナーレである。ゴージャスで力感に満ちた曲は僅か2分弱で終わるが、強烈な印象をのこす。総じて○。エリヤスベルグ(エリアスベルグと書く人が多いけどどっちが正しいのかわかんない)は主として伴奏指揮者として数々の名演のバックをつとめたことで知られるソヴィエト指揮者の代表格のひとり。
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チャイコフスキー:弦楽セレナーデ

2005年02月23日 | チャイコフスキー
ケンペン指揮コンセール・ラムルー管(OTAKEN RECORDS:CD-R/PHILIPS)LP

ケンペンはあんまり脚光を浴びる事のない指揮者だ。そのレパートリーが私の守備範囲から外れているので、私にとってもあまり馴染みが有るとは言えないのだが、チャイコの5番とイタ奇の録音だけは強い印象を残していた。それは俊敏で愉快な演奏であった(とくにイタ奇)。こういうからっとした演奏をチャイコに求めるかどうかでケンペンのチャイコが聴けるかどうか決まるというわけだが、私はどっちつかずである。イタ奇のように目的がハッキリしている曲ではこの人の解釈はあうと思うが、最も湿ったというか、歌謡的な要素の強い弦楽器だけを使ったチャイコのイメージそのものといえるこの曲についてはどうなんだろう。私はそこに興味を惹かれてこの非正規盤を手に入れた。まず録音だが、初期盤(サンプル盤だとか)LPからの板起こしであり、非常に状態がいいとはいえやはりLPである、雑音や隣溝からの混信のような瑕疵は避けきれていない。それどころかクリアな音すぎて聞きにくい。これはデジタル化音源ではしようがないことなのだが、それにしてもキンキンして耳への圧力が強く聞きづらい。ヘッドフォンには向かない。スピーカーでうまく調整すれば解決はできると思う。さて演奏そのものなのだけれども、予想はしていたのだが、それにしても余りに屈託がなさすぎる。テンポが速すぎだ。直線的で拘りが無く、ただただ雄弁なオケの音を聴くのみである。唯一3楽章のみが「歌」を感じさせる。だからこれはこういう解釈なのだろう。予想通りカラっとした演奏、またオケも明るく硬質で湿り気ゼロ、うーん、どっちかがちょっとでも潤いを持っていれば面白味もあったろうが。後半楽章がしいていえば聞き物か。この演奏に比べればコンドラシンは随分と柔らかい。それほどに客観的で人工的である。無印。フィリップスには未CD化音源やCD化してもすぐ廃盤になるものが多いが、これもまたその一枚である。
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チャイコフスキー:組曲第4番「モーツァルティアーナ」

2005年02月23日 | チャイコフスキー
○ケンペン指揮コンセール・ラムルー管(OTAKEN RECORDS:CD-R/PHILIPS)LP

併録の弦セレに比べて(曲のせいもあるが)彫りが深く情緒有る演奏ぶりを見せている。あいかわらずオケは明るく硬質だが、歌を歌としてしっかり表現することができている。モーツァルトを尊敬し新古典主義の範疇と言ってもいいくらい古典に傾倒した作品も残した作曲家であるが、これもそのうちであるものの、各々のモチーフそのものからチャイコ独自の、特にバレエ作品に通じる豊かなロマン派音楽を紡ぎ出しており、スマートな解釈がそれを暑苦しくせずに巧くさばいてみせてくれる。ようは曲が複雑だったりロマンティックなくぐもりを持っていたりするときにこそケンペンの即物的解釈が生きてくるということなのかもしれないが、必ずしも即物というわけでもなく、冒頭述べたようにしっとりした歌も歌っている。いい演奏。○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第10番

2005年02月23日 | ショスタコーヴィチ
シルヴェストリ指揮ルーマニア放送交響楽団(ELECTRECORD)LP

なかなか峻厳、かつスピードのある演奏。弦楽器の厳しく力強い表現が2、4楽章で炸裂している。ただ、解釈的には割合と直線的で個性は余り感じない。アゴーギグに多少の激しさは宿るものの聴いていて余りにまっすぐ聴きとおせてしまうのが逆に弱みか。ひっかかりがないのだ。終楽章のコーダに至ってシルヴェストリらしい絶妙のリズムが高揚を産むが、それ以外の部分ではリズムもデュナーミクもあまり特筆すべきものはなく、「率直」と言ったほうがいいだろう。また録音もちょっと浅い。盤が新しいせいか(録音もステレオ)軽くてキンキンする。これはプレイヤー調整で回避すべきだろう。私のプレイヤーではどうもうまく再生できなかった。そして一点難点を挙げるなら木管の不調ぶりだ。フルートこそ無難なものの、総じて技術的な問題を感じさせるところが多々ある。終楽章のショスタコ特有の速吹きパッセジがよたったり吹けてなかったりするのはまだわかるが(プロとしてはどうかと思うけど)、ソロ・パッセジの音程やテンポが怪しいところがけっこう聞かれる。これは気になる。全般、悪くはない。ただ、いいところ特筆すべきところを見つけようと計6回連続で聞いたが、結局何も評する言葉が見付からなかった。○にしてもいいのだけれども、個人的に6回も聴いて感想のひとつも浮かばないのはどうかと思った。無印。これはシルヴェストリのショスタコ録音の中では知られざる盤であり、マニアには珍重されてきたものである。
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