湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

マーラー:交響曲第8番

2006年10月19日 | マーラー
マルティノン指揮ハーグ・フィル、ユトレヒト交響楽団、フォーレイ他(DA:CD-R)1975音楽祭live

マルティノンは合唱の扱いが余り上手くないようだ。あるいは合唱指揮との連携の問題なのかもしれない。とにかく合唱が出てくると途端に精彩を失う。顕著なのは第二部後半の児童合唱が完全にズレて「極めて精緻なポリリズム」になっているところだが(この一点、アイヴズ的で面白かったが逆にコノ一点のせいで私は○以上つけられないという判断をした)。オケコントロールやソリストとの連携は完璧なのに、冒頭のヴェニ以下の合唱にしても矢鱈とメロウでマルティノンらしい鋭さがちっともない。録音(録音条件含む)のせいであることも否定できないが、最初がいきなりメロウつまりアバウトな発声だと千人は無茶コケる。柔らかく聴きやすい音であることは認めるが、また(配置上仕方ないのかもしれないけれども)舞台が遠い。ステレオだが放送エアチェックゆえ、特に前半テープ撚れ(左右のアンバランス)や途切れが激しいせいもあり全般にぼんやりした聴感になってしまうところが少なからずある。欠点ばかり書いてもしょうがないので長所、長い全曲通して一貫して明るくて軽い。とにかく明るすぎるほど「白い演奏」で勢いよく通しているのだ。見通しがいいといえばいい。オケにかんしては水際立った発音や絡み表現の明快さが素晴らしい。しっとりした情感の表現も暗くなりすぎずに天国的な軽やかさを保つ(いや、この長さをそれだけで通すことに私は余り賛成できないのだが)。スケール感も十全である。しかしやっぱり・・・合唱はねえ・・・最後もイマイチ盛り上がらない感じがした。客は喜んでいるようだが。無印。
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ルーセル:組曲

2006年10月19日 | フランス
◎ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1958live

これはモノラルだがイイ!!こうでなくては、という躍動味溢れるルーセルが聴ける。ずしずし重たいのでもなくカンカン軽いのでもなく、この程度のビミョウさがいいのだ。ミュンシュの解釈は絶妙で、下品ギリギリ、キッチュすれすれの煽り方をしながらも響きがどこかしら透明感を保ってしっかり芯が通っている。これはオケ表記が曖昧ゆえひょっとすると既出盤と一緒かもしれない。素直にクレジットすら見ず聞いていて物凄く惹かれた。喜遊的雰囲気満点。◎。
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ファリャ:三角帽子第二組曲

2006年10月19日 | その他ラテン諸国
○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1967/11/19カーネギーホールlive

非常に攻撃的でスピーディでガチャガチャ派手な開放的な演奏だが、何か軽い。昔のステレオ録音ということもあるだろう(高音域に偏り、音場が歪んでいる。弦楽器が右に偏りオケ配置上は狂っているが実際は必ずしも反転しているわけでもない・・・ストコが実際配置をいじっている可能性はあるが、このてのことはステレオ中継放送にはよくある)。何か薄っぺらいのだ。これだけやらかしているのに感興が沸かない。底から響く音楽であってほしい、踊りの音楽は。高速で高速道をすっとばすスーパーカーの味気なさ、という感じがした。しかし若いなあストコ。若々しすぎる。オケが拡散的なのも一因かもしれない。○。
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ガーシュイン:ピアノ協奏曲

2006年10月19日 | アメリカ
◎ペチェルスキー(P)コンドラシン指揮モスクワ放送交響楽団(melodiya)LP

ナイス攻撃性!いやコンドラシンではなくペチェルスキーのぐいぐい引っ張っていく勢いと鋼鉄のタッチ、そしてこの曲には珍しい自在なアレンジ(ジャジーでもクラシカルでもなく、ライトクラシック的、といったら最も適切か)に拍手である。録音もモノラル末期の聴きやすい安定したもの。コンドラシンは余り精彩のみられないものばかり最近は聴いていたがゆえに、ペチェルスキーと丁々発止でやりあうさまにも感銘を受けたことは事実だ。オケもノリまくっており完璧に噛み合ってこの「大協奏曲」を盛り上げている。リヒテルのような間延びしたクラシックのスケール感を目するでもなくジャズ系の人のやるようなアバウトで刹那的な快楽もあたえない、しかしガーシュインが協奏曲という題名をはからずも付けて内心望んでいたのはこういう完全に融合した境界線音楽じゃなかったのか?アレンジが冗長な曲を更に冗長にしてしまっている部分も正直あるし、違和感を感じなくも無い。しかしこれを聴いて私は今まででいちばん、「この曲そのもの」に対する座りの悪さを感じなかった。ちゃんと聴きとおせただけでも、◎を付ける価値が十分にある。いや、ほんとこの曲って難しいですよ。ジャジーにやるにしてもきちっと時系列に音符(コード)の並んだ楽譜があるだけに思いっきり崩さないことにはうまくいかない、しかしそれじゃオケ側がついていかない。必然的にオケを縮小してビッグバンド並にしなきゃならない、それが自作自演抜粋盤だったりもするわけで、それはそれで面白いんだけど、「協奏曲」と名づけられてるからにはここまで大オーケストラをバックに、クラシカルな技巧の裏づけも持って弾きまくらなきゃ。感傷やロマンは薄いかもしれないけどそんなの誰だってこのての旋律音楽でやろうとすれば煽れるものなわけで、異論封殺。◎。
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バーバー:チェロ・ソナタ

2006年10月19日 | アメリカ
○G.リッチ(Vc)ミットマン(P)(stradivari records)LP

ビル・エヴァンスやハンコックやらとやる畑違いの人になるとは思えないしっかりした骨太のクラシカルな演奏をする人で、音色が深くていい。ストラディヴァリ・レコーズ四重奏団に参加していたチェリスト(ルジェーロ・リッチと関係あったか?)がカルテットの裏面にいれたもの。ドビュッシーのソナタを彷彿とする枯れ葉のような哀しさをかもす音楽ではあるが、高潔で叙情的な第二主題はまさにバーバーならではの美しいメロディで、この曲、よく聞きこめば余り渋さは無い。響きはもちろん現代のものであるが、ディーリアスのあたりに近いかもしれない(もっと硬質だが)。しっかりした作曲技術に裏づけされた作品である。演奏は手堅さもあるにはあるもののバランスに優れていると言ったほうが適切だろう。技巧をひけらかすより素直に叙情的に弾いていくことに向いたさほど起伏のない作品である。ピアティゴルスキーだったかで聴いたときにはわけがわからない感じもあったのだが、この演奏では非常に理解しやすかった。○。
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夢は届かないものであるべきだ

2006年10月19日 | Weblog
何でも欲しいものがすぐ簡単に手に入る世の中になった。頭で思った直後に聴きたい音楽が聴けてしまう。思考の隙すらないがために嗜好は画一化され一方向に扇動されやすい。今に始まったことではないがしかしこれでは余りに、夢がない。いつか聴けたらいいなあ、ああ聴けた!というルートをたどらずして聴くことの先にいったい、リスナーは何を求めているのだろう?簡単に手に入る夢など夢ではない。即物的に科学的論理的にしか音楽を理解できない人が増えている現状に憂うべき想像力の退化、享受する側がそうなっている以上それにおもねるしかない与える側への悪影響を思うと、ストラヴィンスキーやオネゲルの抱いた懸念もわかる気がしてきたのである。ほんらい音楽はそれを聴くために困難がともなったからこそ崇高な理念と内容的進化を得ることができたのだ。
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ヴォルフ:イタリアのセレナーデ

2006年10月18日 | ドイツ・オーストリア
○ストラディヴァリ・レコーズ弦楽四重奏団(stradivari records)LP

この団体はメンバーが明かされていることから覆面ではないらしいのだが、非常に巧い。モノラルということで緊密さ手堅さにおいてはブダペストQを彷彿とし、個人技的にもハリウッドQを彷彿とする舌を巻く巧さだ。この曲は割合と現代的な側面があり、装飾音も巧くこなさないと物凄く野暮になる。ストラディヴァリ・レコーズQはこの時代にしては恐ろしい正確さでそつなくこなし(といっても全体非常に緊張感はある)、本質を見失わない。ただ、ちょっと構造的にしすぎるというか、私は面白かったのだが素直に旋律を聞くたぐいのかたがたにはわかりにくい感じもあるかもしれない。す弦楽四重奏という形態において理想的な演奏を行っていることは確かで、ケレン味のない現代的な演奏方法は今の耳にも十分耐え得るものをもっている。○。
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ルーセル:くもの饗宴

2006年10月18日 | フランス
○マルティノン指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1967/3live

マルティノンはよく知られているとおりルーセルに作曲を師事しており、そうであるにもかかわらず録音がろくすっぽ残されていないのが惜しまれる。演奏的には立体的で、シカゴの機能性を生かした細部まで統制された非常に現代的なものになっている。そこに逆にのめりこめない要素もあるのだが、奏者も指揮者も非常に巧いということは確かに聞き取れる。巷に囁かれた不協和音が信じられないくらい演奏的にも噛み合っている。録音も非常にいいステレオである。ルーセル後期に繋がる躍動感あふれる場面についてはリズミカルな処理も巧く、決して「裸踊りランチキ騒ぎ」に堕落せずフランス的な粋を感じさせる出来になっている(裸踊りもランチキ騒ぎも大好きな私はそれでのめりこめなかったのかもしれないが)。たぶん◎にしたがるかたの多いたぐいの演奏だと思うが、個人的にそこまではなかったので○。いい録音、と書いたがあくまで放送エアチェックのレベルで、ということで。ちょっと劣化音に近い放送ノイズが耳障り。
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ラヴェル:ピアノ協奏曲

2006年10月17日 | ラヴェル
○アンリオ・シュヴァイツァー(ペルルミュテール?)(P)ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(DA:CDーR)1966/7LIVE

ピッチ高っ!最初たどたどしくてメロメロ、ミュンシュは大きく伸び縮み、とどうしようかと困惑してしまうが、テンポは余り上げられないものの1楽章の最後にはかなり解釈を入れてきて、激しいタッチで意外なほど熱気をもって終わる。エッジが立った分離の激しいステレオ録音ゆえ、冒頭よりソリストをも含む弱音表現が聞き取り辛い。音質がニュアンスを捉えきれず2楽章はリリシズムの聞こえ具合にやや不満も残った。ロマンティック過ぎるかもしれない。その意味ではリアリテ溢れる表現主義者ミュンシュと見解の一致がありそうだ。この録音に○をつけたのは終楽章いきなりの攻撃性で、オケがついていかなかったり技術的に墓穴を掘ったようなところも出てくるものの、内容のないところが持ち味とも言えるこの曲の運動性の要求には応えている。起伏の付けすぎのような印象もなくもないが、音が割合無個性なので臭みはない。表記上ペルルミュテールになっているがラジオアナウンス内容と解釈から明らかに誤りである。従って既出盤("0""0""0"classics:CDーR)と同一の可能性極めて大。
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リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

2006年10月17日 | ドイツ・オーストリア
○カイルベルト指揮バンベルク交響楽団(DA:CD-R)1960年代前半放送live

この曲は冒頭と最後の荘厳なファンファーレとその間のひたすら長ったらしいウィーンぬるま湯音楽の格差が激しすぎて、まあどっちも確かに気持ちはいいのだけれども正直リヒャルト適性がないと聞きとおすのは難しいかもしれない。カイルベルトは上手いのはわかるのだが、中間部の魅力という点ではイマイチかもしれない。中間部は思いっきりぬるま湯にしないと。いいステレオ録音。○。
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ロックウッド:プレーリー

2006年10月16日 | アメリカ
ストコフスキ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1954LIVE

オラトリオ。アメリカ国民楽派って、かなり恥ずかしい。派手でロマンティックで耳馴染みやすいだけの曲。初演か。カルミナ・ブラーナの前プロ。評価不能。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第6番

2006年10月16日 | ショスタコーヴィチ
○ストコフスキ指揮シカゴ交響楽団(DA:CDーR)1968/2/15LIVE

いいのかこんな能天気で?というような派手なクライマックスに疑問は残るが盛り上がることは盛り上がる。珍しくブラヴォも出る。そこまでの陰欝な道程がほとんど記憶に残らない。オケの意欲は凄い。技術も含め強力なオケは分厚くもニュートラルな響きで、ストコの開放的な音にはあっていると思う。ストコはしかし明らかにショスタコ適性があるなあ。不安定なステレオ。○。
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ショスタコーヴィチ:黄金時代組曲

2006年10月16日 | ショスタコーヴィチ
○ストコフスキ指揮シカゴ交響楽団(DA:CDーR)1968/2/15LIVE

ショスタコのこのての曲をどう評価するかは別れるところだと思う。こんな劇伴素材に使うにはもったいない楽想が使われてる、と感じる一方、大衆作曲家としても並ならぬ腕を持っていたことを証明するためには必要な「オーダー」だったのだ、と素直に楽しめる曲もある(しかも唯一無二のロッシーニの隔世後継であるというのは明らかな作風なわけで)。演奏はシカゴだけあってやや高尚すぎる感もある。やたらの派手さも一過性の大衆作品であることを考えれば妥当な表現か。○。
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ストラヴィンスキー:交響曲ハ長調抜粋

2006年10月15日 | ストラヴィンスキー
○ストコフスキ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1943/2/21live

1楽章の途中から始まり中間楽章の途中で何度も切れたり断続的な録音となっている。原盤のレコード(複数のものを繋いでいると思われる)の状態が極めて悪いらしく、音はきついなあ・・・。鄙びた懐かしい感じはまるでSPの悪い復刻を聞いているようで(良い復刻は生々しくてLPなんかよりぜんぜん明晰だったりする)、でも木管と弦楽器の音色がとても妖しく美しい。弦のポルタメントとかストラヴィンスキーとは思えない雰囲気を出している。主としてストラヴィンスキーに内在する「叙情性」に力点をおいているように思える。確かにストラヴィンスキーは演奏の仕方次第でいろいろな側面を見せる。金のためにハルサイをディズニーに売ったストラヴィンスキー、その買い主から伴奏指揮を頼まれたのがストコだったわけだが、音楽を一種崇高で宗教祭儀の一つと考えているような節のあった(だからこそ世俗音楽に嫌悪を示すこともしばしばであった)ストラヴィンスキー自身はこういう演奏は嫌うだろうけれども、逆にストラヴィンスキーを身近なものとして聴き捉える事も十分可能なのだ、世俗音楽として演奏しても実に魅力的に聞こえるのだ、と思わせるストコの手腕には敬意をはらっておくべきだろう。録音か演奏かどちらのせいかわからないが結構アバウトな感じに聞こえる演奏であり、状態からしても最高はつけられないが、古典の翻案編曲にも力を入れていたストコだけあってこの曲の新古典的側面が出たときはきっちり古典ふうのアーティキュレーションを導入している(ように私には聞こえた、3楽章。ちなみに途中で録音が切れて4楽章にいってしまう)。ストラヴィンスキー独特のパウゼはここではしっかり挿入されている(ストコは流れを分断するようなパウゼの無視などけっこうやったりするのだが)。終楽章の喧騒はストコならではのハイスピードでアンサンブルの饗宴を繰り広げる。ストラヴィンスキーの並ならぬ才能がアメリカの穏健作曲家たち・・・ピストンとか・・・追随者を大きく突き放すものであったことがよくわかる楽章である。逆にいうとストラヴィンスキーもまたワンパターンをもっていて、その範疇から出ない作品ということでもあるのだが、それは素晴らしい個性である。木管がやや単調な吹き方をしているが弦は美しい。拍手はかなりまばら。
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ヒンデミット:交響曲ホ短調

2006年10月15日 | ドイツ・オーストリア
○ストコフスキ指揮NYP(DA:CD-R)1946/12live

すごい勢いの演奏だがやや拡散傾向がみられる。アンサンブルの乱れはしかし演奏意欲のほうが勝っているというようなかんじで、ストコのドライヴ感は健在だ。ヒンデミットらしい「座りの悪さ」がないのが長所でも短所でもあり、聴きやすさの点では長所とみるべきだろう。これをきく限り省くべきところや欠点など一つも無い傑作に聴こえる。世俗的な意味でかっこいいしひたすら面白い。ただ、録音状態がややきつい。このレーベルのほとんどの音源は市井のラジオ放送エアチェックのようだが、まだ40年代ともなると一般に普及していた録音機材にとってきちんとした録音に残すのが技術的に難しかった点は否めないだろう。途切れたり聴きにくくなったりする部分が散聴される。それにしてもヒンデミットの暴力性がハーモニーやコード進行ではなく「構造」にあると決め、そこで全てをぶちまけて語ろうというやり方はじつにわかりやすい。ストコらしいオーケストラの派手な鳴らし方がヒンデミットの(日寄った)楽曲につきまとう一種渋さを排し、入り組んだ構造も「旋律の一部」と聞かせる巧みさが光る。NYP特有の音のキレの甘さも、ドイツ的な加重を伴う音を多用するヒンデミットのこのての作品には別におかしくなく聞こえる。高弦の天国的な刻みに重なるホルンの咆哮などマーラー的な響きで腹の底から楽しめる。最後は盛り上がります。長くて疲れる人もいるかもしれないけど。
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