湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ムソルグスキー:はげ山の一夜(リムスキー・コルサコフ編)

2007年01月11日 | ロシア・ソヴィエト
ユルゲン・ワルター指揮ハンブルグ・プロムジカ交響楽団(MUSIQUE POUR TOUS)LP

正直物足りない。もっと激しさが欲しいのだ。リムスキーの音楽には派手さが必要であり、ムソルグスキーの音楽には邪が必要である。そのどちらもない。無印。
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ボロディン:歌劇「イーゴリ公」よりだったん人の踊り

2007年01月11日 | ボロディン
○ユルゲン・ワルター指揮ハンブルグ・プロムジカ交響楽団(MUSIQUE POUR TOUS)LP

ひょっとしたら駅売りCDでCD化してるかもしれない。遠い録音で悠揚とした調子は落ち着いた美感を終始漂わせている。個性的ではなく、合唱もないからかなり「聞き流し」用音楽に近いのだが、覆面を被せられたオケには安定感があり爽やかに流麗である。爆発的クライマックスも不要と思わせる調子で終わる。まあ・・・○。
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ダイアモンド:弦楽四重奏曲第3番

2007年01月10日 | アメリカ
○ギレー四重奏団(concert hall)LP

悲歌ふうの両端楽章がミヨー的な中間ニ楽章を挟むある意味無難な作品ともいえるが、ウォルトンのようにわかりやすい透明な美感を常に響きに秘めながら、とくに悲歌の楽章においては親友を悼んで作曲したというその意図が如実にききとれる。最初フォーレと聴き間違ったのは雰囲気としてはありえない話じゃなかったんだなあと思った。ギレーはやや録音のせいかヒステリックに聞こえる箇所もあるような気がうするがつねに緊張感と張り詰めんばかりの力感を抱いて演奏しており、やはりここでも巧みなところを見せる。ナディア・ブーランジェの薫陶を受けたアメリカの作曲家は悉くミヨーになってしまった、というのはかなり言いすぎだが、この人については当たっている部分はあると言わせてもらおう。中間楽章の表現はミヨーの特徴的なプロヴァンスふう牧歌のエコーを感じさせる。牧歌といってもスケルツォやアレグロの少しけたたましいものではあるが、ミヨーほど複雑ではないので聞きやすい。1946年の秋から冬にかけて作曲された、新しいわりに古風な一曲ではある。
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フォーレ:弦楽四重奏曲

2007年01月10日 | フランス
○ギレー四重奏団(POLYMUSIC)LP

じつはこの曲、曲名をダイアモンドのカルテット3番と勘違いしていて(どういう勘違いだ)、終始「渋くて古風な動機だなあ」とか「フォーレの移調・転調そのまんまじゃん・・・素晴らしいけど」とか「ファーストがえんえんと旋律を弾きつづけるところが多いなあ、終楽章は若干込み入ったフーガが出てくるけど構造的に複雑というほどでもないよなあ」とか「きほん旋律音楽だけど、旋律自体の魅力が強いのでこれはこれで成立している・・・ただ、主題自体が少なくて揺れ動く調性でもたせているのがくどい」とか、結論として「これはロシア国民楽派の折衷派以降、ドビュッシー前(フォーレやイベールやルーセルも型式感という意味では前とする)のフランスの弦楽四重奏曲の影響の強い、隠れた名作」と書こうと思ったらクレジット間違ってた。。なんといってもファーストのギレーの音色が優しく心強い。雄渾でもあり、それがチェロと絡むときにチェロも同じ音色でまったく融合し、結果として全楽器がギレーの音にそろえているため非常に完成度の高さを感じさせる。技巧の曲ではなくハーモニーの曲でも必ずしも無いので、そういったところを如何に補完するかといった部分では純粋に旋律表現や移調の鮮やかさ(中間楽章での無限に転調し高揚していきまた羽根を休めるように収まる幻想的な移ろいの繰り返されるさまは今思うと確かにフォーレだよなあ・・・フランクのエッセンスを凝縮して抽出したような非常に感動的な展開がいくつかあります)だけで聞かせる、言うなれば一本の音線でどれだけ表現しきれるかといった横の流れが重要なのであり、これはギレーだからこそなしえた功績は大きいだろう。全般として○としておくが、フォーレ晩年作の演奏記録としての魅力は相対的にも非常に大きい。名演。
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ヒンデミット:弦楽四重奏曲第3番

2007年01月09日 | ドイツ・オーストリア
○ブルガリア弦楽四重奏団(harmonia mundhi)

アマール四重奏団のヴィオリストとして活躍したまだ比較的若い頃、立て続けに発表されたカルテットの習作を除いて3番目、1923年というから、時代的にはまだ前世紀末の暗くロマンティックな色が残っていたころである。後年フルに活用した極めて構築的な独自の「作法」が明確ではなく、却って理知性に囚われない内容本意の無調的作品として、暗い時代性を含んだ魅力をもっている、といえばいいのか。ブロッホを思わせる民族的な主題が粘着気質をかもしているのに、長く弛緩した様子は少しも無く(演奏上の合理性があるのだ)手馴れたすべらかな書法が心地いい。ヒンデミットはやはり天才だったのだなあ、と思う。もっとも作品的にずば抜けた部分も無いといえば無いのだが。合理性と内容重視のバランスという点では後年のショスタコの中期カルテットに似たものを見出すこともできるだろう。この演奏は技巧的な難がなく透明感もあり聴き易い。紹介盤としては十分なものとなっている。
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オネゲル:弦楽四重奏曲第3番

2007年01月09日 | フランス
○ブルガリア弦楽四重奏団(harmonia mundhi)

オネゲルのカルテットは余り演奏されないし録音すら微々たるものだ。このアレグロ楽章でアダージオ楽章を挟んだ三楽章制の短曲など聴くとそのわけがわかってくる。オネゲルの純器楽曲という点で機械のような構築性や理知的な斬新な響きの連環を求めて聴くならば、意外なほど単純な構造しかなく(ただオルガン的な和声のために4本の楽器が存在するかのような場面が多々)、しかもかなり晦渋な主題がえんえん展開されていく様に辟易としてくるだろう。最後に肯定的な主題が暗雲を吹き消すところなど確かに魅力的ではあるのだが、交響曲第2番とほぼ同じような構成であるわけで(時期的には4年ほど遡る)、まるでかつて楽曲普及のため通俗的に行われてきた「交響曲のピアノ版」みたいな印象を受ける。逆に言えば交響曲群の試作としてカルテット群が作られたのかといった感じもある。技術的に安定し整備された引き気味の演奏を行うこの団体の手にかかるとまだ、透明感の中に聴ける要素は見出せる。演奏上決して技術的難点のない曲だと思うし、短いからもっと演奏されていいとは思うのだが、オキラク音楽愛好家には少し敷居が高いかもしれない。私にとってもだ。1937年にアメリカのクーリッジ婦人をパトロンとして作曲されプロ・アルテ四重奏団により初演された。演奏がいいので○。
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ドビュッシー:弦楽四重奏曲

2007年01月05日 | ドビュッシー
○パガニーニ四重奏団(Liberty)LP

テミヤンカがファーストを張るほかはメンバーチェンジを繰り返すことになる戦後モノラル期に活躍した団体。これはCOLUMBIA録音とKAPP録音の間のもので演奏スタイルは前者に近い直線的なもの。ひたすら突き進む趣が強いが、テミヤンカの古風な艶のある表現はさすが耳を楽しませるものである。ただ、セカンド以下の個性が弱く技術的にも表現力にも物足りなさを感じる。悪くは無いが、コロムビアのほうがアンサンブルとしての完成度は高い。

この団体は戦後46年全員パガニーニ伝来のストラディヴァリウス使いとしてアメリカで結成された。liberty盤(まだモノラルである)製作のころには西海岸からエジンバラ祭にいたるまで飛び回り1000回以上のコンサートをこなしてきていたといい、録音や映像にも積極的であったというがこんにち余り目にすることは無い名前ではある。セカンドはロッセールスで1680年製の初期ストラディを使用。ちなみにCOLUMBIA録音ではヴィオラがコート、チェロがマース。liberty録音でヴィオラがフォイダート、チェロがラポーテになり、現在よく知られるKAPP録音ではセカンドがリボーヴ、ヴィオラがシュワルツに変わっている。liberty盤のヴィオラはベルリオーズがイタリアのハロルドを作曲するのを手伝うさいパガニーニが使用したという1731年製のストラディで、チェロは1736年製、92歳死の前年の作とされている(従って工房作品の可能性が高いと思われる)。libertyにはシューマンの1番とブリテンの1番も録れている。この盤の裏面には中国出身のリースの新作(2番)が入っている。現代から古典までカバーする団体としても知られた。

最後にこの録音、何といってもこの時代のハリウッドを象徴するかのような「改変」が特筆すべき点として挙げられる。・・・ニ楽章に奇妙な「序奏」がついているのである!
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チャイコフスキー:交響曲第6番

2007年01月03日 | チャイコフスキー
○ルドルフ・アルベルト指揮バヴァリア放送交響楽団(LE CLUB FRANCAIS DU DISQUE)LP

非常に格調の高い名演で、ドイツ臭さを程よく排したバイエルンの好演も光る(ハンブルグなどかと思ってしまうほどに技術的な難が無くかといってタテノリの重厚さを煽ることもけっしてない)。終楽章前半の音色の味気なさがなければ文句なしに◎をつけたところだが、とくに前半楽章では微に入り細に入るデュナーミク変化やテンポ変化の非常に繊細なドライヴぶりが流麗な音楽作りの中に発揮され、この指揮者のホントに並ならぬ力量を感じさせる、とても消化が行き届いた板についた演奏となっている。2楽章のワルツのテンポ取りはそのへんのドイツ系解釈など寄せ付けない細かいテンポ変化や音量操作の指示が行き届いておりバランスなど絶妙の域である。技術的にもこのオケにしてはがんばっている。1楽章はこれほど格調の高い演歌を聴いたのは正直初めてで、ドイツ系だとはわかるがドイツのタテノリで何もかもねじ伏せる純音楽的解釈ともデロデロに崩して小唄メドレーに終始する凡庸な爆演解釈とも違う、これが本当のチャイコフスキーの音楽なのか、と・・・背筋がぞっとするほどに感銘を受けた。何度も演奏したことのある曲だけど、こういうふうに見通しよく尚且つ絶妙なパート毎の音量操作がミックスしてあらわれる構造物のフォルムの美しさといったらない。ただ磨き上げる現代風の演奏ではない、チェリのような演奏ではない、耽美に近いが耽溺はせず、何といったらいいのか、さっきから迷うくらいである。3楽章はそれに比べると予想通りといった部分があるが前進的な演奏ぶりがしっかり縦の揃ったリズムの連打に(心地よいとはいえないものの)純度の高い音楽の高揚を感じさせ、更にまったく耽溺しない純音楽的な4楽章後半で突如アッチェエランドをかけ始めどこまでもテンポアップしていくところの「どこまでいくんだこれは」といった部分にまたぞっとさせられた。とにかくこんな名演が何で隠れているのか理解に苦しむ。現代的といえば現代的だが現代の指揮者にこんな演奏はできるだろうか、いや現代の放送オケには・・・◎にかぎりなく近い○。
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ルーセル:シンフォニエッタ

2007年01月03日 | フランス
○コミッショーナ指揮DAS RAMAT-GAN室内管弦楽団、コンフォート(Vn)(CONCERT HALL)LP

リズム感がよく統制もとれている。専門室内楽団の演奏は通常の管弦楽団のメンバー選抜にくらべて非常に密度の高い緊張感のある演奏をくりひろげる反面面白みがないこともあるが、これはちょっと堅苦しさもあるものの素直に楽しめた。短い曲なのでまあ、評価はまあまあというところでとりあえず。
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プロコフィエフ:交響曲第1番

2007年01月03日 | プロコフィエフ
○モントゥ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(フランス国立放送管弦楽団)(DISQUES MONTAIGNE/MUSIC&ARTS)1958/5/8LIVE・CD

元来生気ある音楽においてモントゥはとても活きてくる。はつらつとした動きこそこのころにはかなり失われてきつつあるが、それでも喜遊的な音色とけっこう重厚な響きが音楽に迫力をあたえている。この曲には両極端な演奏があり、物凄い集中力とスピードでギリギリ締め上げオケの機能性を見せ付ける演奏と、交響曲としてのフォルムをしっかり組み上げたうえでプロコの既にして天才的なアンサンブル書法を裏までクリアに聞かせることにより徒に演奏技術に拘泥しなくとも「音楽そのものの力」だけですこぶる気分を高揚させるという「落ち着き系」の演奏がある。これは後者に近いかもしれない。それでもライヴならではの「あやふやな勢い」があり必ずしも後者的解釈の要求する精度(音色的なまとまりを含む)が徹底しているわけではないのだが、とくにヴァイオリンなどは決して技巧をひけらかす楽団ではないので微細なバラケ感は否めないのだが、2楽章のリズム処理など押さえるところはしっかり押さえて音楽のフォルムは崩れずドイツ的といってもいいような堅実さを出している。音色のバラケぶりは終楽章のヴァイオリンに顕著だが、このオケにこの明晰な録音ではしょうがないかもしれない。けして名演ではないが堅実。○。
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ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)

2007年01月03日 | ストラヴィンスキー
○モントゥ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(フランス国立放送管弦楽団)(DISQUES MONTAIGNE/MUSIC&ARTS)1958/5/8LIVE・CD

正月三日の恒例行事であったロシア音楽マニアのかたとの新年会が、一昨年初頭の大病をさかいになくなった。

戦後ロシア系音楽・演奏受容史の生き字引のようなかたで、かつては伝説的指揮者や演奏家にせっした生のお話に胸躍らせ、貴重な生録音源に想像力をかきたてられたものだが、15年一昔というか、やはり現在の音楽を愛し過去に拘泥しないスタンスだからこそああいった生々しい話をつたえることができたのだろう、ここ数年は「現在進行形」のクラシック音楽業界と周辺分野の話に終始し、お酒もあまり召し上がらなくなったせいか正直「あまり胸が躍らない」ようになっていた。

おそらく本をかかれるであろうし、知られざる逸話についてはそれを待つしかない。国内レーベルに音源提供したものの業界自体の不振のため頓挫したプロジェクトも多いようである。

昨年はそれでもこの会の求心力となっていた男が積極的に動いて開催を促したようであるが立ち消えとなり、今年はついぞその動きすらとられなかった。その男は紹介だけするから聞きたい話などがあればあとは自分で聞けというスタンスで、大学のころに声をかけてきたのがきっかけなのだが、この男とは小学校の頃からの腐れ縁であり、絡めずして余り知らない人(元から「無縁であったわけではない」かたなのではあるが)と直接会うことには躊躇があった。何より積極的にマニアな話を聞くほど(当時は)「聴く事に対するマニア」ではなかったから、そういうことはしなかった。練習場所提供をお願いしようとしていたこともあるが、組んでいたカルテットが文字通り四散してしまった10年前からはその必要も無くなった。

時間の流れとはそういうもの、だからこそ今の縁に精魂かたむけ、過去は過去として思い出に封じるようにしていかないと、いつまでも引きずるだけでは心がやつれる。既に私は独自の「聴く事に対するマニア」の道をひき始めている。

モントゥの初演したペトルーシュカの録音には結構数がある。しかし最近M&Aが二巻のCDで東西ライヴ音源をほぼ完全にボックス集成してしまったので、過去のプレミア音源には余り価値が認められなくなったようである。これもそのひとつだ。しかしDMのものは分厚いブックレットこそ貴重であり、モントゥの写真がそれほど手に入らない現在、たとえばミヨー夫妻との写真やサン・サンとのきわめて古い共演写真(驚くほど顔つきが変わっていない)、既に結構な年同士であったころのストコフスキとの握手、それに若きストラヴィンスキーとの写真など楽しめる。ただ、全編フランス語なので抵抗のある人もいるかもしれないが。

録音はやや弛緩した様子から始まる。あまり温まっていないようにも感じる。DMのフランス放送音源は録音がソリッドでクリアすぎるせいか、音符の間に空気の通るようなスカスカ感がありそのせいで客観的で弛緩した印象を受けることもある(アンゲルブレシュトのものがいい例だと思う)。演奏が進むにつれ流麗な場面転換と舵取りの巧さがききとれはするものの、どこか落ち着いてしまったような感じは否めない。劇伴音楽としてはたぶん素晴らしい解釈になるのだろうが、演奏会様式としてはもう少し「踊りを無視した強い流れ」が欲しい気もする。モントゥも押せ押せのイメージがある一方でスコアの読みは入念で忠実な再現にも力を注いでおりミュンシュのような千両役者を気取ったごちゃっとしたゴリ押し演奏はしない(ミュンシュも好きだけど)。クリュイタンスほど明晰ではないがこれも立体的によく「聞こえてくる」演奏ではあり、録音のよさは特筆すべきだろう。47年版もカットが問題になるが、冒頭が略されないだけで私は満足。○。
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ドビュッシー:弦楽四重奏曲

2007年01月03日 | ドビュッシー
○パガニーニ四重奏団(COLUMBIA)LP

旧メンバーによる旧録。新盤よりかなり性急で揺れの無い演奏になっているが、なまめかしいファーストの音色はかわらず耳を楽しませる。とくに三楽章の憂いのある表現は新盤ともに出色といえるだろう。こういう色のついた演奏は古ければ古いほどイイ感じの味が出てくる。ライヴで目の前で聴いたら胃にもたれるのかもしれない(自分が演奏していてすら胃にもたれる)。いまどきの演奏に比べればかなり好きなほうです。KAPP盤はこれより音がよく多彩ではあるので、こちらはあくまで若さの余りのスピード勝負、みたいな感じでとらえておくといいかも。中声部以下の技巧は勝っているかもしれない。リズミカルで乱れ無く巧い。一楽章展開部に信じられないカットあり。意味不明。。○。
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ドビュッシー:弦楽四重奏曲

2007年01月03日 | ドビュッシー
ブルガリア弦楽四重奏団(harmonia mundi)

古今東西の弦楽四重奏曲の歴史を一気に二巻のLPにまとめた後編の冒頭に収録されているもの。クロード・ロスタンによるブックレットなどクレジットより曲紹介に終始しており、基本的に「紹介」なので余計な解釈を入れずかなり生硬にやっているのかもしれない。つまりはつまらない。見せ所がない。譜面に忠実な演奏といえばそうかもしれないが、この曲に余り譜面の読みどうこうというのはいらない気もする。あくまで「紹介」としてしか聴けない演奏。うーむ。
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あけましておめでとうございます。。

2007年01月01日 | Weblog
2007年、飛躍の年にはできなくても、もう5センチくらい高く飛べるといいなあ。
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