○ギレー四重奏団(concert hall)LP
悲歌ふうの両端楽章がミヨー的な中間ニ楽章を挟むある意味無難な作品ともいえるが、ウォルトンのようにわかりやすい透明な美感を常に響きに秘めながら、とくに悲歌の楽章においては親友を悼んで作曲したというその意図が如実にききとれる。最初フォーレと聴き間違ったのは雰囲気としてはありえない話じゃなかったんだなあと思った。ギレーはやや録音のせいかヒステリックに聞こえる箇所もあるような気がうするがつねに緊張感と張り詰めんばかりの力感を抱いて演奏しており、やはりここでも巧みなところを見せる。ナディア・ブーランジェの薫陶を受けたアメリカの作曲家は悉くミヨーになってしまった、というのはかなり言いすぎだが、この人については当たっている部分はあると言わせてもらおう。中間楽章の表現はミヨーの特徴的なプロヴァンスふう牧歌のエコーを感じさせる。牧歌といってもスケルツォやアレグロの少しけたたましいものではあるが、ミヨーほど複雑ではないので聞きやすい。1946年の秋から冬にかけて作曲された、新しいわりに古風な一曲ではある。