湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

グラズノフ:交響詩「ステンカ・ラージン」

2009年09月18日 | グラズノフ
○デュフォー指揮ブリュッセル王立音楽院管弦楽団(COLUMBIA)SP

デュフォーは後年アメリカ大陸に渡りモントリオール響のシェフとしてLP録音も行っているそうだが、余り情報が無い。ベルギー国外では特に目立った活動はしなかったようで、知名度もそれに比例しているのだろう。ベルギーオケ自体伝統はあるものの、欧州では余り目立たない存在であるから、聴く以前に総じて既に地味な印象を与えてしまう。この録音は状態からほぼモノラルLP期と重なる、SPでも末期になされたものと思われ、音の厚みも拡がりもLPにひけをとらない。十分だ。

それだけに実体がしっかり聴き取れてしまう。この曲の録音がロシアの録音ばかり(実演もそうといえばそうだが)という点で不利なところもあるが、弱体のオケに無難な指揮、という感が否めないのである。骨董時代にはありがちな、ほぼ一発録りならではの仕方ない部分はあるとしても、演奏がフランスのロシア曲演奏ふうで押しが弱く、かつ音量の強弱がSPとしても余り演出されていないから、エイコーラーの主題がひたすら繰り返されるだけでクライマックスの構築すらよくわからないのんべんだらりとした印象が否めない。うーん。逆に普通な演奏ならではのロシア臭のなさが売りでもあるのだが、よく構じられたアンサンブルが指揮技術の安定ぶりは示すものの学生の範疇を出ないと言ったら言い過ぎか。○にはしておく。
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ラヴェル:2つのヘブライの歌~カディッシュ

2009年09月18日 | ラヴェル
○ドルハーノヴァ(Msp)ニーナ・スヴェトラーノヴァ(P)(MELODIYA)

ドルハノーワの持ち歌のようで、50年代から何度か録音が出ているようだが同一かどうかは不明。押しの強いロシアの歌唱にユダヤ旋律がマッチして、冒頭こそ後期ラヴェル的だが次第にどっちつかずの様相をていしていく。スヴェトラーノフの奥さんニーナ・スヴェトラノーワのピアノはまあ、伴奏。○。ロシア復刻CDでもいくつかあるようだ。これは58年だかの録音をもとにした。ブリテンやファリャとの組み合わせ。
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ラヴェル:弦楽四重奏曲

2009年09月18日 | ラヴェル
○レナー四重奏団(COLUMBIA)

SPというものはプレイヤー本体から出る音で楽しむのが一番で、電気的に処理してしまうと倍々でノイズが強調され、音楽部分がぼやけてくる。デジタル化したら尚更、これはSPで聴いていると生々しく細部まで聴き取れるのだがケーブル経由で最終的にはデジタル化してしまうと何だがぼーっとしたSP復刻CDみたいな音になってしまう。うーん。従って聴感も違う。うーん。SPで聴いていると細かいところが気になる。一音だけ、違うのではないか(間違ったのか勝手に「伝統的なふうに」変更をしたのか・・・精密機械ラヴェルは一音たりとも変更したら崩れてしまう)、とか、八分休符が無い、とか、カペー四重奏団の(当時としては超)現代的スタイルのインパクトに隠れてしまった録音と言われるが基本的に物凄く巧く柔らかく音色も優しく美しい、作為的な強弱や極端でデジタルなテンポ変化のつけ方が、少し他の雑な団体と違っていて、まるで自作のように独特な解釈だが、自然、ボウイングや音響処理には若干ドイツ的な部分がみられる、とか色々感じるところがあった。しかし、電子化したところ、単に呼吸するようなルバートの巧みさとか、ポイントでのオールドスタイルの大仰な見得切り(ためてためて一瞬間をあける)みたいなテンポに起因する目立つ部分ばかり耳に届く。言われているほどオールドスタイルではない、むしろカルヴェなど後代のカルテットのほうがよほどやらかしている。

この団体を表舞台に引き上げたラヴェル自身は眉を顰めたであろう箇所は随所にあるが、今の耳からするととても面白い、かつ、それが下品にならない寸止めであり、音色も艶はあるが品よく聴こえる。カペーなどよりよほど面白いのだが。そもそもラヴェルゆかりの団体、SPそのままの音で巧く復刻できないものかなあ。

激しいフレーズでエッジの立たない1stの発音が少しのアバウトさとともに印象を悪くしている可能性はある。エッジは録音のせいだろう。二、四はいささかリズムを取りすぎの感はあり前進力が時々失われ、一方先へ流れがちで緩いかもしれない。一も時々瞬間的に走る。三はかなり起伏がなく、印象がない。このあたりカペーには劣ると受け取られた由縁か。ドイツ的と書いたが微妙なハーモニーがしっかりした低音と旋律音域の対比という非構造的音響感覚のもとに不協和的にしか感じられないところもある。録音的に捉えられない部分かもしれないが。それでいてアンサンブルは綺麗に立体的に出来ているのである。

ちなみに最近よく出ているUSB接続のVESTAXの安物ポータブルプレイヤーで録音したが(針も備え付けの通常のステレオ用・・・DJ用ではあるVESTAXの針ははっきりとした音が案外いいので本式プレイヤーでも使ってます)、とてもよく使える。機構はシンプルでアナクロだからそんなにヘビーユースしなければ、交換針式のものでいちいち交換するまでもなく(同価格帯でSP針が別売りされている他社機種もあるが)ほとんど傷もつかなさそう。重量盤なら安定しているので、プレイヤーからはみ出す形式でも歪みは出ない。さすが売り切れまで出るタイプの機種だ、ただ、付属ソフトは優秀なのだがバグると始末に終えないので注意。
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グラズノフ:ピアノ・ソナタ第1番

2009年09月17日 | グラズノフ
○バシュキーロフ(P)(MELODIYA)

ロシア系ピアニストの旧録は一時期大量に出回ったのでこれもCD復刻されているかもしれない。バリ弾きピアニストの、残響の無いソヴィエトらしい環境下でひたすら名技性を「スピードと指の回転だけで」示している音源。というわけで最初は唖然としてそのパキパキした粒だった音符表現に「こりゃ自動ピアノみたいだー」と素直に喜ぶのだが、次第にケレン味の一切取り去られたグラズノフというのは単なる旧態依然とした偽リストにすぎない、という感情にとらわれ始め、最後にはすっかり飽きてしまう。でもこういうグラズノフらしくないグラズノフは聴いたことないし、職人的作曲技法を職人的に展開したということでロシア系ピアニストには受けた作品でもあるから、ピアノ好きは楽しめるかも。一瞬凄腕と感じさせるが録音のせいかもしれないが部分的には細かい音符が聞き取れないところも。○。
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ミヨー:弦楽八重奏曲

2009年09月16日 | フランス
○パレナン四重奏団、ベルネード四重奏団(EMI)

何度聴いても無理のある「二重四重奏曲」だが、双方音は軽いもののけっこう力強い団体だけに2楽章、終楽章はがちゃがちゃの喧騒になってしまい、アンサンブルというより合奏曲の様相を呈してくる。しかしこの作曲家が弦楽器による室内合奏曲を余り書かなかったことからわかるとおり、八本が皆、横の音線を主張するようなやり方では(ピチカートが出てくると安心する・・・)正直正解の無い問題に取り組んでいるようなもので、根本から作風を変えるより他無いかなあと思う。まあ、遊びで書いたようなSQ14+15番=Oct.なので、こんなものか。金属的というか硬質で現代的な鋭い音が、音程感をはっきりとさせ救いになっているので○。
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ミヨー:弦楽四重奏曲第15番

2009年09月16日 | フランス
○パレナン四重奏団(EMI)

師匠格のカルヴェと違いケレン味の無く素っ気ない、しかしアンサンブル技術をきわめいわゆる現代フランス的な美しい表現を持ち味とする団体だ。ミヨーは厚い響きの複調性的な重奏を多用するわりに基本は南欧の牧歌的世界を軽い旋律で描こうとしていることが多い。この作品はカルテット作品でも成功した良作と思うが、それは高音域の非常に美しい旋律線を、低音域のカイジュウなアンサンブルが邪魔しない程度におさまっているせいかと思う。じっさいこの曲の旋律は旋律作家ミヨーとしても屈指のインパクトがあるからなおさらバランスよく感じられるのかもしれない。完成期以降のミヨーの緩徐楽章は前衛嗜好のあらわれた耳辛いものが多いがこの曲も多聞に漏れない。しかしここでパレナンならではの軽やかな響きが楽想の暗さを薄め、はっとさせる、そうか、ミヨーの意図は20世紀の作曲家としての辛苦を表現することではなく、この演奏で感じられるような、けだるい午後の空気感の創出にあったのだ、と。終楽章はかなり派手に表現しており、曲もそれを求めているので大団円。とはいえ、○にとどめよう。
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シベリウス:交響曲第4番

2009年09月15日 | シベリウス
○ロジンスキ指揮NYP(DA:CD-R)1946/2/21live

この音源をエントリしてないことに気づいたのでアップ。4番を5番のように演奏するという、新しい演奏になじんでいる向きには違和感のあろう録音である。しかしこの時代には珍しいことではなかったようである。ドビュッシーの影響どうのこうの、というハーモニーについての配慮は(録音のせいもあるが)殆ど聞き取れず、旋律とそれにつけた和音、というシンプルな方法論のもとにトスカニーニというか、もっとメカニカルなアンサンブルのスリルを愉しませるために、オケをギリギリ引き締めて、そこにロケットエンジンをつけたような・・・「4番」なのである。憂いもなく、序奏的な部分はすっとばされ、弱音部ははしょられ、結果、終楽章は盛大に(「大」ではないけど)盛り上がった挙句、チャイコの「悲愴」のような蛇足的な重い響きで終わらせる・・・「静寂」ではなく「歩み」。RVWが9番の最後に「無」と書いたような表現がこの曲にはあっていると思うけれど。ディーリアスと並べて語られることの多いシベリウスだが、これは「自然」ではなく「都会」だ。でも、この演奏それなりに楽しめたりもする。録音も悪くない。○。
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ロイ・ハリス:子供の日曜日の思い出

2009年09月15日 | アメリカ
○ロジンスキ指揮NYP(DA:CD-R)1946/2/21初演live

ハリスはバンスタが交響曲第3番をよくやっていたのでご存知のかたも多いかもしれない。重厚な日本のマニア好みのハーモニーを駆使してうねるようなロマンチシズムを持ち味とし、一方では一昔前のアメリカのドラマのBGMのように硬質だが凡庸な、今からするとレトロなモダニズムを感じさせる手法を織り交ぜて割と同時代的には受けた人である。当代一のネオロマンチスト、バーバーのように音楽を隙なく自然に描ける人ではなく、職人的な技師というわけではないので、この曲にしても前半部のハーモニックな進行から後半部の筆のすさび的な無邪気な楽想への変化がとってつけたようで、ロジンスキの直線的で引き締まったアンサンブルをもってしても首尾一貫が感じられない(組曲と捉えてもちょっと違和感がある)。全般ノスタルジーを煽るにはあからさますぎる曲でもあり、それはロジンスキも得意ではない分野なので尚更かもしれない。バーバーは甘甘の曲でもけしてぶよぶよを感じさせない品があるが、ハリスあたりは膨満感が諸所に鼻につくなあ。まあ、短いので○にはしておく、ロジンスキにしては録音が比較的クリア。エアチェック。
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ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」

2009年09月13日 | ドイツ・オーストリア
○バルビローリ指揮ウィーン交響楽団(aulide:CD-R)1969live

意外とNYP時代を思わせるしっかりした演奏で、音符もキレており、VSOもドイツ風の重量感を示している。バルビらしさは確かにテンポルバートのケレン味にあらわれてはいるのだが、殆ど違和感なく、そして殆どルバートとも感知されない。意外なほど正統的な演奏を目して成功しているのである。NYP時代を思わせる、というと2楽章や4楽章第一旋律の恣意性の感じられる揺れが、旋律の大幅な揺れというよりフレージング処理の範疇におさまり、とくに4楽章のほうは意図的に遅くとることで、ただコケオドシの見得を切るのではなく、計算されたバランスをとろうとしていることが読み取れる。この人のベトでは成功したものと言えよう。ただ、録音最悪。
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ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲(途中)

2009年09月13日 | ラヴェル
チェリビダッケ指揮南ドイツ放送管弦楽団(DA:CD-R)1976

放送エアチェック。ねっとりとしたフレージングが印象的な、70年代以降のチェリとしては感情の起伏の感じられる演奏。まだ空気の通るような構築性・音響第一の表現には至っていない。そこはそうとして絶望的なマイナスポイントがある。「全員の踊り」の途中でアナウンスがフェードインしてきて「放送が終了する」のだ。こりゃセンスなさすぎ。無印。
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シベリウス:交響曲第2番

2009年09月12日 | シベリウス
○シュミット・イッセルシュテット指揮ハンブルグ北西ドイツ放送交響楽団(capitol/pristine他)1956

この時期にしては不思議に良い録音、というのは当たり前だが(ぐぐりましょ)pristineのネット配信は状態のよい原盤からの板起こしだけあって、私はやはり固さが気になるけれども、デジタルにリニューアルされたかんじが冷たく引き締まったこのコンビならではのドイツの理知的な表現にあっていて、好きな向きはまあまあ満足いくものだと思う。演奏自体はけっこういろんな板や媒体に起こされてきただけあってガラグリよりも余程都会的な「ドイツ流シベリウス」。シベリウスはもともと冷たく音響的な、縦の揃った、音符の粒だったピアノっぽいきちっとした表現を求める作曲家であり、まだ国民楽派的なこの曲でも2楽章にはその表現の的確さが求められる。先鋭的な響きと楽想の交錯だけを聞かせるような楽章ではあるが、ここでイッセルシュテットは1楽章でみせた地味で冷めた表現から、逆にイマジネイティブでロマンティックな表現に変化をみせている。1,4楽章なんていくらでも旋律で煽ることは可能(イッセルシュテットは4楽章ではスコアリング通りきちんと強弱のメリハリをつけてのんべんだらりと歌い続けるブヨブヨした音楽に堕するのを避けている)、3楽章は4楽章の前奏的なパキパキなスケルツォなので自ずとオケコントロール次第になる(イッセルシュテットは2楽章からアタッカのようにコントラストをつけて雪崩れ込んでいき弱体オケの弦をそれでもしっかり刻ませている)、となるとやはりこの曲演奏の評価は2楽章次第。ブラームス的な世界観に支配されながら、ドヴォルザークを思わせるブラスへの力の入れようも含め、なかなかに凄い演奏。4楽章の地味な展開部も、それ以外のやや客観的で空気の通るような表現に比べるとボリュームをもたせ、巨視的な構成感を示している。○。
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サラサーテ:カルメン幻想曲(ビゼー原曲)

2009年09月11日 | その他ラテン諸国
タシュナー(Vn)レーマン指揮バンベルク交響楽団(ANDROMEDA他)1953/8/21・CD

これはイマイチだ。凄く上手い、というかこの曲は思いっきりソリストの腕を見せ付けるために作られているのでその点では凄みはある。しかし古今のトップクラスのソリストにくらべ技術的にどうかというとけして上位ではない。ドイツ的な重く切り裂く弾き方からは南欧の楽天的な世界は生まれないのか。ポルタメントを駆使する緩徐主題のメロメロぷりたらなく、これは勘違い演奏かもしれない。もうちょっと力を抜く場所もあったらいいのに。同じ名前の編曲は他にもあるがサラサーテのものは古風。無印。
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ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2009年09月11日 | ドイツ・オーストリア
○タシュナー(Vn)アーベントロート指揮ベルリン・フィル(ANDROMEDA他)1944/12/16ベルリン・CD

極めて悪い録音のせいもあろうが、この人の音が私は苦手だ。金属質で尖っていて、弾き方も非常にキレていて短い音符には全て激烈なスタッカートがついているようなもの(このキレぶりはバックオケも同じ)、音程は完璧だし音量もやたらとでかいのだが、指揮者で言えばライナーの直球をトスカニーニふうに揺らしたような、ごく小さくも効果的で板についたアーティキュレーションでこうじるさまは確かに技術的な凄みや解釈再現の完璧さを印象づけるものの、これは音楽なのだろうか、と思ってしまう。いや音色は録音のせいかもしれない。でも弓の毛をビチビチに張ってギリギリ押し付けるようなドイツ的な奏法はオケプレイヤーや教師としては魅力的な業師ぶりを発揮しようものだが、ソリストとしては、何かが足りない。というか、上手いなあ、と思っているうちにだんだん、いらいらしてくる。性急な演奏はこの人の持ち味のようで、つんのめったようなテンポ感がしまいには技術的な限界を超えてしまうこともあり、左手指がこんがらがったような演奏になったり緩徐主題がメロメロに崩れる(それも解釈と言えばそれまでだが)感も否めない。この曲はそこまで難しいものではないから単純な曲でこそ腕を見せ付けるこの人らしい魅力が、ブラームスのシンフォニーを奏でるように真剣で素晴らしいバックオケとのアンサンブルあいまって重量級の愉しみは提供する。だから○にはしておく。しかし、もっと潤いが・・・
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マーラー:交響曲第5番

2009年09月08日 | マーラー
○P.スタインバーグ指揮ハーグ・フィル(AULIDE:CD-R)1998/6/14ハーグLive

やや無個性なオケに職人的な指揮者、というとマーラーでは余り受けないたぐいの演奏ととられようが、軽快なリズムに力強くしなやかなライン、エッジの立った明快な表現から立体的な音楽作り、そつなく見えて劇的な効果を与える、二世指揮者にとどまらぬ並ならぬ力を感じさせる熱演。ミスや事故は頻発するがライブを聴いているという前提においてはけして捨てたものではない。速いテンポに対し重量感ある響きや振幅の大きなうねりが整合性を保ったまま最後までしっかり盛り上がりを作る。大粒とは言わないが良い演奏。○。
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ヴォーン・ウィリアムズ:ロンドン交響曲(交響曲第2番)

2009年09月07日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(EMI)1968・CD

この時代にしてはやや録音が雑な気もするが板のせいかもしれない。演奏も壮年期を思わせるスピーディで激しいものになっている。この曲は作曲家がフランス音楽の影響、とくにドビュッシーからの和声的影響を受けた最初の成功作とされ、しかし初期の生硬で長々しいものから後年短く改訂されたためもあって、ロンドンの一日を「まんま」描いた音詩であり、かつ形式的に締められた純交響曲でもあるという矛盾をはらむ、どう聴いたらいいのかわからない部分もある過渡的な曲である。バルビはそういう曲を巧く聴かせられる練達したわざを投入し、既存旋律をカラフルに飾っただけのフレーズが現れてもそう感じさせない、不自然さを感じさせないように融合的に描く。断続的なスコアを忠実にデジタルに表現してコントラストの強いはっきりした音楽を作るのではなく、旋律の連なりを旋律自身の起伏の延長としてレガーティッシモに表現させてゆき有機的な音楽に昇華させていくやり方がここでは成功している。とても聴き易い半面眠くなってしまう、しかしこれは音楽自身が気持ちよすぎるせいか。この曲に抵抗感を感じる向きには勧められる。○。
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