湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

グルック/ブラームス:ガヴォット(ワイナー編曲)

2009年12月06日 | その他古典等
○レナー四重奏団(COLUMBIA)SP

綺麗な旋律をただ楽しむことのできる演奏。レナーの表現のしなやかさが活きている。
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バッハ:オルガンのためのトッカータ ハ長調(ワイナー編曲)

2009年12月06日 | その他古典等
○レナー四重奏団(COLUMBIA)SP

名作はどんなに手を加えられても名作。もちろん演奏がしっかりしていればこそだが。それを印象付けるものだ。じっさいこの曲みたいなものはカルテット編成くらいなら全然アリ。レコード会社肝入りのレナー、ヴァイオリンのソリスト級の巧さにも傾聴。
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オネゲル:室内協奏曲

2009年12月06日 | フランス
○ランパル(fl)ピエルロ(o)ウーブラドゥ指揮パリ室内コンサート協会(EMI)1953/10・CD

50年代にしては音が悪い気もするが不世出のフルーティスト、ランパル全盛の確からしさに沿うようにピエルロ、バックオケが明快なアンサンブルを組んでオネゲルでも余り知られていないこの曲の、知られていない由縁である構成の弱さを吹き飛ばすかのように、一貫した演奏を繰り広げている。オケはフランス風のアバウトさを持ちつつも、書法の要求するデジタルな古典派的表現をしっかりとれており、協調性もあってそれほど悪くはない。1楽章が六人組の牧歌的世界をそのままに美しい。2楽章でショスタコ風の暗さが現れてもはっきりした演奏スタイルがそちらの歌謡的な晦渋さに寄せることなく、オネゲル特有のメカニズムに耳を惹かせるから割と集中力をもって聴き通せる。3楽章ははっきりオネゲルのシンフォニズムがあらわれ合奏協奏曲の魅力を見せ付けるものだが、やや音楽の力が弱いせいか、いつものこととも言えるけれども、尻切れ蜻蛉にも感じる。いずれ殆ど忘れられているオネゲルのシンフォニーや管弦楽曲、オラトリオなど大規模作品「以外」の作品としては、一流とは言えないが確かに、この面子では聴き応えがある。○。
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フランセ:BEAセレナーデ

2009年12月06日 | フランス
○モーリア指揮ツールーズ国立室内管弦楽団(PIERRE VERANY)CD

フランセの曲集は極めて少ない。しかしLP時代、多作家ゆえフランスでは自作自演を含めけっこうな数のものが存在はしていたようだ。フランス国内LP盤高騰の昨今あおりを受けた形で入手が困難になっている(人気作家ではないので突然安売りもされるがCDにはならない・・・左欄にも書いたけどデルヴォと自身でやったコンチェルトなんて放送音源ゆえまず無理、喉手だ)。好みにもよるがサロンふうの、イベールの後をつぐ清新なオトと手法を駆使した小規模作品の数々はいずれも雰囲気音楽として癒しと感興の刹那をあたえてくれる。当たり外れはあるがどの作品も同じといえば同じ、モーリアらのこの曲集がボックス廉価復刻でもしたら、ライト派は手にされてはいかが。

同曲はトップ作品とは言わないが若きフランセの尖鋭な部分も適度に残っており、古きよき時代の艶が同時代者として織り込まれた、今となってはレトロな趣も魅力の大きな部分を占める組曲。ヴァイオリン独奏が狂言回しのように生温い旋律を引っ張り、機械仕掛けのアンサンブルがきびきびと逆にひんやりと絡み、全体としてバランスよく仕上がっている。自作自演のまさに「その時代」の演奏様式で聴くのがいちばんいいと思うが、音が古く技術的にもアバウトである。もっとフランセのプロフェッショナルな書法と、スコアの美質を味わいたい向きにはこの「真面目な演奏」をお勧めする。冒頭より金属質で線の細いヴァイオリンが雄弁に、若干多めの残響の中で実に簡潔なハーモニーを引き立てていく。スケールが大きくコンサートホールの趣である・・・ビヤホールではなく。技術的瑕疵が無く現代の聴き手には向いている。たっぷり時間をとり表現している場面が印象的で、曲間もしっかり時間をとる(自作自演は比較的アタッカに近い形で通していく)。それまでの流れとくらべ終曲がちょっと小粒で尻切れだけれども、これはそうかかれているのだから仕方ない。いずれ、フランセ入門盤としていい演奏。BEAしか使わず旋律を作っているのに、ちゃんと世俗音楽になっているという技を楽しもう。○。
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バーバー:弦楽のためのアダージョ

2009年12月03日 | アメリカ
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(GUILD)1940/5/14LIVE・CD

これぞトスカニーニの美である。人声の厚い響き。このバランスは明らかに歌唱であり、合唱である。弦楽合奏は精妙な重なりの彩により、とくに録音ではしばしばコーラスのようにきこえることがある。偶然の産物であることが大方だが、トスカニーニにかんして言えば、合唱を越えた合唱、というような響き合いを求めているように思える。人声そのものにはきこえないのだが、ハーモニーが厚みを増し単純で力強いアンサンブルを背に音量的に昇り詰めていく、時にはかなりデフォルメされた表現をまじえ一糸乱れぬ調子で真摯な祈りに結実させていく。この感情を歌と言わずして何と言おうか。ケレン味なき芸風に対し真実を伝えるレベルの録音に恵まれたとは言い難いトスカニーニには、私もそうだが響きの美しさやカンタービレの滑らかさよりも、明確なテンポとリズムの快楽的な即物性を求めがちである。だがこう単純でもしっかりと骨太の作品においては、録音が最悪であっても、トスカニーニが何より誇ったとされる歌謡的な美しさがやはり自ずと伝わってくる。数々ある録音でもこれは一際真に迫ったものを感じる。まさにプラトーンの映画の世界に近い、卑近でもずしっと響く解釈表現。録音のせいで○にはするが、トスカニーニの同曲録音でも白眉か。
Comments (3)
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