湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ジョリヴェ:交響曲第3番

2016年08月24日 | Weblog
ドラティ指揮ORTF(ina配信)1964/12/17放送 live

さすがの職人ドラティも、起承転結つけてやるにはあまりにも雑然とし色彩と打音を振り撒き続けるだけの曲なので、なかなか「聴かせる」には至っていない。ただ、録音状態にかなり問題があり、音がブルブル歪み、篭っており、繊細で精緻な響きの要求される現代音楽にこの音はかなりのマイナスで、印象の悪さにも繋がっている。メシアンとオネゲルというか、騒音主義と異国情緒というか、前衛と後衛がこんがらがったようなジョリヴェの作風の前者が比較的引き立ち、叙情的な神秘性をかもす中間楽章は聴かせどころであるだけに惜しい音だ。まあ、ガシャガシャ長々と聞かせて唐突に終わるから、ブーイングも口笛も出るわな。
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プロコフィエフ:交響的協奏曲

2016年08月24日 | Weblog
ロストロポーヴィチ(Vc)ザッヒャー指揮ORTF(ina配信)1975/8/11放送 live

やはり大曲であり難曲だ。同曲の被献呈者にして多大なる助力者ロストロポーヴィチをしても、余裕の無い、辛い部分が無いとは言えない。ロストロポーヴィチの何とも言えず甘やかで太い音色を活かした叙情的なフレーズはここには余りない。チェロという楽器を研究し、ここへきてなお新たな作曲上の技巧を盛り込もうとするプロコフィエフの、前期と後期の混交したような複雑な様相、それが連綿ととめどもなく繋がってゆく音楽、とくにチェロの主音域を強く意識して、高音を使わせないため一般的な耳からするとメリハリがなく聴こえ、私も苦手とする曲なのだが、しかしまあ、ザッハーの引き締まった指揮ぶりも素晴らしく、硬質で高精度の演奏を目したところで、いくぶん見通しは良くなっている。ソヴィエトの偉大なソリストを迎えたライヴということもありオケからも緊張感が伝わる。でもま、ロストロポーヴィチでなければここまで聴かせること自体無理だったかもしれない。熱狂的なブラヴォで終わる。
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マーラー:交響曲第1番「巨人」

2016年08月24日 | Weblog
マルティノン指揮ORTF(ina配信)1971/11/17live

マーラーを得意としただけあり、かなり揺らしてきて面白い。基本的には他の記録でも聴かれる解釈ではあるが、即興的なところが多かったのだろう、機能性に欠けるオケが前半楽章の随所でついてけないのは残念。特に一楽章、後半から終盤ではミスやズレが頻発し瓦解寸前、終わり方も無理矢理。そこから二楽章冒頭、よせばいいのにリズムをズラそうとして、これが揃わずバラバラで人工的。重量感もありそこそこ楽しい踊りなのに勿体無い。ラストの再現ではズラさず明確なリズムできっちり演っている。これは敢えての解釈だろう。後半楽章は前半楽章ほどの揺らしはなく、滑らかなアーティキュレーション付けが楽しめる。相変わらず弦の細かい動きが揃わないなどフランスオケ特有のアバウトさは感じられるが、本来的にドラマティックな要素が強い音楽なので、多少瑕疵はあってもそこに沿って進行するだけでも十分揺さぶられるものである。極端に煽ったり激しい音は出さないが(ブラスの丸い音はオケの性格なので仕方ない)、アルマを魅了したバルビローリのような確信犯的な設計自体で惹きつける。マルティノンの解釈の面白いところは曲によって分析的であったり主情的であったりするところで、タイタンについては後者だから、素直に楽しい(マーラーでも千人など大曲になると前者の色が濃い)。大ブラヴォで締まるのも頷ける。
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ヒンデミット:画家マティス交響曲

2016年08月23日 | Weblog
スワロフスキー指揮ORTF(ina配信)1968/3/14放送 live

さぞかし低体温症な演奏だろうと思いきや、たしかに風がスースー通るようなところはあるものの、ヒンデミットっぽいザクッと斬り込む表現はこのオケらしくないほどで、とくに低い音域でゆっくりうねる長い音符、緩徐部の響きは深く迫るものがあり、マーラーを思わせる。もともとヒンデミットは伝わりやすい構造を持っているが、ここではスワロフスキーの特徴としての見通しの良さよりも、そういった深刻ぶったところや、激しいアタックで演出されるドラマが耳を惹く。耳を切り裂くような高音のトリル、重く轟くブラス、むしろバランスや精度を犠牲にしてまで「音楽」たろうとするところに感銘を受けた。もちろん良い音なので新古典主義らしい協奏音楽的な音の絡み合いも楽しめる。ヴァイオリンがもう少し分厚いと迫力が増すのに、というのは贅沢な要求か。スケールの大きな佳演。大きすぎて構成感が、、、それは曲のせいでもある。聴衆反応はばらける。
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ラヴェル:スペイン狂詩曲

2016年08月23日 | Weblog
マデルナ指揮ORTF(ina配信)1971/6/30live

謎のフランス音楽への拘りを見せるマデルナ、まあ、オケがオケだからというのもあるが、さすがラヴェルの作品だけあってどうやっても曲になるというか、どきついとすら思える色彩感が出ている。少し重く、統率力にも問題はあるものの迫力あり(ちょっとシンバルがうるさい)、響きの多彩さがはっきり。緩急もこの人にしては自然についているが、やはり場面場面の切り替えが面白く聴ける。現代の演奏としては問題はあるかもしれないが、ブラヴォが飛んでいるのは良かった。モーツァルトにベルクという無茶苦茶なプログラムの最後。あ、ブーイングもありますよ。

それにしても、ラヴェルは曲数が少ないので、さんざん聴いてきた曲に今更、というところがあり、よほど個性的でないと頭に残らないし、食指も伸びなくなった。
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ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2016年08月23日 | Weblog
アンドラード(Vn)フレスティエ指揮ORTF(ina配信)1970/2/11放送 live

フレスティエのブルッフ?と首を傾げながら聴いたが、隈取りの濃いハッキリした音作り、またソリストの、この曲にしては荒っぽく音色にこだわらない表現とあいまって、野武士のような、というかドイツっぽいのか?クリアな録音ともども、太筆書きの演奏を、楽しむというよりは、聞いた。作曲上の師匠デュカス、自作にメインがラインというなんともボリュームたっぷりなコンサート。拍手無し。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第8番

2016年08月23日 | Weblog
コンドラシン指揮ORTF(ina配信)1969/2/9live

各声部が剥き出しで使われるショスタコの書法にあって、弱音で弦の返しがきちっと揃わないとか、一部音に迫真味が足りないとか(場面場面でバラツキがある、肝心なところは押さえている)、木管ソロの技巧的なフレーズが厳しいとか、オケ起因と思われる難点は指摘できるが、全体の調和、響きの明るさ、音の柔らかさはコンドラシンの音楽の印象としてある強引さ、響きの渋さを払拭しており、音楽的に美しくなかなか聴かせる。色彩感はこのオケならではだ。七番と対照的な、謎めいた物語をきれいに読み解いていて、ステレオの良好な録音ともあいまって変な思い入れ無しに普通に楽しめる。陰影が無いところ印象は異なるが、解釈としては他でも聴けるコンドラシンのものであろう。拍手カット。この前に演奏されたフランソワのプロコ3番は残念ながら残っていない模様。
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ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

2016年08月22日 | Weblog
マデルナ指揮ORTF(ina配信)1968/4/18放送 live

ドイツでの実況録音でも重くてパッとしなかったが、リアル志向の音作りで、にもかかわらず統制が行き届いておらず細かい音符がバラけまくりだから耳心地が悪いままで、解釈も何か一貫せずブロックをただ積み上げているようで、音楽そのものがバラバラに聴こえる。ドビュッシーなりの前衛の入った繊細な表現が再現できていない。音がステレオで非常にクリアだからなおさら細部が気になる。とにかくドビュッシーっぽくなくて、逆にこの曲そのものがドビュッシーぽくないことを認識させられるというよくわからない状態。ギクシャクしているような、オケとの相性も良くないのかもしれない。何故かラスト近くになって小虫の蠢くような表現が板についてくる。狭いホールのようで聴衆の拍手も少なく、終演後いきなり雑談やらブーイングやら始まるのはこの演奏会自体が前衛音楽をメインとしたものであったせいもあるか。これが最後の演目なのである。
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プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2016年08月22日 | Weblog
スターン(Vn)パレー指揮ORTF(ina配信)1966/6/28放送live

ひどい。両者とも即物主義的な解釈で聴かせていくかと思いきや、ソリスト、音程もテンポも不安定でミスも目立ち、一楽章終盤の重音進行の不協和っぷりをはじめ、何か調子でも悪かったのかと。オケとズレてしまうところも散見される。三楽章後半のろうろうと歌う箇所ではじめて耳を惹かれる。スターンの音は非常に安定しているが美音とは言えない。普通を突き詰めたような音だ。ニュアンスに乏しく、物語ることをせず、細かいヴィヴラートで何とかしている感がある。全体の構成感への意識も感じられ無い。この曲は浅薄かもしれないが、シゲティがレパートリーとしていた位のものはある。プロコフィエフならではの独創的な表現が散りばめられており、シニカルな調子も夢見るような調子も当時のプロコフィエフの全てが反映されている。後進に与えた影響も少なくはない。そのスコアの色彩感をパレーは何とか展開させようとしているが、我が道を行くソリストが音程悪ければ、全部がバラけて台無しというものだ。これはおすすめしない。録音の良さが却って仇となっている。終演後は普通の拍手にブーイングが散りばめられている始末。
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ヒンデミット:気高き幻想組曲

2016年08月22日 | Weblog
マルティノン指揮ORTF(ina配信)1969/12/10放送 live

ヒンデミットは重量感のある音でガシガシやるものと思っていたらこういう透明な演奏がでてきてちょっと戸惑う。主題の一つ一つに意味を持たせることはしない。個々のフレーズに対しては達観したようにニュアンスを盛り込まない(オケの特性でもあろう)。柔らかい音でこの作曲家特有の光明ある響きを、ことさら引き出したような表現だ。目から鱗は落ちるがこんなのヒンデミットじゃない、と思うところもある。オケには「お仕事」的な感じもする。もっとも、ヒンデミットが聴きづらい、暑苦しいという向きにはこういう解釈はありだろう。ここまで書いて、低音を捉えきれない録音のせいのような気もしてきたが、偉大で圧倒的なヒンデミットはここにはない。スコア自体が語るくらいには大言壮語ではあるので、興味があればどうぞ。弦とかもっと音を切って動きを出してほしいよなあ。
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フランセ:オーボエと管弦楽のための組曲「花時計」

2016年08月22日 | Weblog
ゲーテリュック(Ob)アルベルト指揮ORTF(ina配信)1964/3/17フランス初演放送live


円熟期後に顕著にみられるような筆の遊び感は無い曲で、耳心地良い旋律音楽から後半フランセらしい歓びのあふれた音楽に帰結する。フランセの音楽もプーランクなどと同じく木管アンサンブルに向く。だが、肝心の木管セクションとソリストの技巧的なやりとりが延々続くところでズレる。ソリストは個性的ではないが技師だ、ところがオケ側がソリストと何度もズレるのは、書法的に無理があるのか?木管セクションだけでのアンサンブルはまとまっているので不思議だ。
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コープランド:交響曲第1番

2016年08月22日 | Weblog
作曲家指揮ORTF(ina配信)1971/6/30live

ショスタコーヴィチを思わせる骨皮な響きとリズムから始まるが、楽器の使い方と主題の能天気さが違う。二楽章ではよりコープランドらしいリズミカルで明るい音楽が展開するが、同じ音形の執拗な繰り返しが飽きをきたさせる。もっとも良く鳴るオケに確信を持った棒は曲はともかく聴かせる。三楽章はわかりにくく晦渋で焦燥感のある、コープランドの特に前期に聴かれたような、同時代アメリカ交響曲にありがちな雰囲気がある。織り交ざるソロヴァイオリンや高音木管楽器の軽妙な走句が面白い。執拗な反復、ピアノの用法などあきらかにストラヴィンスキーではあるが、独自の新鮮な(後年マンネリ化する)表現が後半楽しく聴ける。最後やや尻切れでも聴衆反応は暖かい。
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スクリアビン:交響曲第5番「プロメテ〜火の詩」

2016年08月21日 | Weblog
アルベルト指揮ORTF&cho(ina配信)1971/6/9放送 live

ルドルフ・アルベルトはセント・ソリのレコードがやたらマニアに聴かれていて、ところがACCORDがいきなり廉価復刻したらワゴンに直行、しかも比較的新しい人というイメージで、マニアだからいくつか持ってはいるが、印象に強く残るものはなかった(プレートルについても同じイメージがあった)。名前のイメージからか職人的でフランスの演奏に期待される響きが引き出せない人のような気がしていた。そう、期待していなかったので驚いた。最初の神秘和音の美しさ!重心を敢えて軽く、粘り気なく響かせ(それでもしっかり調和している)、そのうえでこの色彩感!このオケではロザンタールが得意としたカラフルな管弦楽の饗宴。ロザンタールの雑な部分は無く、まあそのぶん個性は薄まっているのかもしれないが、でも、気づかせてくれたことは、この曲は短い音符が要ということだ。ソリスト不詳なのは完全に融和的な演奏だからで、そのような扱いで良かったのだ(終演後の反応からして名のある人ではあると思う)。パラパラと胡麻を撒くように高い音を散らし、分厚い和音をユニゾンでただ動かしていくようなスクリャービンのやり方をそのまま音にするだけではいかにも、ロシアロシアした泥臭さが残ってしまう、そのあたりに動きを出し、だからといって協奏曲的な大仰なやり取りをするとまた古臭くなってしまう、ここをピアニストはまったく声部の一つとして「管弦楽を動かす」ことに専念し、取り出して聴けば生硬で冷たく感じるかもしれないが、そこがじつにオケの志向とあっている。交響曲と言いながらピアノとトランペットのための協奏曲を書いたと言えなくもないショスタコチックなこの曲を、ピアノとトランペット主体ではなく、たとえば弦のピチカート、たとえば鉄琴、そのへんのやはり「胡麻を撒くような音」によって響きの拡散性を強く印象付けたり、そういったことをやって、まったくフランス的な〜スクリャービンもそういう表現を求めたろう〜夢幻的で、決してどぎつくない音楽を仕上げている。褒めすぎたが、同じことをダラダラ書いてるだけなので、全世界で100万人はいると思われるプロメテウスファンは一度聴いてみてほしい。リヒテル/スヴェトラコンビとは対極にある。明るいスクリャービン。合唱が入ったら「シレーヌ」かと思った。ちょっといじってるかも。案外保守的な聴衆は戸惑い気味な拍手から始まる。
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アイヴズ:祝日交響曲

2016年08月21日 | Weblog
ルーカス・フォス指揮ORTF(ina配信)1970/4/1live

直球でアイヴズを演ってしまった!整理して演出すれば、まだ形になるこの曲を、わざとだろう、そのままやってタダの騒音音楽にしてしまった。もちろん時々片方に寄るくらい質のよくないステレオ実況放送録音ゆえ、アイヴズの想定した空間的な音響配置とか一切無視して、全部混淆し固まって聴こえてしまうせいとも言えなくもない(じっさいアイヴズでなくとも大コンサートホールの変な席で下手な現代音楽を聴くと、作曲家の理想としたであろう響きが全く聴こえなかったりする、マーラーですらそういうとこある)。有名なノコギリのビョーン音でさえあんまり目立って聞こえて来ない。とはいえ、チャレンジングな現代音楽シリーズの一環であれオケは手を抜いていないように聴こえる。ま、同時に演奏されるカオスな合奏部のどこかが手を抜いてくれると、逆に曲になるかもしれないのだが。案の定大ブーイング。ま、欧州オケの華である。ましてフランス。
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ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲

2016年08月20日 | Weblog
アンセルメ指揮ボストン交響楽団他(melusina)1955/12/3live

明晰にそっけないテンポでサラサラ流れていく中、繊細な表情の綾を聴かせる「雲」が秀逸。「祭」はさすがにリズムが正確すぎて踊るような表現には至らないが色彩的で透明感あり、ミュンシュのそれとは異質だ。「シレーヌ」は合唱付だが演奏会形式で、2楽章とはきちんと切っている。どちらかというと静かな音楽の細かい響きや動きを注意深く聴かせる演奏といえる。
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