湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

2016年08月20日 | Weblog
ミュンシュ指揮NYP(DA)1967/2live

ステレオで、良好とは言えないものの聴ける音だが、何かパッとしない。ミュンシュらしいリアル感もなく(これは曲がそうだからいいのかもしれない)、ニューヨーク・フィルらしい押しの強さもそれほど感じられない。あくまで前プロの曲といったところか。
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オネゲル:交響詩「ニガモンの歌」

2016年08月18日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA)1962/4/27live

書法的には初期ストラヴィンスキーを透過したワルキューレの騎行みたいなところのある曲。しかしオネゲルらしく、より目の詰まった書き方で、分厚い和音に半音階的な動きで呪術的雰囲気を高め、若干聴き手に媚びてるようなところもなくはないが、それにしては謎めいたディミヌエンドで終わり聴衆も戸惑い気味の反応。ミュンシュ以外の人が振ったら果たして演奏効果を上げられたのだろうか。

ちなみに今、曲名で検索したら私のブログが出てきて、既に同じ音源について書いていたことが判明した。随分前におことわりしておいたのだが、このブログは(あんまり無いが)同じ音源を時間をあけて何度も書くことがあります。それはその時々で、聴き手である私の趣味嗜好や「耳」の変化がありうるからで、真反対のことが書いてあっても、それはその時々で受けた印象を素直に書いているものです。いわば同じ名前の年齢の違う別人が書いたとご理解いただければと思います。
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フランセ:6つの大行進曲〜第一帝政のスタイルで

2016年08月18日 | Weblog
ツィピーヌ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(pathe)

1954年映画「もし、ヴェルサイユが語られたとしたら」の音楽・編曲を担当したフランセが、それよりまとめた管弦楽組曲の裏面に収録。副題のとおりこれも、フランス革命を主題としており、フランセらしい部分はごく僅かで、いかにも復古的なブラスバンド行進曲の寄せ集めである。しかしながら、劇伴を多くやったフランセらしく、個性を出さず職人的に仕立てる腕は完璧だ。ナポレオン時代の覇気に満ちた雰囲気を(フランセらしい洒落っ気は抜きで)楽天的に打ち出し、もちろんそれ以上のものではないが、ツィピーヌの勢いのある棒と楽団の力で、一般の人にも受けそうだ。コロンヌ管の管楽器はなかなか力強い。
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プロコフィエフ:交響曲第5番

2016年08月18日 | Weblog
ロジンスキ指揮NYP(sls)1946/10live

これはロジンスキのライヴ盤には珍しく音がクリアで聴きやすい。盛大な針音はslsならではだが、それに慣れているおじさん方は余裕で楽しめる盤だと思う。解釈的には他盤と変わらない直球だがそれゆえプロコの緩徐楽章にありがちな退屈な晦渋味も気にならず、聴くものをぐいぐいと引っ張っていく。集中力・力感は言わずもがな、ニューヨーク・フィルは強権的な指揮者のほうがやはり良いのか?何度も聴き返す録音というのは最近そうそうないのだけれど、これは終楽章を繰り返して聴いてしまった。拍手はまあまあ、一人ブラヴォ。10/20録音と書いてあるが誤りで、おそらくその前後数日のどれかの演奏会の初出音源とのこと。COLUMBIAスタジオ録音と同時期。
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Yves St-Laurent Studioのショスタコーヴィチ自作自演新譜について(検証)

2016年08月18日 | Weblog
この裏青レーベルslsは元々はSP板起こしレーベルで、CD既出であっても針音(情報量)を削らず原音再現を謳っており、それを目当てに好き者さんが買う類のところだった。最近は発掘音源ばかりで、こちらひさびさに原盤明記され目立ったので、データだけ調べてみた。もともとSP期のものであり、またこのレーベル自体もデータが不正確な場合も多く、記載録音年が一年程度ズレていても問題としない。

結論から言えば全て既出と思われる。CDに絞って以下記述する。

http://www.78experience.com/welcome.php?mod=disque&disque_id=797

YSL 372 78 CHOSTAKOVITCH Vol. 1

原盤(SP) SUPRAPHON G 14920
(これだけではないと思うが。。)

ショスタコーヴィチ(P)

★前奏曲op.34
〜8(2種※)
〜14-19
〜22※,24
1950/7 ※1947
(既出盤)
RUSSIAN REVELATION - Shostakovich plays Shostakovich - RV 70007 プラハ録音:22番は1950/7録音と計2種収録
(既出が疑われる盤)
SYMPOSIUM 1314:加えて23番が収録、現役(ジャケが2バージョンある模様、このレーベルも針音を削らない)

★ピアノ三重奏曲第2番
ツィガーノフ(Vn)シリンスキー(Vc)
1946
(既出が疑われる盤)
DOREMI、lysなど多数(盤によりデータ違いあり)

★前奏曲とフーガ
〜6、7、20、22、24
1952/2/5
(既出が疑われる盤)
VENEZIAなど(1-8,12,14,16,20,22-24)
(同曲異録音)
warner(1958パリ、★は不明)(1,4,5,6※,13※,14※,18※,23,24★)現役 ※以外は他にも既出盤あり
The Moscow Tchaikovsky Conservatory(1953/12/3モスクワlive)(3,5,8,12)現役

以上
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マーラー:交響曲第4番~Ⅳ.(ピアノ編曲)

2016年08月17日 | Weblog
作曲家(ピアノロール)(teldec/victor/tacet/Preiser/WME他)1905/11/9・CD

ヴェルテ・ミニョン録音の多種多様な自作自演ものはCD時代になってやたらと再発されまくり、マーラーのようにロールしか残っていない人気作曲家については単純に現代ピアノで再生したものから加工も含めて録音時の再現性を高めた(実際はわからないのであくまで想定であるが)ものまで質も聴感も違う。特にLP時代のモノラル録音など現代の耳からすればひどい音で、それを板起こししたものさえあるから始末に負えない。

但し、ピアノロールはあくまでパンチ穴に記録された「音」である。もともと残響は記録されないし、音色は再生するピアノ次第、強弱程度はわかるが繊細なタッチは脳内で補うしかなく、機構上どうしても「よたって」しまう。それらの補正にも限界がある。参考資料として、あるいはマニアが愛好物として楽しむのであれば、いくつか原盤・環境(楽器等)・録音補正違いのものを購入するのもよいが、私はコンドン・コレクションの最初の青いCDをはじめ四種が限界であり、それで十分満足している。過度な補正などはむしろもともとの演奏から離れる可能性もあるのは流行りの補正盤同様。評価の高い近年のもの(TACETのスタンウェイによる残響の大きい盤、Preiserのマーラー愛器ブリュートナーによる盤)は楽しめるとはいうがそういう意味で未入手。所持盤もそれぞれで、最近のWME(CD-R)などひどくよたっていて聴くのが辛いが、ドビュッシーのものにも感じられる「オールドスタイル」、もともと音楽自体の示すままに、今の耳からするとよたったようなテンポをとっているところはあろう。歌謡的な大ルバート(歌曲楽章だから歌謡的なのは当たり前だが)、大仰なアルペジオ、性急なテンポなど、名の通ったレーベルの盤であれば十分わかるし、あんまり高額出さなくてもいいです。

一個のピアノ曲として劇的に演奏している面もあろう。マーラーの指揮スタイルはかなり揺らすものであったという説もあったし、古臭い、おかしい、というほどでもない。そのスタイルはこの曲より、5番1楽章のロールではもっとしっかり伝わります。こちらもやたら再発再録音がある。これに加え「若き日の歌」~緑の森を楽しく歩いた、「さすらう若人の歌」2~朝に野辺を歩けばと計4曲を同日一気に録音したのが自作自演全記録。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm14570709

youtube(全4録音)
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マーラー:交響曲第4番

2016年08月17日 | Weblog
アメリング(sp)クーベリック指揮ACO(WME)1962/5/2live

非常に達者なオケにボリュームのある表現。音色変化など配慮が行き届き細部まで統制された見事なアンサンブル。骨太な印象ではあるがオケのみならずクーベリックのこなれたマーラーが楽しめる。壮年期録音ないし一部ライヴ録音から期待される破天荒なところはなく、DGのセッション録音に近い。オーソドックスなマラ4として楽しめる。歌唱は管弦楽と同調するように程々に明るい。特徴的なところはない。一部ノイズが入るが良好なステレオ録音。WME(CD-R)盤はなぜかマーラー自身のピアノロール録音(四楽章)を併録。
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ドビュッシー:管弦楽のための映像〜Ⅱ.イベリア

2016年08月16日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina)1960/5/24live

ニュアンスとは無縁。大きな箱を積み上げていくアンゲルブレシュトのデジタルな整え方。それでも余りに定番のドビュッシーとなると、漏れ出る熱気は抑えられない。手兵も慣れたもので、ペットや木管はここぞというところでは味のある表現で耳を惹く。ステレオでこの曲ではノイズも少なく、DM盤同様のものを楽しめる。スペイン音楽特集のラストを飾った曲。
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ファリャ:スペインの庭の夜

2016年08月16日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina)1960/5/24live

三曲からなる標題協奏曲で、内容的には三角帽子の素材をフランスの山人の歌による交響曲に放り込んだようなもの。わりと単純でとりとめもない曲だが一楽章の神秘的な響きは素晴らしい。ファリャ自体民族臭をうまく昇華させて同時代のフランス音楽と歩調をあわせ時に先んじたようなものを書いているが、アンゲルブレシュトはとりわけ脱臭効果の高い明晰な音で曲を組み上げる。この夜の演奏会の中では比較的熱が感じられるが、それでもこう均質な音で純粋に音楽的に構築されていくと、曲の魅力の薄い部分もはっきり聴こえてしまうし、ソリストもオケと融和的で先導して激しく煽るようなことはしないから、何か技術だけに優れた現代の演奏を聴いているような(悪い意味だけでもない)感覚に陥ってしまう。見通しよく構築的であろうとするあまりスカスカな、、、放送録音としては明晰過ぎるステレオ録音のせいもあるか。放送録音なりのノイズあり。
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アルベニス:イベリア~第1集、第3集(アンゲルブレシュト管弦楽編曲)

2016年08月16日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina)1960/5/24live

放送ライヴで、同曲の第一集(エボカシオン、港、セビリアの聖体祭)のあと、ファリャのスペインの庭の夜をやり、続いて第三集(エル・アルバイシン、エル・ポロ、ラバピエス)、最後に得意のドビュッシー「イベリア」で終演となる。この曲にアンゲルブレシュト?という感じもするがやはり「客観的な」演奏。リズム感や前進力は足りないが、透明感を保ったカラフルな響きとかっちりしたアンサンブルで特有の雰囲気はかもしている。ドビュッシーの演奏でおなじみのスタイルである。ステレオの良録音がかえって災いしたというか、アンゲルブレシュト(作曲も行っていた)の編曲はどうも単調で、高音の弦楽器がひたすら旋律をかなでるような、曲そのものの響きの個性はそのまま伝わるが、入り込めないというか、迫力が無い。アルベニスという作曲家には体臭のようなものも必要なのだな、ドビュッシーとは違う、と思った。
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緊急対処!

2016年08月16日 | Weblog
昨朝、レイアウトが崩れPCからの閲覧ができない状態になっておりました。復旧「できず」、結局白黒の今の状態になってしまっております。非常に見づらいですが、ご了承をお願いしますです。。ひい。。
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マーラー:交響曲第2番「復活」

2016年08月15日 | Weblog
バルビローリ指揮ハレ管弦楽団&cho、エリオット(sp)ザレスカ(Msp)(rare moth)1959/3/12live(1952?)

久しく見なかった裏青(CD−R)レーベルがいくつか発掘新譜を出してきている。そのうちの一つ。もはや同じ海賊(ないし権利切れ)音源を色んなインディーズ裏青が使いまわしてどんどんダンピングしていくのが通例で、レアモスのような古くからの「高額海賊盤」はお役御免の感もあったが、何処かで見たようなものの中にも、このような恐らく初出のものがあるので侮れない。とはいえ、内容はいつものエアチェック録音でモノラルのあまり良くない音。エアチェックノイズが流れ続け、二楽章では耐え難いレベルとなってほぼ欠落のようになっている箇所がある。演奏は50年代バルビの覇気が手兵に伝わり、シュツットガルトの有名なライヴよりむしろ板についた感じがする一方、最後までの盛り上げ方は若干単調というか単純というか、うねるような所謂バルビ節が無くはないがそれほどカタルシスを与えない。拍手は盛大だがタイタンや後年のライヴとくらべてはさほど気を煽られなかったようだ。弦と声楽にメリットのある指揮者で、その音楽作りの根底には歌があり、歌謡的な表現をいかに管弦楽で実現するかに長じているが、ここではその一方でブラスへの抑制的ともとれる指示、薄手と評されたブラスの、音色が全体の中で実に融和的で、イギリス的中庸ともまた違い、ハレ管弦楽団全体としてのまとまりという意味で良さが出ている。

※以前1952/3/12という放送音源を取り上げたが同一かもしれない。
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ラヴェル:弦楽四重奏曲

2016年08月14日 | Weblog
カルヴェ四重奏団(melo classic)1946/8/2シュツットガルトlive・CD

演奏精度や「甘過ぎる」音色、さらに録音状態の問題はあるにせよ、ドビュッシーよりこちらのほうが迫ってくるものがあった。セッション録音では逆だっただけに、ライヴという場について考えさせられるところもある。ラヴェルのほうが「良く書けている」ということだと思う。また、ドビュッシーのカルテットのほうがロマンティックな香りを濃厚に残していると思うのだが、ラヴェルでもこの曲くらいの時期では旋律にかなり重きが置かれているのがこれを聴くとよくわかる。カルヴェはこのての旋律を歌うのが旨い。

一楽章冒頭の、そっと始まる感じは同曲全体の印象をすらぼやっとしたものに感じさせるところがあるが(だからドビュッシーの方が最初は入りやすい)、この旋律の途切れない横の流れはカルヴェにじつに向いている。いきなり情緒たっぷりに歌い上げて、第一主題なのだとハッキリ印象付ける。反面動きの機敏さが求められる二楽章や四楽章は少し鈍さや機能性の低さを感じさせるが、そこはライヴだから仕方ないところもあり、楽団に向かないのかもしれないし、仕方がない。即興的なスピード変化や歌い回しの面白さはその穴を埋めるだけのものはある。ここでとても面白かったのはラヴェルの真骨頂ともいえる巧みな書法をしっかり読み取って、いつものファースト先行型スタイルではなく、集中度の高いアンサンブルを聴かせてくるところだ。チェロもともするとカルヴェ張りに情緒たっぷりなボウイングで主張したりと、四本がこの楽団のスタイルを守ったまま、スコア通り絡み合って立体的な演奏を繰り広げる。いや、今セッション録音を聞き直せば、カルヴェのラヴェルの良さがわかるかもしれない。当時はドビュッシーは素晴らしく個性的だがラヴェルはパッとしない印象だった。このCDには70年代カルヴェがラヴェルとの邂逅について短く語ったインタビューが付いている。
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サマズイユ:カンタービレとカプリッチョ

2016年08月14日 | Weblog
カルヴェ四重奏団(melo classic)1948/11/29パリ放送録音・CD

こういう「カンタービレの曲」に向くんでしょうね、結局。オールドスタイルなカルヴェら(ほとんど上二本だけという気もする)の流儀は正確かつ厳格さを求められる現代曲には向かず、あるていど自由に歌える少々古風な曲じゃないとだめ。自在なボウイングにあわせたポルタメントにてんめんとしたヴィヴラートは音程をブラすし、同時放送されたミヨーでははっきり言ってハマらなかったが、長い音符からなるロマンティックなメロディをもつこの曲ではとても感情的で、救われる。個性は鰻の山椒程度にしかあらわれないが、案外よい、ほどよい近代フランス音楽なので機会があれば。
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マーラー:交響曲第9番

2016年08月14日 | Weblog
テンシュテット指揮NYP(en larmes)1982/2/18放送live

日本でもFM放送されたものであり、ここでは本編以外拍手などカットされているので詳細は不明だが、混信めいたノイズが静かな場面で非常に耳障り。籠もって音域が狭く感じられ、いかにも80年代のステレオ放送エアチェック録音音質である。しかしなおテンシュテットの雄渾で粘り腰の九番の魅力は強力に伝わってくる。二楽章のいかにもレントラー舞曲らしい重々しく突進する動きもいいのだが、やはり一楽章に尽きるだろう。暗い情念の感じられる表現は時に極度にデフォルメされるも、バンスタのような個人的な表出意欲より、マーラーの音楽の包蔵するそのものを引きずり出しているようで、変な言い方だが、「ドイツ的な感情」を発現させているように聴こえる。漢らしく、弱々しい自己憐憫などなく、ただ諦めと荒んだ心が抽象音楽に昇華されてゆく。ニューヨーク・フィルがこのような(ペットの派手なミスが1箇所あるが)高精度の演奏をマーラーで成すのも珍しいように思う。バンスタの一部の演奏にも神懸かり的なものが残っているが、強いて言えばそれを下敷きにしたようなところもあり、例のファーストヴァイオリンへの「スル・タスト」奏法導入はまさにバンスタ解釈からの借用だろう。いずれ録音状態からも後半楽章の煮詰まり方からも完成された完全な名演名記録とは言えないものの、マーラーの九番はこういう曲だ、というのはこの人の「黒い演奏」とワルター晩年の「白い演奏」を聴けばわかる、それでもわからなければバンスタで肌で感じろ、といったところか。
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