湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

黛敏郎:バッカナール

2016年10月29日 | Weblog
ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1968/2/15放送

かつてのアメリカの騒音主義的な(ジャズのイディオムや打楽器主義込の)音響に接近しながらも、オネゲルからジョリヴェ(ガムラン要素など近い)、さらにその先の世代の作風まで取り入れた、ないし先んじすらした非常に多彩多様式的な印象を与える黛世界を象徴する作品。魅力的な旋律も忍ばせられているところがこの人の聴衆への態度を明確に示している。ロザンタールにうってつけの開放的な響きの饗宴で、作品自体がしっかり書かれていることもあるのだろうが、拡散し過ぎて瓦解するのを防ぐ手綱さばきが巧い。当時のフランス音楽に近接した作品であり、なおかつそれを越えて耳を惹く要素を多々知的に組み込んだところが、聴衆にも非常に受けた様子がうかがえる(ina配信音源で新作や稀作が入っているときは決まってそうなのだが、作曲家が臨席していると思われる)。パリには一旦背を向けた人ではあるが、これだけの短い中に語られることの多きの中に、フランス音楽への意識が無いとはとても言えない。良い機会に良い演奏家により良い聴衆の前で演奏された幸福の記録と思う。
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☆ショスタコーヴィチ:交響曲第4番

2016年10月29日 | Weblog
◎ロジェストヴェンスキー指揮ウィーン・フィル(CINCIN)1978/4/16LIVE・CD

プラウダ上での批判をへて総譜撤回され、26年をへてやっとコンドラシンにより初演された、ショスタコーヴィチ初の大作交響曲である。意外と旋律性に満ちており、マーラー的な絵巻物が次から次へと繰り出される面白い曲だ。3楽章制で、短い中間楽章とブリッジ状の両端楽章という外形だが、聴感的にはもっと細かい分節に別れているように聞こえる。1楽章はかつてアイスクリームのCMで使われた、打楽器要素の強い印象的な(中国風な)開始部から軍隊行進曲ふうの息の長い主題、このあたりでぐっとつかまれる(つかまれなかったら多分あとの音楽も楽しめない)。アレグロからプレストという目の回るような音楽はあまりに多彩すぎてかえってわかりにくいという印象も与えかねないが、集中力の高い「巧い演奏」で聞けばお腹一杯楽しめよう。中間楽章はスケルツォふうでもないちょっと不思議な印象の楽章。3楽章ラールゴはショスタコーヴィチがよくやる「尻すぼみ構造」の先駆でもあるが、「ウィリアム・テル」のエコーや、爽快な旋律を含むアレグロ部が織り交ざり(但しショスタコーヴィチの常として爽快なフレーズは一回だけ顕れたきり消える)、全体としては晦渋さというものはそれほどでもない。寧ろシニカルな笑いをさそう。ひびきの不思議さ、とくに鳥の声を模したフレーズが織り交ざったり、終結部のように不気味な静けさのなかに鉄琴のひびきだけが支配する印象派的な音楽も聞き物だ。フレーズの執拗な「繰り返し」がみられたりするが、「優秀な演奏で」聴き通してみるとそれは意味があって繰り返されているのであり、この大曲にはそもそも不要な音符がひとつもないのである。7番など名作であっても冗長と思われる部分があったりして、4番のほうがむしろ隙の無い曲だったりするのだ。総じてマーラーの精神分裂的感動路線を引き継いだ優秀な作品といったところで、5番ほどの凝縮も7、10番ほどの円熟もないものの、この時期のショスタコーヴィチにしか書けなかったであろう、瑞々しい感性と深い思慮のバランスのとれた名作なのである。ロジェストヴェンスキーの指揮はソヴィエト文化省管弦楽団とのメロディヤ録音で知られるが、外面的要素が強く、録音も演奏もスカスカの印象は否めない(でも私はこの録音ではじめてショスタコにハマった)。対しこの演奏のぎっちり中身の詰まっていることといったらない。いや、これまでこの曲に好意的に書いてきたのは、あくまでこの名演が念頭にあるからであって、ほんとうはそれほどの曲でもないのかもしれないが、このような異様な雰囲気に包まれた演奏で聴いてしまうと、どうしても贔屓目に見てしまう。ウィーン・フィルは録音が悪いため音色感があまり感じ取れないが、その機能性の高さ、指揮者に対する全幅の信頼とその証しとしての物すごい集中力はびしびし伝わってくる。その譜面の、ひとつひとつの音符を愛して下さい、と言ったのはバルビローリだが、ここではショスタコーヴィチが譜面にのこした音符、そして休符すらも全てそこで主張すべきことをしっかりと主張できている。ウィーン・フィルの魔術的な腕を堪能できる。また、ロジェストヴェンスキーのスコアの読みは巧く(深いかどうかはわからないが)、長ったらしい音楽をいかに面白く聞かせるかというすべを知っている(そういえばこの人も「ブルックナー振り」だ)から、たとえば細部に拘泥して全体が見えなくなるような下手なマネはしない。とても巧い舵取りだ。とにかくこの曲の旋律のひとつひとつがいかに鮮やかに浮き彫りにされているか、一度聴いてみて欲しい。楽団員の何人かが感極まってポルタメントをかけてしまうなど、ショスタコの演奏では異例だろう。録音は悪い。ステレオだが半分擬似っぽいぼやけた録音である。しかし、これは奇跡的な名演である。,
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☆オネゲル:オラトリオ「ダビデ王」(1921-24)

2016年10月28日 | Weblog
◎作曲家指揮ORTFほか、ミショー、デュフレーヌetc.(DEUCRETE THOMSON/PATHE他)CD

オネゲルもミヨーもオーリックもプーランクもプレーヤーとして多数の録音を残しています。ミヨーは指揮もピアノも素晴らしく他のメンツとは一線を画しています。プーランクはヴィニェス門下としてメイエルらと席を共にしたピアニストでしたが、残された音を聞く限り晩年かなり衰えてしまったようです。ショスタコーヴィチ同様テンポが後ろ向きで微妙にずれてしまう。さて棒についてはオネゲルがいます。ニガモンの抜粋や一連の交響的運動の古い録音を聞く限り、オケや録音自体の薄さが棒の弱さに聞えてしまいいただけません。だが、この最晩年の録音だけは別格。ゴージャス、ゴージャス。とても田舎芝居には聞えない。全ての音に透明感があり美しい。ダビデの死におけるアレルヤ合唱は涙なしには聞けません。その涙も地に落ちるような悲しみではなく、崇高な光を伴い天に昇るような感動です。最近中古LPがよく出ているので手にいれてみるのもいいでしょう。古典的名盤です。(2003記)*CD化した模様(2004/5),
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☆アイヴズ:ヴァイオリン・ソナタ第3番

2016年10月28日 | アイヴズ

◎フルカーソン(Vn)シャノン(P)(bridge)CD

アイヴズの一見無秩序な書法の中に通底する叙情性に対し細心を払い、構造の整理とともにこの上なく感傷的に描くこのコンビの全集はアイヴズのソナタ最高の演奏と言うべきレベルに達している。この曲はアイヴズにしては長大だが全般が賛美歌や俗謡にもとづく旋律により貫かれ、とくにフランクなどのフランス・ロマン派ソナタを(皮肉たっぷりに)意識したヴァイオリンが平易な印象をあたえ聞きやすくしている。だがアイヴズの意匠はピアノにより明確に暗示されている。あからさまな東洋音律(当時世俗に人気のあった)等の底には常に現代的な不協和音や無調的パセージがまるでバルトークのように硬派に怜悧な輝きを放っている。ピアノだけを聴けばそこにピアノソナタの残響を聞き取ることができるだろう。アイヴズは書法的にけして下手なわけではないが弦楽器による音楽にそれほど重きを置いていなかった節がある。それはストラヴィンスキー同様弦楽器がアナログなロマンチシズムを体言する楽器であったがために何か別の意図がない限り「本気で書く」気がしなかったということなのだと思う。げんに大規模作品の部品として弦楽器が使われる例は多々あるのに弦楽四重奏曲以外に弦楽器だけに焦点をあてた楽曲は余り多くは無い。その弦楽四重奏曲も2番は「本気の作品」であったがそれほど完成度が高いわけではない。ヴァイオリンソナタは特例的な作品群で、アイヴズが「まっとうな作曲家であったら」旋律と創意の魅力溢れる作品群になった筈なのに、結果として1番2番は実験の寄せ集め、3番は「ひ弱な妹」、4番は「無害な小品」そしてそれ以外は未完成か編曲作品なのである。つまりは「本気ではない」。だからこそアイヴズ自身がのめりこみ演奏し自身で確かめながら譜面に落とすことができたピアノのほうにより本質的なものが篭められていても不思議はない。ヴァイオリンはピアノの二段の五線の上に書かれている旋律線を抜き出したものにすぎないと言ってもいい曲である。2楽章だけは少し特別で、プロテスタントの陽気な賛美歌(日本では俗謡だが)をジャジーな書法を駆使して編曲した見事なアレグロ楽章となっており、個人的には全ソナタの中で一番成功したもの、「アメリカ様式のアレグロ」としては史上最高の作品と思う。2番でカントリーふうの書法を実験したときにはまだ未整理の様相をていしていたものの、完成度の高い結晶と思う。このコンビで聞けば、この作品の独創性以上に素直な魅力に魅了されるだろう。最後の田舎風ギャロップまで天才の発想が溢れている。譜面も自由度が高く録音によって多少の差異はある。そういったところも含め「まったくクラシカルではない」と言いはなつことは可能だが、いかにもヴァイオリン曲そのものの記譜ぶりでもあり、これはやはりソナタの中間楽章なのである。いろいろ書いたが、この曲は速筆で仕上げられたものであり、だから3楽章など長すぎる感もある。ロマンティックな旋律の臭気にウンザリさせるのが目的な側面もあるとはいえ、時間がなければ2楽章だけを聴いてもいい。◎。
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ラヴェル:道化師の朝の歌(管弦楽版)

2016年10月28日 | Weblog
チェリビダッケ指揮ORTF(DOCUMENTS他)1974パリlive・CD

DOCUMENTS盤は月日記載が無く詳細データが不明だが、恐らく他で出ているものと同じだろう。ここではDOCUMENTS盤について書く。録音状態は前に収録されているダフクロ2組と雲泥の差のステレオ良録音で、データが同じなのに違う状態なのはこのラヴェルアルバムが海賊音源の寄せ集めだからだろう。リズムと装飾音の印象が強く旋律が顕わでない(ラヴェル自身の言葉どおりの)楽曲で、ここではチェリは変な解釈を入れずきっぱりとしたものに仕上げている。中間部の印象派的な空間も独自表現によって歪むことはない。拍手無し。
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ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲

2016年10月28日 | Weblog
チェリビダッケ指揮ORTF他(DOCUMENTS他)1974パリlive・CD

DOCUMENTSのラヴェル集収録の音源で書く。録音日表記が無いが恐らく他で出ているものと同じ。モノラルで74年とは信じられないほど音が悪い。籠っていて折角の音色・音響への配慮も台無し。ねっとりしたフレージングが印象的で、前半二楽章はミラノでの録音と思ったほど粘着的である。かなり楽曲に対して独自解釈(表情付け)をほどこす指揮者で、これで崩壊しまくりなら凡百のロマン派指揮者と同じなのだが、このなかなか「きかんぼう」なオケに解釈を徹底して叩き込み、ミスを一切許さない、ライヴがすべてだと言い切ったとも言われるチェリらしい、普通の指揮者ならセッション録音でのみやるたぐいの神経質さを持ち込んでいる(でもそうと感じさせない自然さが凄い)。それがふだんのこのオケの状態を知っている聴衆に強くアピールし、熱狂的な反応を呼んだと言えるだろう。合唱付きだがこの録音状態なので余り聴こえない。
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ラヴェル:マ・メール・ロワ組曲

2016年10月28日 | Weblog
チェリビダッケ指揮南ドイツ放送交響楽団(シュツットガルト)(DOCUMENTS他)1972シュツットガルトlive・CD

冒頭から異様に伸び縮みする音符に驚く。チェリビダッケはまだ個性を色濃く付けた時期にあったが、独特の(スヴェノラーノフ的と言ってもいい)表現が徹底できたのはやはりシュツットガルトとかそのあたりの相性の良いオケとのセッションに限られていたのか。個々の楽器のニュアンスに細かく(かつ過度なデフォルメの)拘りが感じられ、総体としてもしっかりした構築性を前提に周到な解釈を楽団に徹底させ、やりたいことをやっている、と感じられた。この曲に過様なファンタジーを求める向きにはとても向いている。ピアノの小さな組曲から発展した可愛らしい曲なのに、一大交響楽と化しているのがチェリビダッケらしい。美麗な音色はORTFとの別の曲と較べても遜色ない。音質は放送音源レベル、DOCUMENTSのラヴェル集の中では悪い方、ステレオ、拍手カット。データ詳細記載が無いがDOCUMENTS盤は後発と同じ演奏だろう。
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ラヴェル:クープランの墓組曲

2016年10月28日 | Weblog
チェリビダッケ指揮ORTF(DOCUMENTS)1974パリlive・CD

チェリビダッケとORTFのタッグは長続きしなかった。そのぶん数が少ないのでina.frをはじめ(動画含め)ほとんどが音源化されているようだが、これは何故か復刻が少ない(今はインディーズで裏青盤があるらしい)。ステレオだが放送音質。僅かな録音瑕疵、ホワイトノイズがあり、人工的な残響が気になるが、それでもチェリの存命中に海賊盤化されたライヴ音源としては、同ラヴェルライヴ集にあってもすこぶる良い方である。ラヴェルは木管を異様に使う。この曲はほとんどが木管アンサンブルで出来上がっているため、フランスオケには有利だ。それぞれの細かなニュアンス表現が美しく、技術的にもすぐれ聴き応えがある。チェリビダッケは精緻というより繊細で、ミスを許さない現代的な態度の裏には細部まで配慮の行き届いた解釈がこのような色彩的な曲であればなおのこそ、魅力を最大限に引き出している。拍手カット。
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コープランド:交響曲第3番

2016年10月27日 | Weblog
作曲家指揮ORTF(ina配信他)コープランドフェスティバル1955/5/28live(29放送)

Amazon配信のものは同じ音源。ひたすら自演、長いコンサートで、直前のクラリネット協奏曲はストラヴィンスキー的な骨張った構造、簡潔な管弦楽に「アメリカンジャズ」のコープランド流「崩し」のリズム要素を取り入れ、六人組風の明快な和声をもってまとめた、作曲家の非常に出自のわかりやすい作品で面白いが(エボニーコンチェルトを意図的に真似ているのは明白)、このメインプロ、動画サイトにイギリスのユースオケによるプロムスライヴがあがっているので一見してほしいが、とにかくどでかく、分厚く、それなのにラヴェル的な意味で煩雑ではなく、剥き出しの声部同士が「込み入って」いるから、これだけやったあとに最後に演るのは無理がある。各楽器への要求レベルの高さ、とくにリズムについて、ORTFはとても苦労している。ブラスなど、とくにトランペットなど、アメリカオケを想定した凄まじく技巧的で力強さを要求する書き方に太刀打ちできない場面が多発、地獄のようである。分厚いのに細かなアンサンブルを要求される弦もなかなか地獄である。フランスオケの明るくカラフルで開放的なひびきはそもそもブーランジェの教えを受けたコープランドの和声にはあっていて、アメリカオケの力は強いが整いすぎた音色のひびきよりも耳を惹く。むしろそれだけがこの事故だらけの演奏で魅力となっている。コープランドの指揮は時期的にまだ若いせいもあってか、揺れは無いものの無機質ではなくそれなりに音楽的な流れを作れている。最後をあまり引き伸ばさずさらりと流すテンポ設定はこれはこれでかっこいい。ゴツゴツしていないのは木管の少し低めの響きが音を丸めているせいもあるか。いいとこなしのオケにあって、木管の魅力が唯一、さすが定評あるところをみせている。庶民のためのファンファーレを拡大した終楽章は他の楽章にもまして冗長感があるものだが、なぜか楽しく聞き通せた。クラシックを聴いているというより、プログレッシブロックを聴いている錯覚に陥った。しっかり盛り上がりを作ることもなく構成感も大してないのに、これは作曲家指揮の魔力か。とにかく、動画サイトにてとてつもないブラスの編成を見てから、ORTFが用意できた楽器の数を想像しつつ、同情を持って聴いてほしい。さすがに録音は古くこもって、良いとは言えない。当然時期的にモノラル。
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サティ:パラード

2016年10月27日 | Weblog
マルケヴィッチ指揮ORTF(ina配信他)1955/5/12放送(1/6live)

放送日とかなり間があいているが、Amazon配信されている1/6のコンサート音源と曲目が同じであることから同一と思われる(Amazonデジタルとina.frで録音時間が違うことが多いが後者は放送そのものを不器用に編集しており(拍手カットなど)、トラックも分けないのが影響していると思われる)。この演奏はモノラル録音ではあるが、何度も聞きたくなるくらい素晴らしい。注意深く音響がととのえられ、まとまっており聴きやすい。サティの前衛性、奇矯さをアピールするロザンタールとは対極的に、まずはしっかり音楽として聴かせることに専念し、結果作品の価値を「不当なほど」高めている。私はなぜかクレール「幕間」の映画を思い浮かべた…違う曲なのに。ディーアギレフを通して間接的にサティと同じ舞台の空気を吸っていた、これは舞踏音楽の要素がしっかりとある。リズムがしっかりアピールしているのだ。踊りが見えてくる。この時代のパリ。視覚的で、懐かしい、上品さもある。そういえばロザンタールはサティとは親交していないはず。ロザンタールは突き放したようなところがあるが、これは距離感が近い。冒頭の乱暴な和音からして注意深く配慮され協和してきこえ、ピストルやサイレンすら懐かしい猥雑さをかもしつつ音楽の中に溶け込んでいて、最後のウィットに対しては(この上ずった音はマルケの指示だろう)微笑ましい笑いすら起きる。場面場面の目まぐるしい変化の対比がすくないぶん、耳に優しい。拍手はカットされているが、私はパラードを見直しすらした。遥かに技巧にすぐれた六人組は、だがここから育ったのだ、と思った。
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☆フランセ:ピアノ協奏曲(1936)

2016年10月27日 | Weblog

◎作曲家(P)N.ブーランジェ指揮パリ・フィル(WORLD RECORDS他/HMV)1937/12・CD

イベールの息子というよりプーランクの息子と言った方がイメージに合うと思う。そしてプーランクよりも純粋な喜遊曲作家であり、才気溢れるという言葉がこれほど似合う現代作曲家もいなかったろう。一昨年他界したときは悲しかった。珍しい4楽章制のこの曲は、冒頭の人を食ったようなコンマスソロと、立て板に水のピアノ走句の掛け合いからして、これはヤラレタといった感じ。真面目の上に糞の付くクラシック・ファンは眉をひそめようが、これこそライト・クラシックの醍醐味であり、ポップスとの狭間でうやむやになっているもうひとつのジャンルを主張する力強い馬鹿騒ぎだ。馬鹿といっても新古典ここにありといわんばかりの絶妙な音楽的計算は馬鹿には書けないもので、2楽章の穏やかな夜、さらに3楽章から4楽章へ向かう古典交響曲的流れは、ピアノ協奏曲という堅苦しいジャンルを越えて耳に轟く。フランセのピアニズムの凄さは師匠と合わせたこの若い演奏で如実に現れ、後年の達観した軽い響きよりも、ガンガン迫ってくる力がある。部分的にCD化されている(国内盤の自作自演特集のようなセットCDだったと記憶)。フランセのピアノ協奏曲は、良く似た雰囲気のコンチェルティーノ、プーランクのそれに似た2台ピアノ協奏曲ほかがあり、いずれも自作自演もしくは娘さんとの共演で楽しめる。(2000記),
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※ブックマーク追加更新しました!

2016年10月27日 | Weblog
左欄下のブックマークにネット販売のサイトを追加更新しました。本文中入手困難な盤は今はネットで容易に聴ける可能性があります(ただし無料動画共有サイトのあそこそこなどは怖いのでリンクしません)。もしご興味があればご利用をば。状況により突然怪しいサイトに変化したりするのでそこは、自己責任でお願いします。大手しか無いので大丈夫だとは思いますが・・・
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ラパーラ:ハバネラ - 前奏曲

2016年10月27日 | Weblog
ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(timpani/naxos配信他)1929-33・CD

ハバネラかー。という曲。ラヴェルの時代の人の作品、ではあるがどうにも耳に残らない。演奏は音符を音にした感じ。
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フローラン・シュミット:3つの狂詩曲〜Ⅲ.ウィーン狂詩曲

2016年10月27日 | Weblog
ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(timpani/naxos配信他)1929-33・CD

いきなりマーラー五番かと思ったらあっさり擬ウィンナーワルツになる。多彩な才能を持ち合わせたフローランらしい展開への創意もこめられてはいるが、フローランらしいパッとしない風味もあらわれてしまっていて、こんなものか、という古風な印象。ヴォルフはカラフルにやっているが曲の趣向に合っているかは??
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ラヴェル:ラ・ヴァルス

2016年10月27日 | Weblog
ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(timpani/M&A/naxos配信他)1931・CD

timpani盤からの印象で書く。やはり勢いがあっていい。これはノイズを何とかして、大音量で聴くと当時のパリのコンサートホールの(やや猥雑で派手な)雰囲気も伝わってきて楽しい。音量変化にとぼしく解釈もテンポも揺れず一本調子な反面、楽曲自体の魅力が巧緻な指揮から引き出され、またオケの明るく開放的な音にも魅力があるのは確か。
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