湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲

2016年11月07日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮ORTF他(ORTF,ina)1958/3/20live・CD

ORTF設立80周年記念ボックスに収録。ina配信含め他に出ていなかった音源だと思う。録音状態は悪い。モノラルで雑味が多く分離も良くない。ヴァイオリンが薄くて鄙びた音をさせ、二楽章では一部バラけて聴こえる(録音のせいでそう聴こえる場合もあるので本当のところはわからないが、ノリノリでないことは確か)。祭りはそれでなくとも作為的な構築性が裏目に出て、瓦解するんじゃないかという軋みが気になる。アンゲルブレシュトはシレーヌの入りをちゃんと切る。二楽章最後で管楽器の暗示する音形がそのまま終わってしまい、三楽章冒頭女声合唱がとうとつに現れるように聴こえる。繋がりが無く、実存感が強すぎる。この録音では特に発音が下品、というかリアル過ぎる。ここでもさきほど感じた軋みを覚えざるを得ないが、うねるような音程の上下動が始まると、かなりねっとりしたフレージングが目立ってくる。このあたりの雰囲気はアンゲルブレシュトがもっと古い時代に持っていたであろうスタイルの残滓かもしれない。情緒的な音楽となり、引き込まれ、さすがの終演を迎える。拍手無し。とにかく音が悪いので、アンゲルブレシュトの夜想曲といって、わざわざこれを選ぶ理由は無い。
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☆プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2016年11月07日 | Weblog
○シゲティ(Vn)メンゲス指揮ロンドン交響楽団(PHILIPS)1960/6・CD

シゲティはこの曲を再発見・愛奏し、その解釈については作曲家より多大な賞賛を受けた人物である。何度か録音しているが、これは最後の正規盤だ(海賊盤は知らない)。旧盤に比べ、ここではずいぶんとスケールが広がっている。テンポをゆっくりとり、思い切り絶叫するように弓を運ぶ。ステレオのせいもあるが、ちょっとシゲティの音が「くどく」感じてしまう。指先の微妙な揺らぎがどうも耳につく(ごく短いポルタメントも混ざるし)。このテンポダウンについては間違いなく技巧的限界に基づくものだと思うが、好き嫌いは分かれるところだろう。しかし、音のひとつひとつに意味づけをし、ひとつひとつ慈しむかのように丁寧に(と言うほどヤワではないけれども)表現し、しっかり踏みしめて進むようなところは演奏的晩年のシゲティの美学が生きている。テンポが遅いぶん雑味が少なく、細かい変化に富んだ解釈をじっくり楽しむことができる。テヌート表現にも余裕がある。セル盤でもビーチャム盤でもみられた1楽章ピチカート乱打直前のアッチェランドがここでは全く聞こえない。民族的興奮は前二盤に大きく水をあけるが、ピチカートのあと、後半から最後にかけてゆっくり丁寧に繊細に表現される夢幻的な世界は前二盤とは異なる世界である。クリアな録音であるからこそ聞けるものである。オケの多彩な動きもよく聞き取れるのでマニアックで奇怪なプロコフィエフ書法もついでに楽しめる。2楽章もややゆっくり。前二盤で感じられた荒々しさが抜け、ややおちついた感がある。最後まで力感が続かないのか、意図的に抜いているのかわからないが、音色的には非常に面白いものの、客観が勝り印象派的演奏になってしまっているところもある(ここでもプロコがオケに施した独創的な書法をゆっくり楽しめる)。3楽章はテンポは普通。前二盤と比べ、肩の力が抜け、リラックスした雰囲気が有る。冒頭より一くさり息の長い旋律をかなでるが、感傷的な雰囲気すら感じられ、高音の意図的に細い音がとてもかなしい。このあとリズミカルなフレーズが特徴的なパッセージに入るが、ここはもう少しリズミカルな表現が欲しい。前二盤にはそれがあった。ただ、そのあとにとてもゆったりとした美しいひろがりのある演奏がオケと共に雄大に表現され、極めて美しい。スラーで音階をかなでる箇所から、ややアクが強くなるが、オケが重なってきてからはまるで交響曲の最終楽章のような重厚な世界が展開。そして一山越えると、グラズノフ以来の伝統、旋律のトリルによる表現が透明な感傷を呼ぶ。印象派的混沌はソリストも一緒になって紡がれて終わる。凝縮力が今一つか。○ひとつ。,
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プロコフィエフ:古典交響曲(交響曲第1番)

2016年11月07日 | Weblog
ミュンシュ指揮BSO(DA)1953/7/26live

おそらくプライヴェートSP起こしで極端にノイズが入る。SLSの「原盤どおりにノイズも入れた」盤のようだ。DA復刻では珍しくなかった現象だが、演奏自体はミュンシュらしい勢力的なところが速いテンポと攻撃的な弦のアタックに出ているものの、木管がそれに乗らず「常識的な表現」を維持していてごくわずかに乖離を感じさせる。4楽章で珍しくミスすらみられるのはこの乖離起因かと思われるが、技術的に問題のあるオケではないのでこれは単にたまたまこの時だけの問題だろう。新古典主義作品としてリズムを浮き立つように煽るわけでもなく一貫してプロフェッショナルにやっていて、とくに何も言うことはない。
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チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

2016年11月07日 | Weblog
マルケヴィッチ指揮ORTF(eternities)1958/9/25live

マルケはライヴ盤含めるとチャイコフスキー後期交響曲を山ほど残しているようだが、このスタイルだとどれをとってもオケの違い以外に差は無いだろう。はっきりした発音で(一部を除き)デフォルメのない悲愴。音符の最初が総じてあまりに明確で、影の無いあけっぴろげな音もあいまって垢抜けた印象をあたえる。情感を重視するロシア式とは違うチャイコフスキーだ。他の楽章では見られない性急な起伏のついた四楽章(ガウクっぽい)を除き醒めたトーンは変わらないが、内声までしっかり発音させこの作曲家特有の創意を引き出している。三楽章の弦の刻みの下で管楽器がロングトーン吹いてるところが悪いモノラル録音でも明瞭に聴こえてくる。もっとも、そういうブラスにパワーや音色変化が無い点は気になる。音量が上がると録音側で抑えられてしまう残念な点もあり。環境雑音多め。
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オーリック:バレエ音楽「水夫」五つのタブロー

2016年11月06日 | Weblog
デゾルミエール指揮ORTF(ina)1949/3/7

タイユフュールなどの作品と共に放送されたもの(日付は録音日、恐らく聴衆なしの放送用ライヴ)。作品は他愛の無い世俗バレエ音楽といったもので古風な感すらある。思いっきり六人組時代の古い作品なのでそこは仕方ないだろう。にしてもサティの後にこれか、、、小器用でこなれているがどこにも冒険は無く、職人的。録音もノイズがあり古く、余り楽しめるものではないが、勢い良く舞踏性を打ち出すデゾの覇気にびっくりする。オケはけして上手くはないがデゾの要求には応えている。
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デュティユー:バレエ音楽「狼」〜抜粋より終幕

2016年11月06日 | Weblog
デゾルミエール指揮ORTF(ina)1951/6/7

デゾにもこういう官能的で魅力的な演奏ができたんだなあ、というか、それだけこの曲が元から良く出来ているということだと思う。この作曲家が戦後フランス音楽の牽引を望まれた理由のわかる内容、完成度である。ローラン・プティのために書かれたデュティユ初期の代表作と言っていいだろう。この抜粋では明らかにドビュッシーのお鉢を継いだ印象派音楽と、ルーセルやオネゲルほどの個性を臭わせないがその流れを確実に受け継いだリズムの音楽の交錯、そのすべてを包み込む音響的空間。長い音符、横の流れのたゆたうようなさまが特に印象にのこる。管弦楽の立体的で巧緻な構造は、これはアメリカの晦渋な凡作現代作品に近いながらも何故にこう聴きやすいのか、旋律のせいか楽器の扱い方が飽きさせないのか余計な発想を注ぎ込もうとしないからか。とつとつとしたハープの使い方、鉄琴の響きも耳に残る。往年のフランス新映画音楽を彷彿とさせるところがあり、そこに特に惹かれるものもあった。デゾ、解釈しない指揮者の印象があったが、バレエ振っていたんだよなあ。交響曲第一番初演録音と共に放送されたもの(そちらはORTF設立80周年記念ボックスにもおさめられている)。これも初演か。録音はきわめて良い。
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☆プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2016年11月06日 | Weblog
○シゲティ(Vn)ビーチャム指揮ロンドン・フィル(COLUMBIA)

1、2楽章に強い魅力を感じた。ビーチャムの至極安定したオケの上で自在に謡うシゲティ、美演と駄演の間で微妙なバランスを保ちながらも、何か非常に心の奥底に訴えてくるものがある。安定系の演奏は数多いが、これほど音程がずれ指がついていかない箇所も混ざる反面、そんなことがどうでもいいと思わせるほどの感情的な高まりを感じる演奏は他に無い。まあ、ザッハリヒな演奏だなどといろいろ言われる人だが、私にとってこの人の演奏はとにかく「音色」なのだ。弓を走らせるときは弓圧をかけずに走らせ、返すところで微妙に圧をかける、そういう奏法(だと思う(笑))は、たとえば習字で筆をふるうとき、始めと最後だけは止めをしっかりかけて、その間の線はちょっとかすれたようになる。そういう線は非常に勢いがあり、味がある。その「かすれ具合」がいい。しかし普通にしていては味の有る文字は書けない。シゲティはそのために運指がこけるだとか難しいフレーズで急減速するとか、他の要素を犠牲にすることをいとわない。だから技巧的に「下手」とされがちなのだ。でも一方でシゲティの演奏がこれだけ高く評価されているのは、この奏法があるからなのだ(と思う(笑))。シゲティのやり方は正攻法ではないかもしれない。しかし唯一無比と言わざるを得ない。直線的な解釈(とはいえ微妙に変化をかけてはいる)なのに、とても変化に富んでいるように聞こえるのも素晴らしい。この演奏はセル盤並に音が悪いので○ひとつとしておくが、とにかく1楽章がいい。例のピチカート前後の焔のような激しさは特筆もの。2楽章は技巧的なパッセージで行き詰まることもあるが、全般的にはとてもクリアにシゲティの奏法を味わえる。3楽章はややリアルな世界になってしまい、夢幻的な高揚が今一つだった。総じてセル盤より僅かに上か。,
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タンスマン:ポーランド狂詩曲

2016年11月06日 | Weblog
ロジンスキ指揮クリーヴランド交響楽団(columbia/SLS)1942/4/18

columbia未発売の録音とのこと。曲はディーリアスかよというような音詩からいくつかの聴きやすい旋律が現代的なハーモニーを織り交ぜて綴られてゆき、最後はドビュッシーかよというようなイベリアな踊りで終わるキャッチーなもの。狂詩曲と言われれば確かにその類の音楽ではあるが、バルトークと同時代の作曲家のものと言われれば少し古い感もある。ロジンスキはさすがの纏め方でノイズまみれの音の中からもしっかり固めてきているのがわかり、職人的な巧さと強権的な統率力を感じる。
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プーランク:2台ピアノのための協奏曲

2016年11月06日 | Weblog
ホイットマン&ローウェ(P)ミトロプーロス指揮RCA交響楽団(RCA/nickson)1947/12/15・CD

戦後同時代のデュオ曲をよく演ったコンビによる正規録音で、nicksonの板起こしは状態が良く音像が安定して聴きやすい(2016/11現在現役)。オケはミネアポリスよりは良くNYPよりは落ちるが(僅か反応が鈍いように思う)、まずはこの二人の演奏を聴かせる録音なのでそこは二の次だろう。基本的には強い打鍵でミスのない、この時代のアメリカで活躍したピアニストらしいスタイルだが、弱音表現も美しく想像力のあるところを見せ、流して弾くことはない。多彩な音が出せるコンビだ。曲は色んな素材をモザイク状に、分裂症的に配置したプーランクらしいもので、楽想・響きの唐突な変化に奇矯な印象もあたえるが、これをどうさばけるかで奏者の適性や柔軟性が問われるといったもので、その点は実によく出来ている、自然に楽しめる。ミトロプーロスの分厚くも律せられたバックのおかげもあるだろう。二楽章のエチュード風の主題からの映画音楽的な展開はソリスト(デュオ)のセンスあふれるニュアンスを全体に巧く組み込んで秀逸。三楽章の色んなパロディなどを混ぜ込んだ変奏曲はスピードで押し切るのも1つの手で、この盤がそれをやっているかはともかく、それに近いものはあり、曲慣れしていなくても違和感を感じさせない類のものだ。六人組を体現する世俗性とフランス音楽の伝統を受け継ぐ繊細な美観が同居するプーランクの世界は、特有の響きや書法をなぞるだけでは再現が難しいところもあると思うし、自作自演ですら意図通り上手くできているか怪しいものだが、これこそピアニストの解釈と「センス」に依るところもあり、この盤はその点は問題無い。曲の起伏に従い大仰な表現をすれば気を煽る音楽は出来上がるものではない、ということにも気付かされるだろう。一本筋の通った、曲を知らない人にも勧められる演奏。
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ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲

2016年11月06日 | Weblog
ミトロプーロス指揮ミネアポリス交響楽団(nickson)1945/3/2・CD

ピッコロが入ってる錯覚に陥るほど状態は悪いのだが、思いっきり情感をこめて表現されるさまはワルターのライヴを思わせるものがある(ワルター盤に聴かれる強烈な恣意性は無いが)。同曲の無常感をミトロプーロスらしくあくまで前のめりに強靭に真っ直ぐ描き、この弦楽器群の硬くて魅力に欠ける音色でも、持っていかれる部分はある。こういうテンポはほとんど揺れず基本大音量の中でその音量の多少の変化のみで仕立てるスタイルはこの時代珍しくない即物的なものではあるが、同曲にはたとえ棒のような表現であっても明確に音色と響きの変化が伝わり自ずと出来上がる名品としての確固たるものが備わっている。だから、これは決して良い録音ではないし、楽曲の魅力を引き出すたぐいの解釈でもないが、悪くはないのである。
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☆ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容(1943)

2016年11月06日 | Weblog
◎チェリビダッケ指揮交響楽団(ROCOCO)?LIVE・LP

最近はエサ箱漁りはやらないのだが、昔LP狂であったころ、「新入荷」コーナーの段ボール箱に飛び掛かってまず探したのが、ジャケットの上辺がオレンジ色の「FONIT CETRA」盤(イタリア)と真っ青で飾りっ気のないジャケットの「ROCOCO」盤(カナダ)だった(ダナコードというのもあった気が)。基本的にライヴ盤を好む私はこれらを見つけるとダブリでないことを確認もせずにまず買っていた。発掘音源のCD化著しい昨今、この2大ライヴ・レーベルの盤は依然CD化していないものが多い。特殊な曲目や演奏家のものが多いことも要因のひとつだけれども、権利関係でいろいろあるのではないかとも思う。レアLP盤の高価格化がすすみ廉価盤との差が激しくなっている昨今でも、この2レーベルはあまり高価格化もせずに出回っている。しかしいかんせん母数が少ない。まさに宝捜しの気分だ。このチェリ盤は、先日本当に久し振りにLPを物色していたとき発見した。チェリのヒンデミットは「マチス」交響曲の演奏で確認済みである。期待しつつ1500円ほど払って買った。で、聴いてみた。面白い。おそらくまだこの盤のころは熱血男であったチェリの、多分に構築的ではあるけれども白熱した演奏に狂喜。もちろんライヴで、オケが(恐らく)南欧の一流ではないオケであることからも、高い精度の磨き抜かれた演奏とはいかない。チェリが必死で手綱をさばいているはなからオケが暴走気味な気がしなくもない。でも、崩壊はしない。そのあたりのバランスが絶妙なのだ。1楽章は勇み立つようなリズムが頼もしい。強い表現意志の発露と対位的構造の堅持のバランスがイケてる。フレージングに指示があったようで、どの楽器も独特な歌いかたをしているところも聴きどころ。旋律が浮き立ち、精緻で不明瞭なところのないチェリらしい演奏だ。2楽章は面白い。執拗な主題の繰り返しがボレロとは別の形で奔放に盛り上がり崩壊する。その崩壊するあたりでペットがあけっぴろげな音にスラーをつけて吹いているのが面白い。「ハラホロヒレハレ」という感じの崩れかただ(よーく聞いてるとそう聞こえます)。3楽章は落ち着き。4楽章はちゃんと締まって終わる。この楽章も格好がいい。軍隊行進曲のようだ。拍手はフツウ。でも私はこの盤をおおいに推薦する。見通しのいいチェリの解釈もいいけど、チェリの決めた枠組み内で精一杯がんばるノリノリのオケに一票。録音状態は聞ける範囲内、とだけ言っておきます。,
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☆ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」(1941)

2016年11月05日 | Weblog
○エリアスベルク指揮国立レニングラード・フィル交響楽団(great musicians of palmira du nord)1964/1/27live・CD

レニングラード初演指揮者による録音。ドイツ軍包囲下にあって生き残りの楽団員を集めて行われた1942年8月9日の演奏会は伝説となっている。このあたりのことは「ショスタコーヴィチ ある生涯」にちらっと載っていますのでご興味があれば。これはライヴなので若干の瑕疵はある。たとえば1楽章の時点ではいくぶんアバウトなところもあり、いまひとつピンとこないかもしれない(録音も悪いし)。だが強奏部の力感は圧倒的だ。1楽章の最高点ならびに終楽章最後の威厳に満ちた強大な音楽は、もうただただ聞き込むしかない。余りテンポのタメを作らず高速で一直線に進めていくやり方はちょっとムラヴィンスキーに似たところがあるが、もっと太筆描きの豪放さがある。また、抒情味溢れる楽曲の細部までしっかり弾かせており、途切れる事のない歌にはっと気付かされるところもある。とにかく率直な解釈で純粋に曲のダイナミズムを追い求める態度は共感できる。ただ、率直とはいいながらも、3楽章・・・おそらくこの楽章に関してはこれは最高の演奏記録だ・・・には楽団員から指揮者まで思い入れの限りが尽くされており、エリヤスベルグの気合いや鼻歌が聞こえ出したらもう背筋がぞくっとするような衝撃の連続である。ここまで峻厳な3楽章、それは死に対する諦念ではなく、あくまで生きることへの渇望からくる力強い衝動であり、その迫真性はちょっと現代の指揮者にはなしえないものを感じる。巧い下手ではなく、これは時代のなせるわざであり、その時代の記憶である。ソヴィエト・ロシアに知られざる指揮者というのは数多いが、この指揮者もナゾといえばナゾであるし、もっと音源が発掘されないものか、と思う。,
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☆プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2016年11月05日 | Weblog
○シゲティ(Vn)セル指揮ニューヨーク・フィル(BWS他)1945LIVE・CD

今聞くと旋律にもリズムにも魅力があり、3楽章クライマックスなど、ソリストが1楽章主題をトリルで再現する一方で木管楽器が3楽章冒頭の音形を散発的に重ねていくなど、構造的な創意も見られ、非常に面白い曲で取り上げるソリストも多い作品だが、作曲当時は評価を受けられず、シゲティが再発見して積極的に取り上げるまでは秘曲の位置に甘んじていたという。まあ、短すぎること(20分くらい)、技巧をひけらかすようなアクロバティックな表現に欠けること(カデンツァも無い)など、ソリストがコンサートプログラムとして取り上げるのに難しい面があったことは否定できない。シゲティはこの曲の中に何を見出したのか。このライヴを聴いていると、さほど難しくないパッセージでテンポダウンしたり、あるいは1楽章のバラライカを模したピチカートが出てくる前後でどんどん走っていってしまうなど、技巧的な不安定さをまず感じる。しかしその反面、音色には非常に魅力的な艶があり、それもフランチェスカッティみたいにおんなじ美音で終始弾き続けるのではなく、音符音符で常に音色的な「揺れ」が見られ、不安定ではあるが、とても人間的な感情をつたえる演奏になり得ている(これは晩年に技巧が衰えたころにさらに明らかになっていく)。1楽章は余りの気迫と緊張の余り指がうまく回っていなかったりするが、その緊張感は異様なほど伝わってくる。前記のように走ってしまったり(セルはどうにかついていっているからまた凄いが)するところもある。2楽章はこの短い協奏曲の中で唯一技巧的な楽章だが、わりとさらっと過ぎてしまう。素晴らしいのは3楽章だ。新即物主義とも呼ばれたシゲティの、とても情緒的な面が出ており、そのレッテルに疑問を提示するものだ。前記したトリルの場面では、シゲティの最弱音が注意深く挿入される木管とあいまってとても夢幻的な・・・多分他に聞けない類の・・・法悦的とも言える世界を映し出し秀逸だ。このフィナーレは素晴らしい。拍手もまあまあ。録音マイナスで○ひとつ。,
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モーツァルト:交響曲第40番

2016年11月05日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina)1954/12/30live 55/1/6放送

ina.frからもamazonデジタルからも配信されている同日プログラムの最初に収録(メインはフォレレク)。いかにも50年代によく聴かれるスタイルの演奏で、力づくで押さえ込み攻撃的なアンサンブルを繰り広げていくさまはモーツァルトというよりベートーヴェン。凝縮力の強いフルヴェン的な演奏で、オケの雑味もまたこの時代のライヴ録音らしく楽しめる。ドビュッシーの使徒アンゲルブレシュトの演奏と思ってはいけない。フィデリオ全曲なんかも振っていたORTF創始・常任指揮者の演奏。このオケに後年聴かれるお高くとまったような?雰囲気は無く、モノラルの音の塊の生々しさから、この人がこのオケをローカル色から脱した万能オケにしたい意図が伝わってくる。ザッツが雑とかアマオケのダジャレみたいなことは言わないが、そういう雑さはこの演奏様式なら気にならない。セッション録音にはないライヴ感に気を煽られる演奏。
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フローラン・シュミット:詩篇第47番

2016年11月05日 | Weblog
マルティノン指揮ORTF他、アンドレア・ギオ(SP)(ina配信)1973/10/31live

やかましい!という音響が延々と続くベルリオーズ的な作品で、オルガンや合唱を含む誇大妄想的な音楽はワグナー風でもあり、またウォルトンが似たことをしているが(旋律などほとんど似通った作品がある)、何か他のものを真似て作品を仕立てる職人的な技を発揮している、ある意味フローラン・シュミットらしいところは好き嫌いが別れるだろう。マルティノンというとフローラン・シュミット、というイメージはORTFとのEMIセッション録音盤がもたらしていると思われるが、これは録音が巨大な音響を捉えきれずノイジーになっている点ふくめ余り魅力を感じなかった。それなりの長さなのに楽想、書法に変化のない作品に飽きてしまう。飽きさせてしまうのがこの演奏の悪いところだろう。ina.frからは小品と、人気のサロメの悲劇が配信されている。
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