湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

リヴィエ:交響曲第5番

2016年12月29日 | Weblog
ツィピーヌ指揮ORTF(pathe)

オネゲル風の陰影をもった構造的な交響曲ではあるがオネゲルよりもスケールの大きさと様式の多様性を示す。映画音楽的な側面もあるけれど円熟した管弦楽法と注意深い楽曲構成により耳に届きやすくなっているのが要因で、単に効果的な作品だからこそ聴きやすい種類の映画音楽に聴こえるだけなのだ。あざといくらいに展開がうまく、木管が薄闇のなかで線的に絡むところにいきなりヴァイオリン合奏がミヨー風の主題を挿入、ふたたび薄闇に入ると今度は太鼓から低音楽器の地響きがはじまりオネゲルふうの音響、和声が物語を大袈裟にする、そんな調子でもうなんか、フランスの現代作家で新しもの好きでも世俗趣味でも古典趣味でもなく、こんな真ん中を行くやり方をする人はなかなか識らない。リズム要素の一つとしてジャズが入る箇所もある。終楽章はオネゲルが背景にあるのは間違いないとしてカラフルなバルトークといったふうの弦楽合奏、ヤナーチェク風味のブラス、畳み掛けるような芯の通ったアンサンブルからのショスタコーヴィチ風闘争のフィナーレ。ツィピーヌの操るORTFはじつに上手い。曲を知るのに変な演奏にあたると(即物的な意味ではなく)「起承転結」がはっきりせず途中で飽きてやめてしまうものだが、ツィピーヌの構成感はしっかりしている。褒めすぎた。先人の作り上げてきたものを上手に使った優等生的作風です。
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リヴィエ:交響曲第3番

2016年12月29日 | Weblog
ツィピーヌ指揮ORTF(pathe)

構造的な協奏作品として人気曲だが録音は少ない。4つの楽章がまったく違う表情を示す。ミヨーからいきなりショスタコーヴィチになったりする。しかし聴いているうちそのどちらでもないことがわかる。音は似ていても書法は簡潔明快かつ、少し世俗的な親しみやすさをもつ。オネゲルは次世代の有望な作曲家の中にリヴィエの名も挙げたが、技巧的にすぐれた作曲家は必ずしも込みいった複雑な作品は書かない(たとえばドイツの近代作曲家のような)。オネゲルの期待した作家はいずれもその系譜にある。曲は残念なことにどんどん暗くなっていって不穏に終わるから一楽章で心を掴まれた向きは期待しないで聴き続けることだけれど、新古典主義時代のストラヴィンスキーのわかりやすい部分を取り入れたかの如く対位法的な四楽章にいたっては、それはそれで楽しいと頭が切り替わっていることだろう。演奏はツィピーヌらしい引き締まったアンサンブルに終始する。しばしばしょーもない演奏もするフランス国立放送管弦楽団もここでは一切手を抜かない。一楽章の牧歌ですら薄味にならずしっかり田園風景を油絵具で描き上げる。演奏プラン的にちゃんと構成された四楽章にもきこえた。
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チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番

2016年12月29日 | Weblog
サペルニコフ(P)チャップル指揮エオリアン管弦楽団(apr/pearl他)1926初録音盤・CD

録音メロメロ、オケ重くて音つぶれまくりだが、しかし、それでもこのロマンティックな起伏の説得力、引き込む力は何だろう?かつてこの曲はルバートを多用する奏法が施されていた、同時代ではすくなくとも「こう」であったのだ。ピリオドでやるというのなら、これは規範たるべきものになるだろう。その上に乗ってくるサペルニコフがまた「違う」のだ。大仰なしぐさはせず颯爽と、何でもないかのように指を回し続け、音楽の流れに乗って、いや、要所要所おさえつつ音楽のスムースな「流れ」を作り上げていく。そのスタイルはラフマニノフに似ている。この人のことをよく知らないが、ショパン弾きなのではないか?舞曲リズムの絶妙なアクセントの付け方は凡百奏者が普通にやってはできないものだ。そもそもサペルニコフは若い頃チャイコフスキー自身の指揮のもと同曲を演奏しているのである(録音が残されている奏者としては唯一とされる)。アンマッチなのにしっくりくるコンビ、いかにもイギリス風のオケ、格調あるソリストの音色に曲の臭みは取り去られ、ロシアの協奏曲にすら聴こえず、ここまで自然に調和してなお、技巧のすぐれたさまをも聴き取れる。年はとってもまったく衰えなかったのだろう。省略などあるだろうがそれでも佳演だと思う。パブドメ音源なのでネットで探せば聞ける。
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ワグナー:ローエングリン三幕への前奏曲

2016年12月29日 | Weblog
チャップル指揮祝祭交響楽団(Vocalion)1927・SP

ジークフリート牧歌ではメロメロだったがこちらは楽想がはっきりしているぶんわかりやすい録音となっている。奏者のスタイルは所々古いが、オケの総体としてのレベルは高く、時代なりの統率力もあるがそれ以上に適度に情緒的な変化がしっくりくる。音響的にも華やかだ。個人的にはチェロのボウイングが美しく捉えられているのが印象的。ブラスも力強い。
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ワグナー:ジークフリート牧歌

2016年12月29日 | Weblog
チャップル指揮現代室内管弦楽団(Vocalion)1925・SP

vocalionはロンドンの古参レーベルで伝説的ピアニストのサペルニコフ(チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番の初録音(指揮はこの録音と同じスタンリー・チャップル)はチャイコフスキー指揮下で弾いたピアニストのものとしても著名で近年CD化もされた)など特徴的な録音を残している。

しかしまあ、状態に左右されるSPであり、私の聞いたこの音源は音が全部潰れており楽曲の色調の変化が明瞭に捉えられている以外、なんにも伝わってこない。サラサラしたあっさり解釈によるところもあるだろう。
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ワグナー:ニュールンベルクのマイスタージンガー〜名歌手の行進

2016年12月29日 | Weblog
ボールト指揮祝祭交響楽団(vocalition)1927/5/5・SP

SP用に切り詰められた断章だがボールトの行進曲は意外といける場合があり、これも楽曲の包蔵する構造的魅力を威厳をもって、かつ力強く引き出した佳演となっている。
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ワグナー:さまよえるオランダ人序曲

2016年12月29日 | Weblog
ボールト指揮祝祭交響楽団(vocalition)1927/3/9・SP

ワグナー臭の薄い曲ではあるがそれにもましてワグナーらしさがない。普通のロマン派音楽をやっているようなニュートラルさがある。ただし冒頭よりかなり激しい発音ぶりが捉えられており、覇気が感じられ、ボールト壮年期のスタイル〜ニキシュから学んだ主情的なダイナミズムの影響もあるのだろう〜を窺い知れるものとなっている。
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トッホ:弦楽四重奏曲第12番

2016年12月29日 | Weblog
ロンドン四重奏団(M&A)1947/2/21live・CD

「これはマイナー曲探訪も極北だな」と思ってレコード購入を止めた作曲家である。はっきり現代作曲家であり、かなりの多作家ではあるが今聴ける曲はほとんどヒンデミットよりすら前衛を目指したような代物である。ワイマール時代をへてアメリカ亡命後も作曲を続け、シェーンベルクのあとを追うような作風の変遷をへているが、それはこのトッホにしては録音の多い曲でも聴かれる。無調のカオスではなく形式的に感じられる律せられた部分の多い作品であり、音列技法も用いられていると思われる。部分部分を取り上げていたらきりがない、つねに新しい聴感を与えようという意識が、同時代の現代作曲家同様に存在し、変化し続ける不協和音(じつに「新鮮な」不協和音)や器械的な工夫(一楽章は構造の下でえんえんと半音階的にうねる音が個性的)は昔支持されたのも頷ける。ただ一言言わせてもらう。聴くものを飽きさせないのが完成度の高い現代曲だ。私は一楽章を除き途中で何度も意識を失いかけた。そういう覚悟があるならどうぞ。演奏が中庸なスタイルで歪みなく達者すぎるのも原因かもしれない。
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シェーンベルク:セレナード

2016年12月28日 | Weblog
ロスバウト指揮南西ドイツ放送交響楽団(col legno)1958ドナウエッシンゲン音楽祭・CD

意気軒高のシェーンベルクの才能を実感できる。ストラヴィンスキーふうに最小限に整理された音要素のどこにも怠惰な様子はなく常に音楽が変化し音色が変化しそこに同じ景色は二度とつながらない。それでいて「個性」をしっかり印象付けることのできる小品集だ。ギターの孤独なひびきは月に憑かれたピエロを思わせる。ペトラルカのソネット(4楽章)で官能的な表現ののち突如バリトンが中世歌を歌いだすのは弦楽四重奏曲第二番で無調宣言とともにソプラノ独唱を加えたことを思い出させる(ここでは十二音技法が試みられた)、この人独特の感性によるものだろう。ハイドンのような眠りを許さない。また多くの部分にマンドリンが導入されメヌエット(2楽章)などでは諧謔的な風味を加えるとともに、「小夜曲」であるからこそマーラーの「夜の歌Ⅱ」の世俗的用法をも意識しているかもしれないと思った。シェーンベルクはヴァイマールのひととき世俗音楽にも手を染めているだけあり音楽は高尚なだけではなく人心に寄り添うことも必要だと感じたのか(私にとっては心の乱れ狂った時に寄り添ってくれる作曲家なのだが)、「何らかの」主義主張を抽象化しておさめたのだろう。バスクラやヴァイオリンといった楽器にくわえそういうものを使うことでとにかく耳に新しく聴こえる音楽になった。冷えた抒情は慣れてくればちゃんと音楽として聴ける。音列技法というのはわかってしまえばそういうものとして聴ける(これは頭の切り替えであり混乱ではない)、厳格なまでのセオリーに基づくものであるからこそ意味がある。それだけを使うのも20世紀的には袋小路だったが。ここまでこんなに思い入れない曲について書いているのはロスバウトのせいである。ものすごく見通し良くきわめて緊密なアンサンブル、さらに音の太さ大きさにも厳しく指示を与えたかのようなバランスよさ。モノラルだが面目躍如とはこのことである。同曲は新ウィーン楽派と浅からぬ仲のクラスナーでたしか二種、現役はミトロプーロス指揮のもの(おそらくミトロプーロスがシェフでクラスナーがコンサートマスターであったミネアポリス交響楽団のメンバーによるアンサンブルか)だけ持っていたかと思う。
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ブラームス:ハンガリー舞曲第5、6番

2016年12月28日 | Weblog
シュワイコフスキー指揮ハルビン交響楽団(columbia/sony)1939・CD

ハッキリって緩い。技術的な問題もある。だが勢いはあり、解釈自体はテンポ変化をしっかりつけ悪くなく、演奏者側の問題だったのだろう。ヴァイオリンのポルタメントが気持ち悪い。音程の取れない人がポルタメントを先に覚えてしまうとだめなんだよなあ(自己嫌悪)。第6番のほうが変化に富んでいて、一般にも耳なじみが薄いから比較対象が無いのも含めかえって聴ける。5番よりも凝った感じのする曲だ。テンポの著しい変化にも何とかついていっている。とはいえ、この時代のオケでしかも78回転盤の悪録音での再生となるとそう聞こえるだけで実際そこまで同時代的におかしな演奏ではないかもしれない。
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ラヴェル:マ・メール・ロワ組曲

2016年12月28日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(PATHE/SLS他)1929・CD

ノイズでわりと隠され気味だがかなりの情緒的演奏であり、非常にロマンティックで胸打たれる。終楽章においてはきらきらと輝く音と対照的に左手指メロメロで柔らかく弾きあわせる弦楽器の対照がうつくしい。壮麗な終結部の音響バランスの美しさもたまらない。ラヴェル存命中にラヴェル盟友が振った記録としても価値あるだろう。
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ボロディン:交響詩「中央アジアの平原にて」

2016年12月28日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(PATHE/SLS)1929・CD

落ち着いたテンポで(録音のせいもあろうが)起伏も基調となるテヌート表現の中で極端にはつけられない。フランスの管楽器の魅力は、時代なりのアバウトな感覚もなきにしもあらずだが音色に明瞭に表れている。低音楽器中心に各楽器の力強さは伝わってくる。解釈は結構感情的で、後半に低音から高音へ旋律が受け渡される個所などデロデロなフレージングでアンゲルには珍しい。若い頃の録音ならではのものだろう。
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リムスキー・コルサコフ:歌劇「サルタン王」~熊蜂の飛行

2016年12月28日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(PATHE/SLS他)1929・CD

個々の楽器の機能をみせつけるためだけの曲だが、そこまでせっつくような感じはなくきちんと構築されている。構造的な箇所も明瞭にとらえられているのは音色的な意味も含め楽団の性向によるものか。
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デュティユー:交響曲第1番

2016年12月27日 | Weblog
デゾルミエール指揮ORTF(ina)1953/10/18live

1951/6/7初演記録はORTF記念盤CDでもina配信でも出ている。こなれた感がするのはそのせいか。デゾルミエールにはどうも無味乾燥あるいは客観的&中庸のイメージが強く、一連の戦後ina音源が出るまでは手を出さない主義だった。inaが収集した音源は状態にバラツキがあり、これは撚れたりノイズがぱちんと入ったりと、良い録音とは言えない。また、オネゲル臭い構造的な書法の部分は明確に聴かせ、現代的なしんとした空気の場面では冷たく制御し、案外と起伏を作り出そうとして成功している。美しくも長々しい曲なのは仕方なく、同世代のシンフォニー作家の中では世界的にも抜きん出た才能はあると思うが、少し解釈者が手を入れる必要もある作品なのかもしれない。Amazonデジタルで入手可能(バレエ曲抜粋とのカップリング)。
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デュカス:交響曲ハ長調〜Ⅱ、Ⅲ

2016年12月27日 | Weblog
ヴォルフ指揮ORTF(french broadcasting system)LP

いつものナレーション入りの放送録音。環境雑音が聞かれるのでライヴかもしれない。一楽章を欠くのが惜しいが、オケを統率し力強く前に向かう姿勢はヴォルフらしく、三楽章は特筆に値するかっこよさだ。ロザンタールに俊敏さを加えたような、色彩性にとりわけ配慮しながらも要所要所を押さえたうえで全体の精度を上げるよりは音楽的にまとまったものを提示しようとしている。デュカのまだ若かった頃の唯一の交響曲は三楽章制で、構造には違うものも存在するが印象的にはフランクのそれを想起させられざるを得ない形式主義的なかっちりした楽曲の中に、ワグナー的な悠々とした流れを作りながらもその影響から脱し、次世代の音楽を創り上げようという精神〜グリーグやロシアの諸作家など周辺国の作曲家から伝わるもの、さらに同世代ドビュッシー前期風の曖昧模糊とした和声の部分導入〜がすでに感じ取れる。二楽章は部分的な斬新な仕組の挿入が特徴的なので、ぜひ真価を確かめてほしい。旋律も形式的にも思いっきりフランクである三楽章はこれはこれで盛り上がるが、展開のための展開、というような、形式(決まりごと)のために楽譜を引き伸ばすようなところは少々飽きる。モノラル。
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