湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

グリンカ:ルスランとリュドミラ序曲

2016年12月27日 | Weblog
ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(ORGANUM他)1962/2/10ブダペストlive

ルスランと言ったらこのコンビしかない。弦楽の最強軍団に一糸乱れぬアンサンブル、このスピードでムラなく実現できるのは古今東西この時期のこのコンビしかいなかったろう。物凄い聴きごたえで、毎度毎度ブラヴォなのも納得の威容をほこる。世界トップの短距離ランナーという印象。
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グラズノフ:バレエ音楽「ライモンダ」抜粋

2016年12月27日 | Weblog
ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(ORGANUM他)1962/2/10ブダペストlive

バルトーク、ブラームスのアンコールとして演奏された模様。ごくごく短い抜粋だがスマートに、ほのかな懐かしみを感じさせる演奏。
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ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」〜Ⅷ.金のリンゴと戯れる王女たち(スケルツォ)ヴァイオリン編曲

2016年12月26日 | Weblog
マカノヴィツキー(Vn)ヴィタス(P)(voice of america recording/meloclassic)1940年代後半・CD

メロでは最後の三曲がノエル・リーではない伴奏者によるSP復刻音源となっている。SP特有のノイズは無い。全曲版ないし旧い組曲にしか出てこない断片の編曲で、ドゥシュキンは関わっていないか。作曲家本人によるものかどうかも怪しい。基本的に技巧をひけらかす「熊蜂の飛行」に過ぎず、歓びにみちた疾走のなかに魅力的な王妃のテーマは僅かにちらりと現れるだけ。だがこの2分弱にぎゅっと火の鳥のエッセンスが詰め込まれ、さすがに荒々しくなりながらも技術的な穴はなく、完璧に弾きこなしている。ピアノはいかにも伴奏ピアニスト。
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シェーンベルク:ピアノ独奏付きヴァイオリンのための幻想曲op.47

2016年12月26日 | Weblog
マカノヴィツキー(Vn)ノエル・リー(P)(meloclassic)1963/3/29live南ドイツ放送・CD

単にヴァイオリンとピアノのための幻想曲とも表記される。最晩年作であり先鋭さや厳格さより「音楽性」をとった感もあるが、それよりもかつてのウィーンへの追憶を抽象化したが如く重音の官能性はベルクを、とつとつと、時折走る点描的な表現による思索性はウェーベルンを想起させられざるを得ない。だが編成からしてもあくまで簡潔で、展開は依然シェーンベルク的でやや古風な印象もあり、晩年作にしばしば見られる焼き直し感や日和った感は全くしない。これは6分あまりの短い曲にも関わらず多くのことを学ばせる。今でも頻繁に演奏され、グールドの声掛けで録音されたメニューインの録音は有名である。現代作品にも優れた適性を示すこのコンビにおいては、硝子細工のように見通し良く生臭さのない、かといって血の通った生き生きとすらした印象を受ける。同じ盤に入っているストラヴィンスキーのコンチェルタンテとはえらい違いで、芯の通った楽曲となっており(むろんその技法に支えられたものだが)、心のささくれだったときに共感するシェーンベルクの音楽であるが、これは冒頭を除きむしろ現代に生まれ変わったロマン派音楽のような、何とも言えない味がある。何度でも聴ける音楽だし、もう理由を伝えるにはスコアの分析くらいしかないのかもしれないが、とにかく名曲である。そして、名曲であることをストレートに伝える完璧にシェーンベルク的な、否、ウェーベルン的な、豊穣にして簡潔な演奏である。余計な解釈もなく、計算でできるものではない。模範だ。それにしても良い音の奏者である。太過ぎず細過ぎず、品格ある色艶を安定した技巧のもとに煌めかせている。古典派も非常に上手く、ボウイングに絡めた細かいヴィヴラートの使い方が極めて上手い。
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ボロディン:歌劇「イーゴリ公」~農民たちの合唱

2016年12月26日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮パドルー合唱団(pathe/SLS他)1929

というか女声独唱からひたすら平穏な合唱が続くだけなのでアンゲルブレシュトだからどうということはない。なんとなくクリスマス向きの雰囲気がある曲。
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ボロディン:歌劇「イーゴリ公」~だったん人の踊り

2016年12月26日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団、合唱団(pathe/SLS他)1929

面白いことにinaに残っているORTFとの記録とよく似ているのだ。復刻状態のせいもあるのだろうが厚みがあってより迫真味があり、すでにのめりこむだけではなく引いて整えるスタイルがあらわれているものの、むしろ流れ良く、圧力があって十分に感興を与えられる、音楽的に愉悦を昂めたものとなっている。メロメロとポルタメントがかったヴァイオリンの運指は気になるが78回転盤時代であることが良い方にはたらいている、つまり気になるほどには聴こえない(録音に捉えられていない)。ノイズは凄いが耐性があれば、放送管のものより楽しめるだろう。音程が安定しないように聴こえたらそれは単なる復刻側の問題。
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ムソルグスキー:禿げ山の一夜(リムスキー・コルサコフ編)

2016年12月26日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮ORTF(STEF/ina配信)1965/2/11放送live・CD

不安定なステレオでボロボロな感じ。そして、これがまたそれなりにやってはいるのだが細部が緩い。引き締めがいまいち、構成もいまいちで、いつもの一歩引いたテンポのスタイルも併せてぱっとしないのだ。木管の一部はフランス流儀の音色も含めそれなりに聴けるが総体としても迫力に欠け、それはオケの未熟さと聴かれかねない。これは正体不明の放送音源を廉価CD化したSTEFレーベルで出ていたもので、ina配信と同じものだろう。データもそちらに準拠した。
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☆ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(7曲)

2016年12月26日 | Weblog
◎アンゲルブレシュト指揮フランス国立放送管弦楽団(TESTAMENT/DUCRET-THOMSON/LONDON/WING)1955/2/24・CD

かつてオケをシャンゼリゼ劇場管としているものがあったが、テスタメントで正式復刻リリースされるにあたってフランス国立放送管と表記されるようになった。契約関係の模様。あえて避けてきたのだがこの曲には少々複雑な事情がある。まず、ラヴェルの多くの管弦楽作品がそうであるように、原曲はピアノ連弾曲で、1910年にかかれている。「眠りの森の美女のパヴァーヌ」「親指小僧」「パゴダの女王レドロネット」「美女と野獣の対話」「妖精の園」の5曲である。管弦楽版のマ・メール・ロアはその翌年に編まれたものだが、曲数・曲順は同じである。一般的にはこれがマ・メール・ロア組曲と呼ばれるものである。しかしさらにこれを本人がバレエ組曲として再編したものが存在する。曲数は7曲に増え各楽章間に5つの間奏曲が加えられ、さらに順番も変えられている。「前奏曲」~「紡ぎ車のダンス」、間奏曲、「眠りの森の美女のパヴァーヌ」、間奏曲、「美女と野獣の対話」、「親指小僧」、間奏曲、「パゴダの女王レドロネット」、間奏曲、「妖精の園」というもの。バレエとしては12年に初演されている。マ・メール・ロア全曲というとこれをさすと言っていいだろう。個人的には「パヴァーヌ」からいきなり始まる原曲版は馴染めない。全曲で慣れ親しんできたからであり、むしろ邪道なのだが、それでも序奏なしで本編に突入するような感じは否めない。さらに間奏曲を全てカットした版も存在する。これはアンセルメが編んだもので、アンゲルブレシュトなどはそれに倣っている(但しアンセルメは5曲版の録音しか遺していない)。私はあまり違和感なく聴ける。さて、この盤(ダフニス全曲とのカップリング)はかねてよりマニアの間で超名演として語り継がれてきたもので、モノラルではあるがしゃきしゃきした歯ごたえで結構構築性のある半面夢見ごこちな雰囲気にも欠けず、非常に充実している。ただ、テスタメントで復刻されたものを聴くと、ロンドン盤のような少々篭もった重心の低い音に聞こえる。いかにもドイツ・ロマン派ふうの復刻音なのだ。デュクレテ・トムソン盤のシャンシャンいうような硝子のような何ともいえないまばゆい明るさと幻想的な雰囲気がそうとう抜けている。ま、舞台上の雑音まで拾う良好な録音ではあるのだが、もっと抜けのいい明るい音にしてほしかった。デュクレテの印象を含め、◎としておくが、テスタメントでは○程度。もっと浸らせてくれい。ウィングのCDは板起こしのままの音で、比較的デュクレテの音に近い解像度であるものの雑音がかなり耳障りである。もっともLPに比べればマシか。,
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ラヴェル:組曲「マ・メール・ロア」

2016年12月26日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(ica,naxos)1958/2/4live放送・DVD

icaが復刻したミュンシュのテレビ放送動画は5枚組で廉価化もしているが、網羅はしておらず嚆矢を飾ったこちらも入っていない。ミュンシュが長い棒で情熱的に振るさま(弱音部であっても振り回す)は未だ闘志みなぎり、解釈も比較的激しいほうで(弱音楽章のほう(終曲の呼吸するようなうねりなど)によりその起伏が明確に表れる)そのわりに乱れはない。ソリストも安定の演奏ぶりだ。音色も透き通り良く、これはさすがボストンオケである。バーンスタイン的な指揮というわけでもない、体幹はほとんどぶれておらず、熟達した解釈はすでにオケに浸透しているようである。演奏後も普通で、前プロだからということもあるのだろうが、音だけ聴けばほぼ「いつものミュンシュボストンのラヴェル」である。完全に映像を見るためのもので、奏者の顔の見える映像の価値は高い。録音状態は当時の放送レベルのモノラルで良くない。iberia、海が続く。icaのDVDには他にブルックナーがある。こちらはCDとは日違いとされるが疑問がある。フランクやワグナーなど見たい方はカタログをどうぞ。ミュンシュに関しては全部映像である模様。ユーロなので直販も国内代理店販売と値段が変わらない。

ちなみに私は移動中や空いた時間をぬって曲を聴くことがほとんどである。昨日meloを書いたときは久しぶりにじっくりオーディオで聴いたもので聴感がぜんぜん違うのは当たり前だが、楽しめるのは音質環境の整っている場所のほうで当然だ。ストレスがまるで違う。しかしノイジーな古い録音については楽しむことを一番の前提に置かなければ、想像力で補って十分ポイントを押さえることは可能とも思っている。これはioデータのDVDミレルを使いスマートフォンで見た。当然ながら白黒の古い映像であっても動画配信サービスで共有される映像なんかとは天地の差、見やすさも画質も(元が悪いのになお)wifi接続のこの機器からピアトゥピアで飛ばした映像を見るほうが遥かによいから、各楽器の表現の違いを耳目揃えて確認できたのは良い。ただ、前もって聞いてはいたのだが映像が止まったり飛んだりするのが目に余る。機能として備えているCDレコ(リッピングソフト)のノイズ乗りはひどいので今は使っていない。DVDミレルで見ていて音質劣化は感じないが、水平に安置して、しばらく「慣らし」をしたとしても、動作不安定でろくに見れない盤があるというのは、カプリッチオレーベルの実況「ドビュッシー補筆完成舞台版アッシャー家」等のDVDで既に確認済ではあったのだが、icaくらい名の通ったところのDVDもろくに読めないのか、と少々不安になった。たいていバッテリまわりの電圧の不安定さに起因すると指摘されるところだが、ANKERの大容量を満充電で使っています。
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ストラヴィンスキー:ヴァイオリンとピアノのためのデュオ・コンチェルタンテ

2016年12月25日 | Weblog
マカノヴィツキー(Vn)ノエル・リー(P)(meloclassic)1961/6/23南ドイツ放送live・CD

ヴァイオリンは生臭い楽器だ。音符どおりにいかないアナログな楽器である。新古典主義時代のストラヴィンスキーはヴァイオリンの「非機能性」を逆手に取り、ヴァイオリン協奏曲のような特別な作品を作り上げた。弦楽四重奏用小品についてはそれより非音楽的ではあるが旋律と創意を極めて短い三つの楽章に凝縮した、少し違う魅力を保った「アンサンブル」で、ウェーベルンあたりの簡潔で理知的な志向に近いものがある(ストラヴィンスキーは古風な旋律要素など感覚的なものも組み入れてくるが)。イタリア古典音楽の要素も踏まえ、さらに別種の「完全に器械的な音楽」に仕立てようとしたのがこの作品だが、机上論的な発想であり、そういった意図を「実際に発せられる音」で伝えるのはなかなか面倒。興味の結果としての小品を寄せ集めたような面もあり、演奏家が譜面どおりに捉えず研究し、器械を器械にとどまらない「聴かせる組曲」にすることが必要である。いや、ストラヴィンスキーはそれを意図していないが、そうすべきである。この演奏はじつに達者で不足のない技量と色の無い音によりライヴとは思えない結果を提示している。ノエル・リーに沿うように明晰な演奏で、フランス的な品もある。

つまり解釈的ではない。ストラヴィンスキーの魅力としての旋律要素がしっかり認識できるのはエグローグⅠ(二曲目)などの一部で、まさにストラヴィンスキーの意図どおりというか、何をやっているのか最後までさっぱりわからない、ピアノのミニマルというかオスティナートリズムというか単調で簡素な律動が目立つものの楽章毎分節毎に変化していき、それだけとも言い難い、二本の楽器による実験工作を聴かされた感がするのだ。演奏は素晴らしい、このコンビらしいもので、直後のトラックであるブラームスが生臭くなくじつに美しいのびのびと、ヴィヴラートをきかせた演奏なだけに、あまりに楽曲の魅力の無さ、適性の無さが際立ってしまう。よくまあちゃんと聴かせている、という録音もある中、むしろ「ちゃんと聴かせる」のは意図から外れた邪道なのだ、と割り切ってスコア片手に聴くのにはよいかもしれない。
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デュカス:交響的スケルツォ「魔法使いの弟子」

2016年12月25日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(pathe/SLS他)1929・CD

まだデュカが思いっきりパリ音楽院作曲科で教鞭をとっていた頃の「同時代同地域録音」であり、ストコフスキーが有名にする前の純音楽として聴ける貴重な記録だ。60年代生まれなのに後年かなり若い世代を教えていたから(メシアンらはさながら「魔法使いの弟子」だったわけである)名前はとても有名なのに、曲となるとこれしか出てこないのは勿体無いことだ。19世紀末に形式主義的な立場をとりながら次世代への橋渡しをするように当時として先鋭な和声的書法を試み、以後にはドビュッシーを採り入れる柔軟性も持ち合わせていた人である。

壮年期アンゲルブレシュトの水際立った指揮記録はこの他にもいくつか復刻されている(弛緩のない前進する力と各楽器の音をはっきり分離させた色彩性は後年のドビュッシー指揮者としての記録とイメージの違うところもあるし、オケの差でもある)。ロシアのリムスキーあたりをほうふつとさせる古風さも示しながら、ホルストが惑星でパクった現代的な鋭角のダイナミズムも織り込まれ、これは演奏のしようによって変わる曲である。私の刷り込みはトスカニーニなのだが、正直古臭く感じたのはトスカニーニが現代曲をあまり色彩的に刳り出す解釈を施さず即物的に扱ったため、強調して煽るべき部分が隠れてしまっていたせいだろう。
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プロコフィエフ:古典交響曲(交響曲第1番)

2016年12月25日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA)1953/3/27live

ミュンシュには7/26のコンサートでの同曲の録音もあり、演奏時間は30秒前後の差しかなく(同じDAの別番号なので同一ではない)、これを選ぶ理由もないが、録音状態は全然こちらの方がましで、解像度の良さ、引き締まり度もやや上に感じる(客席反応は心なしか向こうの方が良い)。いずれ新古典主義の先駆をやるにしてはドガシャン的な音の叩き方が気になり、ストコフスキーは論外としてトスカニーニのような筋肉質に引き締まったものとも違って、ミュンシュの良くも悪くもである。情緒的表現は良い。また、さすがに構造が売りの作品なので、発音の派手さはともかくそこはしっかり組んでいる。
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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

2016年12月25日 | Weblog
ギーゼキング(P)クルト・シュレーダー指揮ヘッセン放送交響楽団(meloclassic)1953/7/20フランクフルト・ヘッセン放送スタジオ録音・CD

昔はこれ以上のものは無いと思っていたギーゼキングのラフマニノフだが今聴くと、鍵盤がつねに「縦に軽く」叩かれ柔らかみがなく、そこがフランス風というか情趣無く明確すぎる音、これは首を傾げる。もっとも、録音が音量からして弱く、全体像を捉えきれていない可能性もある。すでに老境に達していたためだろう、冒頭から重みがなく、過剰な和音は鐘の模写にはとても聴こえず(音を減らしているのか手がでかいだけか?手をズラしてバラして取る方法は全く使っておらず自然にそっと入ってきて最後だけズラしてためを作るもののテンポ的にはあっさり主部へ入る)アメリカみたいな豪速球スタイルとは違った淡白な音色のインテンポなスピーディーさで、、、軽く感じさせて一楽章はなんだか「ラフ2ってかんたんなの?」という良いんだか悪いんだかわからない誤解とともに引っかかりのないものになっている。ミスも認められる(メンゲルベルク盤はミスの有無すら確認できない解像度)。しかしビックリは二楽章で、なんだこの感傷的な世界は。ギーゼキングはドビュッシーにしても湧き上がるイマジネーションを何故かモノクロの中に描く人だったが、それはオケのせいもあってカラフルではないものの、メロディにしたがいタメを作り、とくに終局に向かう部分ではオケが、メンゲルベルクのようなとんでもないタメを作って巨大な恣意性を持ち込み、ロマンスを煽る。ラフ2ってこういうんだった!ギーゼキングはそれを邪魔せずまるで伴奏のように少ない音を添えて完璧だ。そこからピアニッシモでリズム主題に入り、これも過度にアクセントが付けられている気もするが、ギーゼキングの突入はやはりそれほど強靭な感じはせずパラパラとしている、しかもちょっと、指が危うい。だが、曲想にしたがってギーゼキングなりの盛り上がりは作っていく。アバウトさも含め気を煽るライヴ感があり、もっと深く強い音であれば素晴らしいのだが個性とのバーターであり仕方ない、オケが充実しておりソリストと丁々発止繰り広げる。何のタメもなく弦楽器に緩徐主題を放り投げるが、ちゃんとルバートして歌ったあとにしっかり投げ戻され、旋律最後の弱音表現が繊細で美しいのはギーゼキングのドビュッシー弾きらしさだ。計算されたテンポ操作が目立ってくるが、この曲、もともとそうやって夢見るドラマを繰り広げるのが正解だったような気がする。単純に突き進む曲じゃなくて、感情の迸るあまり変な表現もまじえ指も回らないが、しっかりオケの助けを得て、ロシア流の大きな旋律の抑揚をつけて終わらせる。録音の悪いせいもあろうギーゼキングのイメージから離れるところもあるが、これは敢えてライヴとして聴くのが良い。総括すれば「特徴的な演奏」だ。
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プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第3番「古いノートから」

2016年12月25日 | Weblog
アンドレ・チャイコフスキー(P)(meloclassic)1962/1/20バーデンバーデン南西ドイツ放送スタジオ録音・CD

もともと簡潔に構築された佳作ということもあるが、均整の取れた演奏ぶりで、古典からショパンという流れで名を成したのはよくわかる(戦中派として若い世代ではあるし早世したからイメージが古いだけでこのスタイルが取り立てて新しいとは言わないが)。軽妙というと語弊があるものの、音楽表現にニ派があるとすればモーツァルト派であろう、ベートーヴェンではない。したがって即興や作曲をこなしたというのも頷け、この初期曲(改作)に溢れるイマジネーションを汲み取り、たっぷり余白を取りながらフランス近代曲のようにペダルを多用することなくぴたりと仕立てる才能はなかなかのものがある。正直作曲もやるのなら他の現代曲もやっておけば評価は違ったろう。コンクール出でも半端な位置、音も含めて奇をてらわず派手さはないがヴァイオリンで言えばスターンのようなパターン化した音作りのスタイルは絶対取らず、編曲も厭わない創意と売出し側の意識のズレ、住む国を移り続けたのにも理由はあろうしこれは仕方のないことだ。チャイコフスキーは戦中ユダヤ系を隠して生き抜くために付けられた偽名で作曲家としてはアンジェイと母国ポーランド風に読まれることが多い。
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グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲

2016年12月25日 | Weblog
ギンペル(Vn)ハンス・ミュラー=クレイ指揮南ドイツ放送交響楽団(meloclassic)1956/10/2シュツットガルト放送スタジオ録音・CD

ギンペルらしく危なげない安定した技巧にスピード、明るく力強いスタイルが怠惰な一楽章を引き締める。基本まっすぐ突き進むがもちろん表現の綾はこのクラスのソリストには当たり前のようについている。グラズノフの西欧主義的側面を国民楽派の靄の中からきちんと取り出して曲の大きな分節ごとに少し異なる色をつけしっかり構成している。長いカデンツァでスピードが速すぎてとちるのは珍しいことだが(後半部も所々ライヴのような指の転びが入るものの)トランペットとの対話から始まる民族表現を尽くす祝祭的音楽への移行も速度、音色と技巧の安定感から唐突感がなく、近代ヴィルトゥオーゾ的表現もしっかり兼ね備えた立派な演奏となっている。オケが音色だけでなく反応も鈍重さを感じさせる部分がなくはないが、オケを聴く曲でもなしきちんとアンサンブルになっているのでマイナスにはならない。録音はこんなものか。
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