湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」~Ⅱ.抜粋

2017年03月18日 | Weblog
ストランスキー指揮NYP(columbia/sony)1917/1/22・CD

SP(市販初出)をNYP175周年記念ボックスでCD化したもので最古の記録の一つになる(同ボックスは残念ながらほとんどがLP,CDの復刻であるが最古期のものに数トラック程度聴きものがある(トスカニーニの運命ライヴと近年のコステラネッツの秘曲のみが市販レコード化されていない完全初出、メンゲルベルク最古のさまよえるオランダ人は訂正が入り市販SP化していたことが判明))。今までのディスコグラフィ上では同年10月の録音をNYP最初のものとしているが本復刻は2017/3であり、データ不備の可能性もあるが、こちらのほうが古いとみなせる(この時代の録音日は正確な記録がない場合もあるのでNYPの全面協力のもと復刻した今回版元の最新データを信用すべきだろう)。世界初演オケとして最古の記録というのもいかに同曲がアメリカに歓迎されていたかがわかる。NYS合併前のNYPとして後年のオケとは同等とはみなせず、今のイメージと違い凡庸な面もある。休符を詰め、テンポ感がやや性急で前に行くのはアコースティック録音の制約だろう。それにしてはよく音が拾えている。音色はよくわからない。ノイズは一か所でかいのが入る。マーラーの直接後任の貴重な録音として好きものは聞いてもよいか。転調前に終わる。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ディーリアス:夜想曲「パリ」~大都会の詩

2017年03月17日 | イギリス
○シルヴェストリ指揮ボーンマス交響楽団(bbc,medici)1967/3/2live・CD

情緒深く表現されるディーリアスの世界。ワグネリアンそのものであるディーリアスのうねるような情緒がドビュッシー的なパセージや和声を絡め大都会パリの陰影を思い出をこめてうたわれる。求心力の弱い演奏であってもそれなりに聴けてしまう職人的なわざの篭められた大管弦楽曲として、しかもシルヴェストリだからかなり力強い情感が迫り、ディーリアスというよりもっとドイツ的な重厚さはあるにせよ動かされる部分はある。長くて飽きてしまう、みたいなことはありません、わかりやすい。○。

Comments (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆マーラー:交響曲第10番<クック補筆完成版・決定稿>

2017年03月17日 | マーラー
◎マルティノン指揮ハーグ・フィル(RO/Disco Archivia:CD-R)1975/6/13ハーグ・オランダ音楽祭LIVE

名演というか独特の演奏である。すばらしい音「楽」ではある。全体にはよくまとまった筋肉質の演奏で、異常なほどの集中力と立体的な音楽作り、諸所の印象がマーラーでなかったとしても、純粋に「音楽」として充実した聴感が与えられる。特に中間楽章の激烈さと乖離性人格障害のダイレクトにあらわれる特異にごつごつとした終楽章には聴く者を唖然として惹きつけるものがある。録音は古いものとは比べ物にならないほど明晰でバランスのとれたステレオだ。ちゃんとした録音なのになぜハーグ・フィル(レジデンティ管)が未だCDでの再販に踏み切らないのか、マルティノンの人気が今ひとつなのか腑に落ちないが仕方ない(後註:CD-Rでは発売されているとのこと、但しリストはカットされている模様(いやそういう意味じゃなくて))。改めてデジタルな変化のついた非常にダイナミックで、かつきわめて分裂症的な演奏である。

シカゴのものとアプローチは変わらないが、終楽章冒頭のバスドラの残響の無い打撃には心臓が止まる、もうやめてくれと思うほど悪魔的な辛らつさが感じられ、スコアが進むにつれ決して一つのなめらかな解釈にまとまることなく、分節ごとに全く異なる感情をただガシガシとつぎ込んでくる。ともすると余りこなれていない解釈に聞こえ、これが決して正しいとは言わないが、少なくともバスドラの打撃と、雑然と聞こえるまでに「そのままの音響」を聞かせようという態度には感銘を受けた。ほんとに短く感じるほど飽きない演奏である。終楽章の淋しい旋律をもっと旋律として楽しみたい、というきらいは残ったが(旋律の途中でどんどん調性がおかしくなっていくところ(これこそマーラーの個性なのだが)が、そのまま旋律が奇怪に歪んでいくだけのものとして(まるで前衛音楽的に)感傷を込めず表現されていくところはザンデルリンクと対照的なもので好悪分かつだろう)、それでもこの即物的な演奏ぶりは特筆できる見識と考えることができよう。マルティノンの作曲家としてのスコアの読みはマーラーともクックともまた一線を画してしっかりした独自のものとなっている。マーラー指揮者ではないからこそできたものとも言えるだろう。マルティノンが新ウィーン楽派を振ったら面白かったろうなあ。◎。

マーラー好きにアピールするものというより、クックによるマーラー編曲といったものとして聴けば真価が確かめられるようなものだ。ハーグは巧かったんだ。これ(原盤LP)はレジデンティ管の自主制作で、一応正規に販売されたもののようだ(確認できるもののレーベル面にはサンプル表記が加えられているが、ネット通販でかつて正規のものとして販売されていた記憶がある)。マルティノンの追悼盤の扱いでリストのファウスト交響曲とのカップリングである。DAは放送音源でホワイトノイズや電気的雑音により音質は落ちる。ファウストもCD-R化された。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ドヴォルザーク:交響曲第9 番

2017年03月17日 | 北欧・東欧
○カイルベルト指揮聖チチェリア音楽院管弦楽団(ARCHIPEL)1952/4/27

音はあまりよくない。1楽章、実直で安定した演奏ぶりである。細かい揺れは皆無でやや詰まらないと感じる向きもあるだろう。ブラームス臭もしないから不思議なものだ。2楽章は案外ニュアンスの篭った演奏だがそれはソロに限ったことで、全体的には寧ろサラサラした淀み無い解釈と言える。後半になるとさすが弦の国といった震えるような弦楽アンサンブルから喧嘩をへて陶酔的なまでのテンポ取りと、感情表現が表立ってくる。ここにきてはじめて面白いと感じ始めた。しかし音の悪さは3楽章でもいかんともしがたいものがある。廉価盤にしてはかなり良質なリマスタリングで改善してくれるレーベルなのだが、元が悪すぎるのだろう。原音が痩せてハスキーになりがちなのは諦めるしかない。峻厳で、斬り付けるような激しいアタックや非常に粒だった発音は、リマスターのせいもあるがかなり強烈な印象をのこす。やはり弦楽器、とくにヴァイオリンの強靭さが目立つ。激しさを繋いだ4楽章にもそのまま受け継がれる。このイタリア最高峰のオケにしても弦楽器の凄絶さにかんしては特別だ。これがこの指揮者なのだろう。音作りなどドイツ式なのだろうが、そういう流派とか関係無い特別なものを感じる。4楽章の弦は興奮するし、泣ける。下手くそにやるのが難しい名曲だが、少なくともこの楽章は最後のプレストにいたるまで完璧に演じ上げられている。素晴らしい。恐らく放送音源。「恐らく未出」の文字があるがどうだろうか?

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ウォルトン:交響曲第1番(1932-35)

2017年03月17日 | Weblog
◎ボールト指揮フィルハーモニック・プロムナード管(ロンドン・フィル)(NIXA/PYEほか)CD

モノラルBBCのクリアさも良いが、愛着あるのは古いスタジオ盤だ。LPでもレーベルによって音が違い、CDでも多分そうなのだろうけど(LPしか持ってません)、フルートを始めとする木管ソロ楽器の巧さ、音色の懐かしさ、ボールトの直截でも熱く鋭くはっきりと迫る音作り(1楽章、終楽章など複雑な管弦楽構造をビシッと仕切って、全ての音をはっきり聞かせてしまうのには脱帽・・・ここまで各細分パートしっかり弾かせて、堅固なリズムの上に整え、中低音からバランス良く(良すぎてあまりに”ドイツ的”に)響かせている演奏はそう無い)はどの盤でも聞き取れる。揺れないテンポや感情の起伏を見せない(無感情ではない。全て「怒っている」!)オケに、野暮も感じられるものの、表現主義的なまでの強烈なリズム表現は曲にマッチしている。50年代ボールトの金属質な棒と、曲の性向がしっかり噛み合った良い演奏。もっとも、ウォルトンの曲に重厚な音響、淡い色彩感というのは、違和感がなくはない。,
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロコフィエフ:交響曲第5番

2017年03月16日 | Weblog
チェリビダッケ指揮LSO(concertclub)1979/9/21live・CD

過渡期的だ。なんとも半端で、「四角四面さが足りない」。重量感はこのオケとしては出ており音に迫力はあるが、スピードが前に流れるようで、統率が緩い感がある(とちったりつんのめったり。。)。全体の構成感よりその場その場の表現に囚われがちに感じた。弦の艶のある音色に拘泥するなど、昔の覇気に満ちたライヴ感あふれるスピーディな芸風と、晩年の高精度の響きと構築性に重きを置いた遅い芸風のどっちでもなく、この曲では後者的な立場でドイツオケを振ったものが「通俗的作品の浅薄さを取り去る独特のもの」として評判になった(当時海賊盤)だけに、もちろんプロコフィエフらしい内声部まで独特の動きをふくませる緻密な書法をしっかり再現したりはしてはいるが(三楽章特有の内部構造はほんとうによくわかる)、他の楽章は空疎にやかましかったり、音量変化も場当たり的と感じる。横が今ひとつ流麗さを欠く。違和感を覚えさせる表現の極端さも目立つ。これが徹底されると流麗さを排したタイプの演奏として耳を切り替えて聴けるから、極端とも感じないはずである。最後の方になると昔の芸風に依る。他でも聴けるタイプの破裂的なフィナーレだ。派手で扇情的ではあるが(ブラヴォが飛ぶ)、晩年のチェリビダッケらしさを求めるならこれはおすすめしない。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ

2017年03月16日 | Weblog
マルティノン指揮パリ管弦楽団(EMI他)CD

少し重いがステレオ優秀録音の情報量の多さゆえそう感じるのかもしれない。内声部の緻密な動き、弱音部の繊細な響きがしっかりとらえられており、開放的で華やかな響きは録音マジックとは思えど、マルティノンの一歩引くもしっかりした音楽作りの成果として、曲を良く知る人にむしろ向く演奏かもしれない。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」(音楽)

2017年03月16日 | Weblog
コプレフ、エイコス(双子)カーティン(vox sola)ヴァロン合唱指揮ニューイングランド音楽院合唱団、モス(語)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1956/1/27ボストンlive

例によってRCA正規録音(1/29-30)直前のライヴで、語り以外は同一メンバーによるもの。モノラルで敢えて選ぶ必要はないかもしれないがSLSにしてはノイズレスで聴きやすく、リバーブをかければほぼ楽しめるレベルまで持って行ける。3時間にもわたる長大なオペラの音楽部分だけを取り出し、必要最小限の語りを残したものは映像でも出ている。その版によるコンサート形式の演奏だと思われる。このての歌劇を音だけで1時間以上聞くこと自体苦痛を伴うものであり、語りが少ないことは救いであるが、一方でカプレが管弦楽配置を手伝っていることによりドビュッシーの難しい、まだ印象派を引きずった曖昧模糊としたものを含む管弦楽がきれいに整理された感があり、言いたいことがきちっきちっと場面場面で簡潔にまとめられ、そつのない書法はまるでイギリスのヴォーン・ウィリアムズやホルストやウォルトンの歌劇ないし合唱曲を髣髴とさせるわかりやすいものになっている。それでも何か楽想を羅列して語りなどでつなぎ最後はすとんと終わるから、ミュンシュでさえ盛大な盛り上げは作ることができず、あけすけにわかりやすい合唱を恣意的操作によってフィナーレっぽく仕上げることも本来はできようが、そこまでのことはしないので、拍手もなんとなくの感じで入ってくる、しょうじき、それほど盛り上がらない。わかりやすい部分部分のパーツだけが印象に残る曲で、そのバラバラ感はすでに別項でのべていることなので、これ以上は書かない。
Comments (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ドビュッシー:6つの古代銘碑(アンセルメ管弦楽編)

2017年03月16日 | ドビュッシー
○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(DECCA)1953/10・CD

室内楽的なひびきをよくこのように維持した編曲を仕立てたものだなあと思ったものである。2006年末ボックス集成されたのがCDでは初出だそうだが信じられないくらいの名録音であるし、多分にエキセントリックなイマジネーションを持ったドビュッシーの世界を、かなりドビュッシーに入り込んで取りまとめ上げた編曲であるといえる(さすが数学者)。だから単純な教科書的編曲とは聴感の新鮮さが違う。夢幻的な「フルート、ハープ、ヴィオラのためのソナタ」や「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」の繊細な音響世界をそのまま置き換えて、更にラヴェルのように合理的に弾かせ聞かせる。ただ・・・他に比較するものがないので、これがいいのかどうか、◎にするには躊躇がある。どこから聞いても全盛期のドビュッシーそのもの、だが、なにぶんモノラル録音なのだ・・・○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番

2017年03月16日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○コリン・デイヴィス指揮NYP(dirigent:CD-R)2008/4/3live

正規配信されていた音源と同じか。コリン・デイヴィスはRVWの激しいめの曲に適性を示し、ここでも金属質の堅い響きを破裂させながらダイナミックかつ「自然な」音楽を提示している。同曲には普段RVWをやらないような、古くはバンスタが録音を残しているし、自作自演盤もあるので、「やり易い曲」というのはあるかもしれない。前の3番「田園交響曲」には全く録音がないというのに。。スコアの密度が違うのだ。ニューヨークフィルの余り色彩味のない音が却って曲にあっているようにもかんじた。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2017年03月15日 | 北欧・東欧
◎トーテンベルク(Vn)モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1955/1/28live・CD

DAと同じかどうかわからない(録音状態が違いすぎる)。十分聴くに耐えられる音でわりと迫力がある。この組み合わせはこの曲に向いているらしく、尖鋭で複雑な響きの交錯を精緻に割り出し再構築しながらも、一貫してロマン派の協奏曲であるという本質をしっかり意識した構成は聴き易い。モントゥにあっている曲だと思う。シマノフスキは難しそうでいて、同時代と比べればかなり簡潔な書法を駆使する職人的な作曲家だが、こういう演奏で聴くとそれが単純なのではなく「簡潔」なのだということがはっきりわかる。非常にいい演奏。◎。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ドビュッシー:カンタータ「選ばれし乙女」(ポエム・リリーク)

2017年03月15日 | ドビュッシー
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団他(MUSIC&ARTS/DA:CD-R)1940/4/13live

優しい曲感で宗教的な内容は推して知るべし。牧神ぽい移ろう和声的雰囲気の中に前期ドビュッシーが立ち現れる。 オール・ドビュッシー・プログラムのメインに組まれたもので、既にだいぶ前にCD化されている。トスカニーニのまとまりのよい音楽は古い録音だと音楽をせせこましくするが、これはしょうがないというか、まあ聴ける範囲では十分にある。歌唱が入るのは長い牧歌的な序奏の後になるが、オネゲルの夏の牧歌のような弦楽器の音にうららかな陽のさす雰囲気が美しい音色変化の中に描き出されている。微細なリリシズムに一種フランス音楽の王道の表現を聞き取れる。トスカニーニのこういう面は余りクローズアップされない。後期に慣れた向きには甘すぎる曲に聞こえるかもしれないが、聞き込めばこの時代としてはかなり前衛的な書法を使っていることにも気づかされよう。奏法のベルリオーズ的?使い分けが巧みである。盛り上がりどころでレンジが狭いのがきついか。往年の甘やかな弦楽セクション全般の音に傾聴。とくに低弦。ハープなどの壺を押さえたハマりっぷりなども噎せ返るような雰囲気をかもしているがいかんせん録音状態が邪魔をしているようだ。木管が巧くないとこのてのソロバリバリな曲はつらいがこのオケなら心配ない。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆フランク:交響曲

2017年03月15日 | フランス
○デゾルミエール指揮パリ音楽院管弦楽団(Le Chant du Monde)1951/7/10・LP

散々ネットに出回っているパブリックドメイン音源だが、確かに良い演奏だ。まさにフランス的な軽さとデゾのしっかりした設計がマッチして、ドイツなどのドロドロした演奏とは一線をかくして全曲通して爽やかに明るく聴ける。アーチ構造も明瞭、オケは少し弱体だが迫力はある。派手な終幕へは向かわないが、なかなか聴けます。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ブーレーズ:カンタータ「水の中の太陽」

2017年03月15日 | フランス
○デゾルミエール指揮ORTF、ヨアヒム他(INA)1950/7/18live・LP

ラヴェルの時代から戦後前衛まで、転地を続けつつ長年にわたりフランス現代音楽の擁護者として活動したデゾによる指揮記録。この時期の録音にしては非常にいい音である(トゥランガリラなんかよりはよほど)。冷たく揺れない無感情とまで思える指揮ぶりは適度な色彩性と透明感を保持しているにせよ特にこのような曲では全く個性があらわれず、バレエ指揮者としてのメリットすら最早投入されることはない。現代音楽好き以外の聴衆には受けないけれどもここでは情感を出さないわけにはいかない「声」を使用した楽曲であることから数十年前のドビュッシーの時代を彷彿とさせる感じも少しある。繊細な響き、新ウィーン楽派からメシアンを繋ぎつつ更に削ぎ落とした彫刻的な美の演出、二つの声部の設計上の巧さ、ブーレーズの天才性のみが浮き立つ。私は意図してまだ存命の作曲家は対象としていないが、デゾの前衛音楽録音は数はあるはずなのになかなか復刻評価されないので、名作としての価値含め挙げておいた。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」抜粋

2017年03月14日 | Weblog
モントゥ指揮ボストン交響楽団(whra)1958/1/10・CD

1951年の放送録音も同じレーベル(一連のボックスシリーズはモントゥーの弟子等からの直接提供)から出ており、10分あまりの抜粋となっている。いわゆる交響的断章までも至らないので原題からの抜粋としておく。長大な劇の一時間余りの音楽部分(おおざっぱに協力者だったカプレ管弦楽編曲とされることもある)より、神秘的な初期サティ風の響きから日本ぽい音階もまじえた箇所をへて、初期の明るく単純な響きの音楽、さらに「海」以降を想起させる真骨頂ないしマンネリな表現へところころと表情を変えていくのが抜粋の妙である。モントゥーはチャイコフスキーの録音など掴みどころのないというか、魅力を伝えにくい指揮者だが、ここでは官能的なねっとりした印象派的表現から明確な輪郭を持つ旋律表現まで、プロフェッショナルな技でドビュッシーとは何たるかをハッキリ伝えている。演奏精度の高さ(フランスオケよりフランスらしい輝かしい音を出す)、拍手のなさから放送用スタジオ録音音源だろう。短いのが残念だが、このくらいが丁度いいのかもしれない。音楽の要領の良さからキャプレ編曲版なのだろう。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする