湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆グラズノフ:組曲「中世より」

2018年02月22日 | グラズノフ
○ゴロワノフ指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(melodiya)1952/3・LP

冒頭から強引な発音のゴロワノフ節全開で拒否反応もやむなし。「これゴロワノフじゃない?」とレーベル面を見なくても言える人が世界中に19人はいると思う(ゴロワノフを知ってる人は20人くらいだろうが)。前期作品でもとくに有名な「海」冒頭を思わせる序奏からもう大荒れ三角波状態で、物凄いぶっぱなしかたにまるきり中世の雰囲気は無い(ショスタコに言わせるまでもなく)。そもそも中世ロシアに祖先のしるべを見出した民族主義的態度を煽る音楽を想定しているわけで西欧なんか意識してはいないが、壮大な叙事詩が4楽章構成で明確に性格別けされ展開されるさまはまるでしっかりした交響曲。曲感は前期交響詩群の極めて完成度の高い西欧のエッセンスを取り入れた一種印象派的な音楽で、ロシア国民楽派の行き着く先が結局折衷派とたいしてかわらないという印象もあたえる曲でもある。終始リムスキーなど(一部その弟子のレスピーギすら思わせる)聴き易いものなので、曲的にもおすすめ。おすすめな曲をゴロワノフにいじられるとくどい。○。面白い転調が繰り返される場面など完成期前のグラズノフならではの変幻自在ぶりだ。

※2006-12-01 20:51:08の記事です
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☆スヴィリードフ:悲愴オラトリオ

2018年02月22日 | ロシア・ソヴィエト
◎ヴェデルニコフ(b)イサコワ(msp)コンドラシン指揮モスクワ・フィル、ロシア室内合唱団(melodiya他)1975・CD

極めて美しい叙情的な歌で、ヴォーン・ウィリアムズやアメリカ・ネオロマンチシズムの作曲家を思わせる平易さとカッコよさのバランスのとれた素晴らしい作品に仕上がっている。また演奏がいい。録音も何度かの復刻の末かなりよくなっていて申し分ない。ディーリアスのオラトリオを思い浮かべる人も多いであろう。主題がレーニン賛歌であれどうであれ作曲技法的に目新しいものが見当たらなかろうが作品の美しさにはいささかの曇りにもならない。初曲の暗さでショスタコを思い浮かべたらぜんぜん違うことに驚かされるだろう。いい曲にいい演奏。◎にします。

※2005-03-19 19:48:50の記事です
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プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番

2018年02月21日 | Weblog
ヘルファー(P)マデルナ指揮モンテカルロ国立管弦楽団(SLS)1969/11モナコ(セッション録音?)

パキパキした音で組み立てられてゆくさまが心地よい。響きも調和し細かい音符もやや緩慢なテンポで曖昧にせずデジタルに再現してゆく。ソリストは明瞭に力強く縦ノリのリズムにのせてしっかり音符を敷き詰めてゆく。マデルナの指揮はかなり危なっかしかったり、オケも技術的な問題を感じさせるが、きほんヘルファーのかっちりした四角い演奏にきっちり付けていく形で進むに連れ上手く行くようになる。なかなかに盛り上がる。スタジオ録音だろう。良いステレオ。
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オネゲル:前奏曲とフーガ、後奏曲

2018年02月21日 | Weblog
アンセルメ指揮ケルン放送交響楽団(SLS)1963/4/30live

篭ったモノラルで聴きづらい。曲はオネゲルが適度に日和った、いかにもの作品で内容的に交響曲と似たようなものである。新古典主義でもかなり見通しよく、弦楽器などかなり簡単に書いてあるようで、長い音符によく歌い楽しめる美しい旋律がある。アンセルメなので過度の歌い込みは無いが、オネゲルの計算的な作風にマッチしている。音色は中欧ぽくもあるが、バッハには聴こえないのでこれでいいのだろう。
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ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」

2018年02月21日 | Weblog
アンセルメ指揮NHK交響楽団(SLS)1964/5/30東京文化会館live

オケが力強くも技術的な問題を感じさせ、アンセルメとしてベストではないが、すくなくとも自作自演よりこなれた演奏(解釈は似たようなものだが)。録音が良いとは言えないもののステレオで迫力があり、最初はソロが聴こえなかったり弦楽器がバラけたりするが、中低音の轟きや管楽器の好調ぶりが快い。ライヴということで、許容範囲とすべきか。メロディの生温さのなさが火の鳥らしくないといえばらしくないか。
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☆エルガー:ピアノ五重奏曲

2018年02月21日 | イギリス
○ハリエット・コーエン(P)ストラットン弦楽四重奏団(IMPRIMATUR)1933/10/1・LP

1楽章はかなり中欧風。フランツ・シュミットみたい。2楽章にきてやっとノーブルなエルガー節をたっぷり堪能できる。演奏もこなれていていい。ここから3楽章(の主部)はモダンな雰囲気がディーリアスを始めとする英国系作家との同時代性を強く感じさせる。力強い5音音階など初期ディーリアスやウォルトンそのものだ。ウィーン臭い1 楽章からは想像つかない面白さで、長々しいけれどかなり盛り上がる。ピアノがやたら雄弁なへっぽこアンサンブルとは違ってかっちり全ての楽器の組み合った緊密な曲に、これまた緊密さが魅力の楽団とよくわきまえたピアニスト、十分鑑賞できるいい演奏です。

※2005-02-23 13:58:12の記事です
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ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年版)〜2つの抜粋

2018年02月20日 | Weblog
ドゥフォセ指揮セルゲイ・ディアギレフ・ロシア・バレエ管弦楽団(EDISON BELL/MCR)1927/6前半・CD

モスクワ音楽院レーベルからは驚くような音源が出てくることがあるが、これはセルゲイ・ディアギレフ・ロシア・バレエ団と銘打った1916-1930年のセッション音源を集めたオムニバスであり、後半三曲は直接ロシア・バレエ団と関わりはないものの、アンセルメが1916年に録れたシューマン「謝肉祭(編曲抜粋)」とドゥフォッセのこれは正真正銘ロシア・バレエ団のオーケストラを、団で活躍した指揮者が振ったものとして重要である。謝肉祭はニューヨークにおいてcolumbiaに録音されたもので、danteの板起こしCDがあった。即ちこの有名な9分弱のトラックのみが、エジソン・ベルのSPを起こした初CD化音源として貴重と言える。…とはいえ、演奏はへっぽこ。鄙びた感じはSP期には珍しくない、おそらく録音技術的な問題(録音用編成の問題もあるか)のものと思われるが、グズグズなのはこの時代のものとしても興を削がれる。複雑なリズムを誇るストラヴィンスキーにありがちなしゃっちょこばったところは意外と無い。抜粋は第一部冒頭からの情景と、「ロシアの踊り」からその後すこしまでがコンパクトにまとめられていて、ペトルーシュカの代表的なリズミカルな旋律(借用旋律?)を楽しめるのでこれはこれで良いと思う。ドゥフォセはフォーレ門下の作曲家でもあり編曲などでその名が出てくることもあるが、何を置いてもディアギレフのお気に入り指揮者であり、ピットで振っていたことを考えれば、ピットで演奏される精度を考えれば、よりリアルな記録と考えられなくもない。もっとも初演はモントゥーであり、代表的な初期録音といえばピエルネであるが(後者誰かCD復刻してくれ…)。
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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番

2018年02月19日 | Weblog
バッカウア(P)パレー指揮デトロイト交響楽団(vibrato)1959/11/26live

ノリがよくオケとの相性もバッチリ。パレーの高速にバッカウアの音が濁るのも厭わない打鍵が乗り、カラッとしているが、また叙情的なフレーズでは高音の装飾的な音が粒立って美しいいっぽうパレーの鼻歌まで聴こえる。なのに録音が最悪で、中低音域の音の分離が特に悪すぎる。ピアノは最高音しか聴こえないし(事故が多く聴こえるのは録音のせいか?)、オケはほとんど雰囲気だけのものだ。細部はまったく聴こえず、篭ったモノラルの放送エアチェックもの、覚悟して聴くべき。あと、録音レベルが非常に低く、冒頭欠落しているのかと思った。鑑賞に値するのは高音の多い終楽章。最後拍手前にブチ切。
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☆ドビュッシー:弦楽四重奏曲

2018年02月19日 | ドビュッシー
○パガニーニ弦楽四重奏団(KAPP)LP

非常に惹かれた演奏である。ストラディだからというわけではないだろうが音色に情感篭りまくりであり、結構即興的な(でも弓いっぱいに使った大きなフレージングが目立つが)ルバートがつけられ、起伏はあるが、ポルタメントで歌い上げる戦前の演奏スタイルとも違い各音符の分離は明瞭で、この曲ではそこが非常に強みになっている。ピチカートが美しい。ドビュッシーの繊細な響きは普通にやろうとすると曖昧模糊になりがちだし、かといって精緻すぎてもまた物足りなくなる。この曲は比較的初期のものということもあって国民楽派のような激情の表現も必要だから、精緻が過ぎても心に残らないということがおうおうにして起こりがちなのだ。これは現代的な整理された演奏ではないし、かといってファーストヴァイオリンが突出して歌いまくる古いスタイルでもなく(パガニーニ伝来のストラディヴァリウスの線の細く音量の無い音が全体のセピア色の響きに溶け込み不思議な感傷を与えるのは特記できる)、「艶めかしいがからっとしている」イタリアふうで、特に弱音部の余韻といったらない。そう、弱音の表現においてこの演奏は非常に秀でている。全楽章中最も凄い出来ばえの1楽章からこの点に気づかされる。弱音に激しい感情を篭めることの難しさを思えば、凄いことをやってのけている。ところどころなんとなく稚拙に聞こえるのは古い楽器独特の生音のせいだろう。生木の楽器を弾いているような感じがあるのだが、録音も古いし(といっても50年代と思うが)やむをえまい。私はそういう音が寧ろ非常に好きなのでこれは大好物だった。確かに何度も聴いていると独特の音に飽きてくるが(「独特の音」特有の弱みだ)、「鳴らない楽器を鳴らそうとしたとき」の「鳴る楽器以上に深く響く」という感覚が味わえる。ただ、私の盤は余りに状態が悪い。音飛びまくりだ。CDになっていればぜひ入手したいところ。◎にしたかったが、何度目かで飽きがきたことや盤面の問題で正確な評価を下せない点を割り引いて○。

(後日記)KARPとあったのはKAPPの誤記の模様。但しチャント確認していないので別録音だったりして(KAPP名の別ジャケ欧州盤を入手したんですが、たぶんアメリカ盤のほうがリアルで原盤に近いいい音です)。

※2006-01-31 17:43:43の記事です
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☆エルガー:交響曲第2番

2018年02月19日 | イギリス
○作曲家指揮ロイヤル・アルバートホール管弦楽団(HMV/PEARL)1925/4/16・CD

自作自演の旧録。録音指揮に情熱を傾けたエルガーは結果として同時代のオーケストラ録音の代表者のような存在となり、ストコにも似た編成の録音用改変からマイク配置の試行錯誤などさまざまなことによって自分の理想に近い(といってもやはりこの時代のテクノロジーだから妥協はあるだろうけれども)形を残している、かなり信用のおけるものとして、ショルティやプレヴィンなど、新旧両方の解釈表現を分析し自己の演奏に取り入れたことで有名である。旧録(更にはpearlの板起こし)ならではの雑音の多さや音像の不明瞭さが気になることは気になるが、エルガーが極端に編成を小さくし、特にヴァイオリンなど2プルトくらいしかいないんじゃないかというくらいで貧弱な録音に収まる程度の音響バランスを保とうとしている様子がよくわかり、時代なりのロマンティックな奏法を肯定しながらも非常に速いテンポを維持し、フレージングや音色で纏綿さを出していく(録音の都合もあるだろうが)割とトスカニーニ的な表現手法に近いものを持っていたことがよくわかる。旋律に重点を置き、書法上目立たない楽器に対旋律を受け持たせている場合でも他の楽器を極端に落としてしっかり対旋律として認識させるように歌わせる、単なるメロディ追いではない自作ならではの知り尽くした表現が聴かれるのもいい。オケは正直弱くバラバラになる箇所もあり、それはエルガーがソリスティックな細かい音符を織り込んだメロディや効果音的挿句を多用することからくる無理が追い討ちをかけているのだろうが、編成が小さいだけあって弦楽器では「個人技で」カバーして聴けるものとなっている(これが大編成では十六分音符まで纏めることは不可能に近いだろう)。

いずれこれが再度復刻されないのは不可解ではある。pearl自体が創業者の死去により自然消滅し版元pavillionにも在庫がない状態。ボックスで高価だったゆえ、長らく渋谷HMV(現パチンコ屋の場所)の店頭で埃を被っていて、いつか買おうと思っていたらいつの間にか消えていた。やっと手にすることができたわけだけど、これにしか復刻されていないアコースティック~電気録音が入っており、奇妙なSP復刻を繰り返すNAXOSあたり不意に出して復権させて欲しいものだけれども。○。

EMIが繰り返しCD化している新録を含むボックスはこちら。

エルガー・ボックス/エドワード・エルガー、ロンドン交響楽団、他

しかし記念ボックスを買うほどではないかたが大半だと思うので、

Elgar Conducts Elgar - Symphony No.2 Op.63, Cello Concerto Op.85 / Edward Elgar, LSO, etc

珍しい「コケイン」の位相の違う同一演奏2録音をステレオ整形したものがボーナス収録された代表作集
Elgar Conducts Elgar - Cockaigne Overture; Enigma Variations; Pomp and Circumstance Marches/ Edward Elgar

※2009-05-07 09:00:03の記事です
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ラフマニノフ:交響曲第2番

2018年02月19日 | Weblog
ソコロフ指揮クリーヴランド管弦楽団(PASC他)1928世界初録音盤

pristineの復刻による。ソコロフはトスカニーニやクーセヴィツキーとくらべ世代的にはそれほど古くはないが、pristineの3枚組はこれが最後の電気録音としておかれており、仔細はわからない。クリーヴランド管弦楽団の創設指揮者であり、出身はロシアだが幼少期にアメリカに移住しており血のようなものは感じない。力強い演奏ではあるがむしろ端正ですらある感じもして、スマートというとイメージ的に違うというか、この時期にしてはオールドスタイルのデロデロ解釈にも録音制約にも縛られず現代的な表現をなしており、SP特有スピード早めかと思えば3楽章はそうではないし(原盤状態のせいだろう中間楽章はやや聞きづらいが)、テンポルバートもするところはするし、そこにポルタメントはしっかり入れ、大見得を切るような表現もしているが、、、すべて醒めたところがあって、おおむね統制の厳しく取れた、今のクリーヴランド管かとすら思えるオケのアンサンブル(弦の薄さはリマスタリングでもカバーできず惜しいが乱れは少ない)に明るい音色は、20年代にしてはかなり特異な部類に入ると思う。カットはあるがクーセヴィツキーほどカットしておらず、後半長々しくて飽きてしまう私ではあるけれど、1,4楽章は楽しめた。極力ノイズを抑え聞きやすく仕立てたpristineにも拍手。
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ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)〜4つの抜粋

2018年02月18日 | Weblog
作曲家指揮NHK交響楽団(KING,NHK)1959/5/3日比谷公会堂LIVE・CD

これは完全初出となる。同CDはこれまでバラバラに出ていた来日公演記録音源をまとめたうえで初出音源を加え、公演プログラム再現(三回全て同じこの組み合わせ(うぐいすの歌、火の鳥組曲、花火、ペトルーシュカ抜粋)だったそう)としてまとめている。ペトルーシュカは簡素化された、面白いというより純音楽としての魅力を強調した新しい版に、現場に即してさらに手を加えているという。いきなり「手品師の芸」から始まるのもシニカルというか、「ロシアの踊り」「ペトルーシュカの部屋」「謝肉祭の日の夕方」と続くにつれペトルーシュカの「当初の」魅力が浮いてくるのだが、演奏も終曲前まで事故が目立つ。これが奏者の問題とも言えないのはライナーにもあるとおり、つい即興的なドライヴをかけてしまう、ポリシーと矛盾したストラヴィンスキーの棒のせいでもあるのだろうが、もともとスローなインテンポで楽器の重なり響きをより純粋に原意に沿った正しいものに整えていくうえで、和音の強調がリズムの強調となり、またN響そのものもドイツ的な重心の低さをまだ持っていたからだろう、色彩はロシアより明るいフランスふうのものをよく出してはいるが、それでも鈍重さを感じさせるところがある。偶然にその重さがストラヴィンスキーの指揮スタイルをより克明にさせているとも言える。音は良いので、管の事故の連発が目立ちまくっているのはいただけないが、黛敏郎、岩城宏之氏の参加したパーカスはいけており、弦楽器はよくつけており、面白いものには仕上がっていると思う。観客は冷静な拍手。クラフトの下振り、ゲネ本のみストラヴィンスキーといういつものやり方だそうで、譜読み段階では岩城宏之氏がやったとのこと。黛敏郎氏も岩城宏之氏もそしてクラフト氏すら、彼岸の人となってしまった。クラフト氏の回想録でストラヴィンスキーがこのとき日本の演芸に触れ専ら音要素だけ評価したようなことが書いてあったか。そのとき同行したのが、兼高かおる氏だったか。
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ストラヴィンスキー:幻想曲「花火」

2018年02月18日 | Weblog
作曲家指揮NHK交響楽団(KING,NHK)1959/5/3日比谷公会堂LIVE・CD

後半の映像が既出。これは全曲とあるが冒頭?拍手も入っていない。音は極めてよく、晩年ストラヴィンスキーの骨と皮…その骨は野太く皮は分厚い…の音楽をじつによく伝えてくれる。基本的に四角四面でやけに大作りで、緩慢なインテンポにオケが合わせていくのはとても窮屈というか大変そうだが、色彩感とリズムの重みは別種の熱気をはこぶ。ソヴィエト公演記録同様、下振りのクラフトの方が上手にストラヴィンスキーを再現できそうなものだが、これはやはりストラヴィンスキーの即興性(演奏会の度事前準備された現場改変含め)や奥底に眠る作曲時の情熱がそこに生まれてくるところが面白く、花火は短いので演奏上の軋みもすくないから、ストラヴィンスキーの演奏スタイルを知るには良い例だとおもう。
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☆ディーリアス:マルシェ・カプリス

2018年02月17日 | イギリス
○ボールト指揮ニュー・フィル(LYRITA)1973/8/15・CD

ボールトのディーリアスはきわめて珍しいが、ディーリアスの特にしっかり描かれた最盛期までの作品はドイツふうの重量感のある和声と明確な旋律性を帯びており、リズムは明確に打ち出されるもののそれほどリズミカルになる必要もないからボールトには寧ろ向いていると思う。この演奏もかなり上位に置ける素晴らしく立派な演奏になっており、晩年のボールトがまだまだ指揮において衰えをみせていない、しっかりした足取りにディーリアスのまだ初期の香りをとどめた民謡風旋律にも格好悪さを感じさせない響きの重量感で演奏を非常に上手くまとめている。短いのでこれだけで評価というのは難しいがボールトらしさというのが渋くて鈍重というイメージでは語れない部分というのを感じさせる演奏。RVWが演奏できてディーリアスが演奏できないわけはないのだ。

※2007/9/15の記事です
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☆ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー

2018年02月17日 | アメリカ
○ゲール指揮コンサート・ホール交響楽団、アントルモン(P)(CONCERTHALL/MMS他)

ちょっと真面目にクラシックをやってしまっているかアントルモン。滅法上手く詩情あふれ美しいが、ガーシュインとして面白いかというとどうか。ガーシュイン(グローフェ)は割合積極的に表現することを求めるが、その点ややつまらないかもしれない。ゲールのほうは、オケが余り上手いどころではない仮面オケなのが、人により好嫌別れるところだろう。比較的解釈的なものを入れてきているが激することはない。総じて知見だけを評して○。

※2006-09-20 09:07:16の記事です
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