湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆マーラー:交響曲第4番

2018年02月16日 | マーラー
○近衛秀麿指揮新交響楽団、北澤栄子(sp)(DENON/日本COLUMBIA/ローム)1930/5/28,29パーロフォン録音・CD

メロメロで縦ずれ危なっかしいが、きっぱり歯切れいい近衛の棒によって崩壊せず寧ろ引き締まった感さえ与える演奏に仕上がっている。アーティキュレイションに古めかしい所も無きにしもあらずだが、基本的に粘らず直截である。エーリヒ・クライバーに私淑していたのもさもありなん、古い録音のため音色が潰れているからなおそう感じるのかもしれないが現代的である。録音のせいかピッチがずれて気持ち悪い箇所もあるし3楽章から4楽章のところでカットがあるが、同曲最古の録音(マーラーのシンフォニー全曲録音としてはフリートの復活に次ぐ二番目の古さ)としての資料的価値のみに留まらない面白さがある。一種アマオケを聞くような一期一会の緊張感があり(といいつつソロ楽器がコケまくりだったりもするが)2楽章あたりからマーラーらしさが感じられてくる。奇怪さがよく演じ上げられている。基本的には明るい色調ではあるが3楽章などワルターを思わせるドラマがあり、テンポは基本的に速く揺れないものの、美しくむせ返るような音には感じ入らざるを得ない。古典的な構成感を大事にしながらも時代の景色を香らせて、5番アダージエットの先触れとなる弦の終止音形あたりの幻想味などなかなかに感動的だ。落ち着いた4楽章のテンポも前楽章の余韻を残していてよい。依然幻想は続く。オールドスタイルの歌唱は同時代の西欧の歌手の録音に決してひけをとるものではない。進駐軍のレコードマニアが日本に来た時買いあさって一時品薄になったというこのSP音源、1、2回CDになっていたかと思うが恐らく現役ではない。どこかで見掛けたら手に取ってみて下さい。なにぶん古いので過度の期待は禁物ですけど。録音月日はN響の4楽章抜粋盤と相違するが恐らくこちらが正しい。ソプラノの名前が違っているが同一人物である。どちらの記載ミスなのかわからないのでそれぞれの盤にあわせて書いておく。2006年1月ロームのSP日本録音復刻集第二弾で10数年ぶりに復刻された。

※2005-02-22 20:10:26の記事です
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☆アイヴズ:交響曲第4番

2018年02月16日 | アイヴズ
○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団?(DA:CD-R)1967/12/18live

録音は悪い。ホワイトノイズが多くぼけたモノラルでバランスも崩れている(この曲は生で聴いていてもバランスよく聴こえることは無いので理想的な音響は「スタジオ録音でのみ」可能なのだが)。ねっとりしたストコ独自の表現が初演盤よりはっきりと聴き取れる。1楽章は重苦しく引きずるような印象を受ける。2楽章は物凄い迫力だけが聴き取れる。バス音域が強すぎる感もある。かなりゴテゴテ表現を加えている。アイヴズぽくはないが変に単純化するよりも多彩に聴け楽しめる。通常ピアノ(この曲には他に四分音ずらした調律のピアノとアップライトピアノが導入される)が案外よく聴こえ、それがソロピアノ曲に近似した書法で描かれていることがわかる。禁欲的な硬質の音楽だ。3楽章はクライマックス前の悲劇的パセージでパイプオルガンとベースのハウリングが激しすぎて聴こえない(そういう箇所はいくつか聞かれる)。それが生々しくもあるのだが耳には辛い。異様な雰囲気があり、かなり稀有壮大に誇張した表現がとられている。

4楽章は打楽器オケ(パーカッション部)から始まるが、タムタムがいきなりえらく大きく出てくる。それまでにも増してねっとり壮大に異常世界が演出される。スクリアビンだこりゃ。旋律的な流れ(旋律そのものではない)を失わない方法はわかりやすく、かなり成功しているさまが悪い音の中に伺える。それにしてもこんな想像力の限界に挑む異常音楽にラグのイディオムとか素朴に組み込まれ抽象化されているさまはほんとにすさまじい。アイヴズのスコアは単純だが音にするとこんなにもなる、いや「なりうる」のだ、シェフによっては。

正規盤初演ライヴよりもクライマックスへの盛り上がりが自然で迫力がある。細部の聴こえない録音が返す返すも残念、とくに高弦が聴こえない。最後の神秘の賛美歌が清澄で不可思議な空気をかもしながらねっとり恍惚として表現されるのはストコらしい。ベースが再びハウリングを起こしてその透明な美観を損ねているのは惜しい。最後ふたたびの打楽器オケの残響が綺麗だが、その上で余韻をかなでるコンマスの下降音形の分散和音(アイヴズがよくやる方法)がまったく消えているのは惜しい。

終始ストコがいじっている感じだが、それすらも「アイヴズらしい」と思わせる。初演盤がけして成功しているとは思えない部分もあるし、寧ろモノラルであることによって下手なステレオよりまとまって聴こえるのはメリットかもしれない。○。

※2008-01-09 20:33:55の記事です
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☆ショスタコーヴィチ:交響曲第1番~Ⅰ、Ⅱ断片

2018年02月16日 | ショスタコーヴィチ

○トスカニーニ指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団(RICHTHOFEN:CD-R)1946/6/15ミラノlive

トスカニーニのショス1は他にもあるがイタリアオケの生気ある演奏として特筆すべき記録である。実際、アメリカオケのものに比べ「音楽がリアル」で、録音は極めて悪いものの精度も高く聞き応えがある。というか、NBCでは無味乾燥な演奏をなしていたトスカニーニがここではちゃんと「ロッシーニの紛い物」として、面白く演じているのは驚くべき発見である。

ただ、これ、一楽章は冒頭を欠き、二楽章にいたっては冒頭しかない。計6分50秒、これのためにこの盤を買うのはどうかというところだが、海賊的裏青にしては良心的価格なのでまあ、他のトラックと合わせ技では許されるといったところでしょう。

※2008-12-26 23:26:49の記事です
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☆シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番

2018年02月15日 | 北欧・東欧
○パリュリス(Vn)サタノウスキ指揮モスクワ放送交響楽団(melodiya)live

弓を物凄く弦に押し付ける奏法からしてそうなのだが、力ずくで押し通したような演奏ぶりで、尋常じゃない勢いだ。一部オケがついていけてないほどに突っ走る場面もある。せっかちな感は否めず、緩急の緩のほうが足りないような気もするが、スリリングでライヴ感に溢れたすこぶるテンションの高い雰囲気に圧倒されてしまう。この曲に横溢する民族的表現すら強烈なテクニックの前に鄙びた緩やかな雰囲気を失い、ただ聞くものを唖然とさせるものになっている。技巧的にこのスピードでは無理、というところもなきにしもあらずなのだが、それでもほぼ完璧な音程、重音のハーモニーが素晴らしく耳に残る。ロシアオケのボリューム溢れる音に対してしかし終始支配的に演奏を引っ張っていくさまはウィウコミルスカ盤以上のものだ。寧ろオケが鈍重に聞こえる。ソヴィエトの常、ブラヴォは出ずフライング拍手がパラパラ入ってくるが、そんなのが信じられないくらい、最後のコーダも物凄く、「曲を基本的に解釈していない」ものの「曲を完全に弾ききった」という感慨を受けるものとして、◎にしたいが○にとどめておく。モノラル。

※2006-05-22 09:58:57の記事です
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☆ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

2018年02月14日 | ドビュッシー

トスカニーニ指揮ニューヨーク・フィル(MUSIC&ARTS)1936/4/16,19LIVE・CD

はっきり言って鑑賞に値しない音質であるが、トスカニーニは若い頃のほうが全然いいという説もあり(実際聞いたんですか?と問いかけたくなる怪しげな言説ではあるが)、いちおうドビュッシーファンなら古い記録として聞いておいても毒にはならないかと思う。けどですね、そんな状態ですので、トスカニーニの覇気は感じられてもオケの威力は感じられず、何かうすっぺらいものを聞いた感触すら残る。よほど曲に造詣のない方には不要、造詣のあるかたは頭の中で音を補って聞いてください。たぶん、後年の録音と解釈的な差はありません。無印。ブラヴォーは凄い。

※2005-03-25 20:01:08の記事です
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☆ヒンデミット:気高き幻想組曲

2018年02月14日 | ドイツ・オーストリア
○クレンペラー指揮スイス・ロマンド管弦楽団(ETERNITIES:CD-R)1967(57?)/3/6live

クレンペラーではEMI正規録音に近く、オケのアタックが弱くヤワで迫力には欠ける。しょうじき非力でありやる気もどうかというところだ。最後こそ偉大に盛り上げるがそこまでは退屈で、無理に遅めのテンポに抑えているようだ。ヒンデミットでも作風がマンネリ化した時期の作品で、構造や構成もまったく新味がなく、ヒンデミット慣れしているとこういう客観的なやりかたは退屈きわまりない。うーん。○にはしておくか。ここで美しいのは静かな場面での木管のやりとりだが、木管に鉄琴重ねるやり方はまったく世界の調和他と同じでヒンデミット的にはいつものやつなのである。

※2011-11-12 16:25:34の記事です
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☆フローラン・シュミット:バレエ音楽「サロメの悲劇」

2018年02月14日 | フランス
○フレイタス・ブランコ指揮ポルトガル国立交響楽団(STRAUSS)CD

私はデュカが得意ではないのだが、デュカ的な劇性にドビュッシー的な色彩を加え、ルーセル的な(とくに印象主義から脱した頃の)重厚壮大さを反映させたようなこの作品もまた、どうも得意ではない。確かに隙が無く無難に聴けるが、何かに似ている、ここはあれだ、あそこはこうだ、という以上のものが聞き取れない。名演が少ないというのもさもありなんな、例えばルーセルの蜘蛛の饗宴のように代表作なのに名演を決めかねる位置づけのものに思える。この録音は一連のブランコ放送録音の中に含まれてCD化されていたものだが、管楽器がいかにもファリャ的というか、スペイン・ポルトガル圏のオリエンタルな雰囲気をかもし、ちょっと不思議な軽さを感じさせる。フローランはもっと重くスクリアビンと逆側から中欧音楽を眺めたような音楽・・・だが曲にはあっている。合唱はつかず全曲でもないが、このコンビはけして上手とは言えない録音も多く、その中ではよく描ききっており、特にバレエ音楽ふうの愉悦的表現、躍動感と色彩性は特筆すべき聴き所だろう。変化を愉しむ曲でもあり、そのうえでは終始同じ明るさに包まれすぎているようにも思えるが、まあまあ、と思います。○。

※2009-10-07 10:22:09の記事です
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☆グラズノフ:弦楽四重奏曲第5番

2018年02月14日 | グラズノフ
○リムスキー・コルサコフ四重奏団(ARS)CD

さらさら流れるような演奏で引っ掛かりは少ないが、内声部がよく聴こえる。この団体の中低弦の充実ぶりが伺え、グラズノフの書法の緻密さをじっくり味わえる。旋律主体の伸び縮みする演奏とは違う「アンサンブルの面白さ」が楽しめる演奏として特筆すべきだろう。2楽章のワルツなんかはグラズノフ四重奏団と同じような舞曲っぷりが何とも言えない香気を放ち、部分部分では特筆すべき解釈はある。終楽章はやや落ち着いているし恣意的過ぎる部分もあるものの、無難である。三楽章は余り印象に残らない。翻って長大な一楽章はとにかく速い。技術的に高いわけではないが技術的にバランスのとれた四人によって編み出された佳演と言えるだろう。ショスタコーヴィチ四重奏団よりもスタンダードと言っていいかも。

※2013-04-26 13:51:30の記事です
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☆アイヴズ:ピアノ・ソナタ第1番

2018年02月13日 | Weblog
○マッセロス(P)(sls)1969/12/19live

アイヴズで、表題の無い曲は名品とみていい。これをコンコードソナタ(ピアノ・ソナタ第2番)より好む人もいて、私もその一人である。いつも通り世俗素材を利用はするが、割りと抽象度が高く全体の印象として格調がある(コンコードソナタの運命の引用ときたら!)。同一音形を執拗に繰り返しスクリアビン的な盛り上がりを作る一楽章、これは演奏の凄まじさもあるが四楽章の複雑で目覚ましい律動、ほかコンコードソナタにあらわれる要素を分類・凝縮して示したような楽章群(もっとも終楽章は複雑多様なのに一本調子。いつ終わったか聴衆もわからないほど冗長で構成感が無い)。20世紀に入ってピアノソナタといいつつソナタ形式なんてあってないようなものだが、これも各楽章の対比が明確なだけの「組曲」と言える。初演者によるライヴで、よく整理して聴かせている。アイヴズ特有のポリリズムなんて、左右でどうやって弾いてるんだか慣れなんだかわからん。CBSの初録音盤とくらべ精度に変わりはなく熱気のぶん勝っているが、残念なことにモノラルで、同レーベル特有の「ノイズ残し」が実に邪魔。イコライジング前提で楽しみましょう。聴衆反応は戸惑い、のち喝采という。

アイヴズは実演経験がないからこういう演奏困難な曲を書くのだという意見がある。しかし私的演奏会もあれば自宅にピアノも持っていたしコンコードソナタの一部は録音もしている。小規模の曲にそれはあてはまらない推測だ。

※2016-07-27 08:05:34の記事です
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☆ディーリアス:弦楽四重奏曲

2018年02月13日 | イギリス
○フィデリオ四重奏団(PYE)

熟達した安定感のある演奏解釈ぶりである。この「鄙びているのに厚ぼったい」独特の情感をもった曲のとくに硬質な響きを「整えすぎることなく、しかし旋律偏重のロマンでごまかすのでもなく」強く打ち出し、民謡旋律の生々しさとのバランスをとることにより、ディーリアスの特質と一種弱点(RVWは「ここ」を克服しているのである)をとらえた演奏に仕上げている。若い団体が取り組むことの多い曲のように思うが、比較的練達した演奏家によるものとして安心してきくことができる。ファーストの音に魅力があるかどうかでファースト偏重の楽曲というのは決まってしまうところがあるが、この団体も(全員が非常に太い音を出すが)圧倒的にファーストの個性が強く、いかにもイギリスのソリストといった・・・メニューヒンをどうしても思い浮かべてしまう・・・太い音であるものの不安定になりかねない音程どりで憂いあるヴィブラートをかけてくる。時々旋律が和声に隠れてしまうがファーストが強いのでおおむね成功している。ディーリアスはまあ、ワグナー系の分厚い音を使うのに、表現内容は淡いパステルカラーの田園世界というアンビバレンツな曲を書くため、楽器の本数が少ない曲ではその世界観を崩さずに全ての音を出していくのは(重くなりすぎるため)けっこう難しいものだ。現代ふうに響きを整え精緻さを求めていくと、ロマン性が失われてしまう。其の点ではバランスがとれていていいのではないか。○。

※2007-01-06 23:26:19の記事です
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☆ミヨー:弦楽四重奏曲第2番

2018年02月13日 | フランス
◎パリジー弦楽四重奏団(AUVIDIS)CD

強靭さのないアンサンブル。しかしそのアンサンブル能力の自然さ、高さと柔軟性が長所に感じた。柔らかく線の細めな、フランスというよりイギリス的な融和しやすい音に惹かれたわけでもあるが、ミヨーのカルテットでいちばんわかりやすく、かつ魅力的な旋律が理知的な構造の中に組み合わされ配されて、しかもその中に非凡な技巧的工夫が過剰にならずさらっとミヨーならではの形で篭められている。「雑多で硬派なミヨー」のファンにはまだ「六人組の描く牧歌」の範疇を抜けていない日寄った作品ともとられかねないわかりやすさだが、コントラストの著しくとられた各楽章にも鮮やかに統一主題が変容され導入されて形式感をしっかり維持していたり(かなり中欧の古典的作品を研究したようである)、2楽章には宗教的な暗い主題がミヨーの代表作にも一貫してみられる独特の雰囲気をカイジュウなハーモニーにより(また構造的に懇意だったシェーンベルクあたりに通じる萌芽も感じる)しっかり内容あるものに仕立て、四、五楽章のボリュームとともに力作大作感を強めている。この演奏はとくに構成が練られており意図を理解しやすい。三楽章を軽く風のように流しているのは少し物足りなさもあるが実に安定し上手い楽団だなあと感心させる無理のない柔軟性を兼ね備えた俊敏さだ。とにかくプロヴァンスのあたたかな日差しを思わせる融和的な音色と、作曲の技巧や先鋭さを強調したような分析的演奏に走らず音楽として綺麗なものを聞かせようという意図に惹かれた。◎。

※2006-07-04 09:41:25の記事です
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☆ヤナーチェク:シンフォニエッタ

2018年02月12日 | 北欧・東欧
○クーベリック指揮バヴァリア放送交響楽団(FKM:CD-R)1981/10/15LIVE

どうも、これだ、という演奏にめぐり合ったことのない曲だ。この演奏もクーベリックとは縁深いオケだけあって非常に明瞭で力強い演奏になっているが、イマイチ吹奏楽の域を出ていない。とても国民楽派の曲とは思えない新鮮さを持った傑作であるだけにクーベリックあたりの熱血名匠には名演を残してもらいたかったが、聴きやすいものの、それだけ、という感触をもった。十分鑑賞に耐え得ると思うので○はつけておくが、何か決定盤が欲しい曲である。それだけ難しい曲ということでもあろうが。

※2005-03-22 13:29:44の記事です
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☆レーガー:シンフォニエッタ

2018年02月12日 | ドイツ・オーストリア
○ボンガルツ指揮ケルン放送交響楽団(GARNET)1970'・LP

シンフォニエッタのくせに1時間弱かかるという交響的大蛇。これはもうワグナー/リヒャルト・シュトラウスの申し子たる、ぬるまゆーい雰囲気の長大半音階的音楽(重厚ではない)。弦を中心とする分厚い音響に彩られたフランツ・シュミットの雰囲気に非常に似ているが、そこから魅力的な旋律を取り去って、より構造的に突き詰めたような(時代的には逆だろうが)、いわば交響曲2,3番あたりをながーく引き伸ばしたような作品と言え、レーガーだから緻密で構造的でそういう面白さもあるのだろうけども、一般的な聴衆は一つ一つの要素に拘泥せずにただ聞き流し浸り切ることでのみ価値を見出すことができるたぐいのものと言う事ができるだろう。聞き心地は悪くない(明るく暖かい)ので前記の作曲家群が好きな向きは是非試してみていただきたい佳作である。この演奏はちょっと軽めに仕上げた感じがする。そこが程よいというか、うまく中和的に作用して曲を聞きやすくしている。ハープの典雅な響きなど意外と印象派的な魅力も引き出している。オーケストレーションのせいもあるのかもしれないがオケが割合と薄く、ヴァイオリンが剥き出しになる部分など生音が聞こえてしまうところもあるが、ボンガルツが実に手際よくまとめるおかげで瑕疵と認識しないうちに次の変奏に移行してしまうから、これは棒の力でカバーできていると言っていいだろう。編成はともかく技術的にはかなりいいセンを行っているがケルンだからあたりまえか。ドイツではいい意味で個性の薄いオケだからこその爽やかな肌触りが曲をいい方向に持っていっている。総じて○にしておく。ステレオ。

※2005-03-23 09:27:05の記事です
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フィリップ・ワーナー:シンフォニエッタ

2018年02月11日 | Weblog
ヘンリー・ジョージ・ウェーバー指揮シカゴ・フィル(SLS)1945/11/6 MBSシカゴ放送スタジオ録音

フィリップ・ワーナーなんて名前まず出てこないが、チェリストのウェンディ・ワーナーのお祖父さんである。アメリカのウェブですらほとんど出てこないので「本格的」だ。指揮者は1991年までご存命だったが知名度は無い。で、録音はノイズだらけのコピー物だから覚悟するとして、曲は良い。典型的な楽天性を発揮したアメリカの保守的作曲家というかんじで、この前に収録されているバーバーのキャプリコーン協奏曲自作自演とは雲泥の差の聴きやすさである。しょうじき、楽しんでしまった。この音で。そういう曲だからスチール機械のような音色でも運動的な楽しさがある。不規則な運動ではなくちゃんと楽しめる運動。演奏がうまいか下手かこれで判断しろというのは無理筋だが、そこは経験的には「中庸」といったかんじかなあと。誰も買わないであろう盤の中でも誰も聴かないであろう曲が1番、楽しいという皮肉でした。(他モートン・グールドのシンフォニー3番初演、指揮者原盤記載なし)。
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バーバー:カプリコーン協奏曲

2018年02月11日 | Weblog
作曲家指揮コロムビア交響楽団弦楽セクション、ユリウス・ベイカー(fl)ミッチ・ミラー(ob)ハリー・フライシュタット(tp)(SLS)1945/6/20CBS「音楽への招待」放送(スタジオ録音)

極めて悪い音だがレア音源ということで仕方ない。戦争末期の演奏ということもあるのか、楽曲のせいか重苦しくもしくはストラヴィンスキーの新古典主義のリズム音楽の影響を受けたような部分での、ささくれだった表現が目立つ。どことなくぎごちなく、こんなに棒、下手だったっけというような四角四面のところもある。曲的にバーバーらしさというのは緩徐部でのRVW的な美しい響きくらいで、むしろコープランドの人好きしないほうの作風に似る。これはバーバーがリズム感があまりよくなかったということでもあるか。ミッチ・ミラーをはじめソリストの音も楽しみたいところだがノイズがひどくて楽しめない。まあ、曲も私は好きではない。
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