ドビュッシー : 交響詩「海」 | フォーレ : ペレアスとメリザンド | ルーセル : 交響曲第3番 / シャルル... | |
シャルル・ミュンシュ,フランス国立放送管弦楽団,ドビュッシー,ブルックナー,ルーセル |
ドビュッシー : 交響詩「海」 | フォーレ : ペレアスとメリザンド | ルーセル : 交響曲第3番 / シャルル... | |
シャルル・ミュンシュ,フランス国立放送管弦楽団,ドビュッシー,ブルックナー,ルーセル |
シンクレア指揮ノーザン・シンフォニア(NAXOS)CD
達者な演奏だが軽い。おそらく協会決定版を使用しているのだろう、整理された感じのちょっと音の間に隙間がありすぎる感は否めない。スピードがあり、1楽章は冒頭からつかまれる。宗教的郷愁をたびたびうたったアイヴズのこれもそういった田舎風の小交響曲であり、あからさまな民謡が矢継ぎ早に現れるが、いずれにも拘泥せずさっさと進んでいく。奇矯な絡み合い・不協和な響きはただの民族楽派の音楽に落とさず、またシンクレアはアイヴズに詳しい手腕を発揮して、一見奇矯なものにも、一見不協和なものにも規則性を見出してそつなく芯をくった演奏をしている。即物的演奏で1楽章はあまりにすぐ終わるし、2楽章も中庸の響きをもってまたスピードを保ってさっさと終わらせるが、要となる感傷的な3楽章もまたその調子なので余韻がない。整理しすぎてアイヴズの理性的でない「粗」が目立つようにも思う。チェロソロのアーメン終止と調子はずれの鐘が大きなディクレッシェンドの末を飾って美しい曲なのに、そこはほんとにピアニッシモに消え入るようだ。いわゆる室内楽団ふうの無機質な運動でないから聞きやすいが、これをきいてどこにマーラーは惹かれたのかと思う人もいるかもしれない。アイヴズのもつ毒はもともとこの曲は薄いがさらに薄く、聴きやすいと思う人もいるかもしれない。
スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団&合唱団(WEITBLICK)1999/5/7live・CD
牧神二十年後の同じ組み合わせによる晩年の演奏になる。すでにエキセントリックさは目立たなくなってはいるが、解釈の基本は意思的なままであり、伸縮もする。ただより「響き」に重点を置き、過激な煽り方はしない(予定調和なとき以外は案外煽らない人だけど)。この曲のどこを聴きたいかによって好悪分かつだろう。私は「祭り」を聴きたいので、これはあまりに遅く、拍節感もいまいちで、いやこういう美に徹した演奏スタイルなら他にもやる人はいるよねと思ってしまった。両端楽章はそのぶんたっぷり繊細な夜景の移ろいを味わうことができる。晩年スタイルだ。音のボリュームより調和を求めていることもわかる(とはいえ一つ一つの楽器にはハッキリ太く発音させている)。シレーヌは佳演といっていい。依然特徴的なスタイルであり、スヴェトラーノフ好きなら楽しめるだろう。祭りが惜しい。
SSS0224 ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、夜想曲、交響詩「海」 スヴェトラーノフ(指揮)スウェーデ... | |
エフゲニー・スヴェトラーノフ,ドビュッシー,スウェーデン放送交響楽団 |
SSS0224 ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、夜想曲、交響詩「海」 スヴェトラーノフ(指揮)スウェーデ... | |
エフゲニー・スヴェトラーノフ,ドビュッシー,スウェーデン放送交響楽団 |
Evocations pour soli: Aux bords du fleuve sacré (chœur & orchestre) | |
Orchestre de la RTF |
ウォルトン:交響曲第1番/パルティータ(イングリッシュ・ノーザン・フィルハーモニア/ダニエル) | |
ウォルトン,ダニエル,イギリス・ノーザン・フィルハーモニア |
ファイン・アーツ四重奏団(naxos)CD
奇をてらわず民族味もなく安定した大人の演奏なのだが、装飾音のひっかけたような指回しと震えるヴィブラートに懐かしい味がある。「現代の演奏だからアレコレ」という悪印象なく正攻法で楽しめる。naxos新録音の演奏家にしては固いデジタル味がないのは良い(録音のせいもあるかもしれない)。もちろん国民楽派グラズノフを求めるなら誇張が足りない、物足りないと思うが、普通の人がロシアの有名室内楽ということで教養として聴くには良いだろう。旋律だけでも十分な曲だ。4楽章はファーストのアタックが強くテンポを少しずらして、さらに音色でワルツを演出していて特筆すべきところだ。ただし細かい揺らしがないのでワルツには聴こえない。。5楽章フィナーレは余りに落ち着いてしまった。
グラズノフ:5つのノヴェレッテ | |
グラズノフ,ナサニエル・ローゼン(Vc.),ファイン・アーツ四重奏団 |
ファイン・アーツ四重奏団、ローゼン(Vc)(naxos)CD
知グラズノフ派には人気の高い曲で、保守的な作風だが弦楽四重奏曲よりも大規模作品を志向して書かれておりスケール感は同じように交響曲的と言われたチャイコフスキーよりもあり、構成感はじつにがっちりして、それが冗長に感じられることはあるのだが、得意のメロディに走ることも民族書法を前面に出すこともなく(3楽章終盤のフラジオは民族音楽を抽象的に昇華した非常に効果的なところだ)、新古典主義へ向かうようなメカニカルな安定感が印象的だ。4楽章はいきなりのメロディで、先輩作曲家のものや2番カルテットあたりの古風な趣があるが、その2番カルテット終楽章で見られた新しげな和声が同じように、より拡大されて出てくる。展開は5番のフィナーレにも通じる。振り返り3楽章の第一主題もカルテットに出てきたものに似ており、聴きこむと共通点をより多く見いだせるが、ここではさらに華やかに、重厚壮大に組みあがっていく。これはもう室内楽ではないのかもしれない。演奏はそつなく達者だが酷使されるファーストがショスタコーヴィチ四重奏団のファーストの音に非常に似せてきている。これはグラズノフの作品にはメリットかもしれない。ただ、ちょっと非力に聴こえる人もいるかも(録音用セッティングのせいのような気も)。
String Quintet in A Major, Op. 39: I. Allegro | |
Nathaniel Rosen |
ご愛顧ありがとうございました。Google検索で出ないのは悲しいですが、ブログは音楽だけで4箇所ありますので、よろしければ。クラシックはこことまとめ(fc2)とサイン(fc2)です。左欄リンク参照。
令和元年の決定した日に。