Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

アントワープ ベルギー (最終回)

2022-07-01 21:56:31 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

 

ベルギーのほとんどの都市は以前に訪れたことがありますが、アントワープは今回が初めてです。キャンプサイトが旧市街から川を挟んだ反対の川岸にありました。旧市街の歴史観光名所まではバスと地下鉄を乗り継いで出かけました。

地下鉄の駅を出たところは、聖母大聖堂の直ぐ近くの広場で、真ん中にベルギーが生んだ最高の画家ルーベンス(1577−1640)の像が建っています。ルーベンスはアントワープ出身の法律家を父に持ち、ドイツで生まれましたが、父親の死後アントワープに戻り、画家見習いから世界的名声を受けるまでになりました。

 

 

彼の作品キリストの昇架とキリストの降架はこの聖母大聖堂に展示されています。

 

 

ベルギーの有名な物語 ”フランダースの犬" の最後に寒さと飢えで疲れたネロ少年が、このキリスト降架の絵の前で安らかに死んでゆく・・・とあります。この物語は日本人ならほとんど知っていて、日本人旅行者はこの絵を見に来て、必ず何処にネロ少年が住んでいたのかと聞くそうで、ベルギー観光局も遅ればせながら物語を読んで、町の一角にネロ少年と愛犬パトラッシュの銅像を建て、日本人旅行者を満足させているとか。

ルーベンスはアントワープの町中に非常に立派な邸宅とアトリエを建て、多くの弟子たちと数え切れないほど多い宗教画や神話を基にした絵を描きました。邸宅・アトリエは私たちが4時過ぎに行ったときはもう閉まっていて、立派な裏庭だけは見学許可が出ました。

アントワープの町並みは素晴らしく、この町が観光に力を入れているのが良く判ります。石畳の旧市街をこの馬車が観光客を乗せてめぐっていました。

写真は13世紀の城砦で、現在は船舶博物館になっています。

 

ツーリストスクエアーに在る16世紀の建築物、市庁舎で40以上の玄関ドアが在るそうです。

 

キャンプサイトの隣には、この夜7時からロックコンサートが行われるとのことで、キャンパーをシャワー・トイレの建物の後ろに移したのですが、キャンパーがびりびり震えるほどの大音響で、夜中の1時まで若者たちが叫んでいて、ほとほと疲れました。

 

翌日はフランスのブロインの港町に近いベルギーのキャンプ場で一泊して、3ヶ月半ぶりに英国の地を踏んだのでした。

ポール (76歳)は事故もなく7千マイル(11200Km)を一人で運転して来たのです。

久しぶりのロンドン市内に行ってみて、北欧やドイツの首都よりも、ロンドンが一番素晴らしいと心から思いました。

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左側のカテゴリーの中に北欧キャンプ旅行2013年とあるのは最近編集して、今回の旅行記と併せ持ってご覧いただきたいと思います。大好きなノルウエーで魚釣りや前回見逃したトロルスティーガンなど楽しいことがありました。

 

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トルコ旅行ーペルガモン(Pergamon)とトロイ(Troy)最終回

2022-07-01 05:14:12 | トルコ旅行

さてバスドライバーと約束した朝、ほとんど眠っていなかったから早朝から起きて、二人で相談の結果、パムッカレはやめて反対方面へ逃げることに決めた。別室で寝ている従姉に伝えると、あんなに親切な人たちが、ドラッグなどに手を出すはずがないと信じてくれない。

パムッカレは私達2回も行っているからいいけど、まだ行ったことの無い従姉には気の毒だった。

このエフェソスにはバス会社だけでなくイスタンブルへの電車が通っていて、朝一番の電車で北へ向けて発つことにした。あんまり慌てて駅について電車を待っていると、ホテルの若い男の子が走ってきて、ホテル代を払ってないという。 確かに考えてみればいつもは宿泊と同時に払うホテル代をこの時は2泊したため払ってなかった。・・・・ホテル代未払いで警察に捕まったらもっと悪い。

この時期トルコはインフレが激しく通貨も次々増刷していた。ここに1996年の換金レシートがあるが、1ポンドのレートが15万462.9リラという。60ポンド換金して9百2万7774リラという天文学数字になる。だからこの時は百万リラ、10万リラ、1万リラ、千リラなどのお札があった。ゼロがたくさんついていて、一目でいくらなどと判らない。トルコ人はお札の色分けで知っているようだった。

観光客相手のガイドなどはドル支払いを要求するが私たちが泊まる安宿は現金払い、3百万リラ以上も支払った。こんな百万単位の通貨が有っても10リラとか5リラなどの小銭が使われていた。これは貧しい人たちが買うパンが100リラであってもポンド換算すれば1ペンスにも満たない。

早朝の電車で途中からバスで着いたところはペルガモンの遺跡だった。

 

 

ペルガモンは高い丘の上にあり、眼下に現代家屋が見える。

これはペルガモンの絵ハガキ、私の写したペルガモンのアンプシアターは、全体を入れるのにカメラの撮り方が悪かったせいか、アンプシアターがこの絵ハガキよりももっと急斜面に見える。

この絵ハガキでも相当な山の斜面を削ってアンプシアターを作ったものだ。

私にとっても初めて来た処だが、多くの観光客が来ていた。今まで見た遺跡と違うのはやっぱり高い丘?山?を利用して作られた所だったから。

 

眼下にこんなきれいな湖が広がっていた。

 

 

 

町のカーペット屋さん兼お土産屋さん。

 

珍しい野生の花 が熱い太陽にめげずに咲いていた。

2時間ほどペルガモンの遺跡を巡り写真を写してすぐ、バスでトロイへ向かった。昨夜のことが気になってまるで追われているような気持だった。

トロイの町でまず買ったのが日本語のトロイの説明書。このガイドのムスタファ・アシュクンが英語で出版したのを日本人が翻訳したもの。実は今回このブログを書くにあたって、探し出してみればとっても詳しく書かれてあり、トロイ神話など面白そう。これからしっかり読もうと思う。

これがかの有名なトロイの木馬。 本当にこんな木馬に人間が隠れて見つからないほど、太古の人はバカだっただろうか?

 

こんなに荒れ果てた遺跡の間を飾る真っ赤なポピーが印象的だった。 もう一度この説明書をしっかり読んで、訪れたいものだ。

 

トロイの町の想像図。こんなに壊れていない古代の町が目の前に現れたらどんなに素晴らしいことだろう。

 

 

このトルコの旅の初めに載せた地図で一つの間違いがあった。トロイからカナッカレ(Canakkale)で一泊してフェリーでイスタンブルへ行ったのだった。

 

 

カナッカレの町でポールがホテルを探しに行っている間に、私たち2人に興味を持った中学生くらいのトルコの学生10人以上も周りを囲んで英語であらゆる質問をしてきた。

ポールがホテルを探してくると皆ぞろぞろホテルまでついてきた。よっぽど外人が珍しかったみたい。

私の高校生の修学旅行で、初めてイギリス人の女性と話したときと全く同じ感じだった。

こんな思い出もあのドラッグの一件ですっかり忘れていた。

 

帰国してすぐ ミドナイトイクスプレス と言う映画を見た。ドラッグでトルコの監獄に入れられた若者の恐ろしいストーリーで震え上がった。それ以来トルコへは行っていない。

従姉はそれでも半信半疑、帰国の際トルコの新聞とターキシュ・ディライト(お菓子)ひと箱買って、バスドライバーの甥か従兄?へ送った。

あんなことがなかったら毎年トルコへ行っていただろう。何しろどこかの片田舎に家を買って、若者向けのホステルを作りたいと思っていた。すると何億リラになっただろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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