Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

レートヴィークとダルッハラ・オペラシアター

2022-07-21 19:57:58 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

 

 

レクサンドからシリアン湖の東岸のレートウ”ィークにキャンプサイトを移しました。ここのサイトの設備は、今回の旅では多分最高と思われる素晴らしさで、トイレ、シャワーのみならず、テレビ室兼食堂、キッチン、家族用シャワールーム、プール、洗車場などまで完備していて、町営らしく料金も安いのです。サイトは非常に大きくて、ここも長期滞在のリゾート地になっています。写真の木の柵はスエーデンでしか見られない造り方です。それにこの集塵車のすごいこと。

スエーデン人の家族ばかりでしたが、気になるのはこの国の人たちは朝会っても挨拶もしないのです。こちらから”おはよう”と声をかけるとまるで驚いたような顔をする人たちが多いのです。田舎の人が多いのかとも思いますが、全体に無愛想な国民性なのではないかと思いました。

と言うのはこの後ドイツにも行っているのですが、ドイツ人は実に愛想の良い人たちが多く、何処でも挨拶しないことはありませんでした。

 

レートウ”ィークの駅から湖に出ると、全長628メーターの木造の桟橋が延びています。この湖は遠浅でこの桟橋の先端に船着場があります。桟橋の先端から見るレートウ”ィークの町は素晴らしくきれいです。

レートウ”ィークから北へ数キロの森の中にダールハッラ・アンプシアターが有るのを知り、天気の良い日に行って見ました。針葉樹の森の中の、石灰を掘り出した跡地を利用したアンプシアターです。大きさは400m x175m x 60m の竪穴で底の青い湖の上にステージが設置されていて4000席が設けられています。レートウ”ィークの観光案内所でその週末のオペラ・リゴレットのチケットを買い求め、オペラのためにこのキャンプ地で5泊もしました。

 

さてオペラ開演は夜8時から、夕方5時過ぎにはアンプシアターの近くの巨大な駐車場へ行きました。私たちより前にキャンパーが数台駐車しています。キャンパーだけは駐車場に一列に並んでいます。キャンパーで夕食をクックして食べお茶を飲み、駐車場がいっぱいになってきた7時半、座布団と毛布と暖かいコートを持って私はシアターへ降りてゆきました。オペラの大嫌いなポールはキャンパーでお留守番です。

 

この夜はエストニア・ナショナル・オペラの公演で舞台の前にスエーデン語と英語で字幕が映し出されました。このような片田舎のオペラシアターで観客は何処から此れだけ来たのか3000人ちかくの人出でした。舞台装置はシンプルでしたが伝統的な衣装で歌手もそろっていて素晴らしく、特にリゴレットの娘ジルダに扮したイリーナ・ドゥブロフスカヤがぴか一でした。

10時半まだ西の空に薄明かりが残っていて、オペラの終焉とともに、大急ぎで急な坂道を駆けるように上り、車のラッシュになる前に駐車場を脱出、キャンプサイトへ帰りつきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トルコ旅行ーパムッカレ(Pamukkale)

2022-07-21 05:47:36 | トルコ旅行

1970年代マイルドセブンの宣伝広告でパムッカレの写真を憶えておられる方がおられるだろうか?上空写真で真っ青な周辺の真ん中に白く輝く小さな段々水たまり。当時の週刊誌の後ろのページに載っていた。

初めてみた時この世のものとは思えず、目を凝らしてそれがトルコにあると知って驚いたものだ。その頃はトルコがどこにあるかも知らなかった。

英国のテレビでトルコの観光推奨をし出したのは1980年代。私達夏の2週間のホリディーと言えば、キャンピングカーでフランスの海岸線か、北スペインどまりだったが1989年8月に始めてトルコへ出かけた。

当時娘は16歳、このホリデーが最後で以来一度も一緒に出掛けようとはしなくなった。息子14歳、四月にスケートボードから落ちて頭の手術をして以来初めての旅行だった。

ホテルはエーゲ海に面したクシャダシと言う町で、時々日帰りの観光バスであちこち出かけた。

この時初めてパムッカレへ行って、これがあこがれのあの写真の場所だったと気づいた。

 

 

パムッカレとはトルコ語で綿の城と言う意味で、この真っ白の水は上部から流れ出る温泉の水が数千年にわたって溜まったもの。この温泉は石灰を含み水の底も柔らかい石灰の粘土様で、人々は裸に粘土を塗ったりしていた。

この温泉は紀元前から知られていて、病気の人たちはここへ療養に来ていたという。それもローマ時代にはヒエラポリスと言う大都市になり、広大な遺跡が残っている。病気で療養叶わず亡くなった人たちの石棺が一面に有った。

1994年2週間のホリデーでは二人でバックパックでイスタンブールから、カッパドキア、コンヤ、シデ、アンタルヤ、そして パムッカレをバスで廻った。

 

この時水源地の温泉プールに入ることができ、水底に倒れている石柱や遺跡のかけらを見ながら1時間も楽しんだ。

温水だけれども余り熱くはなくて、体の周りに小さなあぶくが着く不思議なお湯だった。

この時が最後でそれ以来観光客が押し寄せたため、この水の中へ入ることが禁止された。周囲にホテルができ道路ができて、自然が損なわれたためであるという。

もう30年も行ってないから最近はどうやって保存されているか判らないけれど、あのマイルドセブンの写真のような真っ青な周辺に真珠の輝きを保ってほしいものだ。

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする