Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

7月の英国

2022-07-27 21:13:12 | 英国内のこの頃

7月11日はポールの2年目の命日だった。それで5月ごろから7月10日の日曜日に彼の遺灰を子供の頃から悪ガキで遊びまわったホーヴの海へ撒きに行こうと決めていた。

ところがその命日の7月11日はパトリックの父親の誕生日で、コロナの規制激しい過去2年はロンドンへこれなかったご両親が、パトリック宅へ北アイルランドのベルファーストから遊びに来るという。それも9日から11日まで。

これで困った娘は遺灰を撒くのを翌週の17日にしてくれと言ったから、ポールの幼馴染や、仲良かった友達夫婦にも1週間遅らせる旨通達。

すると数日前になってパトリックの母親がコロナ感染、ロンドンへは来れない。

17日に決めたのをまた変更するのもとそのままにした。・・・・・・ところが、7月8日から英国も本格的な夏になってきた。

もう2か月以上もほとんど雨が降らないから、地面はカラカラ、道端も野原も庭の芝生も黄色く枯れて、野菜を植えるのに地面を掘っても完全に乾いている。

7月17日日曜日遺灰を持って、娘の家族と朝8時過ぎからホーヴへ向かった。毎日晴天が続いて、日曜日にブライトンの海へ行く人たちが多いと知っていたから車の渋滞に巻き込まれないよう、早めに出かけた。ホーヴはブライトンの隣町で、ロンドンから車で1時間15分、11時に皆が集まるところは、ホーヴの海岸のはずれで、メインロードから分かれた狭い道路を堤防へ向かって走る(昔は)さびれた道路。

 

この写真は月曜日の新聞でブライトンの海岸を写したもの。

 

ここホーヴは昔結婚した初めの頃は、ポールは毎朝早く起きてこの辺りでスノークリングでカレイをとってきてくれた。人通りは全くなくて、たまにヌーデストの男性数人が日向ぼっこをしていたくらいだった。この日はあまり早く着いたから、娘はジュードと海辺で遊び、パトリックと2人で息子を迎えに行った。

もう50年も経ってこの辺りがすべて変わって驚いた。道路は駐車禁止、2か所ある駐車場は日曜日でも有料。10時頃には駐車場は満員で、どんどん来る車が駐車できなくてウロウロしている。

誰もいないはずの海岸はどこも海水浴客でいっぱいで、こんなところに遺灰を撒けない。堤防の最先端に釣り人が居て堤防の途中で鉄格子があり、聞くと釣り人オンリー、こんなところで灰を撒いたら魚が食べるだろうからダメと断られた。

とうとう諦めて、12時に予約していた、隣町のパブレストランで皆でお食事。

遺灰はこの秋から冬にかけて誰もいなくなったときにもう一度行くことにした。でも久しぶりに友達夫妻やポールの幼馴染の年寄り夫婦に会えて楽しかった。

この日も太陽ギラギラで、帽子なしで歩けなかったが、海辺は風がさわやかで、パブ内は冷房など無いが窓やドアが全開で寒いほどだった。

 

そしてその2日後火曜日は英国初の気温40度になると以前から予報されていた通り、暑かった。しかし英国は日本ほど湿度が高くないから、冷房装置が無くても大丈夫。早朝から窓もカーテンも閉め切り、太陽光線が入らないようにして室内温度28度、静かに1日を終えた。裏庭のドアを開けた途端に感じた灼熱で、急いで寒暖計をドアの外に掛けて10分、温度計は46度まで上がった。

この日の新聞の切り抜き写真、バッキング宮殿の衛兵も脱水症状を防ぐのに給水しているところ、思わず笑ってしまった。

この火曜日の夕がたから、局地降雨があったらしい。友達と電話で話していたら、今雨が降り出したという。こちらは空は黒雲が出てきたけれど、雨は一粒も降らなかった。

そして翌日水曜日、昨日の暑さが嘘みたいに、最高気温27度、窓を開けて寝ていると寒くて閉めてしまった。それ以来気温30度に満たない毎日、今日17日の気温21度朝夕17度。もう夏は終わってしまった。

 

 

 

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ストックホルム2日目

2022-07-27 08:04:05 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

キャンプサイトから歩いて行ける旧市街ガムラ・スタンは、狭い通りにお店が並んでいて、ウインドーショッピングをして歩くだけでも楽しいのですが、見ものもたくさんあります。王宮へ行く途中で高い尖塔を持つドイツ教会へ寄りました。ステンドグラスがとてもきれいな教会で17世紀から何度も改築されたそうです。

ここはストックホルム・オペラハウスです。日中は玄関先しか入れません。オペラ配役の衣装がたくさん飾られていました。

 

王宮の近くにノーベル博物館があります。中は歴代のノーベル賞受賞者の紹介や、ミスターノーベルがいかにしてノーベル賞設立にいたったかのいきさつなど展示したり、ビデオ紹介などがされています。

ガムラ・スタンのメインはなんと言っても王宮です。

王宮の中も居室や宝物の間も見て廻りましたが、過去に見たヨーロッパの王宮と取り立てて変ったものはなく、そんなものだと割りと醒めた目で見てきました。

ちょうどお昼に王宮前で衛兵交代の式典があり、観光客でいっぱいでしたが、それとても英国の衛兵交代に集まる観光客の半分以下でした。

 

現王室は子供たちにふさわしい環境をと1982年にドロットニングホルム宮殿へ移られました。

王室に付属する博物館では、グスタフ3世のアンティーク博物館が小さいながらも面白く、王の収集品が展示されています。特にローマの皇帝の胸像が多くて、オゥガスタスやアントニウス・ピウスなど何処でも見受けられるものは、その昔肖像画の代わりに胸像をたくさん作って各地に送ったものだと言うのが良く判ります。

ドロットニングホルム宮殿は現国王と家族の居城になっていますが、2階3階の一角は観光客に解放されていて、個人でも案内なしで一回り見学できます。私はガイドツアーで詳しく説明を聞きながら1時間以上も歩き回り、宮廷劇場の見学時間を見逃しました。

裏庭のバロック庭園の奥にガードテントが有り、中も見物できますがテントの様に見える木製の建物です。その近くに中国の城Kina Slott があります。中には中国の陶器などが飾られています。

宮廷劇場はこの夕はオペラを上演するそうで、内部見物は1時で締め切りでした。

ここの宮殿、中国の城、宮廷劇場はユネスコの世界遺産に登録されています。

写真はストックホルムの町角で借り出せる自転車です。北欧は自転車人口が多く借り出しも,返車も便利になっているそうです。最近の英国ではこの貸自転車が流行っていますが、このブログの2007年当時はこのシステムは採用されていませんでした。

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ヘルシンキ

2022-07-27 00:17:08 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

南カレリア地方から首都ヘルシンキへ向かうにつれ、道路に木材を運ぶトラックが多くなり、道端には今まで見られなかった麦畑が現れました。

ヘルシンキへ行く前に海辺の町ロビッサ(Loviisa)で一泊し,翌日午前中にはヘルシンキ郊外のキャンプサイトに落ち着きました。ロビッサからヘルシンキまではフィンランドで初めての高速道路でした。

 

キャンプサイトは非常に整備されキャンパーやキャラバンがぎっしり駐車しています。テントを張っているキャンプ場も広く7月末からの夏休みに入ったせいもあり、若い人たちがたくさんキャンプしていました。

キャンプサイトのすぐ外にヘルシンキ市内へ行く地下鉄の駅があり、ツーリストチケットが安くて便利だとの情報で3日券を買いました。この券で市内の交通(バス、地下鉄、路面電車、スオメンリンナ島へのフェリー)が全部有効です。

ヘルシンキの中央駅から路面電車で港へ向かっている途中見えたのが真っ白の大聖堂です。元老院広場の真ん中にロシア皇帝アレクサンドル2世の銅像があり、広場から大階段の真上に聳えるのがヘルシンキ大聖堂です。

 

訪れた日は土曜日で結婚式が行われていて中には入れませんでした。そしてこの大聖堂の近く、マーケット広場は港の周辺でお土産や食べ物の露天が並んでいて、私たちも昼食のパエリヤと小魚のフライを食べました。

 

マーケット広場から見える赤レンガ造りの教会は北欧最大のロシア正教のウスペンスキー教会で内部は今まで見た西洋の教会とは全く違います。

大聖堂、マーケット広場、ウスベンスキー教会がヘルシンキで一番観光客が集まるところだと判りました。

 

ヘルシンキの2日目には港からフェリーで約15分のスオメンリンナ島へ渡りました。あいにくこの日はにわか雨が何度も降って寒い日でした。

この島はフィンランドの南を守る要塞として、防御壁がめぐらされています。昔実際に使われていたという潜水艦も展示されていました。この島はユネスコの世界遺産に指定されています。

中央駅の近くにフィンランド最大のアテネウム美術館があり、2時間我を忘れて楽しみました。ここにはフィンランドを代表する画家の絵がそろっており、特に気に入ったのがアクセリ・ガッレンーカッレラのカラフルな作品です。フィンランドを代表する抒情詩カレワラを題材にした興味をそそる絵がありました。それで大きな本屋に入り英語版の抒情詩カレワラを買ったのです。

 

 

3日目に興味深い岩窟の教会へ行きました。ここは岩を自然な形で保とうと、デザイン競技会で優勝した作品で設計され、1969年に完成したものです。観光バスが何台も乗り付けてくるような有様で観光客がワンサといました。このテンペリアウキオ教会は別名ロックチャーチと呼ばれ、外観は決して教会とは見分けられません。

 

そのロックチャーチからゆっくりと歩いてたどり着いたのが、フィンランドの代表的作曲家シベリウスのモニュメントのある公園です

 

この日も寒くて小雨がふりだし、早々に路面電車でデザインミュージアムヘ行き、1時間半感嘆しながら見て廻り、写真が撮れたらどんなにいいだろうと残念に思いました。

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