Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

フィンランドからスエーデンへ

2022-07-26 21:17:59 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ヘルシンキの町でストックホルムへ行くフェリーをさがし、フィンランドの西海岸、スエーデンに近いトゥルクから出るシリア・ラインを予約しました。

ヘルシンキのキャンプサイトを去った朝は暗くて雨が降り続いていました。

道路際の風景も大して変らず、湖の代わりに入り江の海が見えるくらいで森林と麦畑が交互に現れます。麦畑はまだグリーンのと黄色になって取入れを待っている様なのとで、多分小麦やライ麦など種類が違いためだろうと思われました。

トゥルクはスエーデンによって建設された町で地図にもトゥルク(フィンランド語)とオーボ(Abo)の名前が載っています。オーボはスエーデン語です。

キャンプサイトが町から17Km離れた島で、島とは気づかないくらい深い森の中でした。キャンプサイトに落ち着いた午後も雨が降っていて何処へ行く気にもならず、キャンパーで昼寝や読書をしていると、フィンランドの夫婦がキャンパーのドアをノックして"イギリスから来たのか?私も一度行ったことがある。フィンランドのコーヒーを御馳走するから私たちのキャンパーへ来て欲しい”と言うのです。

北欧ではイギリスマーク(GB)のキャンパーにはほとんど出会うことがなかったので、この田舎から来たらしいフィンランド人には英国人は珍しかったのでしょう。

彼らのキャンパーは脱いだ服がテーブルに山済みになっていて、座る場所もないくらい乱雑でした。

 

運転席と助手席を回転させて私たちを座らせ、旦那様はコーヒーを沸かして立っていました。奥さんは一言も英語が話せず、旦那様の翻訳でわたしたちとお互い大変苦労しつつおしゃべりしました。

コーヒーのおつまみにと出されたのが生の鞘つきのグリーンピーで恐る恐る食べてみるとその甘さに驚きました。ヘルシンキのマーケットでも屋台でグリーンピーを売っていましたが、こうして食べるものだとは知りませんでした。

 

見違えるほど晴れた翌朝、キャンプサイトのキッチンで冷凍庫に入っている野菜や、トナカイのバーガーなどを全部クッキングし冷凍庫を空にしました。フェリーは夜9時20分出発で翌朝7時にストックホルムに着くまで、キャンパーのガスを全部停めなければなりません。

スタバンガーまでの一晩どまりのフェリーでは余り厳しいことは言われなかったのですが、ここフィンランドでは何年か前にフェリーが沈んで多くの人命を失ったことがあり、規則が厳しいのです。車のバッテリーで冷凍庫が何時間使えるかわからなかったので、初めから空にしておいたわけです。

 

 

 

 

シリア・ラインは大変豪華な船で、中国人の団体客がワンサと居て何処へ行ってもいたる処でグループ写真を撮っていました。

 

このフェリーのキャビンは窓無しの二段ベッドで寝苦しく大変でしたが、英国・ノルウェー間のフェリー料金の半額以下では文句も言えませんでした。

 

 

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トルコ旅行ーコンヤ(Konya)からシデ(Side)

2022-07-26 19:13:15 | トルコ旅行

 

コンヤと言う町はトルコの回教徒にとっては総本山で大変戒律厳しいところ。私にとっては余りいい思い出がない。

カッパドキアからバスで数時間降りて歩き回ったけど、女性のショートパンツは受け入れてくれない。5月末の暑い時期、2時間ほどでシデへ行く長距離バスに乗った。

コンヤからシデへの道は険しい山道を通って南下するか、いったん国道をアンタリアへ向けそこから地中海沿岸道路をシデにむかうか?

私達何も知らずに直接南下する方のバスに乗った。

途中の山道ですれ違う車の量も多いが、バスの進行方向右側は切り立った崖で、がけ下100メーター以上もある下方には落ちて錆びた車が数台見える。

これだけで震え上がったのに、前方からトラックやバスなどの大型車がすれ違うと、道幅がない。バスの車掌はバスの前にしゃがんで、タイヤが崖へ落ちないよう手指で誘導している。せめて乗客を降ろしてやってくれたらいいのに。その間まるで生きた心地もしなかった。

後で聞いたところによると、やっぱりバスが落ちて大事故になり、以来この道路はバスが通行禁止になったという。

シデは海辺のホリデー観光地で、この街の周辺にたくさんのローマの遺跡があった。

 

 

 

広大な廃墟の中暑いのに歩き回った。何しろローマの遺跡に巡り合ったのは1989年クシャダシのホリデーで行ったエフェシスが初めだった。

それまでこんな遺跡があることも知らなかったし、学校で習った世界史など、ローマがヨーロッパを征服して滅んだことくらいしか習った覚えがない。こうしてトルコの無名の遺跡を巡り歩いて、ローマ人の偉大さに触れた思い。

 

 

 

 

広大なアンプシアターなどいったい何千人の奴隷が汗水流して作り上げたものだろう。

 

 

 

シデの考古博物館も一日ゆっくり見て回った。こんな子供たちが遊ぶ石棺はローマ人の偉い人の子息の死であったに違いない。

 

年中咲いているワイルド朝顔が真っ盛り。この花もこの時初めて見た。

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