ヘルシンキの町でストックホルムへ行くフェリーをさがし、フィンランドの西海岸、スエーデンに近いトゥルクから出るシリア・ラインを予約しました。
ヘルシンキのキャンプサイトを去った朝は暗くて雨が降り続いていました。
道路際の風景も大して変らず、湖の代わりに入り江の海が見えるくらいで森林と麦畑が交互に現れます。麦畑はまだグリーンのと黄色になって取入れを待っている様なのとで、多分小麦やライ麦など種類が違いためだろうと思われました。
トゥルクはスエーデンによって建設された町で地図にもトゥルク(フィンランド語)とオーボ(Abo)の名前が載っています。オーボはスエーデン語です。
キャンプサイトが町から17Km離れた島で、島とは気づかないくらい深い森の中でした。キャンプサイトに落ち着いた午後も雨が降っていて何処へ行く気にもならず、キャンパーで昼寝や読書をしていると、フィンランドの夫婦がキャンパーのドアをノックして"イギリスから来たのか?私も一度行ったことがある。フィンランドのコーヒーを御馳走するから私たちのキャンパーへ来て欲しい”と言うのです。
北欧ではイギリスマーク(GB)のキャンパーにはほとんど出会うことがなかったので、この田舎から来たらしいフィンランド人には英国人は珍しかったのでしょう。
彼らのキャンパーは脱いだ服がテーブルに山済みになっていて、座る場所もないくらい乱雑でした。
運転席と助手席を回転させて私たちを座らせ、旦那様はコーヒーを沸かして立っていました。奥さんは一言も英語が話せず、旦那様の翻訳でわたしたちとお互い大変苦労しつつおしゃべりしました。
コーヒーのおつまみにと出されたのが生の鞘つきのグリーンピーで恐る恐る食べてみるとその甘さに驚きました。ヘルシンキのマーケットでも屋台でグリーンピーを売っていましたが、こうして食べるものだとは知りませんでした。
見違えるほど晴れた翌朝、キャンプサイトのキッチンで冷凍庫に入っている野菜や、トナカイのバーガーなどを全部クッキングし冷凍庫を空にしました。フェリーは夜9時20分出発で翌朝7時にストックホルムに着くまで、キャンパーのガスを全部停めなければなりません。
スタバンガーまでの一晩どまりのフェリーでは余り厳しいことは言われなかったのですが、ここフィンランドでは何年か前にフェリーが沈んで多くの人命を失ったことがあり、規則が厳しいのです。車のバッテリーで冷凍庫が何時間使えるかわからなかったので、初めから空にしておいたわけです。
シリア・ラインは大変豪華な船で、中国人の団体客がワンサと居て何処へ行ってもいたる処でグループ写真を撮っていました。
このフェリーのキャビンは窓無しの二段ベッドで寝苦しく大変でしたが、英国・ノルウェー間のフェリー料金の半額以下では文句も言えませんでした。