Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

トルコ旅行‐エフェッソスと結婚式

2022-07-19 19:07:48 | トルコ旅行

 

エフェッソスはトルコ一番の有名な古代とローマの遺跡で、私にとっては1989年に初めて目にした石の文化だった。この有名な建築物は、ローマ時代の図書館と言われる。

 

有名なローマのモザイク、遺跡のあるところどこにでも見られる。

この巨大なアンプシアターを見た時の感動は忘れ難い。

日本がまだ文字すらも無かったころに、人々は音楽や劇を楽しんでいた。

 

ここは紀元前1世紀アントニオとクレオパトラが2年も住んでいたところ、この通りをクレオパトラが歩いたであろうと言われている。

古代にはここの道路の突き当りは海だったが、今では3㎞彼方にエーゲ海がある。

この1997年5月私達は日本からの従姉と3人でバックパックで旅していた。

このエフェソスのアンプシアターでコンサートの幟を見てどんなに見たかったことか。エフェッソスには2晩泊って翌日はパムッカレに行く予定でバスのチケットも買ってあった。

この前年働いて居た会社の同僚が、このエフェソスから素晴らしい温泉へタクシーで行ったことがあるという。私も行って見たくて、ローカルのバス停へ行って聞くと、そこへ行くという。

午後3人でそのバスに乗って出かけた。

バスは人気もない片田舎で停まり、ここが終点、温泉はここから川を渡った所にあると言われ、途方にくれた。バスの運転手が タクシー代を出すならそこまで連れて行って迎えもしてあげる。 と言ってくれたので、もちろんOK, 温泉へ送ってもらった。

 

 

 

この温泉破れ窓からツバメが出入りしているひどい所、お湯は熱くてゆっくり浸かっておれない。入って10数えて飛び出すくらい熱かった。

それでも約束のバスドライバーが小型のバスを運転して迎えに来てくれ、エフェッソスの町に着いたときはもう日が暮れていた。

するとバスドライバーは片言の英語で、村で結婚式があるから行かないかと言う。こんなチャンスはめったにないから大喜びで行くことにした。バスドライバーは途中で奥さんと子供たちを乗せ、真っ暗な道を暗い森の中へ連れて行った。

 

 

 

森の中の結婚式は周囲に並べられた花茣蓙にちゃぶ台のような低いテーブルとローカルの人たちがクックした焼き肉や野菜が載せられアルコールを飲んだ覚えがないところを見るとなかったのかもしれない。宴たけなわでは激しい音楽に合わせて若者たちが輪になって踊っている。音楽はトルコもギリシャもほとんど同じ様な曲に聞こえる。

 

結婚式のお祝いには新婚カップルの胸にお札をピンでとめてあげる。日本では考えられないような風習だった。

 

パーティの最後は新婚カップルのダンスがハイライトでもう夜も10時近く、バスドライバーが家族を連れて帰るという。私達もそこで帰るつもりだったが、バスドライバーが自分の家へ来いと誘ってくれた。

 

 

アパートの2階テレビも家具も立派な物、床のカーペットは奥さんが自分で織ったものだという。トルコの屋内は日本と同じように床に直接座る。

スイカをいただいて奥さんとおしゃべりして話がはずんでいる時に、そのご主人が電話を3回もかけた。自分の甥か従兄(?)が日本に住んでいて日本人の女性と結婚している。彼と話してみてくれと従姉に言った。わざわざ日本へ電話して従姉が話したところによれば、大変上手な日本語だったという。

そして従姉に日本へ帰るなら、僕の甥か従兄(?)に1㎏のスープパウダーとトルコの新聞を持って行ってほしいと言った。今日一日楽しくいろんなアドベンチャーでルンルンの私と従姉、もちろんOK で明日朝バスでパムッカレに行くときに受け取ることに話を決めてホテルへ送ってもらった。

 

ホテルでポールがここから日本へ電話をすると電話代は高いだろうに、スープの粉など小包で送った方が安いだろう。どうして?3回も電話した中にパムッカレ・イスタンブル・ロンドン・ジャパンと言ってるのが聞こえた。 もしかしてあれがドラッグだったらどうしよう。明日朝バス停で開けてみたところでドラッグかどうかなど私達には判らない。もしそれがドラッグだったと判って断ったとしても、私達イギリス人の男一人に日本人の女2人ではどこに行っても目立つから、いったいどんな報復をされるか判ったものじゃない。

それ以来この夜は怖くて眠れなかった。

 

 

 

 

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オスロ ノルウェー

2022-07-19 03:05:04 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ムーラからキャンパーを南西に向け,ストックホルムからオスロへの幹線道路にたどり着き、オスロへ着く前にスエーデンの国境近くで一泊しました。

この頃から天気が崩れ、晴れのち大雨と云う日が多くなってきました。

オスロの南郊外のキャンプ場に着き、午後バスでオスロ市内へ観光に行きました。オスロ中央駅の前でバスを降り、王宮までの2Kmの真っ直ぐの道を散歩です。

 

観光客でいっぱい、おまけにこの日は選挙運動をしている期間だったらしく、通りのいたるところに人々が集まり小集会や、テントでビラを配ったりしていました。国会議事堂の前の芝生には、ひと時の太陽に多くの人が日向ぼっこをしていました。

 

王宮はロンドンのバッキンガムパレスよりはきれいですが、もうすぐ嵐がやってくるような真っ黒な雲に怖気づき急いでオスロ市庁舎へ行きました。途中から土砂降りになり、市庁舎の中にヨーロッパ最大といわれる油絵を見ようと思ったのに、ここも選挙のために9月まで立ち入り禁止とのことでがっかり、

市庁舎正面入り口を飾る16枚の木彫りの絵と英語の説明で、北欧神話エッダの物語を読んでいましたが、雨しぶきがひどく8月の半ばと言うのに寒さで震え上がりました。

雨が小止みの間に国立美術館へ足を運び、この美術館が北欧ではただひとつの無料美術館で、嬉しくてゆっくり絵の鑑賞です。ただ残念ながら屋内では写真禁止。

ゴーギャンやルノワール、ピカソ、モネの絵など有名画家の絵も多く、1室全部をムンクの絵が展示されていました。ムンクは以前英国のナショナルギャラリーへ来た時に、ゆっくり鑑賞したことがあるのですが、どうしても好きになれません。

ノルウェーの画家ではクリスチャン・クロッグ(1852−1925)が、とってもきれいなロマンチックな絵を描いていて、ベルゲンや次に訪れたスエーデンやデンマーク、ドイツの美術館でもこの画家の絵を鑑賞することが出来ました。

この日から天気は最悪、おまけにキャンプサイトは狭く、多くのキャンパーは泥沼化した草地に駐車していて見るも哀れな有様でした。私たちはたった半日オスロを見て廻ったのですが、もう充分と翌朝土砂降りの中を南スエーデンめがけて南下したのです。

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